ECM DIVISION |
homeへ戻る ECM DIVISIONのtopへ戻る Album cover reproduced by courtesy of ECM Records, Munich ●ジャケット写真はECM Recordsの許諾のもと、掲載しております。(musicircus) |
ヤン・ガルバレク・グループ 2004. 2. 25(水)来日公演リポート
ヤン・ガルバレク讃
|
||
![]() |
はじめてガルバレクの演奏を聴いたのは《Ralph Towner Solstice: Sound And Shadows》(ECM 1095)だった。それから間もなくして来日公演を聴きに行き、空席ばかりが目立つ会場で、一観客として訪れていた武満徹氏を見かけたことも、また忘れられない思い出だ。《All Those Born With Wings》(ECM 1324)、そして《Legend of The Seven Dreams》(ECM 1381)の2枚は、永遠に聴き続けていたいアルバムであることを、ここに宣言したい。(この部分、やや"ロヴァ耳"風) |
|
| 1988年の来日のときは、1/29(金)東京・郵便貯金ホールの他、表参道スパイラルのB1F「CAY」と、たしか六本木ピットインで公演があり、私はピットインを除く二日間に通った。初めて接する生身のガルバレク。その楽器から出てくる音の異様なまでに静謐な佇まいには愕然とした。 |
||
![]() |
濃霧の中を走行する車のヘッドライトが照射する、質量を感じさせない白い不定形な塊。あるいは、川床の石肌にぶつかって分流する水路、その表面をいくつもの渦が巻いては解ほどけ、周囲の景色を映してゆらめく様態。そのような、自然の〈うつろひ〉の裡にとどまる〈はかない〉消息といったものを、私は、ガルバレクの音楽から強烈に感じ取っていた。そしてまた、かれの音楽には同時に、泣きたくなるような寂しさ、寄る辺なさ、はてしない彷徨が折り畳まれているように思えた。 |
|
![]() |
しかし、ガルバレクの音楽に刻印された「孤独感」は、拒絶や逃避といったネガティヴな性質とは無縁のものだと思う。彼が奏でるノルウェー民謡にしても、それはメルヘンチックな抒情性や自然賛歌への耽溺から観るべきではない。むしろ、「言語形成の前段階としての呼吸音」にもっとも近しいイントネーションが結晶化したものとして、より広くイマジナティヴに捉えられてよいのではないかと思う。世界中のすべての「わらべうた」が、奥深い共通性をもつことを忘れるべきではない。ところで、私にとっては、ガルバレクの音楽と同じ印象をもたらすものが、ほかにひとつだけある。それは武満徹の音楽だ。宇宙の向こう側に広がる、個人を超えたアノニマスな領域の探究。自然への謙虚な信頼に支えられた強靭な精神の営み。両者の音楽から聴こえるヴィジョンは、私には、ときどき、ほとんどおなじものに感じられる。 |
|
| 今回の来日公演は、90年代以来、ガルバレクと演奏を共にしている盟友四人同士によるもので、期待をはるかに上回る演奏だった。ホールがやや大き過ぎたせいか、音が拡散してしまう物足りなさはあったものの、演奏者たちは始原の記憶に導かれるように、ときおり夢の小径を縫うようにしながら、音の刺繍を丁寧に繰り広げていった。ここには、ジャズを連想させるインタープレイも、かけひきも、爆発も、弛緩も、スリリングなハプニングも、そういった予測できない不安定な突出は存在しない。揺るぎない構成で象られた音楽の台座で、静かに進行してゆく聖なる儀式。醸しだされる宗教的雰囲気の源泉は、霧のように広がる不定形で曖昧な響きの呼び交わし(エコー)の反映の裡にある。 |
||
| 最初に演奏された組曲風の作品では、途中で中南米風の愉しいリズムとメロディが夢幻的なイメージで奏でられたが、なにか、それは、遠い宇宙の果てから眺めた地球のカーニヴァルの情景のようにも思われた。こうした〈まなざしのパースペクティヴ〉は、ガルバレクが敬愛するアンドレイ・タルコフスキーの映像ともつながる世界を連想させた。(このとき私の耳には、幻聴のように、武満徹の《写楽》の映画音楽、彼が永遠の青春を象徴するものとして愛したディキシーランド・ジャズの響きが鳴っていた。) |
||
![]() |
アルバム《I Took Up The Runes》(ECM 1419)に収められている組曲〈Molde Canticle〉の演奏は、なかでも当日の白眉として記憶に残った。何年も繰り返し一緒に演奏するなかで熟成され、削ぎ落とされ、洗われ、積み重ねられた音楽の「色」と「濃淡」。グループ全員の一音一音のなかに、CDでの演奏とは比較にならないくらい多義的な暗示力を深めた素晴らしい到達があった。 |
|
| 終演後、楽屋で「ヤン・ガルバレクさん御本人」を前にした私は、過度の緊張で、文字通り固まってしまった。彼が大切にしているという、武満徹から贈られた手稿譜についてぜひ訊きたかったのだが、機会を逸した。唯一、タルコフスキーについて質問することができた。 |
||
| 「一番好きな作品なんて答えられないよ、素晴らしい作品が多過ぎて。かれの作品はどれも印象的で、インスピレーションに満ちている。そうだね…、『アンドレイ・ルブリョフ』(1967年)、そして最後の作品[『サクリファイス』(1986年)]は素晴らしいね。」 |
||
| そう言ってから、泉のように澄んだ瞳がうれしそうに微笑んだ。 |
||
(2004. 3. 5.) |
||