アフリカとクマ探し


アフリカとクマ探し(上)

 昔、世界の野生動物の生態を紹介する人気TV番組があった。そこに映し出されるアフリカの大自然と、その大地で野生動物たちを守るレンジャーたちの姿にあこがれていた僕は二十年後、その夢を果たすことになる。

 平成七年末、僕はそれまでの生物学徒としての生活に終止符を打ち、アフリカへと飛んだ。青年海外協力隊の「生態調査隊員」として名も知らぬ小国へと派遣されたのだ。あの「野生の王国」が僕を待っている。僕は期待に胸を高鳴らせた。

 実際、現地には日本ではお目にかかれない雄大な自然があった。国立公園に行けば延々と森が広がり、たくさんのアフリカゾウや何種類ものカモシカたちが暮していた。美しい野鳥たちが空を舞い、川にはカバやワニが群れていた。

 「アフリカはやっぱり『野生の王国』だった」。もし僕が都市や農村で働く隊員で、休日に国立公園に遊びに来ただけだとしたら、そう確信したまま帰国していたかもしれない。

 しかし、僕の仕事は、ある国立公園の中で生活しながら勤務する公園職員だった。ある日、公園管理事務所に入った知らせに驚いた。

 「公園から出てきたゾウの群が近隣の畑を荒らしたうえ、村の娘を殺した」

 四輪駆動車で駆け付けると、そこは葬式の最中だった。村人たちは現地人職員たちに詰め寄り訴え始めた。

 「なぜ銃であのゾウたちを撃ち殺してくれないんだ!わしらより、ゾウの方が大切なのか?」

 そして僕の在任中、同様の悲劇は何度か繰り返された。

 アフリカの野生生物保護の問題というと、象牙密猟が有名だ。ただ、国際商取引の規制(ワシントン条約)のおかげで、悪質な象牙密猟は下火になっていた。その一方で木材の密採、魚や小動物の密猟は後を断たなかった。こういった類の「密猟」は周辺の村で日常の燃料や食料として消費されたり、ごく小規模の販売を目的にしていることが多い。現に現行犯逮捕者の多くは貧しい村人たちだった。

 もちろん僕は国立公園職員として自然環境や野生生物を保護し、密猟という行為を憎むべき立場にあったし、これはそれまでの僕の半生の信念そのものでもあった。しかし、娘の死を嘆き悲しむ人々を前にして、その信念が根幹から揺らいだ。

 「誰のために自然保護をやっているんだ?僕は今まで、自然環境や野生生物のことばかり考え、自然と隣り合わせで生きる人たちの暮しのことを忘れていたのではないのか?自然保護が目指すべきものって、何なんだ?」

 反省と新たな答え探しが始まった。

 国立公園のなかの自然や野生生物は、その周辺の住民たちと「密猟」と「被害」という極めて不幸な形で密接に関わりあっていた。これはこの公園に限ったことではなく、「手付かずの大自然」とか「野生の王国」というイメージは少なくとも現在のアフリカにおいては幻想に過ぎない。

 そのことに気付かされた僕の頭をよぎったのは、海の向こうの故郷・日本のことだった。不振の中でシカやカモシカの食害に苦しむ林業。サルやイノシシに荒らされた山村の畑。その一方で、森を失い、駆除で殺されていく獣たち。川や海では魚が減り続けている。

 「不幸な関係」の根本は日本でもアフリカでも同じだった。人間社会から遊離した自然環境や野生生物など存在しないし、自然から完全独立して生きている人間というのも存在しないのだ。全てを人間の都合だけで考えたり、逆に自然や生物をかたくなに保護するだけでは、どこかに歪みが出てきて当然だ。だったら、目指すべきは「共存」しかない。

 「人間も自然の一部分・自然も人間社会の一部分」これがその後のキーワードになった。

 約三年間の任期を終えて帰国した僕は、アフリカの野生動物の写真展を開催したことをきっかけに、野生生物写真家として歩み始めた。そしてある日、僕は九州で最大級とも言えるテーマに出会う。それは「幻の九州産ツキノワグマ」だった。

任地の公園に住む大きなカバとワニ。僕を写真家として目覚めさせた記念すべき1枚。

(夕刊デイリー新聞2001年3月31日「エッセーひろば」掲載)


アフリカとクマ探し(下)

