さて、ここらですこしかわいらしく(無駄よ無駄無駄ァ!)、私の好きな「えほん」をご紹介、
なんてことをしてみようと思います。といっても、「ぐりとぐら」「そらいろのたね」なんかは私がゆうまでもないし(昔読んだよ。好きです。)、各方面で評判の「いつでも会える」(本は読んでないけど内容は判ってしまった)とかもいまさらなんかねぇ。
ハートウォーミングっちゃぁそうなんだけど、何か読むのはもちろん手に取るのすら気恥ずかしくて出来ない・・・と思ってしまう方もきっといらっしゃると思う。
そして余談でしかも偏見含むのだが、「わたしの心の一冊」とかに絵本をあげるのはなんとなくハイリスクハイリターンな気がしてならない。
「こういうステキな本を読んでるピュアな私ってス・テ・キ。」
と思われたらイヤだなぁ、なんてね。まあそれは自意識過剰だけど。
そこでだ、今回は世間での知名度はどうかしらんが、なるべく「それ的」気恥ずかしさを感じないですみ、かつ静かな感動を覚えさせられるわたくし的におススメの作品、ということで次の2冊をご紹介します。
それらの作品には、お姫様も王子様も、可愛い動物もかわいそうな動物も出てきません。
そこにあるのは知識への好奇心。そして科学、未知なる世界へのいざない。
もし、私が科学者、技術者としてうまいこと生きて行かれたのなら「私の将来を決めた1冊」とかぬかして堂々と紹介できるんだけれど・・・。それには失敗した(そう失敗したの。)ので、単なる面白いえほんということで、ひとつよろしく。
・「ゆきのひ」(かこさとし作/福音館書店 こどものとも傑作選)
著者は東大出身の科学者さんで、のちに絵本を書き出した人らしい。
おそらく父が買ってきた本だろう。
ある町に初雪が降るところから始まり、雪国の生活と降り積もる雪の様子
そして雪の恐ろしさとそれに立ち向かう人間の知恵を描いた作品。
ちなみに私はこれで「消雪パイプ」の存在を知りました。
途中までは雪国の楽しい生活をひたすら描いてほのぼのタッチなのですが、
ラストで「この冬一番の大雪」が降り、吹雪で電線が切れ、雪が詰まって発電所がトラブルを起こして停電、(まあ、だいぶ昔の話なんで、ここら辺は薄目で読んであげよう。)列車がストップ、復旧にお父ちゃんが出かけていくところのくだりがなんともスリリング。
(ちなみにだれも死んだりしないので安心してね。)
雪の降るさまを表現する擬音のそれぞれが生き生きしている。
吹雪の擬音の「びゅーびゅー、ごー」ってところがまた何とも子供の想像力をかき立ててくれます。
文句無しの名作。まだ本屋で手に入りますので(絵本大好き女のフリをしてこないだチェックしてきました。いつもはそのコーナー素通りのくせに。)ぜひご購入を。そして次世代に残すべし。
・「かわ」(かこさとし作/福音館書店 こどものとも傑作選)
こちらも同じ作者の本。
川の流れを上流から河口、海までたどり、流域の景色、社会を織り交ぜて描いた作品。
山の中の上流、中流の小さな町、そこに住む鳥や魚たち、下流の住宅地、のどかな運動場、散歩コース、
河口には大きな工場、船。と、川はひたすら流れる。
そしてやがては海へ。
ラストの海の絵とポエムが子供心にも怖く、美しかった。
それは、私が海のないところに住んでいたかもしれないが・・・。
どう見ても小学生未満向けの本なのに「浄水場」「工業地帯」なんかが取り上げられてて
なかなかハイレベル(?)。ためになるぞ。
付け足して、「かこさとし」の書いた「こどものカレンダー」という本(365日分の「今日はこういうことがあった日」というのを教えてくれる素晴らしい絵本。 小学生未満むけ?)もなかなかハイレベル。
あとで読み返してビックリ、「メンデレーエフ」が元素の周期律を発見した日、なんてのが平気で載ってたのよ(当然、読んだ当時はわかんなくてすっ飛ばした。)。
「お受験」にも役立つかも?
