呪装刑事ルシファード エピソード2
   
 

 どんなに綺麗な花で飾ろうと、薬品の匂いのただよう白い部屋から無機質さを取り除くことはできない。
 斑猫聖華は浅い微睡みの中にあった。
 埃っぽい薄闇の中で振り返った青年は、恋人を見つめているような甘い笑みを浮べていた。
(本当に甘い坊や……)
 聖華の唇が、開く。
 閉ざされてゆく睫毛の向うに、少し茶色がかった瞳が心配そうに覗き込んでいた。
 その形のいい唇が動く。
 ――ごめん、ごめんよ、オレ……。
 青年の涙が、赫光に包まれて遺伝子レベルまで焼きつくされた聖華の頬に落ちた。
(勝った方が泣くなんて、甘すぎるわ。お莫迦さんね……)
 薄い笑みが浮ぶ。
 カチリ、と異質の音がした。
 それまで、雪融けの春のような心地よい開放感に包まれていた聖華に、容赦なく冷たい風が吹き上げてきた。
 無理矢理微睡みから引きはがされる。
「誰っ?」
 警戒しながら、身を起こす。窓から差し込む西日が、ドア近くに立っている人物のシルエットだけを浮かび上がらせた。
「失礼、お起こしてしまいましたか?」
 丁寧な物言いの男の声がした。
「鵠沼? あなただったの」
 軽くひそめた瞳の焦点がやっと定まり、聖華は幾分青ざめた硬質なムードの鵠沼湘吾を認めた。モデルばりの整った風貌の中でも、特徴的なのは切れ長の鋭い目だった。オーダーメイドで作らせた海外ブランドの服、アクセサリー、靴にいたるまで、ただ高い物を身に付けているのではない、実に洗練されていた。
 けれども、人間に戻ったとはいえ、異能の力を失ったわけではない聖華の目には、もう一つの姿も見えていた。
 全身を有機的なフォルムの鎧で包んだ高貴な騎士。鎧は流れる金属で出来ていて、絶えず水面のように揺らいでいる。顔の部分には白いペルソナが嵌めこまれており、その表情は見る角度によって様々に変化した。
 彼はラルヴァの中でも《混沌の騎士――カオス・ナイト》と謳われるほどの実力の持主である。
「レディの病室なんだから、ノックくらいはするものよ」
 聖華はむっつりと言った。
「済みません、女性の扱いには慣れていないもので」
 ニコリともしない。だが、黙っていても女性の方が放っておかないことは、想像に難くない。
「それは皮肉?」
 聖華はキッと湘吾を見上げた。
「ふっ、ラルヴァの力を失った私は、もうあなたの上司じゃなくて、ただの女に格下げになったという訳ね」
 カツカツっと、湘吾は側に来ると、高価な薔薇の花束を手渡した。
「たとえ今は力を喪失していても、あなたは斑猫家の血を引かれる方です」
「それが私の値打ちというわけ?」
 クスリと笑いかけた聖華だったが、つと眉を吊り上げた。
 不意に、激情に駆られる。
 左手で振り上げた花束を床に叩きつけていた。薔薇の花弁と葉が舞い散り、甘い香りが拡散した。
「確かに、私はたまたま斑猫の家に生まれたというだけで、十三使徒の座につけた。あなたから見れば、生意気で鼻持ちならない小娘だったでしょうよ! そうよ、私は負けたのよ、十三使徒の実力も無いくせに……そうあざ笑いに来たの?」
 一気にまくしたてる。
「私の気持ちはご存知の筈です」
 だが、湘吾は動じる気配が全くない。つと、長い指が伸びて、聖華の上顎に触れた。
 爬虫類の皮膚のようにひんやりとしている。
「あっ……」
 鋭く射るような彼の切れ長の目に、ゾクリとするものがあった。
「斑猫聖華、何があったのです? ただ、ルシファードとかいう敵に敗れた、それだけでは無いようですね」
「わ、私は」
「私が女としてあなたを見ているのではない。あなたがそう見られたがっているんですよ」
「何を言うの? 私があなたに媚を売っているとでもいうの、莫迦莫迦しいっ」
 ぷいっと横を向いた。
「まだ気づいていないのですか? サカリのついた雌猫のように、あなたは誘っている。誰を?」
 強い力で顎を掴まれ、ギリリと顔を振り向かせられた。
「違うわ、私はただ……」
「ただ?」
