実践のご紹介 クライエントとの対談記録より

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  私たちの行っている実践を言葉でご紹介するのは、とても難しいことであると常々感じています。例えばカウンセリングであれば「クライエント中心療法です」とか、音楽療法であれば「即興音楽を用いて行います」などと言うことはできますが、それ以上のことを「こういうものです」と短く、生きた言葉で、わかりやすく説明するのは、不可能に近いのではないかと思います。なぜなら、私たちが行っているのは、2人と存在しない、生きている人、との関わりであり、これが目標、とか、こういった場合にはこう、などと決められるものではないからです。

  研究会では、実際のケースをビデオで見ていただき、その場面、その場面においてセラピストが着目していること、セラピストの対応に対するクライエントの反応などをご紹介しながら、参加者と語り合い、心理治療の本質にせまる、というようなことを行ってます。しかしそれも、セラピスト視点であり、一方的な見方であることは否めません。そこで、言葉で表現していただけるクライエントとは、セッションの後で対談を行い、忌憚なく感想を語っていただくことにしています。クライエントの口から語られる言葉を、私たちはとても大切にし、研究会でご紹介することもしばしばあります。

  ここでは、小学1年生から2年間、音楽療法と遊戯療法で関わりを持ったYくんについて、セラピー終結の際にYくんのお父さんから語られたYくんの変化を、ご許可を得てご紹介させていただきます。そこから、私たちの実践について何某かを感じていただけましたら幸いです。


 Yくんのお父さんとの対談 〜音楽療法を終了するにあたって〜

(M:師岡宏之 A:Yくんのお父さん)

M 1: いかがですか、お父さんから。ごらんになって

A 1: 今の状態ですか

M 2: ええ、まぁ、今の状態から

A 2: 学校では友達も増えて、友達とみずから遊びに行ったりすることができるし(うん、うん)、友達との、関係も(うん)、まぁ泣いたりするのもよくあることなんですけれども、まぁうまくいっています。小学校1年生のときには、みずから遊びにいくとか、友達とかそういうのはなかったんですけれども、それが自分でできるようになったということと

M 3: ひとつは、そういう友人関係の(はい)自立と広がりということでしょうかしらね(そうですね)はい

A 3: これが自分でできたということと

M 4: それを自分の力でやっている

A 4: あと、朝学校に行くということが、小学校1年生の時点では、無理矢理連れて行くとか、途中まで送っていかなくちゃいけないというのがあったんですが、それが、ちゃんと自分で起きて、自分でごはん食べて(うん)、自分で出ていくということが、できるようになったんです

M 5: そういう自発的な、しかも自立的行動がとれるようになっているなぁと(そうですね)はい

A 5: あとまぁ、学校での授業も、みずから発言するというのが、発言過ぎるほどしてるので、授業に対する参加も、勉学に対しても前向きであるということ、が、昔は確かに、授業に参加するというよりも、参加させられているとか(うん)、というところでしたし、授業に参加できるということができなかったんですね。逆に、もうちょっとのところは、むずかしいんですけど、あまりにも多く発言するし、授業の、今日の授業の進みたいところの目標がわかっているならば、逆に先生に協力して、自分ひとりで発言してしまうと自分ひとりの答えで授業が進んでしまうのは、先生にとってこうところなので、たとえばわかってるんだけど、みんながわかるように(うん)、授業を引っ張っていくような発言をしたらどうかというようなことも、わかってくれているみたいで、そうですね、先生に協力できるような授業態度も出るようになっているみたいです

M 6: 自分がわかっているという表現だけにとどまらないで、なんかもっとこう協力者としてのありかたが、だんだんできつつあるなぁと(そうですね)うん

A 6: 先生がすきなら、先生に協力してあげるのもひとつかなと(うん、うん)。ということ で、まぁ、改善点としてはそういうところで(はい)、最初に問題となったグレイゾーンというのが、いいほうになくなってきたのではないかなと思ったので、今回そろそろかなと思いました(はい、はい)

