homeへ戻る
Seeing is Believingtopへ戻る

 Seeing is Believing  若林 恵
 Kei Wakabayashi


005
サザン・オールスターズ 2005. 8. 30
     
  サザンについて書いてみたい。
泣く子も黙るサザンオールスターズ。
といって、まとまった考えは何もないのだけれど。
まあ、メモとして。
というのもテレビでサザンのライブを見たわけです。
ロック・イン・ジャパンフェスティバルのなかで行なわれたライブを。
NHKが放映していて、適当にチャンネルをまわしてたら、
そこで止まった。「やばい」と思った。
カッコいい。
うーん、やばいなあ。正直困ってしまった。
 
  サザンのライブを見て
「やばい」と思ったのは実は初めてではなくて、
以前に年越しライブを見たときも同様に感じたのだけれど、
なんとなく自分のなかでは見なかったことにしちゃっていて、
でも、さすがに二度目ともなれば、
ちょっと考えてみたくなるじゃない。
ねえ。
 
  で、漠然と思ったこと。
感想。
 
  まず、多分、彼らは
僕らが普通考えている以上に、
ミュージシャンシップに溢れた「バンド」なんだろう、
ということ。
普段なんとなく、
「クワタ+その他」みたいに見ちゃっているけれど、
メンバーがそれぞれに均等に
「サザンの音楽」というものの「発明」に
かかわっているんだろうと思わせる何かがある。
むちゃくちゃ巧いわけではないけれど、
そこにはセッションミュージシャンの
寄り合いには出せない、ダイナミズムがある。
それをバンドの根拠、といってみるなら、
バンドってものは(僕の経験上から言って)
その根拠に揺らぎがなければないほど、
オーディエンスは安心して向き合える、
あるいは飛び込んでいけるものだ。
またはサンボマスターあたりを
お目当てに出掛けた若いファンが、
サザンのステージに
思いっきり「向き合い」「飛び込んで」いけるのは、
何も彼らがヒットソングばかりを演奏している
超大物だから、ではないだろう。
えーちゃんのライブを見ても、部外者は、
そんなにゴキゲンにはなれないということと、
これはセットで考えてみてもいいことなのかも知れない。
 
  とはいえ、サザンの場合、
曲の魅力はやっぱり大きい。
いわゆる「サザン節」ってヤツ。
 
  この「サザン節」、
普段なら「もおいいよ」、なのだが、
今さら気付いたのは、これがなんとも
まあライブ映えのする曲なのね、ということだ。
さっきわざわざ「発明」と書いたけれど、
サザンの曲やアレンジが、すさまじく
オリジナリティに富んだものだとは決して思わない。
曲の基本にあるのは、GSや歌謡曲の香りがする
ウェットなメロディ感覚で、クワタさんは、
正直これ一本で食ってきているわけだけれども、
そもそも日本人の琴線に訴えるメロディを
ここ数十年かけてサザン自身が
日本国民に刷り込んできた甲斐もあって、
まあ、誰が聴いても、
きっとサザン節は、そこそこ気持ちいい(はず)。
 
  しかし重要なのは、
気持ちのいい曲をつくることと、
例えばスタジアム、あるいは野外フェスで、それを
「カッコよく聴かせる」ことは、
まったくの別物だろう、ということだ。
さっきの「発明」ということは、
きっとこの部分とかかわってくる。
強引な見立てであるのは承知で、
たとえばサザンを、GSや歌謡曲を
スタジアムに対応すべくアップグレードしたもの
と考えてみることはできないだろうか。
で、歌謡曲をもって、スタジアムを
上へ下へと波打たせるためには
何が必要なのかを考えてみる。
強靭な肉体としての確固たる生バンド、
音の輪郭を際立たせるための
分厚いホーンセクション、それをフルに
活用するためのファンク、ディスコ、ラテンのビート、
そして目も綾なバックダンサー群……
それは
僕が目にしたサザンの姿と
ぴたりと符号する。
 
  つまり通常スタジオで
テープをバックに歌われる歌を、
スタジアムに対応しうるだけのものへと
つくりかえる
その道筋をつけたことが、
サザンの「発明」なのではないか、
と思うのだ。
つまり、彼らは
「ライブ映えする曲」を演奏しているのではなく、
曲を「ライブ映えさせている」んじゃないかという逆転。
歌謡曲にすぎない曲を
「ライブ映えさせる」方法論を、
彼は「発明」したんじゃないか、ということ。
これは、多分、
他の誰も成し遂げてない、オリジナルな
偉業なんじゃないかと思うのだけれども、
どうなんだろう。
 
  ところで、
サザンという「バンド」には
フォロワーがいないというのも
実は不思議なことで、
かりにその理由を、クワタはワン&オンリーだから
マネしてできるもんじゃない、とするのであれば、
それは誤りかもな、と思う。
歌謡曲を、スタジアムや野外フェスで
「体感しうる」ものとして組み換える、という
サザンが示した道筋は、
あくまでもそれがサザンなりの
ひとつの道に過ぎず、
またそれが長ーいキャリアのなかで
十全に練りこまれたものとは言え、
面白い音楽の地図を提供しているようにも
思うだけに、サザン=メロディ命、
と思われているとしたら惜しいことだ。
 
  ちなみに、クワタさんはリトル・フィートが大好き
「愛しのフィート」だかって曲がある)だそうで、
その線をたぐっていって、かりにサザンが、
「チャコの海岸物語」みたいな楽曲と、
リトル・フィートの悶絶ライブ盤
Waiting for Columbus」を
常に天秤にかけながら、
どこか定まるポイントを探っているのだとしたら、
これはすぐれて音楽的かつ
「バンド的」な営為と
みなすべきなんじゃないだろうか。
 
  とはいえ、
一度生でサザンを見てみないことには、
実際のところ、
なんとも言えない部分は残る。
残るのだけれども、
個人的な趣味で言えば、
「チャコ〜」とリトル・フィートをかけあわせたものが
野外で爆音で流れてきたら……
と想像するだけで、
かなりツボを刺激されはするかな、やっぱり。

 

TOPへ戻る