無邪気エッセイ 「さいきん思ったこと3」

 


卒業シーズンに寄せて。

「卒業式の日に無免許で盗んだバイクで事故って2人が重軽傷」なんてニュースを新聞で読んでしまったので、ちょっと時期を逃した気もするけれど、「卒業式」にまつわるコトについて少し書いてみましょう。

卒業とくればデフォルトで話題にのぼる、オザキの歌のようなカッコイイことなんて出来なかった私の場合、「卒業」といってまず思い付くのが「卒業式の練習」というもの。記憶が確かなら、小学校の時は3月になったら毎日毎日、卒業式の練習をしていた。お察しの通り、私はコレが大っきらい!であった。

しかしなぜ「卒業式」の練習をするのか?
私の通っていた小学校(普通の市立)では「呼びかけ」と称する全校生徒参加型で卒業式が行われていた。知らない方のためにちょっと説明すると、

「ぼくたち」→(卒業生代表が一人でしゃべる)
「わたしたちは」→(同じく、女子の代表が1人で)
「いま、小学校を巣立ちます」→(同じく1人で)

「巣立ちます」→(卒業生全員で声を揃えて)
→その後、卒業生 「巣立ちの歌」を歌う

と、こんな感じで集団でやる芝居みたいなもの。「オルグ」とかに近いものがあるよなぁ・・・。在校生のパートと卒業生のパートがあって、これを延々練習する。しかも毎年、6年間。いいかげん私、暗記しちゃったよ・・・。段取り段取り、仕切り仕切り。流れはスムーズにかつ気持ちを込めて。

そして歌の練習。1曲の中で、卒業生の歌う箇所と在校生の歌う箇所があって、私のようにいい気分で調子に乗って歌ってると、かなりはずかしい思いをする事になる。あああ・・・。
寒い体育館で歌うと、自分の白い息が見えてかつ見られてなんか嫌だったのも覚えている。

もしかしたら私、卒業の感動よりも、「呼びかけ」や歌がバチっと決まったことに感動していたのかもしれない。それに、だいたいみんな同じ中学校に行くんだし。
と言いながらも、ちゃっかり卒業の時にはクラスの人にサイン帳廻して書いてもらっていたりする私であります。もちろん今でも持ってる。引越しのたびに荷物を整理するときに「何だよこんなもの」というフリをしながらこっそり中を見て笑う。「書いて」と頼まれて書いたけど、渡すのを忘れてそのままになっていた紙なんかもあったりして、自分の字やイラストの下手さ加減にも笑う。

不思議なもので、卒業式自体よりもその後に行われる先生の離任式の方がぐぐぐっと来るものがあったと思う。中学校でも高校のときもそう思った。
友達には会えるけど先生には学校でしか会えなくて、それも出来なくなるから、ということなんだろうが、無性に悲しくなった。でも次に来た先生も良い先生だったりで、次第に忘れていくんだけどね。

そんなわけで、「卒業」は決してみんなとの別れではないけれども、そこに居た自分自身とは確かに別れなければならないもの。それはどんなにいきがってみても、少し寂しいのは仕方ない。

追伸;「卒業」された皆様、おめでとうございます。ー

 


今あえて、槙原敬之。

 〜素晴らしきその世界〜 

(※本文では触れませんが、薬物はもちろんいけません。当たり前です。)

 

あの事件の前であったとしても、
「どんな音楽聴いてるの?」
「誰のファン?」
こうゆう質問をされて、「槙原敬之」と答えることがためらわれて言い出せなかった。
どことなく後ろめたくて恥ずかしく感じてしまう。でも聴くのがやめられない。
私にとって、彼はそういう存在だ。

彼の作品は、クラシック音楽でいうところの「標題音楽」、詩的なもの絵画的なものとの結びつきで考えられる音楽であると思う。どの曲の中にも世界、物語がある。物語の内容も「適度なあるある感」とでもいうのだろうか、手を伸ばせば届きそうなもしかすると自分にもあるかもしれない、いやあった、という、現実よりもほんの少しだけ理想に近いところにあるところが絶妙。

それを描く表現の細やかさと巧みさ。
女性が望むと思われるシチュエーション(例:2人の男に奪い合われる、観覧車のてっぺんでキス等)、普通言うわけないけどもしかしたらありそうなストレートな台詞。
その歌詞を高らかに歌い上げる彼の声とメロディー。時としてすっとんきょうなこともあるけれど、耳にのこるサビ。どこをとってもよくできている。

で、このよくできた音楽に自分を重ねあわせてうっとりしたり、癒されたり励まされたりしている、と人に思われるというのが、ファンを名乗ることのはずかしさなんだけれど・・・。

開き直って、実際に励まされたものは仕方ないということで、ここで特におすすめの曲を紹介しておきます。(今は手に入らないと思うけれど・・・。)

・「遠く遠く」(アルバム「君は僕の宝物」に収録。)

・「どんなときも」(説明無用だね)

・「ハングリースパイダー」(シングル、アルバム「Cicada」に収録。)

 

もし彼がまた作品を出せるようになったら、たとえ「売り上げ○○万枚いかないと引退」なんてアコギな企画をしたとしても、私はそのときだけは買ってしまうと思います。

 


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