| 「ちょっと、いいかげに離しなさいよ。レディーに失礼でしょっ!」
文句を言った途端、咲耶は投げ出された。幸い落ちた場所は芝生の上。クッションが効いている。 視線の先には、ブランコなどの遊戯施設。さらに向こうには噴水も見えた。ちょっとした公園らしい。少し離れた場所に、人影があるが別段、二人に気を止めた様子はない。
「レディーだと……女狐がよくも言う」 けくけくとアゴを震わせて藤沢が嘲笑う。にわかに曇ってきた空の下、異形のその姿は、さらに不気味さを増した。
「ラルヴァなんてバケモノに、そんなふうに言われたくないわね」 咲耶は藤沢を睨みつけたまま、動くタイミングを計っていた。強い力で押さえられていた肩が、わずかに痛むが念動を使うには気にならないほどだった。
「バケモノ? クククッ……おまえだって、人間から見れば十分バケモノさ。さあ、虚れ言に付き合うのもここまでだ」 ごぼっ、 藤沢の身体が痙攣した。右肩にいきなり拳ほどの大きさの瘤ができた。それは、ゆっくりと脈打ちながら大きさを増す。
ごぼごぼごぼっ── 肩から背中にかけて、幾つもの瘤が隆起した。 「げげっ……」 その異様な光景に、咲耶は絶句した。立つことすら忘れ、彼女は手で這うようにバックする。
やがて── いっせいに血の花が咲いた。瘤が赤い飛沫をあげ破裂し、中から蛇の頭さながらのアギトが、首をもたげる。 全身にねっとりした血をまとわりつかせ、藤沢はニヤリと笑った。
「どうだ。我が力強き姿に恐怖したか……ククククッ」 「ジョーダン──たかが下級ラルヴァ程度に、この咲耶さんがビビルわけないじゃない。ただ単に、アンタの姿がキモチワルイだけ」
汚物でも見るような目つきで、藤沢を見た。 「……ぐっ。下級だと? キモチワルイだと? 言わせておけば勝手なことを。いずれは使徒の席に名を連ねるであろう、この私に吐いた暴言。その身をもって、あがなってもらう」
「ふっ、使徒だって笑わせないで。アンタみたいな、げろげろラルヴァ、ルシファードの力なんか借りなくたって、サクっと倒してあげるわ」 言って咲耶は手のひらを、藤沢に向かって突き出した。不可視の圧力が、球体となって
飛んだ。 背中から伸びた蛇の一本が、咲耶の念動を叩き落とした。もちろん、それは咲耶も折り込み済み。一瞬できた間をついて、起き上がる。 だが、咲耶の思考は完全に向こうに読まれていた。別の蛇が次々と頭をもたげ咲耶に襲いかかる。
「なにっ」 咲耶は新たな念動球を生み出して、それを迎え打つ。大気中に何かがぶつかる、シュン、シュンという音が響いた。常人には見えない攻防は、しかしたちまちのうちに均衡が崩れる。
しゅるしゅるしゅる── 右足がふいに取られた。しまった、と思ったときにはもう遅い。左足、両の手首、首と次々に咲耶の身体に巻きついた。 「うっ、動かない……どうして……」
拘束している力は決して強くないのに、咲耶の身体はピクリとも動かない。まるで、蛇に睨まれた蛙みたいだ。 「──私の触手を通してお前の身体に微弱な電気を流して神経系を麻痺させた。生きながら私に食らわれる恐怖、とくと味わうがいい」
自らの言葉にサディステックな響きを感じ、藤沢の顔は快楽に酔いしれた。 ひたっ、ひたっ、 血を滴らせながら、その冒涜的な存在は、ゆっくりと近づいてくる。ひと思いに襲わないのは、咲耶により恐怖を与えるためだ。
(もおっ、ルシファード、何やってのよ。こっちはピンチなんだから。早く助けに来なさいよ、このスカポンタン!) 咲耶は心のうちで叫んだ。けれどルシファードからの返事はない。相手が無視しているのか? いや、違う。おそらくは、神経が麻痺していることで、咲耶の超能力自体が封じられているのだ。
「神にもで祈ってるのか?」 目を閉じて精神を集中しているのを、そう解釈して藤沢は嘲笑う。咲耶はキッと見返して、 「アタシは無神論者よ、ボケ!」