「もう自由になりたいの、もともと使徒の座なんて少しも欲しく無かった。ラルヴァなんか関係ない所で普通に暮してみたかった。だから丁度良かったの、もういいでしょ。私を放っておいてよ」
 早口で言う。
(そう、普通に)
 だが、聖華は勘違いをしていたことを不意に覚った。
(違う! そう言ったのは、私じゃない、言ったのは……)
 さっきまでの微睡みの中で見ていたスラリした青年の姿がハッキリと浮かび上がった。 聖華は我知らず、頬が上気した。
 ドサッ。
 湘吾は聖華を突き飛ばしていた。
 真っ白のシーツの敷かれたベッドに、聖華は仰臥する形になった。
 湘吾は聖華の両手首を押さえ込むと、彼女の上にゆっくりと伸し掛かってきた。
「斑猫聖華――あなたは私の物だ。前からそう決めていました」
「私は物なんかじゃ……」
 聖華はイヤイヤをするように首を振った。
「では、言葉を変えましょう。あなたを愛している」
 湘吾の高い鼻梁が迫ってくる。
 冷たいとだけ感じていた湘吾の瞳に、暗い情念が燃えているのを見た。
 彼の息が聖華の唇に届く。
「よして、おねが……」
 聖華は言葉とは裏腹にわずかに唇を開き、目蓋を下ろした。
 なぶるような冷酷さで唇を吸われた。
「う……ううっ」
 喘ぐ。
「鵠沼……止め……」
 だが、聖華は腕を愛しむように、湘吾の胸のあたりにすべらせていた。
 わからなくなっていた。
 熱に浮かされ、自分が何を求めているのかさえも、わからない。
(名前……名前は何と言ったかしら?)
 脈絡もなく考える。
(……そう、確か……ホージョー……コウイチローと……)
 唐突に、身体の上の重みが消失した。
「鵠沼?」
 湘吾は乱れた前髪を掻き上げた。
 珍しく薄く笑っていた。
 すでに、上司に向ける礼節を保った眼差しでは無くなっている。
「私はあなたには甘いようだ……まず、あなたの心の中にいる男の影を消してしまいたくなった。そして、賢者の石を手に入れる、あなたをラルヴァに戻すために」
「何ですって!?」
「しな垂れかかってくる花は好きではありません。咲き誇る花を手折る方がいい」
「鵠沼、彼とは関係ないわ。手出しはしないで……」
 聖華は湘吾の実力を知っていた。知っているからこそ、恐れた。
「彼……ね」
 くるりと踵をかえした。
「待って!」
 虚しく湘吾の消えたドアに腕を伸した。
『もう、遅いですよ』
 最後に届いた湘吾の声が、黄昏の闇に溶けた。
「ああ、私はどうすれば……」
 聖華はきつくシーツを握りしめた。


「どう? そろそろルシファードの自覚は出てきた?」
 ぐっとテーブルに身をのりだして咲耶は洸一郎の瞳を覗き込んだ。
 ここは都内なら何処にでもある某ファミリーレストラン。
 喫煙席の一角に陣取って、何故か仲よくお食事なんかしている所を他人が見たら、きっちりカップルに見えているだろう。しかし、内情は犬猿の仲、あるいは腐れ縁に近い。
 洸一郎が妖撃課に転属になってから四日、すなわち正義のヒーロー、呪装刑事ルシファードになってから四日が経過していた。事件は一応の決着を見たものの、未だ咲耶が襲われる危険があるということで、洸一郎は彼女の護衛の任につかされていた。
「でるわけねーだろ、んなもん」
 眉間にしわをよせ、咲耶の問いを一蹴すると洸一郎はぷいっとそっぽを向いた。咲耶はさっと洸一郎の額に手をのせて首を傾げた。
「おかしいなぁ……そろそろ症状が現れてもいいのに……」
「オレは病人か!?」
 あきれ顔で聞き返す洸一郎。
 咲耶はすかさず、首をぷるぷるとふり、ニンマリと笑って、びしっと指さした。
「アンタはルシファード。きっぱり、さっぱり、かっきり、そう決まったの」
「冗談じゃないね、大体、何でオレなんだ? オマエさ、自分に賢者の石とかを埋め込めば万事解決だったんじゃないか?」
「嫌よ、いくら兄さんの為でも、変なモンに成りたくないわ。もしかすると、融合が失敗して死んじゃうなんて危険性もあるじゃない」
「オイッ! オレの命はどーだって良かったんだな」
「あはは、まあ、細かいことは気にしないで行きましょ。それにさ、曲りなりにも対ラルヴァ専門の刑事でしょ? どーせ戦うのはいっしょなんだから、いいじゃん」
