●モノローグ ●
アトランダムですが、そのときどきにふと思ったことなどを書いています。
| ジャズ的生き方 |
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まぁ、そのきっかけとなることは一つではないし、さまざまな要素が絡みあってそうなったわけですが、生き方が言ってみれば「ジャズ的」になってきた、と同時に演奏する音楽もそのようにシフトしていったような気がします。演奏する音楽というのはそのときの生き方、考え方といつもシンクロしているようです。 振り返って考えてみると、日本という国で生まれ育って、親や学校、さまざまな環境の中で育った過程で私が知らず知らずのうちに、その影響のもとに身に付けた感情というのは次のようなものだった。 「自分」というものは「しょうもないもの」である。「だから“自分ではないもの”にならなければならない。」今思えばこういう思考パターンがずっとつきまとっていたのですね。それは私個人というより、集団的な意識でもあるような気もします。どちらかというと「個人」よりも「型」や「作法」に重きを置く日本の伝統の由来するのかもしれない。あるいは、自国の文化というものをほとんど否定して「西洋文明」「西洋音楽」がすばらしい、としてきた明治以来の日本人の自己否定的文化価値観によるのかもしれない。つまり、「自分以外のものになること」あるいは「自分以上のものになること」そのためにがんばってきたのかもしれない。 そういう私が、たまたまある時期(約1年)、日本を離れて生活することになり、生まれ育った母国と完全に切り離された。それはあたかも赤ん坊がへその緒を切られて一人の人間になるようなのもので、その体験によってはじめて今まで自分がもっていた(あるいは、もたされていた)先入観や偏見や自己否定が徹底的に不必要で、同時にそれらが可能性の芽をどれほど摘み取っているかということに気づいたのでした。「そか〜。自分自身のまんまでいいんだ。」そして、それに気づくのとほとんど同時に私はジャズ(つまり即興)を演奏するようになっていたのです。 回りに流されない意志をもつこと。 自分固有のリズムをつくること。 自分の行く先を明確に把握していること。 立ち止まらないこと。 外的なものに音を合わせるのではなく、心のなかに深くひびくものを音にあらわすこと。 それがジャズであり、ジャズ的生き方。まだまだ私のそれは完成していない。けれど、ジャズ的生き方(つまり創造的生き方って言い換えてもよい)はなんだって心にあるものを創ることができると思う。だって人生はインプロビゼーションなんだもん。 “他”に依存しないでいられれば自由になれる。
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