藤沢は引きつった。 「くくく、お前は異能力者だからな。その血肉を食らうことで、異能力を発動させる因子を取り込めば、私はさらなる階梯に到達することができる」
(こいつマジでヤバイじゃないの) いきなり丸裸にされてチロチロ体じゅうを舐め回される光景が、脳裏をよぎった。咲耶はその映像を、頭の中から追い払う。
(イヤ、絶対にイヤよ) 背筋に寒気が走った。そうでなくても、不気味な触手が、ねっとりと巻きついていて気持ち悪いことこの上ない状態なのだ。
(ルシファード、ルシファードったら……ああ……このまま食われたら、末代まで祟ってやるからね) テレパスで呪いの言葉を吐きまくる。 「……ちょ、ちょっとタンマ。ほら、どうせ食べられるなら、身体を洗って身を清めてからのほうがいいじゃない。アタシさ、三日もお風呂入ってないし、アハハ」
愛想笑いを浮かべつつ、呪縛からの脱出を試みる。触手を引きよせるようにして、藤沢の身体が、徐々に近づいてくる。 「フッ、嘘を言え。お前の身体からは、ちゃんとシャンプーの匂いが漂ってくるぞ。この香りの強さからすると、出かける前にシャワーを浴びてきたな」
「げっ……」 図星だった。 「変態っ! こっちこないでよ」 「くっ、私を変態呼ばわりするとは、赦さんぞ、小娘!」 人間でも、ラルヴァでも痛いとこを突かれると、反対に怒りだすのは変わらないようだ。
「助けてっ、法城!!」 ジャッ── 一陣の疾風が二人の間を駆け抜けた。 ばさっ、と触手が大地に落ちる。 藤沢は一瞬何が起こったのか、わからない。自分の身体の一部が切断されたことにすら気付いていなかった。それほど、鮮やかな切り口だった。
咲耶を呪縛していた力が消失する。それを見た藤沢がやっと事態を飲み込んだ。 「そのへんにしておくのですね」 鈴を転がしたような涼しい声が、澄み渡った空の下に響いた。
「ルシファーブレードっ!」 叫んでルシファードは肩に手を伸ばした。背から伸びる棒状のモノに手をかけて抜き払う。軌跡を描きながら光の粒子が収束し剣と化した。
別にわざわざ名称を叫んでから、武器を出さなくてもいいと思うのだが、そこは特撮やスーパーヒーローものを見て育ってきた悲しい性だ。 それを見た鵠沼の白いペルソナがニヤリと笑ったように見えた。
「ほう。混沌の騎士と謡われし私に剣で挑むというのか? 面白い──」 左の手のひらを裂いて、剣の柄が現れる。 鵠沼はそれをつかむと、ゆっくりと引き抜いた。吹き出した鮮血が一瞬のうちに金属の輝きに変わり、刀身を形成していく。
完成した剣を一振りして、斜めに構えた。 真紅に染まった剣──ブラッディーブレード。 ルシファードの剣が光でできた聖剣とするなら、鵠沼の血から作られ、あまたの敵の血をすすってきた、文字通りの魔剣だ。
「行くぞっ」 吠えてルシファードは、ダッシュした。 そのまま、振りかぶった剣を鵠沼に向かって一閃すると思いきや、いきなりその進路を変えた。
「くたばれっ、シトロエン!!」 ルシファードが剣を振り降ろした。 ぎんっ、 鵠沼のブラッディーブレードがそれを受け止めた。
「き、貴様っ。罪もない私の愛車を狙うとは、なんと卑怯な」 シトロエンをかばいながら、鵠沼はルシファードの剣を押し返す。 「ケッ。オレは、昔からカッコつけて外車乗ってる奴が嫌いなの。だから、この場で成敗してやる」
「だったら、なぜ私を狙わん!?」 「諺にもこうある、将を射んと欲するなら、まずは馬ってな」 言ってルシファードは、剣を引きシトロエンの後部へ回り込む。と、今度は左のウインカーめがけて突きを放った。
そうはさせじと、追う鵠沼の剣が、それを弾き返した。 「……勝利のためには、手段を選ばないなど、愚劣な人間のやりそうなことだ」 「咲耶を仲間にさらわせたオマエが言えた科白か!」
