無邪気エッセイ さいきん思ったこと その6

 

 

無条件幸福

お前変換間違えてるよ〜と思わないで下さい。わざとです。

久々にインチキエッセイのお時間でございます。ごぶさた。書き方わすれちゃったよ。

 

で、まずはちょっと思い出話から入ってみる。

わたしは学生時代あるクラブに所属していて、当時はかなりそれに生活の全てを注ぎ込んだ生活を送っておりました(小学生の頃から太刀掛秀子先生のマンガを愛読していたことが無意識で影響を与えていたぽい)。似合わないことに、クラブの中でかなり人気のあった男の子と付き合っていたりもしました(過去形)。
男女問わず気の合う仲間と過ごした日々は今となっては(笑)良い思い出。

しかしそんな仲間も卒業してお約束のようにシビアな現実に直面。

仕事、レンアイ、人生全てに「勝ち組」「負け組」(嫌な言葉だがいたしかたなし)ということばで括るしかないような明らかな差が付き、もう昔の仲間だからって「何も気兼ねなくあの頃に戻って」なんて訳にいかなくなり次第に疎遠になっていくのが世の常。

寂しい、でも、それはそれで良かった面もある。と今となっては思う。

しかし、近年とても便利なものが発達してしまった。
そう、インターネット&電子メールである。(私は2年ほど前から設備投資もいとわずこのツールを愛していて、限りない恩恵もうけているんだけれどね…)

まあどこの世界にもお世話好きな人がいて「OBメーリングリスト」なんてものを作ってくれたのですね。いうまでもなく「負け組」に所属、しかも地元に撤退した私は当初は懐かしさ半分でメールを読んでいたのだが、そこにリアルタイムでじゃんじゃか届いて望まなくても目に入ってしまうメールは当然「勝ち組」の人たちの投稿したものであった。知らなかったら知らないで今まではすんでいたのに。

仲間同士の結婚・妊娠&出産、

自分の仕事の成功や受賞、

海外での生活・活躍

エトセトラえとせとら(1人で複数のシアワセを手に入れている人もいるみたいで素晴らしすぎるよ…)。私に出来ることはおめでとう、良かったね〜と祝福するのみ。情報が入ってくるのは嬉しい反面、自分がとんでもなくダメな人間に思えてきてしまう。
もう十分だみんな、そんなにがんばって偉くならないでくれっ!いつまで経っても追いつけないじゃないか!なんてセリフも少し言いたくなってしまう。
そしてひとり「声の大きさ」「サイレントマジョリティ」とかいう言葉を呟くのは誰にも内緒だが。

あれだね、いくら「人は関係ない、自分は自分。」なんて思っていても、圧倒的な現実を見せ付けられると無力になるものですね。私は出来るだけそーゆーことにこだわらないフリをして生きているつもり(だって口に出したら本当に不安になってしまうんですもの)だけれど、もう無条件降伏。

 

で、人から言われるのはとてもイヤなんだけど「じゃあ自分も頑張ればいいじゃ〜ん」と思ってはいる。思っては。

そんな訳で当面の私の目標はあのメーリングリストに堂々と投稿できるようになること(笑)。
そして大きな声が出せるようにもなりたい。いつかは。


選挙のときのひそかな楽しみ。

 

ええと、私の住んでいるところでは2ヶ月ほど前にちょっとした選挙がありました。

いや、あの時の異様な空気はすごかった。午後6時の駅前なんてあまりの両陣営の演説のウルササと音程の狂ったからくり時計が時を告げる音が入り混じってもう泣きそうでした。
なんと某所から怪文書らしきものも手に入れたし・・・。いやはや。

まあそれはいいんですが、選挙の投票といったら地元の学校の体育館にいくじゃないですか。実はそれがひそかに楽しみ。さんざ学校キライ!とか教育の悪口言ってるけど、それはそれ、これはこれ、で無責任に外から眺める分にとっては「学校」という特殊空間は私にとってものすごく興味をそそられるものである。

投票会場の小学校はウチから500メートルも離れていないところにあって、もちろん昔、通っていたところである。でも用事もないから普段は全然行かないんだよね。
今歩いてみるとあっというまの距離なんだけど、当時はこの道のりがすごく長いように思っていた。たぶん私の足が短かった所為であろう。

校門から入って体育館に向かう途中の通路脇の花壇をみて、いきなり心が弾んでしまう。花の名前がへたくそな文字で書いてあるのとかもう堪らない。
体育館は私がいた時からぼろかったが、更にぼろくなっていて、すでに窓ガラスがなく吹きさらしになっているがまだまだしつこく使っているみたい。遠慮なく土足で上がらせていただき、つつがなくコースにしたがって投票をするが私の視線は明後日の方向、ステージ壇上に釘付けである。

「練習が本番、本番が練習」

「ライバルは自分自身」

「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために」

などなどの素晴らしい標語が貼り付けられていて心をしめつけられてしまう。
「変わってないな。」
壇上には鼓笛隊の練習用の楽器が積み上げられている。かっこいいよなー鼓笛隊とバトントワラー。でも私は当時ただひたすら友達と遊んだりマンガを読んだりしたくて参加しなかったのである。だって土曜日に授業終わっても帰れないなんて、1回くらいだったらいいけど毎週なんてイヤじゃない・・・。

そしてさらに目に入ってくるのは掃除道具。なぜだか妙に我々の学校生活の中では掃除に命を懸けさせられていた。私語厳禁、自分自身を見つめて問い掛ける(らしい)「自問清掃」なる儀式が毎日行われていたものだ。それはもはや単なる掃除ではなく一種の儀式なので開始の前には必ずクラシック音楽が流れ、終わった後は輪になって反省会。当然私はこれが大嫌いであったが仕方なくやっていた。あの標語の調子だとまだ同じようなことをやってるんでしょう。がんばってくれたまえ諸君。

そんなことを考えている間に投票も終わり、狭い体育館から外に出なければいけない時が来る。別の建物ものぞいてみたいけれど、あんまり小学校でウロウロしていると怪しい人だと思われてしまうのでやめておく。私のひとり同級会、終了。

次の選挙の時も、その次の時も、ここしばらくは変わらないであの空間は存在しつづけるのだろう。
それを確認するのも、また楽しみかな、と。


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