会報『むすびめ2000』52号(2005年8月)より
ビルマ人図書館について
−AHHARA(アハーラ)図書館からMOE THAUK KYE(モータウチェ)図書館へ−
黒崎英志
はじめに
僕は、他に言い方がないので、ボランティアと称しているに過ぎない。言葉も分からないし、ここでのことをうまく伝えられない。そう。ただ「寄り添っていた」のだから(Wさん感謝!)。しかし彼らに「寄り添うこと」を強くお勧めする。そうすることで、「図書館の自由とは何なのか」「共に生きるとは何なのか」を考えるきっかけがつかめると思う。きっとあなたの心に触れるものがあるはずだ。それをそれぞれの現場に持ち帰って、がんばればいい。
AHHARA(アハーラ)図書館は、収書活動などの準備期間を経て、2000年冬に開館した。場所は板橋。マンションの6畳の部屋に間借りして活動を始めた。2月から雑誌AHHARA(アハーラ)を刊行開始した。図書館の活動目的は、資料提供によるビルマ文化・文学の研鑚の場である。主な活動内容は、収書・資料保存、資料提供、文芸講演会の開催、ビルマ国内で発行不可能な作品の刊行など。これに、タイ・ビルマ国境難民への支援、入国管理局収容者への支援、その他のビルマ図書館への支援、国内外の研究者・図書館などの問い合わせへの対応などが加わる。
2004年11月、新宿区下落合に引っ越して、名前をMOE THAUK KYE(モータウチェ)図書館と改めて、活動を再開した。そして現在に至ってる。ビルマ人が数多く住む高田馬場から徒歩の距離に図書館が引っ越してきたことは、ただアクセスしやすくなっただけではない。人々が自由に集って、語り合う場所として、図書館は図書館として以上の場所を提供している。
この図書館は政治活動団体ではない。ここに関わる多くの人たちが、何らかの形で、ミャンマー軍政に対して不満を持っているにしても。ここは図書館としてすべての人に開かれている。人種、国籍、思想、信条、あらゆるものを問わず。現ミャンマー軍政に異を唱える者、支持する者。ビルマ人、日本人、様々な国の人。
ここを訪れる全ての人々のために。この図書館には精神的・理論的指導者が3名存在する。ビルマの国民的詩人である、Tin
Moe(ティン・モウ)、カレン民族文学の研究者であり、自身もカレン族出身のMaung
Sin Kye(マウン・シンチー)。現在ノース・イリノイ大学で、Sea collection
Founders Memorial Libraryの司書であるMaung Swanney(マウン・スワン・イー)。「AHHARA(アハーラ)」とは「頭の栄養」という意味だ。Tin
Moeによって命名された。軍政下において、人々は言論統制化におかれている。しかし、人々は、様々な情報を得て、自由に物を考え、意見を交わさなければ、頭は枯れてしまう。そのためには「頭の栄養」としての、図書館が欠かせない。その意味でこの図書館は「アハーラ図書館」と名付けられた。どんなに統制しても、人の心は押さえつけられない。図書館として、軍政が検閲していようといまいと、様々な資料を広く提供することで、人々は自ら何かを掴み取る。軍政は、自らが言論に対して為して来たことによって、自ら裁かれるべきなのだ。ここにある幾つかの本が自らそれを証明する。私たちは利用者と本がであう場所と自由を維持しているだけなのだ。そしてそれこそが暴力などに訴えることよりも確かな力になることを皆確信しているのだ。
〔利用について〕思想信条、国籍、性別、その他まとめて一切不問。電話かメールで予約をいれれば利用可。開館時間は土〜月曜、10時〜22時。
〔資料収集について〕図書館に所蔵されている資料は、現在約6000冊。小説、詩、仏法説話(さすが仏教国!)、ノンフィクション、翻訳書、歴史書、評論等々様々である。
入手経路もまた様々なルートで収集されている。ビルマ国境を経由して送られてきたもの。この中には、軍部の検閲を受けた本もある一方で、かつて学校図書館や公共図書館などにあったものの、廃棄されてしまったものや、いわゆる「焚書」になってしまったものも含まれている。原稿のまま海外に持ち出されて、海外で発行されたもの。ビルマで発行許可の下りなかった図書については、日本で編集して、韓国で印刷し、日本で発行されるものも多い。