ぎんっ、 二つの剣が切り結ぶ。剣の腕はさすがに鵠沼が上だが、シトロエンを守って戦っているハンデで、ルシファードとほぼ互角だ。 「勝手に、ほざくがいい。あれは貴様との勝負を邪魔されないための策だ。そのように言われる筋合いはない」
鵠沼の蹴りが、ルシファードの腹に決まった。後ろへよろめきつつも何とかもちこたえるルシファード。たかが蹴りと思うなかれ、十分に力を乗せたその威力は、半端じゃない。普通の人間なら一撃で内臓破裂するほどのパワーを秘めている。
「ぐっ、今のはちょっと堪えたぜ。んじゃ、そろそろ本気で行かせてもらう」 ルシファードの気合に反応してか、剣がひときわ明るく輝く。 「本気か……そうでなくては、面白くない。さあ、かかって来いルシファード、我が力、伊達ではないぞ」
ルシファードは鵠沼に向かい強烈な斬撃を放った。真一文字に剣をかざし、それを受ける鵠沼。 刹那、ルシファードが地を蹴った。 「なにっ!?」
鵠沼の剣を支点にくるりと回転すると、そのままシトロエンのボンネット上に着地した。ぼこっ、という鈍い音に鵠沼が振り返れば、わずかな窪みが…… 「や、やめろ! そこからおとなしく降りるんだ」
うろたえる鵠沼。それもそのはず、彼は今日のためにわざわざ、このシトロエンを購入したのだ。しかも、ここへ来る一時間ほど前にディーラーから受け取ったばかりだった。
ラルヴァだからといって無尽蔵に金を持ってるわけではない、人間社会で暮らすかぎり汗水たらして働いているのだ。勿論、汗水というのは比喩表現だ。彼は青年実業家として会社を経営し、自らの才能で成功を納めてきたのだ。
だが、ルシファードは容赦しなかった。ふふーん、と鼻で笑うといきなり、ボンネットの上でジャンプを始めた。 「この卑怯者め!」 鵠沼が目を覆った。
ぼこっ、べこっ、と妙な音をたてシトロエンのフロント部分は見るも無残な変形を遂げていた。 「……どうだ。オレが本気を出すとどーなるか思い知ったか。ハハハハハ」
勝ち誇った高笑いをあげるルシファード。 最早、どちらが悪役か判別がつかなくなっている。 ふと、見ればうつむいた鵠沼の肩が、わなわなと震えている。
「へっ、どーやらグーのねもでないようだな、混沌の騎士さんよ」 ルシファードの罵倒に鵠沼の震えがぴたっと止んだ。ゆっくりと起した顔から表情が消えている(いや、もともとペルソナに表情はないが……)。彼の水銀のように流れる鎧が、せわしなくその色を変える。まるで、鎧自体が怒りを現しているかのように。
「ゆ、赦さん。一度ならず二度までも、私の大切なものを……」 もはや、愛車もへったくれもなかった。鵠沼の身体が、ぶおんという擬音とともに歪んだ。まるでレンズでも通して見ているかのようだ。
ルシファードは背中に冷たいものを感じて、ボンネットから身を翻す。瞬間、ルシファードが立っていた場所を、銀色の閃光が薙いだ。 鵠沼だ。 早い。
ほとんど神速と言っていいスピードで瞬時にルシファードの背後に回り込んでいた。 「や、やばっ──」 さすがに青ざめるルシファード(とは言っても、こっちも顔の色はわからないが)。抜群の悪運がなかったら、今頃は太股から下がきれいさっぱりなくなっていたに違いない。
(こいつは、ちとマズったぜ。相手をおちょくりすぎたかな) すぐに調子にのる、いつもの悪い癖が出た。 再び、鵠沼の姿が歪んだ。いや、すでにそれは残像、実体はどこにいるか視覚で追うことができない。
「ど、どこから来る」 ルシファードは少しへっぴり腰になりつつ剣を構えた。背後から身の毛もよだつ冷たい風が吹いてきた。 「後ろかっ!」
振り返りざま、ルシファードの剣が一閃した。鵠沼の身体が上半身と下半身に切り裂かれた。左右にずれた身体が、すーっと暗黒の粒子となって消えた。 (──まさか、残像か?)