 洸一郎は、やれやれと言った感じで、肩をすくめると煙草に火をつけた。
(オレが正義のヒーロー? 冗談じゃないぜ。そんなもんやる気もなければ、付き合う義理もない。だいいち、ヒーローやって金が儲かるか? 古今東西の特撮やアニメのヒーローを見ても、ただ働きばっかりじゃないか)
 そう洸一郎は、奉仕とかボランティアなどという恩着せがましい偽善行為が嫌いだった。やるなら金をもらって仕事として引き受ける。労働にはあくまで対価が必要だ。ということで、刑事になったのだ。刑事はちゃんと給料を貰える。
 もちろん例外もある、奇麗なお姉さんに奉仕するときは別だ。
「いつもは、どこにでも転がってそうな妖撃課の隊員、だけどみんながピンチになると、正義の戦士、ルシファードに変身する。ああ……特撮ヒーローを地でいけるなんて素敵よね」
 うっとりとした感じで両手を組み瞳をきらきらと輝かせた。
「……もう、勝手にしてくれ」
 洸一郎は大きなため息をついた。何を言おうと、咲耶には無駄だと思えてきた。
「──それじゃ、これからルシファードに関する講義を始めるわ。耳の穴かっぽじって、よーく聞くのよ」
「へいへい」
 やる気のない返事をして、洸一郎は紫煙をくゆらせた。
 咲耶は兄の持ち物だという例の手帳を広げぺらぺらとめくった。どうやら、ここ数日の間に、咲耶はかなり内容を読み込んだらしい。手帳からはみ出るように色とりどりのポストイットが見える。おそらく重要な項目をチェックしたに違いない。
「まずは、ルシファードブレード。ほら、背中のでっぱりを引っ張って剣にするやつよ。ルシファードのメインウエポンのひとつね。斬ったり、突いたりする他に、剣を構成している光子エネルギーを撃ち出すこともできるのよ」
「ふーん」
「次にファルフレイザー。これは手の中にプラズマでできた光球を出現させて放つ技。発射した光球はある程度、軌道のコントロールが可能なの」
「ほいほい」
「んで、アンタちゃんと聞いてんの?」
 うわの空の返事をしている洸一郎を、鋭い視線で睨みつけた。
「もちろん」
 洸一郎は、咲耶の顔めがけてふーっと煙を吹きかえると、煙草を揉み消した。どうみても真剣に聞いてるとは思えない。
 咲耶はぱたぱたと手を振って、目の前の煙を追いやった。
「ハーイ、そこの美しい君!」
 コーヒーのお代わりを頼むべく、ウエイトレスに向かって手を振った。
 その瞬間、タコの足に巻きつかれたような冷たい感触が腕の自由を奪った。確かめるように視線を走らせるが、そこには何も見えない。
「なっ……」
 ぐいっ、と後ろへ洸一郎の右手が引っ張られた。勢い余って通路に転がりそうになるのをなんとか堪える。
「おい咲耶、いくらオレがカッコイイからって、ウエイトレスにまで嫉妬することないだろーが?」
 念動力による咲耶の嫌がらせと思い気や、彼女は真顔で一点を見つめている。
 咲耶の目が、コーヒーサーバーを持って近づいてくるウエイターをとらえた。二十代後半、短くまとめた髪に細いフレームのメガネをしている。バイトくんではない、見た感じマネージャークラスの人間だ。
 だが、咲耶には人間の姿をした男の上に、もう一つ別の姿が重なっているのが見える。例えるなら、肉眼で心霊写真を見ているようなものだ。
 異形のバケモノ。それは百鬼夜行絵巻きに描かれている餓鬼に似ていた。蒼黒い肌と曲がった背骨。極度の前傾姿勢のためか、首は身体に埋まっている感じに見えた。唇に突き刺さりそうな鋭い犬歯と、赤く凶々しい双眸。ホースさながらに蛇腹のついた腕が、洸一郎の手首をしっかりとつかんでいた。
 二つの顔が同時にぞっとするような微笑を投げかけた。
「おい、まさかこのニーチャン……」
 洸一郎も鈍くは無い。
「そう……《L》よ、法城!」
 咲耶の肯定に露骨に嫌な顔をする洸一郎。
 自由な左手で拳銃を探そうとして、ふと躊躇う。