 昨年春、大分県側でクマの目撃が相次ぎ、地元登山家のグループが調査を行ったという記事を新聞で見つけた。「へぇ、クマが見つかれば大ニュースだな…」このときの僕にとって、クマ問題はまだ他人事でしかなかった。

 その直後、偶然西中国山地のツキノワグマの生態を扱ったTV番組を見た。クマたちは人間の匂いや気配を注意深く避けるように行動していた。現地の著名なクマ研究者が手がけたという映像のほとんどが、無人作動か遠隔操作のカメラに頼っていたことからもその用心深さがうかがい知れる。九州にクマが現存しているとしても、数は西中国より少ないはずだ。映像や画像で記録するには、どうしてもプロの技術と経験が必要だ。

 僕はアフリカの国立公園で調査を担当していたころ、センサー付きの「無人カメラ」で動物調査をする機会に恵まれた。野生動物の調査や写真撮影では常套手段の一つだ。もともと写真の趣味があった僕はこの仕事にのめり込み、帰国後その写真で写真展を開催するまでになった。その後も技術は磨いてきたつもりだ。クマを撮るのに必要な「プロの技術」を僕は持っている。アフリカで大型動物を相手に調査してきた経験もある。

 また、ツキノワグマは自然保護論者の視点でみれば「生態系の頂点に立つ重要種」であり「絶滅のおそれのある希少野生動物」の一つだ。しかし、同時に農林業や人身に被害を与えることもある「害獣」という側面も持っている。保護と被害対策の両立の難しさは「クマの本場」本州で現実の問題になっている。祖母傾山系に本当にクマがいるのなら、周辺の住民たちがその存在を手放しに歓迎するとは思えない。そして将来的には本州各地と同様の事態が発生する可能性もある。

 僕の脳裏にあの光景が浮かんだ。ゾウに畑を荒らされ、家族を殺された村人たちの悲痛な叫び。あんなことになってからでは遅い。クマがいるのであれば、被害がでていない今のうちに「クマとどう付き合いながら生きていくか」を考え、予防策を打つ必要がある。そのためにも、まずはクマの存在そのものを確かめなくては。

 僕がアフリカで培ってきたものと九州産クマ問題が完全につながった。「クマを探そう!」僕はすぐさま準備にとりかかった。

 六月初めから七〜十日に数日のペースで福岡から高千穂町に通いながらの「クマ探し」が始まった。メインはもちろん得意の無人撮影法だ。その傍ら、ツキノワグマの生態や目撃に関する情報をひとつひとつ冷静に整理していき、「クマは既に絶滅した」とするには根拠が乏しすぎる一方で、「まだクマがいる」と仮定すればほとんど矛盾なく現状を説明できる、との結論にも達した。

 しかし、それまで経験したアフリカや福岡のフィールドとは全く異なる山独特の地形・植生・気候が僕を悩ませた。これほど苦労して、お金もつぎ込んで、もし撮れなかったら…そんな不安が心をよぎったのも一度や二度ではない。

 十月に高千穂町内で相次いでクマ目撃があったのはそんな頃だ。幸い目撃者の方たちと直接話をすることができた僕は、その証言が信用できるものだと確信した。

 また、十一月中旬には山中の地表に見たことのない四本の平行線状の痕跡をふたつ発見。これについては、今のところ「クマが爪で地面を引っ掻いた痕」以外に合理的な説明ができない。

 結局、昨年半年のクマ探しではクマ現存の決定的な証拠はつかめなかった。しかし、これまでクマ問題に無関心だった地元の方たちの間でも徐々に感心が高まっているようで、嬉しく思っている。古来の伝統と文化を誇りをもって守ってきた人々だ。必ずクマとの共存の道を見出してくれると信じている。

 山にもまた春が来た。僕の再挑戦はすでに始まっている。

アフリカ時代に無人カメラで撮影したクロサイ。本来、調査を目的とした撮影だった。

(夕刊デイリー新聞2001年4月7日「エッセーひろば」掲載)


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このエッセイは夕刊デイリー新聞(延岡市)に掲載されたもので、同社の了承を得て転載しています。このページに掲載されている文章、画像の無断転用・複製を禁じます。Copyright © 1999-2001 Tomoaki Kurihara. All rights reserved. (Revised on 24, Apr., 2001)