そして現在次の二つが、一番新しい資料を購入する主な手段になっている。日本にあるビルマ系エスニックストアで購入されたもの。そしてビルマ人同胞から帰国時などに寄贈を受けたもの。余り喜べない話であるが、入管への強制収容などで、部屋を引き払わねばならない人たちも多い。そのため、余った本が寄贈されるというケースもこのごろ目立っている。
資料の購入費は、基本的にビルマ人たち同士の寄付によって賄われている。また、水掛祭りなどでの出店の収益や、講演会活動などの収益なども充てられている。
〔資料の貸出について〕稀購本など一部資料をのぞき、ほぼ貸し出し可能。日本人利用者もいる。問題としては、ノート記入式なので、個人情報の管理に工夫が必要である。
〔資料の出版について〕前述のとおり、日本は世界でも有数の「ビルマ人による自費出版活動大国」だ。印刷は印刷費の安い韓国で行われている。出版されるものは、日本国内および海外在住ビルマ人の作品、ビルマ国内から持ち出された原稿など様々だ。今年は、詩人のTin
Moe(ティン・モウ)の作品集などが出版されている。彼は、海外には知られていないが、かつて国民詩人として知られたが、軍政によって筆を折られた。オランダ王室から人権活動にかかわる作家に送られる、Prince
Claus Awardを贈られている。
〔文化活動について〕図書館主催の主な文化活動を時系列的に紹介すると以下になる。
2001年4月29日 ビルマの子供たちの未来を考える集い (60名参加)
2001年7月22日 THA KHIN KO DAW HMINE(平和の父と呼ばれる作家)生誕の集い
(約100名参加)
2002年10月13日 U TIN MOE,MAUNG SIN KYE(ビルマの作家)を迎えての集い
(約120名参加)
2002年11月17日 U TIN MOE, U WIN PE, U WIN KHAT(ビルマの作家)を迎えての集い
(150名以上参加)
2003年10月26日 MAUNG THAYA, TIN MAUNG THAN (ビルマの作家)を迎えての集い
(約200名近く参加)
図書館では、海外在住のビルマ人作家や詩人などを招聘し、講演会を開催している。一人招聘するだけで、20万円近くの出費となるが、作家の中には旅費の半分を自己負担してまでくる方もいる。マウンターヤ、ティン・モウ・タンの講演会には、200名近くの参加があった。この当時、日本在住ビルマ人はおよそ1万名と言われていたから、大変な規模の動員だったことになる。
ビルマの人々は、自分自身でも好んで詩を即興で詠んだり、書き物をしたりする人が多い。文学や詩の力が、人々の生活の中に生き生きと脈打っていることを感じずにいられない。
〔入国管理局収容者の支援について〕モータウチェ図書館の活動として、モータウチェ図書館・イン・茨城がある。これは、牛久入国管理局に収容されているビルマ人たちのための寄託資料である。現在収容されている約50名に対して、約300冊の図書が提供されている。
最初、このサービスは、収容者への差し入れ活動の延長として始まった。短期収容が主である品川入国管理局と異なり、牛久では、ほとんどの収容者が40日以上の長期収容者である。収容者にとっていかに収容期間を快適に過ごすかは、大変な問題だ。差し入れの図書や雑誌は数少ない楽しみの一つだ。差し入れされた物を、他の収容者たちが利用できるよう残していくことで、約300冊の文庫が出来上がった。管理は、収容者たち自身の手に委ねられており、自主運営されている。廻し読みして、読み古した本を新しい本と差し替えてもらうため、リクエストを募り、面会許可を得た者が、集約したリストをボランティアに渡し、次回面会時に差し入れるという形をとっている。
また、収容者達が、収容されていたときの経験や、考えたこと、その時に書き溜めた文書を元に、図書館で小冊子も作られている。