「遅い!」 ざんっ、 焼けつく熱さが背中を走る。鵠沼の剣が、ルシファードの背を一閃していた。 「うわわわぁぁ!」 苦悶の声をあげ、ルシファードの身体が踊る。
鵠沼は憎しみの色をにじませ、 「今のは私の愛車の分。そして──」 休む間も与えず、さらなる斬撃を繰り出した。 火花がスパークし、剣の軌跡に沿って白煙があがった。ルシファードの身体が後ろへよろめく。だめ押しとばかりに、鵠沼が右手を突き出した。
ぱっ、と開いた手から暗黒の球体が飛び出した。超速で飛来する暗黒球をルシファードは剣をかざして受け止める。 「ぐっ」 腕がしびれるほどの衝撃がルシファードを見舞う。球体は剣の上で激しくスピンし、その勢いは衰えない。
やがて圧力に抗しきれなくなったルシファードは、後方へふっ飛び駐車場の壁に叩きつけられた。 煎餅が割れるようにコンクリートの壁があっさり砕けた。
瓦礫とホコリが舞いあがる中、ルシファードはうなだれ座り込んでいる。 (くそっ、やっぱりヒーローなんてやるもんじゃないぜ……) 上目づかいに盗み見れば、ハレーションを起した景色の中で、鵠沼の白いペルソナが笑って見えた。
「私を怒らせるなど、つくづく運のない男だな」 「オレを甘く見ていると痛い目にあうぜ」 ルシファードは痛みに耐えながら、一発逆転の機会をうかがう。左手に力を集めプラズマの光球を作り出した。
「くらいやがれ!」 ルシファードは、それを迫り来る鵠沼に投げつけた。 唸りを上げて光球が飛ぶ。軌跡に沿って大気が瞬時にイオン化していく。きな臭い匂いが辺りに漂う。
けれど、鵠沼は防御する気配すらない。ふふっ、と余裕の微笑すら浮かべている。 ぱぁんという破裂音をたてて光球が弾けた。まるで目にみえない何かにぶつかったようだった。
障壁だ。高位ラルヴァなら意識することなく、自らの周囲にバリアを展開する。人間が呼吸するのに別段意識を向けないのと同じだ。 「愚かな……」
鵠沼は鼻で笑った。もはやルシファードなど敵ではない。いや、このような下賎な男、初めから敵ではなかったのだ。 ルシファードの額の宝石が、ゆっくりと輝きを失っていく。残された時間もエネルギーも極わずかだ。
「ちぇっ、どうせ殺されるなら野郎じゃなくて、綺麗なオネーサンにして欲しかったぜ」 迫り来る暗黒の影にルシファードの運命も風前の灯火だった。
「法城!」 だが、咲耶の瞳に映ったのは別の青年だった。すらりとした長身の美剣士だった。雪を想わせる白い肌に紅を刷いたような赤い唇が、本人も気付かないほどの微笑をたたえていた。
目が見えないのか、それとも故意に見ていないのか、双眸は閉じられたままだ。けれど、その顔はまっすぐにこちらを向いている。 (──奥津城しのぶ)
咲耶は心のうちで、その名をつぶやいた。 女性と見間違うほど、確かに美しいが、何故か咲耶は好きになれなかった。どこがどうというのではなく、なんとなく、相性が悪いのだ。
手にした剣が、月の輝きにも似た冷たい光を放っているのに咲耶は気付いた。 「何者だっ?」 憎悪の目を向ける藤沢に、しかし奥津城は臆した様子もなく言葉を紡ぐ。
「ただの人間ですよ。あなたと違ってラルヴァではありません」 「……クッ。オレがラルヴァだとわかるとは、さては見鬼者だな」 藤沢は忌々しげにつぶやいた。
