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日本人の英語に対する恨みつらみの大部分は、客観的には頷けないものが多いものです。本来、挫折感や、絶望感はそれ相応の努力をしても、それが正当に認められなかったり、報われない時に抱くべき感情ですが、英語が身に付かないことをこぼす人たちの多くは実際はそれだけのエネルギーを英語習得のために注いでいないのです。その努力の内実はというと、フレーズ集をぺらぺらめくってみたり、誇大な広告の教材を試してみたり、週1〜2回程度の英会話学校通いだったりします。これで、日本語とは全く異なる英語を使いこなせるようになろうというのは、あまりに現実感が欠けています。楽器やスポーツが必要量の適切な訓練無しに上達しないことは理解しているのに、こと英語となるとなぜこうも見積もりが甘くなるのでしょうか?
「さんざん勉強してきたのにさっぱり英語が身につかなかった」という国民的被害者意識の原点になる共通体験は学校での英語教育でしょう。しかし、これもあまり正当化されるものではありません。もし、中学・高校で教えられる内容を本当に「散々勉強して」身につけているなら、英語力の基礎は相当な部分完成しているわけで、日本人の大半が英語を使えないという現状は有り得ないはずです。実際には多くの人は「学校で何年も英語を学習してきた」のではなく、「何年もぼんやりと英語の授業を受けてきた」に過ぎないのです。例えば、次のような英作文が、瞬間的に口頭でできるでしょうか?
「彼のお姉さんは町のほかのどの女性よりもきれいだ」
「窓を割ったその少年は、お父さんに叱られるだろうか?」
どちらも中学英語の範囲内ですが、ばね仕掛けのように英文が口をついて出てくる人は少ないでしょう。鉛筆と紙を用意してかなり時間を掛けて考えても正確な英文を作れない人も多いでしょう。その場合には学校英語が身についていないという以前に、「わかって」もいないのです。
また学校英語の限界が「わからせる」ことにあり、わかったことを「身につける」ようには機能しないことも事実です。それには次のような要因があります。

本当に学校教育で英語力を高めていくためにはこうした問題をクリアしなければなりません。有効な授業を行うためには一クラスあたりの生徒数は7、8名までに抑え、クラスはレベル別に編成されていなければなりません。また、英語教師は少なくともTOEICで900点前後、TOEFLで600点前後の英語力を持っているべきでしょう。しかし、公教育の場でこうした問題をすべてクリアするのは不可能でしょう。
日本の学校英語が役に立たないと槍玉に挙げられることが多いのですが、学校の授業で外国語が身につかないのは日本に限ったことではありません。私が約3年滞在したアイルランドやイギリスでは日本よりずっと早い年齢から学校で外国語(主にフランス語のようなヨーロッパ言語)が教えられています。しかし、一般的アイルランド人やイギリス人がフランス語などを自由に駆使しているなどということはありませんでした。もちろん外国語の上手なアイルランド人やイギリス人にも会いましたが、彼らは語学力を学校で習得したわけではなく、必要に応じて、個人的な意志と努力により身に付けたのです。
英語を母国語とする人たちにとって、フランス語などの他の印欧語を学ぶことは、日本人が英語を学習することよりはるかに容易です。それでも、学校教育で外国語の駆使能力をつけられないという状況はさして変わらないのです。外国語を本当に身につけるためには、個人的な強い目的意識、適切なメソッドとプラン、一定量の濃密なトレーニングといったことが不可欠です。本来、英語の使用能力をつけるようにプランされていない授業を、それも漠然と受けてきただけで、「学校で英語をやってきたのに全然ものにならなかった」などと嘆くのは、投資をしてもいないのに、利益が上がらないと不平を言うようなもので妙なことだと思います。外国語を習得するには誰かが教えてくれるという受動的な意識を変えることが第一歩です。そこで初めて、モノにしようという言語と自分の立つ位置との距離の測定が可能になり、その距離を埋めるための手立てを探すことが始まるのです。
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