わたしはインターネットでの「人生相談系」のページ、掲示板を見るたびに自虐的気分になってしまう。
特にニュースサイト「ヨミウリオンライン」の別館「大手小町」の中の相談コーナー「発言小町」がなんだかニュースを見るついでに目に入ってきてしまい、よせばいいのに怖いモノ見たさで見てしまう自分が更にイヤだ。
パターンとしては
相談者:
少しの甘えを含んだ悩みの相談↓
回答者の皆様:
「甘ったれないでください、それでもあなたは大人ですか?
恥ずかしいですね最近の日本人は」
↓
相談者:
「でもだめなんです実は私ってアダルトチルドレンなんです」
とかトラウマがどうのとか
(ちょっと前は「アダルトチルドレン」の定義でもめる場面も見られたがさすがに今は飽きたらしい)
↓
回答者:
「私だっていろいろあったけどそれを乗り越えてる」とさらなる不幸自慢エスカレート
(この時点ですでに論点はそれてるが修正するでなし。)
↓
『結局、自分自身がどう思うかだよね』というところに落ち着く
こんな感じ。ああ、多いよ・・・。8割くらいがこの調子かも。別に私が投稿したわけでもないんだが自分が批判されているような気になってしまい、いたたまれなくなってくる。
すごいね、世の中の人みんな立派だよ、ワタシなんか苦労したうちに入らないね、甘えてるだけだね、がんばらなきゃね、とほんの少し思いながらも、なんだかどす黒い感情を抱いてしまうのも事実である。ああ、この気持ちはなんだろう・・・。
しかし世の中は確実に「強いヒト」にあわせて動いてるね。相談したことでかえって傷付くヒトもいると思うんだが、盛況ぶりから考えるとこの過程で浄化されて強くなる「たましい」もきっとあるのだろう。だから全否定はしないけど。
一度わたしも相談してみようかなぁ、とも思う今日このごろ。
「個性的でなければならない」と責める昨今の世の中、皆様いかがお過ごしでしょうか?
まあ、よい個性があるのは面白いし、みんな同じじゃ気持ち悪いし(そのわりに女の子たちがみんなで着ているGジャンはいかがなものか?わたしも買おうとおもったけどあまりにもあまりで買えないでいるぞ。)、前は異なった見方をされていたもの(例えば障害、国籍など)を「個性として認める」みたいな流れは歓迎する部分ももちろんある。
何をかくそうわたくしだって、こんなサイト作って文章を載せたりしているくらいだからまんまとその風潮に乗ってしまってますね。ははは。
しかし「個性」についてやりすぎてちょびっと胡散臭く思うのが、学校教育において
「どのヒトもそれぞれ誰にも負けないことが1つあるのよ!いや、なければならない!」
ということで、それを無理やり探そうとして妙なことになってしまう、卒業文集ネタでありがちな
(クラスの)「○○ナンバーワン」
なるもの。
これ、「爆笑問題の学校Vow」(学校にまつわる「VOW」的物件を集めた本。けっこう笑えます。)という本にものっていておもしろかったんだけど
すぐ思いつくようなヒトのは全然問題はないのさ。
「ピアノナンバーワン」「スポーツナンバーワン」「美人ナンバーワン」
「物知りナンバーワン」とか。
でもこの世の常としてみんながみんな一芸に秀でているわけでなくて、中には強引に「ナンバーワン」を考えなければならず、そんな場合は
「字の大きさナンバーワン」「はだしナンバーワン」「病院に詳しいナンバーワン」
みたいに、いと風情のあるモノになってしまう。どうよ、こういうのって。
わたしも「個性」はあればあったでいいけれど「普通」も別にイイと思う。「普通」がいるから「個性」の持ち主が際立つ。ナンバーツーがいるからナンバーワンがいる。普通という選択肢も、残しておいたっていいでないの。無理に個性的になろうとして自分を見失ったり、個性的になれない自分を嫌いになったり、というのは悲しいから。
だから(?)誰か教育のことをなんとかして欲しいのよ、少しでいいからさ。