「かいかぶりです。この目でどうやって、あなたの醜い姿を見ろというのですか?」 「醜いだと? この強くて美しい姿が──」 怒りのためか藤沢の声はビブラートがかかったみたいに震えていた。
「奥津城さん、なぜここに?」 突然現れたことを、訝る咲耶。だが、奥津城はなに食わぬ顔で、 「法城さんの携帯の電波をたどってきたら、あなたと《L》を見つけた……それだけです
」 「携帯の電波??」 言われて咲耶はとんとんと身体じゅうを叩いた。硬い感触。 「んがっ、こんなところになんでアイツの携帯が……」
上着のポケットから出てきたのは、紛れもなく洸一郎の携帯電話だった。 (法城の奴、いつの間に……) 「法城さんは、どこです? まさか、やられたわけじゃ……」
「アイツは、別のラルヴァと交戦中──」 「ふふふっ、あの男なら今頃は、カオス・ナイト様に殺されているだろうさ」 藤沢はまるで、自分が法城を殺したような口ぶりだ。
「んなわけないでしょ、ルシ……法城のほうが、サクッと片付けてるわよ」 あやうくルシファードと口走りそうになって、慌てて言い直す咲耶。 (そう、ルシファードは呪装刑事なのよ。ラルヴァなんかに遅れをとるはずないわ)
さっきまでは、メタクソに言っていたはずが、えらい変わりようだ。 「安心しろ。お前たちもまとめて、あの世に送ってやる。ま、あの世なんてものがあればの話しだがな」
どどどどっ、 生コンが流れるような音をたて、切り落とされた触手が再生した。 咲耶が顔をしかめる。何度見ても、お下劣な光景だ。
「下がっていてください」 奥津城は両手で剣を握り直すと、咲耶に後退するよう促した。 全身から湧き上がる気は、麗人にふさわしく神々しいまでに澄んでいた。そして、それは恐ろしいく冷たい。
「アタシも戦うわ」 咲耶の言葉に、しかし奥津城は頭を左右にして、再び同じ言葉を繰り返し、 「──邪魔です。少しぐらい念動が使えるからといって、調子に乗っていると命取りになりますよ」
淡々と言う。 さすがにこの言葉には、咲耶もムカッときた。かと言って、実際ピンチのところを救われてるだけあって、言い返すこともできない。
(やっぱり、こいつ、気にくわないわ) 「これは忠告です。別にあなたに気に入られようとは思ってません」 咲耶はギョッとした。 (まさか、アタシの思考が読まれている? ううん、そんな筈はないわ……)
テレパスも使える彼女は、通常思念が洩れないように障壁を張ってある。それを越えてこっちの心を読もうとするなら、とうぜんバリアに引っ掛かるはずだ。 (偶然よね、きっと)
世の中で一番都合のいい論理で納得する。咲耶は目一杯虚勢と皮肉をこめた口調で、 「それじゃ、お手並み拝見させてもらいましょうか」 ほとんど、負け惜しみにしか聞こえない。二人の会話を聞いていた藤沢が激昂した。
「なめるなよ、若造!」 といっても藤沢だって奥津城よりは年をくっているが、かなり若造である。 じゃっ、 獣じみた呼気を吐いて、藤沢が跳んだ。棒高跳びでもなけれな、人間が到達できない高さまで軽々と舞い上がる。
太陽を背にして、すべての触手を放った。 普通の人間いや、ラルヴァでも視覚を有する者なら、まぶしさに目が眩む。けれど、それも奥津城には関係なかった。
しゃっ── 銀色の輝きが弧を描く。ぼとぼとぼとっ、鈍い音をたてて、切断された触手が地に落ちた。だが、それも藤沢は計算ずみだった。 彼の耳まで裂けた大きな口が、カッと開く。