M 7: 始めのグレイゾーンと言いますと、整理してみますと、どういうところが問題として挙げられてたんでしょうか

A 7: 感情のぶれ(うん)、感情の起伏が激しいというのと、今言った基礎訓練的な、朝起きて学校行く、それ基礎行動か何かわかんないんですけど、朝起きて生活するというところの区切りがうまくもてなかった

M 8: まぁなんかこう、起きること、登校することに、なんか

A 8: 規則行動的なところ等、ができていなかったところが2点目ですね。最初感情の起伏が大きいということと、2点目は規則行動と。3点目は、今でも少しちょっと心配なところがあるんですけど、ひととのコミュニケーションをとるときに共感するというところが、あっちの気持ちはどうなのかな、自分のことばっかり話さずに、相手はどうなのかな、相手を共感するというところが、わからなかったのかなと思って(うん)。ただそれは今でも、わかってくれているところもあるようだけど、あまり共感しているのか、じづら字面的に理解しているのかわかんないんですけど(うん)、そこが少し残っているような気がしますけれども、ただまわりの子をみても、別にそんなにうまく、普通じゃないのかなと思って

M 9: はい、はい。なるほど(はい)。思い起こしてみますと、1年生の2学期あたりからですか、おいでになったのは

A 9: そうです、夏休み終わったときから

M10: 終わってからですね、はい。で、2年3年生終わるんですね、今ね。音楽療法と遊戯療法と、併用という形で、週1回のペースでやってきました(はい)。むずかしかったなぁという感じで残っていることなどありますか

A10: 今だにというところですか

M11: いやいや、来るのに(そうですね)…私の印象としては、比較的場面にはスムーズに参加していたというふうにみているんですけれども(はい)

A11: そうです、この授業に参加することについては、すごく意欲的で、一度も行きたくないなんていうことはなかったわけなんで、本人はまだずっと続けたいところもあって、むずかしいというところはまったくなにひとつない(ああ、なるほど)

M12: 始めは、遊戯療法で、顕著なところ、非常に平面的な広がりが多くて、立体化できない遊びの構成が。それからイメージが非常に先走るけれど、それに伴う工作物が、あるいは構築物がうまくできないという、このアンバランスさが目立ちましたね

A12: でも一緒に物を作るっていうのは(うん)、工作とかしているんですけど、でもまぁ小学3年生の手先というのはこういうものかなというところで、のりづけしたり、切って貼ったりしても、確かに本人は持っているイメージはあるんですけれども、じゃあそれ設計図みたいにかいてみたりしても、かけないけどたぶん口で言うとそういうものをイメージしているところがあって、逆に、本人が思っているものは高度すぎるっていうか、おとなっぽいものなんで(うん)、そんなのまだ小学校3年生では作れないのかなっていうところはありましたけれどもね

M13: われわれが作っている素材は、ごらんになっているようなこういうものですからね(はい、そうですね)、能力的に非常に高いものをやっているわけではないんですけれども、やっぱりイメージ先行するという特色は、始めのころ際立っていましたね。そのうちだんだん、そこにいるひとと交流しながら、確かめていくという、そういうことを吸収していったように思いますね(そうですね)

・・・沈黙13秒・・・

A13: 授業とは関係ないんですけど、ひとつどうしたら身につくかなぁというのは、我慢するというところなんですけども。便利なようだけど、我慢するって何を我慢したらいいのかっていうところを

M14: 私もね、そういう心理耐性を、どういうふうにして身につけていくかっていうのは、人間としての根本課題だと思いますね。それは、自分の願望のコントロールも含めてですけれども。ですから結局、願望を満たすことを援助するのか、願望を抑制するということを援助するのか、まぁ単純に分けますと

A14: 先生の授業というのは、私のみた印象では、こう外に広がるというか、簡単にいうと生きたい、生きていきたい、生きたいな、生きていくのはいいよなって、いうことなんだよっていうところを、こう押すイメージがあるので、逆に我慢させるっていうのは、どう、そういうとこは違うところかなと思って

