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ECM New Series

Album cover reproduced by courtesy of ECM Records, Munich
●ジャケット写真はECM Recordsの許諾のもと、掲載しております。(musicircus


Jean-Luc Godard
Histoire(s) du Cinéma

Jean-Luc Godard

ECM New Series 1706

toutes les histoires
une histoire seule
seul le cinéma
fatale beauté
la monnaie de l'absolu
une vague nouvelle
le contrôle de l'univers
les signes parmi nous

Recorded 1988-1997

ECM New Series 1706 (5-CD Set)

国内盤未発売
 
 
「神の道化師」あるいは「裸の声」

 ――ジャン=リュック・ゴダール『映画史』サウンドトラックを聴く

 
 
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   「男たちも女たちも 預言者を信じていた 今では人々は、政治家を信じている」

(『映画史』4b、アルチュール・ランボー「『福音書』にかかわる散文」〈宇佐美斉訳〉より)


 
   『映画史』は4部各2篇の計8篇(1a・1b〜4a・4b)からなり、ゴダール自身の作品もふくむ古今の映画の場面だけでなく、絵画、写真、音楽、詩、散文、演説、講義、対談、インタヴュー、哲学などなどの、無数の引用で織りなされている。そうしたきわめて多様で奔放な引用からひとつの織物をつくりあげるために、この大作では、かれ独特の自由な「文体」が、そのまま「方法」となっている。つまり、即物性と叙情性、悲壮と諧謔、といったアンビヴァレント(両義的)な特徴をそなえた、「編集」によるモンタージュやミキシング、すなわち異質なものの組み合わせによるぶつかりあいや混ぜあわせそれ自体が、この作品の音声と映像をかたちづくっているのだ。そしてそこに、さらに多角的なコメントを語る声や字幕が加えられてゆく。  
   それは旧い意味での創造というより、イメージによるイメージの批評という、実験的な思考の形態、あるいは思考のプロセスそのものとしての、創造である。「映画は考えられないことを考えるためのものだ」とか「私はずっと、映画は思考の道具だと考えてきた」と、ゴダールは述べている。そしてそれは、すこしく「歴史」的にいえば、じつはゴダールが特に68年のいわゆる五月革命以後、商業主義的な映画づくりのシステムからいったんはなれた、いわゆる「潜伏」の時代から、ずっと模索してきた「方法」の延長である。そのエッセー的側面の萌芽はすでに、66年の『彼女について私が知っている二、三の事柄』や、翌年のオムニバス「ベトナムから遠く離れて」のなかの『カメラ・アイ』などに見られる。字幕の大胆な使用などの技法も、以前から実験されてきたものだ。  
   すなわち、映像を映像において批判し、そこに注釈や省察のコメント、字幕、討論や対話、テクスト(詩や小説や評論や演説など)の朗読が加わり、ときに滑稽で奇妙な寸劇が挿入されて相対化される。まさにその構造だけ見れば、『映画史』とほとんど同様なのである。「これは正しいjusteイメージではない。たんにjusteひとつのイメージだ」と喝破し、ひとつのイメージとべつのイメージとの「あいだ」において思考すること。  
   その自己言及的ともいえる思考は、極度な政治化(毛沢東主義やパレスチナ・ゲリラへの関わりなど「革命闘争」への参加)とともに、積極的にイメージを貧しくして、ほとんどプロパガンダ(宣伝)やアジテーション(煽動)と似ていながらも、その高揚や熱狂とすらじつは無縁な、平板でひんやりとした、アマチュアの科学映画みたいな「映像と音」の分析に終始した、「ジガ・ヴェルトフ集団」(69〜71年)におけるラディカルな実験のなかでとりわけ試行錯誤されたものでもあるだろう。  
   いまみると恐ろしく紋切り型ともみえる「革命」だの「共産主義」だののことばづかいに満ちており、ずいぶんと「時代」がかってはいる。だがそれでも、草むらに寝転がった男女の牧歌的な映像がえんえんと退屈に、長廻しの固定ショットでつづくなか、ストライキの物語が早口で滔々とナレーションされてはじまる『東風』(69年)などには、そうした限界そのものに向きあおうとする、素朴だが真摯で興味深い要素があるのだ。たとえばメーキャップしている途中の俳優を見せたり、赤いペンキをわざとらしく血にしたりするのはもはやなんでもないとしても、撮影を中断しスタッフとキャストみんなで集会を開いて議論したり、ナレーションが「こんな映像じゃだめよ」などと介入して批判したり、闘争を呼びかけ爆弾テロを煽るかのような映像に、「関係ない人たちを死なせるなんてひどすぎるわ」と、女の子のコメントがずっと入っていたり。  
   「映画をつくる」ことそのものをテーマにするのは、すでに『軽蔑』(63年)のころから、ゴダール自身がやっていたことである。「映像」と「音」を組み合わせてフィクションをつくること自体への、逡巡と検証をつねにともなう映画づくり。そこからさらに進んで、「作者」までふくめて制度として検証するために、共同演出の映画づくりという実験の現場に身を置き、「民主的な」対話をとことん重視しながら、複数の人間の声を同時に聴かせて、試行錯誤するプロセスをそのまま見せること。そこにはおそらく、政治的な限界はあったにせよ、芸術的な、そう、なんというべきか、純真な、「良心」のようなものが、たぶんに働いていたのではないか。「真実」とはあらかじめ存在するものではなく、不断に問いつづけることのなかにしかありえないのだ。より根源的な「異議申し立て」を実践するなかで、人間や社会のあるべき倫理の追求そのものとして、芸術の倫理を考えること。  
   そんなおよそナイーヴとすらいえる政治的な実験と、集団の中心にいたジャン=ピエール・ゴランとの共同作品(『万事快調』71〜72年)を経て、工房ソニマージュ(音=映像)での、こんどはアンヌ=マリー・ミエヴィルという女性映画作家との、対話と共同作業がはじまる。たとえばジガ・ヴェルトフ集団のパレスチナでのドキュメンタリーづくりの失敗をめぐる、75年の『ヒア&ゼア・こことよそ』などをはじめとして、映像そのものについての政治的・社会的な考察が、さらなる分析や省察を加えられて、対話的な作品となるのだ。いわゆるゴダールの「ヴィデオ時代」である。「革命」の季節は過ぎ去っても、「労働者」は社会からいなくなりはしないし、むろん「権力」がなくなったわけではない。ミエヴィルとの生活としごとのなかで、さらにいやおうなく「女性」の言説という重要なテーマとも向きあうことになる。数学者や主婦、失業者や農夫、最低賃金の労働者や精神病者、老人や子どもの声。さまざまなインタヴューと、ドキュメント。労働や権力のほか、セックスや家庭、学校、コミュニケーション、またみずからもふくめた「孤独」の問題についても、映像による社会学的な考察は必要である。それにともなって、批判的な姿勢をもちつつも、しだいにTVというメディアとも積極的に関わっていくようになる。  
   いささか話が「歴史」的になりすぎているかもしれない。だがこの『映画史』とは、じつはゴダール自身の「映画史」でもあるのだ。その「方法」は、このようにして絶えず反省され深められながら、きわめて知的にかつ実践的に、模索し探究されてきた「方法」なのである。それはおそらくゴダールがミサの儀式にたとえる、アメリカ的な「スペクタクル」に対して、より個人的な祈りにたとえながら「ドキュメンタリー的労働」と呼ぶものの、いわば「唯物論的な」実践でもあるだろう。  
   そんなゴダールが、80年代以降の精力的な「劇映画」づくりのなかでおもむろに「スペクタクル」と物語の世界へと回帰し、かれ自身が一時期ブルジョワ的だと批判した、文学や芸術への志向と教養をふたたび露わにしつつ、しだいにその主題を「神」や「歴史」や「愛」といった、いちじるしく普遍的ともあからさまにヨーロッパ的ともいえる思想や哲学の領土へと移していくとしても、かれ独特の「方法」は、より美学的に研ぎ澄まされていきながら、じつはつねにその基底に潜在し、持続しているのである。時代とともに変貌を遂げているとはいえ、そもそもゴダール本人も言うように、「映像と音と賃金からなる」生産者としての社会的なかれのありかたは、はじめから、「闘争」の時期においてさえ、そんなに変わってはいないのだ 注 4]。そして、先鋭的でなおかつ豊かなみずみずしさをも湛えた、ときに神秘的ですらある、矛盾のかたまりみたいな美しい作品群を生みだしてゆき、見るものを驚嘆させるのである。

