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Commentaries on ECM 8

いくつもの青の階調のなかを。


堀内宏公
Hiromasa Horiuchi

Album cover reproduced by courtesy of ECM Records, Munich
●ジャケット写真はECM Recordsの許諾のもと、掲載しております。(musicircus


Terje Rypdal
Descendre




Terje Rypdal
guitar, keyboards, flute
Palle Mikkelborg
trumpet, fluegelhorn, keyboards
Jon Christensen
drums, percussion



Avskjed
Circles
Descendre
Innseiling
Men Of Mystery
Speil



Recorded March 1979
ECM 1144

 
  漆黒の闇のように見えた空間が、目が慣れるにしたがって、ぼんやりした青い光につつまれていることが分かってくると、今度は徐々に、そのひとつの青と見えた光のなかに、たくさんの階調が現われてくるのが感じられる。

そして、ある一点に星のように瞬く明るい青が、周囲の青の深さを押しひろげ、また、やがて(時が移ろうなかで)青の全体が明るさを増して空間の次元を開いてゆく。

その意識の変容が、未明の幻想なのか、覚醒した視野がもたらす明澄な世界なのか。

どちらとも言い難い、感覚の宙吊りのさなかに置き去りにされて佇立する。

それでも、ゆるい紐がからまりながら、因果関係をかろうじて保持している気配の論理といったものを見分けつつ、感覚の経路が水のように流れるさまを知覚する。

へだたりや方向を測るための装置そのものが、気象や重力の絶え間ない変化の影響によって原基としての安定性を剥奪され、ために数値や観察としての役割から離脱して、光と空間に関わる象徴としてのみ働いているような事態。

奇妙なまでに懐かしい、まだ、生命のパルスが空間に抱かれて浮遊している記憶によりそうような出来事。



 
  イヴ・クラインの青は非物質の象徴としての空間の視覚化だった。

IKB

インターナショナル・クライン・ブルー。

重さと深さと情感を超えた、観念が行為するための色彩。

その色をかたどるためのモデルとして、キャンヴァスは宇宙そのものと同じ対象世界となり、絵を見る者は、青という表面の彼方に無限の痕跡を反照させて、空虚という名の充溢を実現する秘儀の実行者となる。



 
  ゆるやかに切り裂くように響きながら、漂い、降り注ぎ、振動し、流動する、テリエ・リピダルの音は、海の青なのか、空の青なのか。

いずれにせよ、へだたりと方向性をもたない、拡散と収斂を無化したエーテル状の出来事ではある。

このアルバムがもたらす、無重力空間での幻覚としか言いようのない不思議な体験は、音楽による秘儀といってよい。

しかも、ここには、大地や祖先と結びついた民族的なルーツも地図も羅針盤もない。

音律の旋法やコード進行、それにもとづいた即興、ドラムの奏法のうちに、かろうじてブルースやジャズとの連関が見出せるとはいえ、ここには黒いルーツと結びついた感情や肉体の祭祀、スイングやグルーヴ、ソウルなどは存在していない。

漂白された精神の形象が、いくつもの青の階調のなかを、ゆっくりと静かに移り変わっていくだけだ。

自然の景色を前に、そこに、意味でもなく、感情でもなく、ただすべてがそこに在るという事実だけを、奇跡的な神秘として、自覚している精神の状態に対応するような音楽。



 
  このような音楽は、聴く側の眼を閉じさせ、意識を開かせる。

意識は上下左右や遠近の感覚から開放され、あるいは切り捨てられ、参照点のないまま、漂流する。

次第に、運動を知覚して、音にしたがって、空間が傾き、ゆがみを見せ始め、サイズや濃淡の変化において、宇宙の断層に滑り込むような加速感と浮力を得る。

これはトリップではない。

この空間のなかで、冷めた意識を保持し、瞬時に離脱することも可能だからだ。



 
 

堀内宏公
Hiromasa Horiuchi

 
  ※初出『njp (norwegian jazz press) volume 1October 8, 2004 (発行:ノルウェー大使館)2007. 6. 15. musicircus  

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