〔文化継承について〕水掛祭りや、様々な催しには、多くの子供たちが必ず来ている。皆屈託なく元気だ。子供たちの多くが、就学前だが、小学生ぐらいの子供たちもいる。しかし、この子供たちの多くはビルマ語を解さない。
先日のアセアン議長国辞退の件でも分かるように、軍政は現在の方向性を変えようとはしない。スーチー女史も齢60になりながら、今も自宅軟禁の身である。軍政が変わらぬ限り、両親と共に祖国の地を踏めない子供たちが数多くいる。彼らが彼らの言語文化を保持しながら、将来まだ見ぬ母国の地を踏むためにも、言語文化の継承問題は、図書館にとって将来最大の課題になると思われる。
この間、図書館が本格的に独立するきっかけとなったことがあった。Tin Tin
Win(ティン・ティン・ウィン)さん、Saw Win Sin(ソウ・ウィン・シン)さんご夫妻が難民申請に踏み切り、それが認められたことだ。
これまで、彼らはオーバーステイの身分であり、もしも入管に身柄を拘束されて、強制送還されたら、軍に拘束される恐れがあった。拘束理由には、本国での活動のみならず、日本での活動も含まれる。しかし、彼らはずっと申請せずにいた。
彼らは、前向きで、礼儀正しく、そしてお茶目な人たちだ。祖国を愛し、家族を愛し、友人を愛し、詩を好み、理不尽なことに憤慨する、それだけの矜持を持った人たちだ。彼らが、難民申請を決心するとはどういうことか?彼らにとって〔Refugee〕とは、「力無き者」の意味に限りなく近い。しかし、それでもこの名前を選ばざるを得ないことに彼らはずっと躊躇していた。そして何より、これが祖国に戻らないということ、本当の居場所を追われることであることを悩んでいた。
しかし、図書館関係者の多くが入管収容を繰り返し、不安定な状況にあったこと。15年以上国に帰らずに日本で生活していたこと。国の状況が一向に変わらないことなどが、彼らに、日本で本格的に図書館活動を続けることを決意させた。
「いつでも・どこでも・だれでも」。私たち、図書館に何らかの形で関心を寄せている日本人は、この言葉を所与のもののように考えている。そうするのが、図書館として当然だと思っている。しかし、図書館に図書館の自由が許されない状況は、ビルマだけではなく、この日本にも存在する。現在の入管・警察合同の摘発体制によって、ビルマの人々は難民申請中である人でも、お構い無しに職質されたり、一時拘束を受けたりしている。人々に移動の自由などがきちんと保障されなければ、図書館の自由は画餅に過ぎない。
彼らビルマ人たちは、本国内において、「思想信条の自由」「出版・表現・言論の自由」を制限されてきた。それでは、日本にきて自由を手に入れたのか?僕には、「一部だけ手に入れた」としか言えない。
こういう話がある。彼らが国にいたころ、学生が集まって話すのは政府にとって危険だということで、数人集まると警察官がやってきて、解散するように促すことが日常茶飯事だった。僕は、学生時代に出会った、南アフリカからやって来た中学教師の青年とのことを思い出す。彼も、「いいかい。南アでは、黒人が数人集まっただけで、解散させに警察がやってくるのさ。」と言っていた。
「パスポートは?」「身分証明は?」警察と入管は合同でオーバーステイの摘発を行うが難民申請や仮放免の情報などは共有していない。だから、何度でもしつこくしつこく、彼らを尋問する。それが彼らを苦しめる。「別のヘンな所から、別のヘンな所へきちゃったあ!」彼らのおどけた声に、時々自分の頬が赤くなる。
終わらぬ夜はない。アパルトヘイトだって崩れたことを僕らは知っている。ティン・モウは、新しい図書館を「モウターチェ」と名付けた。ビルマの若者達を照らす「明けの明星」の意味だ。今が大変でも、前向きに希望を照らす。だから「明けの明星」なんだ。
自由に考えること、自由に話すこと、自由に集うこと、自由に自分の生きる道を選ぶこと、そのためにこそ図書館の自由はある。
※モウターチェ図書館 E-mail: ahhara@hotmail.com http://www.moethaukkye.com/