 客のいる店内でドンパチやるのは、かなりマズイだろう。しかも、相手は常人が見る限り、人間でしかないのだ。下手に通報されれば、あっという間にこちらが犯罪者扱いされるに決っている。東京警察の威光が何処まで通用するか試してみる気にはとてもならなかった。
 マネージャー姿のラルヴァは、なに食わぬ様子でコーヒーサーバーを持って近づいてくると、二人の近くで立ち止まった。
「コーヒーのお代わりは、いかがですか」
 だが、その声は二人にはこう聞こえていた。
『……法城洸一郎、死んでもらう』
 悪役がよく言うセリフだ。


 咲耶の瞳がキラリと光る。
 視線に乗せた力を、洸一郎の手首をつかんでいるラルヴァの腕へ叩きつけた。
 敵が、一瞬ひるんだその隙にすかさず手を引き戻した。
「サンキュー、咲耶!」
 洸一郎はするりと、通路へ躍り出た。
 透明な筒に刺さっている伝票を抜き取ると、ぎゅっと握り潰す。キッ、とウエイターを睨みつけると、小さく鼻で笑った。
「呪装よ、法城!」
 咲耶が叫ぶ。
 客たちの白い視線をものともしない。
 片や、洸一郎は不敵なまでの微笑を浮べて見せた。バンダナを巻いた額をそっと二本の指がなぞる。
(ああ、快感……遂に、呪装刑事ルシファードが一般にも、お披露目デヴューするのよ……そして、アタシはヒーローを思いのままに操る超美少女ヒロイン……)
 咲耶はうっとりとした。
「咲耶、行くぜ」
 言って、洸一郎は地を蹴った。
「へっ?」
 咲耶の目が一瞬、点になる。なんと、洸一郎はいきなり、ラルヴァがいるのとは反対の方向へダッシュ。
「アンタ、まさか逃げる気なの?!」
 洸一郎は、ちらっと振り返り妙にさわやかな笑顔で、
「莫迦、作戦だよ、作戦──」
 とは、言いつつも、どう見たってそれは逃げてるようにしか見えなかった。
 ア然としてたたずむ咲耶。やがて、小さなため息をついて、そっと顔を上げれば、そこには同じく、ア然とした顔で洸一郎を見送るラルヴァがいた。
(こうしちゃいられないわ。何とかアイツを呪装させなくちゃ)
 咲耶はわざわざ、ラルヴァを挑発するように、アッカンベーをすると洸一郎の後を追って駆けだした。


(クソったれ。なんでオレが、こんな目に合わなきゃならないんだ……)
 内心ボヤキつつ、洸一郎はファミレスから飛び出した。
 キャッシャーには五千円を置いてきた。もちろん釣り銭を受け取ってる余裕などない。差し引き二千円の損害だ。
 駐車場の車の陰に身を潜め、口でくわえて携帯のアンテナを引っ張った。ボタン一発、妖撃課中野支部へ電話する。
 よほど暇なのか、コールと同時に相手が出た。いつもながら、やる気のなさそうな声が、通話口から流れてきた。
『よっ、法城か。どーした? 金が足りないとかいう電話だったら、切るぞー』
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
 ホントに切りそうになる森本ジョンに、洸一郎はマジで焦った。
『んで、なんなの?』
「《L》とランデブーしました」
『そーか、わかった。んじゃ、がんばって……』
 森本はお気楽な調子で言った。
「が、がんばってって……応援送ってくださいよ隊長〜」
『わかった、わかった。そんな情けない声だすな。奥津城をそっち、まわすから』
「頼みますよっ、もう──」
 ぼやいて洸一郎は電話を切った。


「まさか、逃げる気か……」
 ファミレスの中を眺めながら、サングラスの青年がつぶやいた。
 路上に駐車した赤いシトロエンのカブリオレ。細いしなやかな指が、苛だたしげに何度もステアリングを叩く。
 モデルばりの整った風貌は、切れ長の鋭い目が特徴的だ。身に付けている物は、スーツから靴、アクセサリーに至るまで海外の高級ブランド、しかもオーダーメードの品ばかり。この青年に口説かれたら、落ちない女のほうが珍しいだろう。
 彼の名は鵠沼湘吾。
 だが、見鬼と呼ばれる能力を持つものなら、この青年の姿が別のものに映っているに違いない。
 そう、彼はラルヴァ。それも《混沌の騎士》と謳われるほどの実力の持主だ。
