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International Trombone Ensemble

<2008年7月 オランダから緊急初来日!>
〜メンバー代表 品川 隆さんに聞いてみました〜

WAVEでは今回の演奏会を積極的に応援します。

「オランダ・トロンボーン見聞録」
〜2008年7月の来日公演を前に〜品川隆

私がヨーロッパ・オランダへトロンボーンを勉強しに来ることになったきっかけの伏線は、まだ武蔵野音楽大学2年次が終わろうとしていた頃・2000年冬にありました。音楽大学でがむしゃらに練習に没頭して過ごしていたある日、「ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ・トロンボーン・セクション・マスタークラス」というチラシを見つけ、同オーケストラのことなど何も知らなかった私はその「ロイヤル」と「トロンボーン・セクション」という言葉の響きの良さに惹かれて、興味半分に足を運び、聴講してきました。
 当時、新任のソロ・トロンボーン奏者のユルゲン・ファン・ライエンJ嗷gen van Rijen氏、もうひとりのソロ・トロンボーン奏者であったイヴァン・メイレマンスIvan Meijlemans氏、バストロンボーンのレイモンド・ムネコムRaymond Munnecom氏が、首都圏の音大生を公開レッスンし、トリオのミニコンサートで締めるという内容でした。プログラムの内容はそれは大変すばらしい演奏だったのですが、当時の感受性に乏しい私の耳では「よかったな」以上の感想を持つことはできなかったようです。

 2年が過ぎて2002年冬、私は武蔵野音楽大学の卒業を間近に控え、進路の決断を迫られていました。東京はたくさんのプレイヤーがいて、コンサートや楽器屋さんの数も多く不自由はなかったのですが、もし勉強を続けられるのであれば新しい場所へ行ってみたいなと漠然と思っていました。武蔵野音大での師・川嶋清一郎氏がドイツ・ベルリン帰りだったり、札幌で高校時代に就いていた余田安広氏や楽器店で知り合ったトロンボーン奏者・若狭和良氏がフランス帰りだったり、他にも誰がどこにいるとかいたとか、いろいろ情報はありました。そんなある日、ひょんなことから前述の ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ・トロンボーン・セクションのマスタークラスの模様を録音で再び耳にすることになりました。(右へ)

私はそれまでに、いろんなプレイヤーやアンサンブルやオーケストラのコンサートやCDなどで「鳥肌が立つ」感動をしたことは何度もありました。それはある時は壮絶なフォルティッシモであったり、ある時は超絶テクニックであったり、驚愕のスタミナ、ピタリと合った美しい和音、澄んだピアニッシモ、豊かな色彩感・・・。その音楽を聴き終わると、「この曲のOOはすごかった」「彼のXXは尋常ではない」などと思ったものでした。 ところがその時の録音を聴いて「彼らのOOが圧倒的にすごかった」という部分的な印象はなく、「そういえばあれもあった、これもあった」と思い出し、時間がたってから「むむむ、あいつらすげぇ」と感じ始めたものでした。当時の自分には感じることができなかった多くのことを感知し、そのひとつひとつに対しても、それらがバランスよく網羅されていることに対して、大きな衝撃を受けました。と同時に、この人たちがどういう土壌でどういう教育をされてきて、どういうアイディアでトロンボーンや音楽やいろいろな活動と向き合っているのかをとても知りたくなりました。特にユルゲンは私と3つしか年が違いませんから、この同じ世代のスーパースター・ユルゲンが育った場所を見てみたいと、興味本位で思ったものでした。

