彩耳記
saiji-ki
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パット・メセニー・グループの新作
『The Way Up』 |
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●パット・メセニー・グループの新作『The Way Up』が届いた。
聴き終わって、すぐにメロディーが口ずさめるような作品ではない。いや、これは過激なフリー・ミュージックなどではないのだが。部分的にみれば、そこにあるのはいつものパット・メセニーのイマジナリーな音楽である。どうやら問題は、それが入れ子状の時空に解き放たれ、しかもホログラフィのように、すぐそこにあるはずのものが手を伸ばしても触れない、ということのようだ。
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●パルス音に重なって、街頭の騒音、クラクション、踏切の警報音がリズムを奏でる。この冒頭部分を聴いて、もしあなたが、このCDをおなじ「ノンサッチ」から数多くリリースがありパットにも絶大な影響を与えたスティーヴ・ライヒの新作だと思ったとしても不思議ではない。じつは最初、私もそう思った。
すぐに歩行音または心臓の鼓動のようなドラムがせわしなく侵入し、複数のギターがエコーのように呼び交わす。ああ、これはパット・メセニーのギターだ。しかし、待てよ。なにかが違う。フレーズは転調に転調を重ね、一向に地上に降りてくる気配がない。むしろ、翼をさらに強く羽撃きながら、空へ、空へと駆け昇っていく。気圧に翻弄され、光のスペクトルが激しく移り変わり、短いアルペジオを奏でるライルのピアノが、まるでカット・アップされた詩篇のように散乱する。それら全体をささえるスティーヴのベースは、異様に安定した変拍子を刻み続ける。
いったい、これは何なんだ。そう自問しているあいだにも、音楽は猛速度で突き進んでいき、今見た景色は10秒後にはもう遥か後方に飛び去っている。虹色の巨大な蜃気楼が聴き手の想像力すべてを飲み込んでいくかのごとき圧倒的な美の世界。
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●最後の「パート3」は、本作のなかでも最も魅力にあふれた響きを聴かせる。ピアノによるペンタトニック風の音型がけだるいシンコペーションで現れ、そこに繊細な色彩を帯びたハーモニーが重なる。武満徹のすぐれたジャズ作品、映画音楽『ホゼ・トーレス』における、物憂げな情感を想起させる部分だ。このすぐ後に、おなじベース・ラインが今度はルンバを思わせる陽気な調子に変わる。楽譜では表現できない微妙なリズムやビートの変化とずらしが、巧妙に音楽の景色を転換させ、情感を刺激し、期待と予感をつのらせる。そして、本作品を通じてこれまでに登場した数多のモチーフが、お互いに手を取り合うように、ペアを組み替えながら現われては消えていき、やがて冒頭の車両や人が往来するざわめきへと収斂していく。全曲の最後、単音のパルスに乗って奏でられる架空の民族音楽の賛歌のような味わい深いセクションで本作品は閉じられる。静かな祈りを思わせる感動的なエピローグだ。
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●ところで、いま民族音楽といったが、本作に登場するメイン・テーマは3つの音を核にして作られており、また単音パルスは作品全体の基調イメージとなっている。世界各地の民族音楽を参照するならば、いまだ旋法(モード)を形成する以前の段階に留まって継承されてきた、数個の音だけで形成された素朴な音楽のすがたが現在でも残っている。パット・メセニーとライル・メイズは、そのことを間違いなく意識して本作品を作曲したはずだ。太古の記憶にもつながる、こうしたシンプルな旋律の「糸」を素材に、複雑かつ多元的な現代という時代に相応しい「織物」を最新のテクノロジーを用いながら制作すること。そこに描き出された紋様がどのように受け取られるかは、すべて聴き手のイマジネーションにゆだねられている。そしてもちろん、彼らが移籍した「ノンサッチ」が世界でも有数の豊富な民族音楽の録音を有するレーベルであることも、こうした方向性で作品づくりが行なわれたことと深い次元で関係しているのであろう。
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●前作『Speaking of Now』はアメリカ同時多発テロの翌年に発表された作品だった。ジャケットにも政治的メッセージが織り込まれ、来日公演ではそうしたイコンはさらに明瞭に示された。かれらが提示したのは「平和への祈り」であったが、その器として新しく盛られた音楽はいかにも間に合わせのスーツのようで、私には、幾分物足りなく映った。しかし、この新作『The Way Up』によって、ついにかれら自身の衣裳が、外部からの要請ではなく内発的な創造の成果として姿を現したのである。
