堀内 初期のエンジニアとしてのお仕事で、亀井文夫さんのドキュメンタリー作品が結構あったと伺いましたが、亀井さんは戦時中から反戦のメッセージを込めた作品を作っていて、戦後には原爆を告発する有名な映画もあります。そういう亀井さんのスタンスに共鳴されたりしたのでしょうか?
大野 これは、影響されていますね。これまでぼくが影響されたっていうのは、ひとつは文学座にいた頃に、自殺しちゃったんですけど加藤道夫さん[(1918-1953)
劇作家。福岡県生まれ。慶大卒。文学座に参加。ジロドゥー研究やカミュの翻訳を手がけた。代表作「なよたけ」「思い出を売る男」]。この人と、それから亀井文夫さん
■。この二人には大変影響されました。やっぱり、どっかに、残ってますね…。自分が作る音のなかに、わりと、ほわぁっとした感じのものがあるのは、それは加藤道夫の影響なんだろうと思う。しょっちゅういろいろ話をしたり、家に遊びに行ってましたからね。
堀内 それは、音をひとつ作るときの判断基準になっている、というようなことで?
大野 まあ、「この世ならざるもの」に対するイメージっていうのも、そういう加藤さんの影響による、ぼわぁっとしたもの、がありますね。
堀内 亀井文夫さんの撮る、写真、映画のフィルムの、その情景の切り取り方とか、構成とか、そういうのと、音楽を作るときの関係……
大野 ええ、ありますね。それは、もともとぼくは、べつに「音の世界」専門でやっていくっていうつもりがなかったせいかもしれませんね。亀井さんとつきあいだしたのは、音の仕事を始めてからなんですけど。だから、亀井さんの「何か」を自分のものにするっていうよりも、亀井さんと、何ていうかな、だべり合う、そのほうが楽しかったです。仕上げのダビングのときなんかでも、待っている間にいいちこを傾け合うなんてね。
面白かったのは、『世界は恐怖する』っていう放射能汚染の話なんですけど、これは後にも先にもあれだけちゃんと科学的に撮ったのはないんじゃないかなぁ、それの仕上げで、ナレーションを徳川夢声がやったんです。二人とも、雑学の大家で。だからね、三日間、徹夜でやったんですけれど、面白かったですよ。(笑) 両方で雑学を披露し合う。
まぁ、だべる文化っていうのはダベリングって言って当時の旧制高校にあったんですが、みんな寮でしょ。寮で夜な夜なやるわけですよ。どっちかっていえば、哲学的な命題を語り合うわけ。
堀内 たとえば?
大野 カント、ニーチェ、あと西田幾多郎ですね。
堀内 まだサルトルはちょっと早かった?
大野 いや、サルトルも。ぼくはわりとませていたせいか、ニーチェとか西田幾多郎を中学3年ぐらいで読んでたんですけど。何がなんだかわかんなかったけど。(笑)
こないだね、ちょっと復刻版で、岩波の活字の大きい文庫が出たんですよ。そしたらね、前のときよりも、あ、そうか、こういうこと言ってるのかと。久しぶりに読んだんです。それこそ10代で読んでやめちゃったから。(笑) けっこう面白いですよ。
堀内 西田哲学だと、無というテーマが大きい。
大野 それから、純粋経験。絶対矛盾の自己同一。
堀内 西洋合理主義を超克するテーマですね。
大野 そうなんです。だから、神との対話みたいなところまで行くんですよ、西田哲学っていうのは。久しぶりに『善の研究』を読み出したら、ああそうかっていう面がずいぶん出てきましたね。だけど、『善の研究』なんていうのは、当時10代後半から20代前半までのある種のバイブル的なものだったんですよね。分かっても分かんなくても。
堀内 ちょうど日本が終戦を迎え、まったく価値観が崩壊してしまったときに、なにか精神の杖のようなものになっていたというか。
大野 ええ、それがなんか「元」みたいなね。やっぱり久しぶりに読むもんだと思ってね。(笑)
堀内 私は大野さんの音楽をそういう、久しぶりに聴く「元」みたいなものとしても聴きたいと思っていますが。(笑)
たとえば、今こうして言葉を使って話していますが、もし解説の言葉が一切なくても、この音が起点となって、確かな感覚や像が聴き手の中にきっと生じるんじゃないかと思うんですよね。それぐらい、もの凄い強度がある音楽だと思います。