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ECM New Series

Album cover reproduced by courtesy of ECM Records, Munich
●ジャケット写真はECM Recordsの許諾のもと、掲載しております。(musicircus


Jean-Luc Godard
Histoire(s) du Cinéma

Jean-Luc Godard

ECM New Series 1706

toutes les histoires
une histoire seule
seul le cinéma
fatale beauté
la monnaie de l'absolu
une vague nouvelle
le contrôle de l'univers
les signes parmi nous

Recorded 1988-1997

ECM New Series 1706 (5-CD Set)

国内盤未発売
 
 
「神の道化師」あるいは「裸の声」

 ――ジャン=リュック・ゴダール『映画史』サウンドトラックを聴く

 
 
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   「そう だが歴史とは 根底のところ何なのか 根底のところマルロー われわれはみな気づいていた 政治的領域よりもあいまいな暗い領域に それは属するのだと」

(『映画史』4bより、拙訳)


 
   79年秋からイザベル・ユペールやジャック・デュトロン、ナタリー・バイなどの俳優とともに『勝手に逃げろ/人生』の撮影を開始し、ドキュメンタルな「ヴィデオ時代」からスペクタクル的な「劇映画」へと回帰しつつあったころ、80年3月の「ル・モンド」紙のインタヴューに答え、ゴダールはすでにこう語っている。「ぼくのこれからの企画? 『真の映画史のための序説』のつづきを映画(フィルム)のかたちでつくるというものだ。映画史の知られざる側面を提示するというものだ」。『真の映画史の…』とは、すでに書物のかたちで刊行されていたもので、78年秋からの連続講義をまとめたもの。この『映画史』の製作は、はやくもこの時点で予告されていたのだ。そして「劇映画」づくりと並行して、すこしずつ持続的に作業は進められ、およそ20年後にその完成をみるのである。  
   ここでは、「映画」と20世紀という、百年の「歴史=物語」histoire) の総体を検証する「歴史家」の身振りとして、すでに述べたその「方法」が応用されているわけだが、ゴダール自身は、みずからのそんな身振りの変化についてかなり意識的である。  
   この『映画史』にも「出演」しゴダールと対話している映画批評家セルジュ・ダネーによれば、ゴダールはこんなことを「告白」している。「われわれは当時――彼は言う――、〈歴史〉が何なのか大して知りもせず、たぶん〈歴史〉の側に移行していると直観していた。おかしな時代だった。レーニンのスローガンを再び持ち出すなんて馬鹿げたことではなかったか!」注 5]

 

注 5

 セルジュ・ダネー「ゴダール、道徳、文法」(堀潤之訳)より、『文藝別冊 ゴダール』所収。この発言は89年、友人フレディ・ビュアシュの著書『70年代のフランス映画』に寄せた序文の一節。  
 
 ダネーは、ゴダールはみずからを「歴史家」とみなすことで、政治から身を離したと言う。そこにはユダヤ人の絶滅収容所の問題がある、とかれは述べているのだが、ここでそれには立ち入らない(そこにはクロード・ランズマンの映画『ショアー』やスピルバーグ、そしてパレスチナの問題も当然含まれるだろう)。ただ、ゴダールにとってその「個人的な」政治が、じつは「道徳」である、という指摘にはなるほどとうなずかざるをえないだろう。なぜなら近年のゴダールは、あたかもモラリスト然として、まるで「生きる箴言集」のように振る舞ってみせているからである。人間への洞察のことばをあれこれとちりばめ、ドラマとエッセー(モンテーニュやパスカルのような意味での)の境界すらも、ほとんどあってなきが如しなのだ。
 
   けれども、ここで注意しなくてはならないのは、そんなゴダールのありようはほとんど、あのラ・マンチャの崇高にして滑稽な「憂い顔の騎士」に似ているということだろう。厭世的な哲学者シオランなどへの共感とともに、明晰なる狂気の劇詩人、アントナン・アルトーへの根強い愛着(84年の『こんにちは、マリア』では、処女懐胎する主人公マリーのモノローグなどに、精神病院での手記『ロデーズのノート』から多く引用し、「それらは聖書のテクストよりもずっと明晰なものなんだ」と述べている)を隠そうともしないのも、ゴダールをして、いわゆるモラリストとは隔絶させる点のひとつである。みずからも述べるように、かれはむしろ夢想家なのだ。アルトーがじつはそうであるように、きわめて明晰で「健全な」夢想家。だからこそゴダールは、ここでも自在にその「方法」を駆使しながら、おおよそ無造作とすらみえる、直観的で飛躍的な思考の流れを開いてみせ、大胆な気まぐれと律儀な生真面目さが奇妙にも同居した、断定と逡巡のプロセスそのものとなってみせるのだ。  
 