しかし「こどものとも傑作選」は本当に名前通りの傑作選だと思う。
上の2つ以外にも「だるまちゃんシリーズ」もおすすめ。って誰に勧めるんだよ!
でもこういう絵本をプレゼントにすると、ちょっとかっこいいかもしれない、と思う。
やあみんな、癒されてるかい?
もう一時のブームは去ったような気もするけれど、このストレスフルな世の中のことだから、まだまだきっと癒し癒され産業の需要はあることでしょう。
癒し系ポエムといったら、今(だから古いってば)の主流は「みつを」とか「ミツル」、それから「金子みすず」もそうかもしれないが、それらの流行する前にはこういった「お言葉」がよく取り上げられていました。
(一字一句あってはいないと思います。うろ覚えですみません。)
「野に咲く花は泥水を吸ってあんなに美しく咲くのに
自分は多くの人の愛に囲まれながら
なぜ、醜いことばかり考えるのだろう。」
これは不慮の事故で首から下の自由を失い、口にくわえた筆で美しい草花の絵やポエムを書く、ある有名な方のお言葉の一つ。単にやさしい安直な言葉ではなく、そういった苦労を乗り越えて云々というバックボーンからも、世代を越えた広い支持を集めている。
そして
「感動しました」
「心を入れ替えてガンバロウと思います」
「今までの自分が恥ずかしいです。」
と、寄せられるたくさんの声。まさしくその通り。もう私なんて生きているのがもったいないざます・・・。
しかし、これに限らず、この手の「いい言葉」「いい話」(とくにヒトの「生死」がらみのものだとなおさら)を聞いたり読んだりしたときに、こういうこと言うのは非常に心苦しいのだけれど、私は「感動」そして「励まし」にまで行きつく過程で、なにか自虐的な、モヤモヤしたどす黒い感情を抱いてしまい、息苦しくなってしまう。それは一瞬のこととは言えず、感動に行き着かないことも時としてある。「よし、私も頑張るぞ!」というところまで浮上できないのだ。
(断っておきますが、私はまったくこの作者の方を中傷するつもりはないし、「その人がどんなに苦労をした上で言葉が出てきたか」という重み、その背景も理解できます。)
「あの人はあんなに頑張ってるのに、ああ私なんてダメダメダメダメ!」と妙にうしろめたく、自虐的になってしまう。日頃からうしろめたい生き方をしていなければ、心ゆれることなく問題ないんだけれど。単なる同情や「かわいそう」という感想をもつのも良くないんだよね・・・。
さらっと流せば(失礼)「はっとさせられました」「身につまされる思い」「我が身を振返ってうんぬん」
という言葉でいいのかもしれないが、それでは括れない何かに責められるような感じに襲われてしまう。
そして「モヤモヤしてる」とか口にすることや、突っ込むこと(絶対出来ませんが)が許されない雰囲気。全員がひとつの感情をもつことしか許されない。誰も逆らえない。
・・・・・・ああ、本当に心清い人がうらやましいです。そういう人に私もなりたい。
と、このようなネガティブ感動系励ましや癒し
(・あの人はあんなに頑張ってるのに自分はなんてだめな人間なんだ!
生きたくても生きられない人だっているのに自分はなんて無駄に生きてるのだろう・・・。
ああこんなじゃダメダメ!、がんばらなきゃ、がんばらなきゃ!!!)
は、私にとっては「避けられるものならなるべく避けて、決して自分からは手を出さない」ものでした。こういう人って・・・私の他にもいるかなぁ・・・。
それに比べると、この頃の「癒し系」はポジティブで後ろめたさ感じなくていいね。
「泥水でも、お花にとっては美味しいスープ。」
なんてきっと言ってくれるんだろうな。誰だって自分を責めてばっかりじゃ疲れるものだし。
(あんまりポジティブでも困るけれど。)
流行るのは今までの自虐の反動かな、なんてちょっと思った。