その瞬間、大気を裂いて衝撃波が走る。藤沢の特異な声帯が発した声が、超音波となって放たれたのだ。 触手などの直接攻撃とは違い、これは防げまい。藤沢の中には勝利の方程式が完成していた。このまま相手が地に倒れたところを、上から襲いかかり喉笛を噛み切る。
「お粗末な技ですね……」 奥津城の剣が閃いた。 「あっ!」 咲耶が驚きの声をあげた。いったい、どういう剣技なのか? なんと、奥津城の一撃が衝撃波を真っ二つに切り裂いていた。
「そ、そんな……」 藤沢の顔が恐怖と驚愕に歪んだ。 奥津城は刀を返すと、続いて落ちてくる藤沢の胴を薙ぎ払った。異形の影と美しい影が一瞬交錯したかと思うと、どす黒さを含んだ赤い血が辺りに飛び散った。藤沢の身体がそのまま大地に崩れる。
しゃん、と剣を振って刀身についた血を払うと、奥津城が振り返った。あれだけ派手に、立ちまわったにもかかわらず、彼の白い服には一滴の血もかかっていない。
「どうですか? 月で採取した純度九九.九九パーセントの鉄で鍛えし《月読》の味は。《L》のあなたには、さぞやこたえたでしょうね」 平然と奥津城が言う。
(何者なの、こいつは? 下級とはいえラルヴァを、こうもあっさりと倒すなんて) 咲耶は驚きを隠せない。 「くっ、こ、こんなところで……」
傷口からあふれる血を手で押さえながら、藤沢が起き上がった。その身体はふらつき、もはやわずかな力しか残ってないように見える。 「なかなか、しぶといですね。その強靭な生命力だけは褒めてあげます。けれど──」
《月読》の刀身に放電光が生じる。奥津城が藤沢に向かって剣を一閃させた。青い稲妻は、うねりを上げ雲の中を駆ける龍のように藤沢に襲いかかった。 藤沢は最後の力をふりしぼり、ジャンプするとそれをかわした。後は、捨て科白一つ吐かず一目散に逃げ出した。
「私は奴を追います。あなたは、妖撃課にでも帰っていてください」 奥津城は剣を鞘に収めると、咲耶の方を一瞥して藤沢の後を追いかけた。 「ちょっと、アタシも行くわよ」
たぶん、藤沢はルシファードと戦っているカオス・ナイトのところに助けを求めに行ったに違いない。咲耶はそう踏んでいた。
『立って、立つのよ、ルシファード』
ふいに脳裏をかすめた声がルシファードを現実に引き戻した。 (──咲耶か?) けれど返事はない。声は一方的に語りかけてくるだけだ。
『気をつけて。鵠沼は最終奥義ダークインパルスであなたをし止める気よ。けど、それは起死回生のチャンスでもあるわ』 ルシファードは、女性であると確信している、彼女の声に耳を傾ける(テレパスだから心を傾けるといった方がいい)。
『ダークインパルスのエネルギーを剣に収束させる瞬間、鵠沼の防御フィールドが一時的に消失するの。その時が勝負よ。でも莫迦正直な攻撃じゃ防がれるのがオチ。ま、方法は自分で考えるのね』
(ちょっと、待てくれ。君は?) 『グッドラック、ルシファード』 そう言い残し、彼女の声は聞こえなくなった。 (幸運を祈るって言われたって。どーすりゃいいんだ)
ルシファードはない知恵を絞って考えた。不意に、咲耶のレクチャーの一節が浮かぶ。 (よし、それしかない) ルシファードが覚悟を決めた。
「念仏でも唱えるんだな」 言って鵠沼が剣の刀身を指でなぞる。ブラッディーブレードを暗黒の粒子が包んでいく。剣にまとわりつく闇のプラズマ。