 十三使徒の妖花アルラウネこと、斑猫聖華に仕えていた彼は、主人を倒したルシファードこと法城洸一郎をつけ狙っていた。ルシファードを倒し、賢者の石を手に入れる。それによって、単なる人間へと堕ちた聖華を元に戻すという目的があった。
 サングラスの黒いレンズの上に走る洸一郎の姿が映っている。その姿は鵠沼が想像していたものとあまりにかけ離れていた。
「よもや、あのような軽い男が斑猫を倒したというのか……」
 一瞬でも宿敵と思い込んだ自分の方が情けなくなってくる。鵠沼の洸一郎に対する印象は、戦士や騎士の誇りなど、かけらも持ちあわせていない、いいかげんで、チャランポラン、自らの剣を汚す価値すらない男に見えた。
 その通りと言えばその通り、実に的をえた評価である。
「フロック……そうとしか考えられない」
 自らに言い聞かせるように鵠沼は言った。
 アクセルを踏みゆっくりと車は滑り出した。洸一郎へ向かって。


「法城は、どこ?」
 ファミレスの外で咲耶は洸一郎の姿を探した。間髪入れず、ラルヴァがドアの向こうから現れる。
「ちっ」
 咲耶はラルヴァに向かって右手を押し出した。開いた手のひらから念動が放たれる。それは、不可視の圧力となってラルヴァに襲いかかった。
 ずん、
 ラルヴァは腕をクロスさせて、それを受け止める。見えない風船が割れたように、咲耶の念動が弾けた。だが念動の威力を完全に殺すことはできない。床をすべるように後方へ押し返されると、出てきたばかりのドアにぶつかった。
「おーい、こっちこっち」
 風に乗って小さな声が咲耶の耳に届いた。見れば、駐車場の車の陰から、洸一郎が手を振っている。
「あの、莫迦っ──」
 咲耶は怒りの形相で、洸一郎の元へ駆けていく。
 やけにすがすがしい顔をして待っていたのを見るなり、
「アンタ、か弱い美少女を置いて逃げるなんて、どーいうつもりよ」
 いきなり洸一郎に蹴りを入れた。そのあまりの勢いの強さに、洸一郎の身体はよろめいた。さらに追い打ちをかけようとする、咲耶に、
「ちょい、待て。だから、これは作戦だって言っただろう。あんな店の中で暴れてみろ。客はパニックで怪我人続出、おまけに店の修理代まで請求されるんだぞ! それでも、いいのか?」
 ビシッと指を差すと、どうだと言わんばかりに言ってのけた。
「……そりゃ、そーだけど」
 言い淀む咲耶。確かに洸一郎の言ってることにも一理ある。戦闘になって、無関係な人間を巻き込むのは、極力避けなければならない……かもしれない。確かに、特撮でもヒーローはよく原っぱや砂地に移動して戦うのが、セオリーではある。
 洸一郎は勝ち誇った顔で、
「そーだろ、そーだろ。オレの判断に間違いはない。ところで、超能力が使える人間の、どこがか弱き美少女なんだ?」
「決まってるじゃない、全部……」
 咲耶の言葉は、別の声に遮られた。
「逃がさんぞ、法城洸一郎」
「ゲッ、いつの間に現れやがった」
 咲耶の背後にウエイターラルヴァが立っているのが目に入った。
「きゃっ!」
 瞬間、咲耶の身体がラルヴァの方に引き寄せられた。洸一郎には見えないラルヴァの腕が、伸びて咲耶の身体を捕らえていた。
「咲耶っ」
 洸一郎は、とっさに拳銃を構えた。肩をつかまれ身動きのとれない咲耶。締めつけられる痛みに、念動を発動させるための集中ができない。
「法城!」
 苦痛に顔を歪ませ洸一郎の名前を叫ぶ。咲耶はなんとか、そのクビキから逃れようとイヤイヤをする。
「クソッ──」
 毒づく洸一郎。銃口が宙を泳ぐ。咲耶を盾に取られ、敵の身体をポイントすることすらままならない。
 と、けたたましいタイヤの悲鳴とともに、一台の車が駐車場に侵入してきた。真紅のボディーをしたシトロエンのカブリオレだ。それは、法城の背後で急に停止した。
 ちらりと、洸一郎が横目で見れば、そこにはいかにもキザそうな男がステアリングを握っていた。
 男は、さっとサングラスを外すと、不敵な顔で言った。
「乙女のピンチだ。早く変身したらどうだ、ルシファード」
 洸一郎の身体が、びくっと震えた。
(こいつ、どうしてルシファードのことを?)