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●2005年の新作『The Way Up』は、オープニングと3つのパートからなる全4部(4トラック)、68分を越える壮大な交響詩である。便宜的に4トラックに区分けされているが、螺旋を描く円環のようにCD一枚に亙って途切れなく続く大きなひとつの曲だといってよい。約30年にならんとする彼らの全活動を通じてみても、これほど独特なコンセプトと方向性によって構築され、音楽的に見ても比類ない高みに位置している作品はない。沈着冷静を装った百戦錬磨のリスナーでも、本作を前にして平常心を保ち続けることは難しいだろう。聴き始めるやただちに耳のジャイロスコープに異変をきたして航行不能に陥り、現在位置も測定不能、目印も参照点も、矢のように過ぎ去っていく。まるで、自分がまったく知らない土地に突然降り立ち、初めて聞いた言語を喋る、初めて眺める民族のふるまいに全身の感覚を全開にして対応しながらも、なにひとつ理解できないままに時間が過ぎて行くような状態。幸いなことに、これはCDなので何度でも繰り返し聴くことができる。けれども、ただBGMのように流して聴いていても、この作品が描く世界を感じ、見ることはできない。多くのモチーフ(動機)の提示とその展開、回帰、変容が緻密に構成されていて、作品全体を有機的に結びつけている。まるでベートーヴェンのシンフォニーを聴いたようなカタルシスを覚えるのはそのせいだ。書かれたスコアの内部、個々のパートにおいて、ジャズのインプロヴィゼーションが繰り広げられるが、この作品では即興は「かたち」をつくる役割ではなく、流動するエネルギーの質感の表現に従事している。本作を前にした人は、おそらく、「聴く」という行為以外のすべてを諦めなければならないだろう。そして、何度となく眼を閉じて、無限の彼方に飛翔する幻想に誘われるに違いない。
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●『The Way Up』と似たような印象をもたらすアルバムとして、マイク・オールドフィールドの『Amarok』がある。緻密なモチーフの処理とマニエリスティックなまでに複雑な構成による、彼ならではの多重録音作品だ。シンセサイザーが使われていないにも関わらず、あるいはそれゆえに、音の色彩感は驚くほど豊かで、次から次へと超現実的(シュールレアリスティック)なイメージが登場してくるさまはレーモン・ルーセルの小説を思わせる。牧歌的なフレーズと奇怪な変拍子が入り乱れ、すべての音が有機的な生命体のように呼吸し、リスナーに話し掛けてくる。しかもそうした表現の総体が、古代から現代を貫く人類の魂の遍歴を示唆するという、じつに悠大な視界のもとで展開されるのである。ぜひ、PMGの新作とあわせて聴いて頂ければと思う。
註:上記コラムは、Nonsuch原盤の試聴を基に書かれたものです。
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(本稿は「JAZZTOKYO」内のコラム「彩耳記JT
and
Far Beyond」のために執筆したテキストを転載したものです)
| ロヴァ耳日記@練馬区平和台 多田雅範 |
| ▼ 2004年12月09日(木)
ありがとう、ミスターメシニー。 |
Pat
Metheny Group / The Way
Up
Pat
Metheny acoustic,electric, synth and slide
guitars
Lyle Mays acoustic piano, keyboards
Steve Rodby acoustic and electric
bass, cello
Cuong Vu trumpet, voice
Grégoire Maret harmonica
Antonio Sanchez drums
Produced by Pat Metheny / Co-produced by Steve Rodby
and Lyle Mays
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堀内宏公
Hiromasa
Horiuchi
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