鵠沼が剣を動かす度に暗黒が、黒い軌跡を描く。 「鵠沼っ!!」 ルシファードはノーモーションから、いきなり剣を投げつけた。そして、続けて光球を放った。剣の軌跡を追うように光球が疾駆する。
たとえ剣をかわしたとしても、その後の光球を回避するのは至難の技だ。 だが、鵠沼は暗黒をまとった剣でルシファードの剣を切り裂くと、首をひょいとのけて、光球をやり過ごした。
「これでフェイントのつもりか? なら、こちらもそろそろトドメといかしてもらう──」 吠えて鵠沼は地を蹴った。剣がまとった暗黒が、その密度を増していく。ブラックホールさながらに光を吸収し、鵠沼の周りだけ暗くなった。
「ダーク・イン……」 刹那、ルシファードがぱちんと指を鳴らした。 「行っけぇぇぇぇぇっ!!」 鵠沼の背後にいきなり光球が出現した。いや、違う。さっきかわされた光球が再び舞い戻ってきたのだ。ルシファードはわざと鵠沼に光球を避けさせて、この瞬間を狙っていたのだ。
鵠沼がそれに気付いたときには、もう遅い。 「莫迦なっ……があっ!!」 光球はもろに背中を直撃した。ちょうどエビ反りの形で身をよじらせ、大地に倒れ伏す。
鵠沼は信じられんといった感じで顔をあげた。白いペルソナが、青ざめて見えるのは気のせいだろうか? 「見事なフェイントだ。だが、しょせんは最後の悪あがきにすぎん──」
剣を杖代わりにして、立ちあがる鵠沼。ダメージは決して小さくないが、カオスナイトとしての矜持が、今の彼を支えていた。 次の一撃で倒す。その思いが鵠沼にはあった。
ぴーんと人差し指を天に向かって立てた。暗黒の粒子が集まり、ゴルフボール程の大きさになる。通常の暗黒球より小さいが、密度は数倍はあろというシロモノだ。
ルシファードが立ちあがる。ふらふらとおぼつかない足取りで崩れてない壁によりかかる。 今にも鵠沼が最後の攻撃を仕掛けようとしたとき、バイクのイグゾーストが轟いた。
大気を裂いて、一台のバイクが駐車場に飛び込んできた。フルカウルのバイクはレーサーもかくやといった腕前で、鵠沼とルシファードの間に立ち塞がる。 「ちっ」
鵠沼は小さく舌打ちをした。フルフェイスのヘルメットの下は見えないが、ライダーズジャケットごしの身体のラインで、それが誰なのかわかっていた。 バイクは鵠沼を挑発するようにエンジンをふかした。ライダーは、じっと鵠沼を睨みつけ前輪を支点にバイクを回転させる。
「あくまで、この私の邪魔をしようというのか?」 その問いかけの答えは、さらに高まるバイクのエンジン音だった。 「……それほど、この男が大事か?」
問いというより、その口調は相手の意志を確認するニュアンスをはらんでいた。 鵠沼は天に向かって立てていた人差し指を明後日の方向へ振り降ろした。暗黒球は、飛翔し遥か彼方の空中で爆発した。
「ふっ……今日のところは貴女の顔に免じて消えるとしよう。だが、次も私の邪魔をするなら、その時は例え貴女でも容赦はしない」 鵠沼の言葉はライダーに向かって言っているというより、自らに向けた言葉のようだった。
手にしたブラッディーブレードが、黒い霧となって霧散する。 「──命びろいをしたな、ルシファード」 捨て科白を残し鵠沼はくるりと背を向けた。そのまま彼は愛車シトロエンのコックピットに身体を滑り込ませた。
イグゾーストの音。 「サンキュー、さっきのアドバイスで助かったぜ」 人間の姿だったら、軽くウィンクでもしたいくらいだ。