 

注 4

 「ぼくは戦闘的映画の世界に属したことは一度もない。だれもがそうであるように、ぼくはつねに、自分がつくる製品によって生計を立てなければならなかったんだ。…われわれは金のいらない社会に生きているわけじゃない」(75年のインタヴューより、『ゴダール全評論・全発言U』)。ほかにもこれに類した発言は、たびたび見られる。また、83年『カルメンという名の女』公開当時には、「造反有理」(毛沢東)の時代について、「ぼくはそれを映画の世界ですでにおこなった。もっとも、ほかのところでそれをすることはできなかった。そこはぼくの場所じゃなかったわけだ。そしてぼくは、現在のPLO(パレスチナ解放機構)と同じ考え方をもって映画の世界にもどってきた。今は外交的手段をとる必要があるというわけだ」と述べている(同書)。なお、ジガ・ヴェルトフ集団の主要メンバーであったジャン=アンリ・ロジェは、2001年の『愛の世紀』に出演している。かれは98年のインタヴューで、こんなことを語っている。「ゴダールは弁証法的段階を付け加えることで幻想を、あらゆるアヴァンギャルドの幻想を保持しようとした。…それは芸術家の幻想であって、政治的な幻想じゃない」(苅谷俊宣訳、『文藝別冊 ゴダール』河出書房新社より)。

 
 
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福田光一
Kouichi Fukuda

 

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