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アトランダムですが、そのときどきにふと思ったことなどを書いています。


テロ行為と資本主義
2001.9.14
9月11日、突然の惨劇。
私までが、ぼーっとしてしまう。

今ある世界というのはこのようにもろいのだと知らされたような気がする。
世界というもの、ある均衡、バランスのもとに成り立っている。
それを、強力なエゴをもって突き進もうとしたら、必ずいつか憎悪の現れとなってでる反感をかうのだ。

確かに最近のアメリカ、特にブッシュ政権になってから、こうしたバックグラウンドがあったのではないか?(京都議定書の反故がいい例だ)

ハイジャックされた飛行機に乗っていた人、ビルで働いていた人、消火活動にあたっていた人、それらの人々の遭遇した恐怖、たくさんの人命が失われたこと、それを思えば、このようなテロは絶対に許されない行為だ。

しかし、「当然、報復だ。」と言う前に、なぜこのような行為にいたる憎悪を招いてしまったのかを考える必要はないのだろうか。

アメリカの国益が、すなわち世界秩序であるかのような偏った世界観は、いつか 別の世界から報復を得るのが当然かもしれないからだ。

私は、日本に暮らしているし、資本主義経済の国の一員だ。 その恩恵にも預かっている。 けれど、資本主義ではない国を旅行した時、それとは別の思いを感じる。
「世界中が、資本主義で覆われつくされてしまったら、これは世界の不幸だな、、、」と。
幸い、世界はまだ広く、資本主義ではない国々も存在している。
私のメンタリティはそれで救われている部分があるのは確かなのだ。
そして、同時にそのような国々を旅したときに感じる資本主義の国の物質的豊かさとの格差、あまりに不平等な富の分配を思う。

地球上の資源は無限ではない。限られている。とすれば、消費、消費、で常に膨張しようという資本主義は、社会のシステムとして最善のものとはいえない。

共存共栄の道、そういう新しいシステムを考えていくべきときではないだろうか
それでなければ、恐ろしい憎悪と戦争の道へと進むことになってしまう。

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