「けど、アンタは?」 「……」 バイクの人物は何も答えず、走り去った。 「ヘヘッ、カッコ良すぎるぜ」 洸一郎は風を切って駆け去るバイクに、軽く手を振って見送った。
と、爽やかな気分の洸一郎の背後に、一気に滅入るような気配が生じた。 「あん? さっきのラルヴァじゃん、随分、ぼろぼろになったな」 「く、鵠沼さんは?」
鮮血にまみれた藤沢がふらふらと出てきた。 苦痛のためか、目の焦点が定まっていない。 「鵠沼ぁ? もう帰ったぜ」 「そ、そんな……」
力尽き果て、地面に膝をついてしまう。 「遺伝子砲――ゲノム・カノン!」 いきなり、ルシファードの胸部がパカッと開いた。 二筋の赫い光が放たれ、二重螺旋を描くように走り、一つの光に収束した。
「うわわわぁぁぁっっっ!!!」 藤沢の前で散弾のように赫光が広がった。 すっぽりと球体――赫星が藤沢を包み込んだかと見る間に、内部からフレアを吹き上げて連続爆発した。
ドサリ。 「ちょうど、時間切れだぜ……」 ルシファードの呪装が解け、洸一郎に戻った。消耗度はかなり激しい。 そこへ、咲耶と奥津城が駆け付けて来た。
「法城さん、今《L》がこちらに……」 言いかけて、奥津城は藤沢に気づいた。 「そいつがアタシを襲った奴よ」 「……ですが、彼は……」
さすがの奥津城も困惑しているようだ。 「ほら、前に話したじゃないか、ルシファードって奴が現れて倒していったのさ」 「まっ、ルシファード様が!」
キラキラ。 目をお星様のように輝かせる咲耶。かなりドヘタな芝居ではある。 「ルシファードの必殺技でやられると、《L》は遺伝子改造されて人間になるっちまうんだってさ」
「はあ、人間に……」 「うううっ」 藤沢が呻いた。 「あ、まだ生きてた……」 ぼこっと一発、咲耶が頭を叩いた。
「ハッ? お、俺は……一体どうしたことだ? ラルヴァの力が感じられない!? ああっ、変身も出来ないなんて……」 愕然とする藤沢の前に、洸一郎がしゃがみ込んで、
「お前さ、せっかく人間になれたんだから、これからは真っ当に生きてくんだぜ」 「まさか、この俺が人間に……イヤだイヤだ、俺はラルヴァのままが良かったのに」
恨みがましく洸一郎を見た。 「反省していないみたいですね、この方」 冷え冷えとした奥津城の声。 「元々根性が腐ってんのよ、人間になれたくらいじゃ絶対改心しないわね」
咲耶が決めつけた。 「ですが、人間としては、犯罪を犯していませんから、逮捕する訳にも……」 「しのぶ、オレにいい考えがある」 洸一郎が奥津城の肩に腕を乗せた。
「おい、オマエ、すっ裸になってそこで一発踊れ! 公然猥褻罪で警察突きだしてやるからさ」 「あ、グッドアイデアじゃん。ついでに、アタシを襲ったってことで、誘拐罪とかストーカーとかでキッチリ告訴してやるわ」
「ま、待ってください、皆さん」 藤沢は青くなっていた。 「俺、いえ、僕はたった今改心しました。これからは、真面目に人の為、社会の為に生きる決心です」
「嘘つくと、どーゆーことになるかわかってんだろうな? 警察が黙ってないぜ」 「そーよ、アンタの罪くらいいくらでも、偽造できるんだからね」 二人の迫力に涙ながらに頷く藤沢であった。
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