植田むねのりは1965年12月7日、奈良県桜井市に生まれました。父は木工所に勤めるブルーカラー。決して裕福な家庭ではありませんでしたが、貧乏なりにすくすく育ちました。

中卒だった父は、一人息子には学だけはをつけさせなければ、と、とにかく「勉強せい」の一点張り。おかげで、小学校時代は成績優秀。
が、スポーツはまるでダメのいじめられっ子という次第。
 ちなみに父の仕事は、「腹押し」と呼ばれていました。丸太を大きな丸鋸で寸法を合わせて切っていくのです。そのとき、腹で丸太を押すので腹押しと呼ぶわけです。毎日額に汗して働く父を見ながら、なぜその割に家が貧乏なのか、子ども心に疑問に思ったものです。いま思い
返せば僕が政治に関わりを持つこととなる原風景だったのでしょう。

 1978年3月に地元の、桜井市立桜井南小学校を卒業、国鉄に乗って、奈良市内の奈良教育大学付属中学校に通いました。が、このころから、成績は急降下。劣等生として中学、高校の6年間を過ごすことになります。
 勉強嫌いだったのですが、ただ本を読むのは大好き。おかげで、社会と国語はそこそこでした。歴史が好きで、中学・高校時代、司馬遼太郎の作品はほとんど読破。中学3年生のときに読んだ「竜馬がゆく」は、心に残る一冊です。


 高校は、桜井から近鉄に揺られて上本町の清風高等学校に通学。成績は相変わらず最劣等。ただ文庫本とオールナイトニッポンの日々。
高校時代はヘルマン・ヘッセに凝りました。「車輪の下」「クヌルプ」「シッダールタ」などが印象に残っています。また、歴史小説はもちろん、このころは推理小説も乱読、鮎川哲也や最近創元推理文庫で著作集がでていますが寡作で有名な土屋隆夫などを読みあさっておりました。また、手が不器用なためギターは身に付きませんでしたが、ブルーススプリングスティーンやジャクソンブラウンのようになりたいなと思っていたのもこのころです。
 勉強をしていないのだから、大学受験にも失敗。浪人生活を過ごすことに。天王寺予備校というところに通い、1年後なんとか立命館大学に滑り込んだのです。

(つづく)