「気をつけて……そいつも《L》よ」
「な、なにっ!」
 咲耶の忠告に驚愕の色を浮かべる洸一郎。ただでさえ厄介なものが、もう一人増えるなんて勘弁してほしい。
「ふっ、下等な者どもといっしょにされては困る」
 サングラスをはずす。
「あら、いい男じゃん……」
 咲耶がぽーっとなった。
「私の名は鵠沼湘吾、よく覚えておくのだな。《混沌の騎士――カオス・ナイト》とも呼ばれている」
 クールな笑みをたたえた。
「そりゃわざわざどーも。オレの名前はよーく知ってるようだから、名乗らんぜ」
 洸一郎はムスッとして言う。
「ご苦労だったな、藤沢。その娘は、お前に任せる」
「かしこまりました。鵠沼さん」
 藤沢と呼ばれたラルヴァは恭しく返事をした。どう見ても、新手のラルヴァ――鵠沼の方が、上司あるいは格上らしい。
「ちょっ、法城……なんとか、しな……」
 咲耶の言葉が終わらないうちに、藤沢が跳躍した。ノーモーションから、びゅんと背後に跳ぶと、振り返ることなく車の屋根の上を跳びながら移動していく。


「咲……ええいっ、こうなったらヤケだ」
 洸一郎は、バンダナをするっと外した。額には冷たい輝きを放つ真紅の石がはめ込まれている。
「あれが、賢者の石……」
 それを見た鵠沼の双眸が鋭く光った。
 ラルヴァが真に完全体になるには哲学の卵たる賢者の石の力が不可欠なのだ。それを、こともあろうか、このような低俗な男が所有していることが、彼にとってはこの上もなく不快なことだった。
「キザ野郎、吠えずらかくなよ──呪装!」
 洸一郎が紡いだカオティックスペルに賢者の石が反応する。逆巻く風が髪を逆立たせ、目が眩むばかりの赫い光が彼の全身を包み込んだ。
 鵠沼は反射的に腕で目をかばった。それでも光は瞳の奥まで届いてくる。視神経に焼きついた光の残像が消えたとき、そこに法城洸一郎の姿はなかった。
 龍を想わせるフォルム、全身はメタリックレッドの装甲で覆われている。背中のバックパックのようなものからは、二本の突起状のものが伸びていた。
「呪装刑事、ルシファードっ!」
 洸一郎、いやルシファードは、どこぞの特撮もので見たことのある決めポーズをすると、高らかに名乗りをあげた。
 変身を嫌がってたわりには、やることはしっかりやっている。
「フッ、やっと姿を現したか……待ちかねたぞ、ルシファード。貴様など我が足元にも及ばないことを、思い知らせてくれる」
 シトロエンから、ゆっくりと降り立つと鵠沼はルシファードの前にたちはだかった。彼の身体から瘴気ともいうべき気が立ち上る。辺りの温度が、一気に数度低下した。
 そこにいるのは、まぎれもない異形の騎士。人間が見ることを許されない禁断の存在だった。
 全身を水のごとく流れる金属の鎧で包み、顔の部分には白いペルソナが嵌めこまれている。その表情は見る角度によって様々に変化した。
 ルシファードはぎりっと拳を握りしめる。
「おとなしく人間やってれば、よかったって後悔させてやるぜ」
 戦いの始まりを告げるゴングのように遠くでパトカーのサイレンが聞こえた。

 
   
呪装刑事ルシファード エピソード2エピソード1へ
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