 しかし、当時の自分の身の回りにオランダにコネクションを持っている人を知らず、どうすればいいのやら、なかなか事態は進まなかったのですが、なんとかインターネットカフェで検索を繰り返してオランダ・トロンボーン界のページ等からユルゲンの連絡先を見つけ、当時の自分のPHSから「直メール」しました。また後日には武蔵野音大の井上順平先生がロッテルダム音楽院のベン・ファン・ダイクBen van Dijk氏と親交があると知り、ご紹介をいただいて、2002年1月、ついにオランダ・ロッテルダム音楽院にレッスンを受けに行くことになりました。初めてパスポートを申請して足を踏み入れる異国の地は、アムステルダムのスキポール空港だったのです。
 実際に行って見てきたところには、想像をはるかに超えるすばらしい環境が待っていました。それまでの私は、当然自分のウィークポイントもストロングポイントもある程度はわかってはいましたし、それらについて自分なりにいろいろと試行錯誤はしてきたのですが、どう解決していったらいいのか100%の自信はありませんでした。すでに23歳にもなってしまい、これから大幅に自分を改善することなんてできるのだろうかという疑問と、たとえそれが可能だとしても最後までまっとうできるだろうかという不安もありました。
ユルゲンのレッスンでは、卒業試験で演奏する予定だったF.マルタンのバラードを指導してもらいました。ブレスの使い方をはじめテクニック面の問題点に対する練習の方法や注意点を与えてくれたり、楽曲のさらい方というものを順序立てて示してくれたり、部分ごとの音楽的なエッセンスをたくさん与えてくれた他に、私にとっては非常にショッキングなことをひとつを教わりました。それは、音楽的なゴール(どういうふうに演奏したいか)とその理由をはっきりと持ち、それを達成するために自分には何が欠けていて、何をしなければならないかを知りなさい。そしてそこに時間とエネルギーを費やせ、ということでした。私が今まで練習室でやってきたことの、すべてとは言いませんが、大半が、「なんとなく」、具体的な目的もなしに行われていたことに気づかされたのです。(左下)
またあくる日には幸運にもユルゲンの紹介でロッテルダム・フィル首席のピエール・フォルダースPierre Volders氏、ユルゲンやピエールの師であり音楽院学長のジョージ・ヴィーゲルGeorge Wiegel氏のレッスンも受けることができました。
さらにこの時の旅ではもう一つ忘れられない出来事がありました。「トロンボーン・アンサンブルのリハーサルがあるから、観に来るか?」というユルゲンの誘いで、音楽院の脇にあるホールの一室に行きました。大きなリハーサル室に入ると、大きなオランダ人トロンボニストたちが8人。メンバーは私がトロンボーンと大きなスーツケースを持って入ってくるのを見るなり、きっと夏期レッスンに来るのだなとわかったのでしょう、駆け寄ってきてそれぞれに握手を求め自己紹介をしていってくれました。アンサンブルは2時間半、クープランのトリオからミスティのオクテットまで、次々と新しい楽譜を試したり、掘り下げてリハーサルをしたりしながら、和気藹々と進んでいきました。大学でアンサンブルをしてきましたが、こんなにいろんな要素をバランスよく持って、耳に心地よい演奏には触れたことがありませんでした。いや、家にあるすさまじい数のトロンボーンのCDを聴いてみても、こんなトロンボーン・サウンドはありません。なんとこれがデビュー・コンサートを数ヶ月後に控えた、New Trombone Collectiveのリハーサルだったのです。

 「自分はこういうスタンスでトロンボーンや音楽をやっていけたらいいな」程度に思っていた淡くて抽象的な理想を、「納得のいくレベルまで行ってやるぞ」というエネルギーに変えてくれました。もう、このロッテルダム以外の場所を観に行くということは思いつきませんでした。武蔵野音楽大学を卒業し、なんとも幸運なことにロッテルダム音楽院に入学することができました。そして2002年9月からこの地でプレイヤーとしての自分を築いていくことになったのです。
 
 ロッテルダム音楽院トロンボーン・クラスの先生方です。
<クラシック>
テナー ジョージ・ヴィーゲル George Wiegel
ピエール・フォルダース Pierre Volders
ユルゲン・ファン・ライエン J嗷gen van Rijen
バス べン・ファン・ダイク Ben van Dijk
メソディック レムコ・デ・ヤヘル Remko de Jager
<ジャズ>
バート・ファン・リール Bart van Lier
イリャ・ラインハウト Ilja Reijngoud

「チーム・ティーチング」という教育方針では、基本的にはクラシックの学生たちはクラシックの先生、バストロンボーンはベン・ファン・ダイク先生、ジャズの学生はジャズの先生たちに主にレッスンを受けていくのはもちろんの事なのですが、スケジュールの都合さえ合えば他の先生ともアポイントメントをとって指導を仰ぎに行くことができます。
また、年に一度行われるトロンボーン・キャンプでは、一週間ほど自然に囲まれた合宿所にこもり、朝から晩までレッスン、大小アンサンブルのリハーサル、エチュード発表会、卒業生であるニュートロンボーンコレクティヴたちとのセッションや外部の講師(リラクゼーションやボディ・コントロール、メンタルの専門家など)を招いてのレクチャーとエクササイズ、ウォームアップ・セッション、国際色を活かした各国の料理、フットボール、ビールの350mlビンがテーブルにのりきらなくなるほどのパーティ、そしてみんなが完全に酔払ったあとの夜中3時から模擬オーディション、などなど、充実した時間を過ごします。(右へ)