 「それに今日では、自分はとりわけアントナン・アルトーに近いと感じている。ぼくはこれまでずっと彼を愛してきた。学生のころ (中略) アントナン・アルトーの有名な講演〔『差し向かいで』〕を聴くことになった。彼はこう言っていた。私は書くすべを知らないのだが、それでも書いている。(中略) そしてぼくもこれまでずっと、自分は映画を撮るすべを知らないと考えてきた」

(97年のインタヴューより、『ゴダール全評論・全発言V』)


 
   ところでゴダールは、マルクスのことばとして、「歴史は吃る」と言っている。おそらく「歴史家」にとっても重要なもののひとつは、「文体」だろう(いわゆる歴史学者というより、ここで歴史家とは叙事詩/物語の語り手でもある)。はからずもゴダールは、歴史を主題とするこの作品においてもまた、みずからの「文体」そのものをすぐれて「方法」とすることができたのだ。プロセスそれ自体が創造となることを可能にする、「文体」=「方法」。  
   スイスの思想家ドニ・ド・ルージュモンの『手で考える』という文章が、この『映画史』のテクストのなかで引用されているのだが、ゴダールは眼と耳で考えると同時に、じつに徹底して「手しごと」(ブリコラージュ)の人でもある。その「手わざ」の、独特な「手つき」による思考。「手さぐり」し、「手ざわり」をたしかめ、「手で叩いて」鳴らし(『カルメンという名の女』の「音」にこだわる "ジャン伯父さん" ことゴダールの執拗な身振り)、「手で合図して」から、「手にとって」差し出す。まさに、みずからの「手で考える」ことの単独性や、集中度の高い即興性が、知性と情動をともに異化する「方法」の極度な独自性を生み出しているのではないだろうか。「文体」とはおそらく、思考する「身体」なのだ。したがってこの思考は、「感覚」ときわめて強く結びついている。もちろんそれは、画家や作家や音楽家といった芸術家にとっては当たり前のこととおもわれるかもしれない。だが、ほんとうにそれを単独な身体の思考として実践するのは、じつはとても困難なことだ。ごく少数の作家やアーティスト、ミュージシャンたちだけが、そうした「文体」をもち、苛烈なプロセスとしての創造の劇を、いやおうなく生きることになるのだろう。  
 

 「創造する場所でこそ私は真実だ とリルケは書いた ある者は考え べつの者は行動する、と人は言う しかし真の人間の条件とは みずからの手で考えることだ」

(『映画史』4a、ドニ・ド・ルージュモン『手で考える』よりの引用、拙訳)


 
   この「本」の末尾に添えられている英文の、アメリカの映画批評家ジョナサン・ローゼンバウムによる文章(「ゴダールの『映画史』への予告篇」、ゴダールは96年のインタヴューで、この批評家のべつの著書を「すでに古典ともいえる素晴らしい本だ」と高く評価している)では、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』から、登場人物スティーヴン・ディーダラスのこんな台詞が引かれている。「歴史とは、ぼくがそこから目覚めようと試みている悪夢なんだ」。そしてそのあとに、「『映画史』がそこから目覚めることを試みている歴史とは、科学、絵画、文学、音楽の歴史でもあるのだ」とつづく。そう、たしかに『映画史』の多彩な引用はけっして衒学的なだけのものではなく、もしかすると、目覚めることの不可能なこの「悪夢」から目覚めようとする、かれの「手」の、必死のあがきなのかもしれない。  
   とはいえゴダールの身振りはやはり、あくまでも巨大な風車に孤独な戦いを挑む「憂い顔の騎士」のそれに似ている。あるいはまた、深刻な表情で運命に悲憤慷慨する悲劇の王というよりは、むしろそんな王の身振りを軽やかになぞってもみせ、ときに誇張し、ときに無表情に淡々と、機知にあふれ寸鉄人を刺すような箴言を唐突なタイミングで吐いてみせたりもする、「道化」のそれに似ている。ロッセリーニの映画の題をもじっていえば、ゴダールとは、小鳥たちに説教をするアッシジの聖フランチェスコほどに「清貧」かどうかはさておくとしても、敬虔な「神の道化師」なのではないだろうか?


 
 
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福田光一
Kouichi Fukuda

 

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