M15: いや、われわれの考えている中核には、我慢もありますね。その、我慢ということを、すべてがそうなんですね、バランスがよくとれているということは、抑制と表現のバランスなんですね。ですからけして、我慢するということを抜きにしてやっているわけではなくて、たとえば、非常に表現過剰というふうに、イメージ先行というふうにとらえたことで、音楽療法に入ってきたんですが、その音楽の表現というのは、楽器と楽器のもつバランスもありますが、相互の演奏するということで生まれるバランスというのもありますね。一方的に自分だけ演奏したんでは、バランス生まれてこないんで、相手の演奏に(とうまく)協調するということがありますので、ここでひとつこう、我慢というのが、むしろ我慢という気持ちより、美しさとか調和とかというものを重視しながら、やっぱり自分というものをコントロールしていくということを、学習的には体験するようになると思いますね、はい。それから自分の中でも今度、表現と実感のバランスっていう、こういうものも起こりますし、やっぱりイメージと表現との差があって、そこでもやっぱりひとつの、自分の中にこのへんかなという落としどころを見つけるというものもありますし。ですから音楽療法の世界というのは、やっぱりそういうこう、我慢というものもかなり含まれていると思います。ただ日常生活の中では、対ものということが出てくると思いますので、対ものを獲得するというところでは、やっぱりこう、その物を獲得できないという葛藤を、いかに見守るかっていうことですね

A15: そこがその、我慢しなさいというと、簡単に言うと切れるというか泣くというか(うん)、状態になるんです(うん)。泣きやすいなとは思ってたんですけど。ただ唯一のすくいは、5分くらい泣いていると、なんか一瞬にすぐ戻ってしまう

M16: そうですね、ですからそういう泣くということに親が動揺したり、過剰反応しないということで、我慢が成立するということがなされているように思います。そういうことを繰り返せば、泣くということの時間も短くなるし、だんだん泣かないで我慢できるというふうに変化してくると思いますから。泣くという表現を、ひとつの我慢体験として認めてあげるということが大事じゃないでしょうか。あるいは、八つ当たりするっていうひともありますね

A16: そうです、八つ当たりもあります。ありますけれども、それがこう、短くなったのと(うん)、普通だとこう徐々に戻ってくるはずが、

M17: そう、気分転換が早い(一瞬で戻ってくるんですよ)。そういうところが、だんだん出てくると思います。これは、われわれでもそうじゃないでしょうか

A17:なんていうか、照れくさくてなかなか戻りにくいところもありますけれども

M18: 素直に自分の気持ちに従えば、やっぱり一瞬にして気分転換してるんじゃないかと思いますね。そういう日常場面での葛藤経験、その葛藤に伴うさまざまな表現を、親が苛立たずに見守れば、みずからの力で転換していく。そこをきちっとみていけばよろしいかと思います

A18: あと、すごく基本的な疑問を、なんでももつところがあって

M19: そうです、知的好奇心が非常に高いと思いますね

A19: まぁ一番単純にいえば、なぜ勉強しなくちゃいけないかとか(うん)、なぜ学校行かなくちゃいけないか(うん)というところの質問を基本的にもつので、やはり親も親で、当たり前じゃないかって頭ごなしに答えちゃうところが多いかもしれないですけれども、そこで素直に一緒に考えてあげて、答えてあげると素直、すっと入ってくれるので、そこが大事なところかなぁと思って

M20: ああ、ああ。一緒に考えるということもありますし、質問の背景に含まれる負の感情といいますか、そこも少し明らかにできると、精神的にはもっとバランスとりやすいかなぁと思います。なんかそういう、まともな質問の影に、なんか疲れたなとか、いやだなとか、めんどくさいなとか、なんかこう負のさまざまな感情体験が随伴している、そういうものを少しずつ明らかにしてあげるといいかなと思いますね。はい、じゃあどうもありがとうございました。 

  〔19分間〕
記録:小山美保



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