ただ、私が感銘を受けたのはこういうカリキュラムや時間割だけではありません。これらのレッスンや仲間との交流を通して、真のプロフェショナルとなるための勉強の仕方を学んでいけるだけの、すばらしい人的環境があることでした。
最初は、チームティーチングで自分の好みの先生のレッスンが受けられる事だとか、頻繁にロッテルダムフィルやコンセルトヘボウが聴ける事だとか、自分にとって大事なことはそれらだけではないということに気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。
私は先生たちや仲間たちとのやりとりを通じて、ひとつの根本的な問題にぶつかりました。それは、「音楽家になれたらいいな」と思いながら勉強するのではなくて、「音楽家になるべく勉強する」というテーマです。私はそれまで学校の授業で習ったことを100%学習しておけば100点がとれる場所にいました。ですから、音楽を始めてからも先生にもらったアドバイスや講評をしっかりものにしてゆけばよいというスタンスでいましたし、それが良い学生、つまり優等生だと思っていました。
しかし、ロッテルダムのトロンボーンクラスで勉強を始めて、いつもそうはいかないということ、そしてむしろそうでないことのほうが多いことに気がつかされました。「お前はレッスンではとても素直にアドバイスをきいていて、内容もよく理解しているようだけど、どうも伸びない。」と。
前期授業が終わる1月に、Technical Examという短い試験があります。特に1年生に関してはこの試験と6月の年度末試験が2年目以降に進学できるかどうかの判断材料になります。1年目の私はその試験に合格できず、3月に再試験を課されました。しかし、その再試験もいい演奏ができず、6月にもう一度だけチャンスを与えるから、そこで自分のウィークポイントに関してなにかしらの改善をみせなさい。もしそれができないようだったら、残念だが君を日本に帰さなければならないよ。
生まれて以来味わったことのない重さの絶望感、どうしたらよいのかわからない混乱、言葉も勉強もうまくいかないというストレスが一度に私を襲ってきました。本当に食事が喉を通らないという状態を体験しました。数カ月で12、3キロ体重が落ちました。
しかし、このショックが私を正しい方向に向かわせるきっかけを与えてくれました。「こんなにも辛いところに身を置かなければならないということは、これを本当の意味で活かせということだろう。」(左下へ)

私は、自分の目の前にある問題点をひとつひとつ素直に捉え、自分の現状に沿った確実な取り組み方を見つけられるように時間をかけることにしました。
またユルゲンは「Be your own teacher. 自分の先生になれ」というアドバイスをくれました。「はじめは物事がわからなくて、真似をしたりすることも必要だと思うし、人の言うことに従っていてもいい。ただ、この学校を卒業するころには一流のオーケストラで働けるだけの技量のあるトロンボーン奏者にならなきゃならない。卒業後も自身をリードできる自分の先生にならなきゃ。」ジョージやユルゲンやピエールとの度重なるミーティングを経て、トロンボーン演奏に必要なあらゆる側面の要素をきちんと知り、自分で習得すべきものを考えてその方法を探しに行くというスタンスに変わるのは、すでに24歳になっていた自分にとっては決して簡単ではありませんでした。しかし、数年を経てとてもやりがいのあるチャンレンジの連続になりました。

そして、仲間や先生たちとの交流を通して気付かされたことは、本当に信頼できる仲間であり先生たちであるということです。ロッテルダムのトロンボーンクラスでは、学生同士の演奏のしあい、聴きあい、教えあいがとてもさかんです。皆が真剣にプロフェッショナルを目指してますから、本当に相手のためになるようなアドバイスや感想を返しますし、そうやって返してくれる人の演奏を聴く時にはやはり正直な応答ができます。厳しいことを言わなければならない場合もあります。もちろん、たまには喧嘩にもなります。ソロに関しても、アンサンブルに関しても、オケスタや・・・。ひとりが勝ってひとりが負けるのではなく、グループみんなで勝とうとする心の広さと潔さは、和声楽器であるトロンボーンを生業にしている者にとっては最高の宝であり武器だと思いました。ある晩、ベロンベロンに酔っ払ったユルゲンが、こう言っていました。「僕らの世代は人それぞれ時期の早遅の差はあったけど、結果的にひとり残らずオーケストラに就職できた。でも、もし学校の中で各自にレッスンを受けるだけでみんなバラバラだったら、こうはいかなかったと思う。毎朝一緒にウォームアップをして、お互いを尊敬し合って聴きあい教えあって、腹を割って話して、アンサンブルを組んで、喧嘩もして、一緒に酔っぱらって悪さをしていたからこそ可能になったんだと確信している。」と。

私がロッテルダムのトロンボーンクラスに在籍していたのは、ニュー・トロンボーン・コレクティヴがの世代がほぼ卒業した時期です。それまではオランダ人の学生が大半だったのですが、急速な進歩を目に留めた世界各地からの多くの外国人学生が集まるようになりました。(右へ)

オランダ人は数人にとどまり、ベルギー、フランス、ドイツ、オーストリア、スペイン、イタリア、ギリシャ、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、ブルガリアといったヨーロッパ各地から、韓国、日本、オーストラリア、南アフリカ、アメリカ、メキシコといった全世界からの学生が集まっています。

オランダという国は面白いところで、人口の50%以上が外国人で構成されているのです。黄色人種や黒人も含めて多種多様な人種のるつぼです。しかもアムステルダムやロッテルダムのような大都市では特にその傾向が強いです。世界三大オーケストラのひとつとしても挙げられるコンセルトヘボウ・オーケストラは世界中から本当に優秀な演奏家を受け入れてオーケストラのカラーは常に変化しています。現にそうしてトップクラスのメンバーが集まった故にいわゆる伝統的な演奏スタイルがなくとも、あのような素晴らしいオーケストラになっていると言えます。

もうひとつ、オランダという国は、その意味では日本と同じで、いわゆる脈々とした「クラシック音楽」伝統がありません。歴史的に出てくる最も有名な作曲家は、Jan Pieterszoon Sweelinckヤン・ピータースゾーン・スヴェーリンクです。その後は、、、今日の吹奏楽で有名なJohan de Meijヨハン・デ・メイでしょうか。この国の、外国のものを積極的に受け入れて、常に最高のものを創り出そうとする柔軟な姿勢と盛んな意欲があります。現に、私自身がオランダに来てしばらくして「伝統に縛られないこういうスタンスなら、24歳にもなってこの国にやってきた自分にとっても無理なくやっていけるかな」と感じたことを覚えています。
ベートーヴェンにはそれなりのルールがあって最終的にはベートーヴェンらしく聴こえなければいけないし、ラヴェルはラヴェルなのですが、オランダはドイツやフランスとまったく異なる歴史を持ち、気質を持ちます。当然の話ですが、オランダ人も、ドイツ人やフランス人になりたくてもなれないのです。そんなオランダのミュージシャンやオーケストラが最高のものをつくりあげる方法やアイディアの数々は、私たち同じように伝統がない日本人にもやってできないことはないと思います。例えば優れた合奏力であったり、色彩感覚であったり、豊かな音楽性であったり。そう考えていくと、ここはどんどん新しいものが生まれてくる環境があると気付いたのです。

実は武蔵野音大からロッテルダムまで一緒に学んだバストロンボーン奏者の親友が2007年6月に急逝しました。彼がオランダについて私と全く同じことを考えていたかどうか解りませんが、私たちに共通して言えるのは、このロッテルダムで一緒に演奏してきたトロンボーン・アンサンブルのメンバーとしての活動に大きな誇りを持っていることです。いつかこのオランダでの仲間を日本によんで、留学中に学んだことを彼の出身地である広島や日本の人たちに伝えられたらなぁ、ということを彼が生前からよく話題にしていたことです。本当は5年、10年先にこの夢がかなったらいいねということだったのですが、こんな経緯で決行することになったのです。彼と私が仲間として誇りに思う、オランダ内外で活躍するトップ・ミュージシャン軍団です。全員、このロッテルダム音楽院のトロンボーン・クラスで学んだプレーヤーたちです。ソリストとして、彼のバストロンボーンの先生であったベン・ファン・ダイク、テナートロンボーンのユルゲン・ファン・ライエンも参加します。詳しくはウェブサイトを是非ご覧ください。

今回予定の日本ツアーでは、彼の夢をみなさんに伝えられるよう、メンバー一同、彼への想いをこめてコンサートやワークショップを行いたいと思っています。7月に日本で多くの皆さんとお会いし、真摯に交流でき、新しい国際的な親交の輪が広がるきっかけになることを切に願っています。

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