九州産ツキノワグマの遺物・史跡等
九州産ツキノワグマがかつてこの地に生息していたことの証となるであろう、遺物(毛皮など)・史跡(熊塚・熊墓など)を列挙したが、現物未確認のまま文献から引用したのものも多く含まれる。今後機会を見つけて順次確認作業を行っていきたい。これら生体遺物や史跡が、地域の文化財として手厚く保存されることを切望する。
| 遺物・史跡の種類 | 所有者・所在地 | 経緯 | 現状など | 文献 |
| クマの手(左前肢) | 高千穂町上野黒口・S氏 | 明治初年頃(1870年前後)に高千穂町田原付近の山で捕獲されたものと伝えられる | 爪1本欠損。長く軒下に下げられていとのことで甲の毛の擦り切れなどしているが、原型は保たれている。 | 12 |
| クマの手(左の前後肢) | 高千穂町岩戸上村・F氏 | 明治14年障子岳にて射殺 | 虫食いの跡などあるものの、原型は保たれている。 | 15, 30 |
| クマの毛皮(手の一部?) | 高千穂町岩戸惣見・S氏 | 明治時代? | 所在不明 | |
| クマの手 | 諸塚村民俗資料館 | 煙草入れに加工されたもの。諸塚村塚原の産と伝わる。 | 同資料館で展示公開されている。 | 19, 26 |
| クマの毛皮 | 椎葉村民俗芸能博物館 | 祭で使われる「山法師の被り物」。伝承では素材がクマの毛皮とされる。 | 同博物館所蔵品 | |
| クマの毛皮 | 緒方町歴史民俗資料館 | 大分県緒方町 | 同資料館で保管(現物未確認) | |
| クマの頭骨 | 不明 | 昭和7年傾山センゲン谷で射殺。緒方町上帯迫岡の熊墓(下記)に埋葬されたものを、後年加藤数功が掘り出す。 | その後しばらく大分市内で保管されていた。現在は所在不明のため調査中。 | 6 |
| クマの剥製 | 緒方町歴史民俗資料館 | 大分県緒方町で1987年に射殺されたもの。 | 同資料館で展示公開されている。(「クマ探し日記」表紙参照) | 2, 4 |
| クマの骨 | 北九州市立自然史博物館 | 同上 | 未確認だが、たぶん非公開 | 2, 4 |
| 熊塚・熊墓 | 九折越六合目 | 明治25年笠松山(宮崎県側)で射殺。 | 「祠を立てて祭る」とあるが、未確認 | 6, 32 |
| 熊塚・熊墓 | 九折越 | 明治30年ごろ傾山センゲン谷で射殺。 | 「河野社に祭る」とあるが、未確認 | 6, 32 |
| 熊塚・熊墓 | 緒方町上畑 中村 | 大正4年傾山センゲン谷で射殺。 | 「熊乃権現」と刻まれる? | 1, 6, 32 |
| 熊塚・熊墓 | 緒方町田下 | 大正13年傾山センゲン谷で射殺。翌14年、本谷山平岩谷で射殺したものも合祀。 | 流失 | 6, 32, 33 |
| 熊塚・熊墓 | 緒方町上帯迫 岡 | 大正2年九折越で罠にかかった。昭和7年傾山センゲン谷で射殺されたものも合祀? | 骨は研究用に掘り出されたとされているが所在不明(上記) | 6, 32 |
| 熊塚・熊墓 | 竹田市神原 柿の下 | 不明 | 不明 | 32 |
| 熊塚・熊墓 | 高千穂町河内熊野鳴滝神社境内 | 享保年間に高千穂町河内で射殺。病人が出たため、祠を建てて祭る。 | やや傾いているが、現存。新年に慰霊祭を行う。 | 6, 18, 20, 22, 31 |
| 熊塚・熊墓 | 宮崎・大分県境の障子岳山頂 | 明治14年障子岳にて射殺。射殺した猟師の孫が石碑を建立。 | 「熊ノ社」の石碑。現存(筆者はまだ未確認) | 6, 20, 32, 33 |
| 熊塚・熊墓 | 高千穂町五ヶ所 | 150年前?高千穂町五ヶ所で射殺。「屋敷神に熊の供養塔あり」とある。 | 未確認だが、現存すると思われる | 6, 22 |
| 熊塚・熊墓 | 高千穂町上野K氏邸 | 天保15年10月「熊つか石立くふよう相すみ候」とK氏家古文書にある。 | 2つの石祠が確認されている。 | 23 |
| 熊塚・熊墓 | 高千穂町岩戸馬生木 | 地元で「熊の墓」と呼ばれているが、由来についての詳しい伝承なし。 | 現存するが、祭式などは行われていない。 | 16, 17 |
| 熊塚・熊墓 | 日之影町乙ヶ淵 | 「猪獅子熊萬霊供養塔」 大正十年四月二十九日建立とのこと | 未確認だが、現存すると思われる | 27 |
| 熊塚・熊墓 | 日之影町高橋 | 明治七年に鹿、猪と共に供養塚を建立したとある。 | 文献27には該当する記載がない。 | 6 |
| 熊塚・熊墓 | 西米良村小川 | 碑文によると「熊供養塔 イノ年 八月十日」明治32年か? | 未確認。文献20ではクマの、文献28ではイノシシの供養塔としている | 20, 28 |
| 爪あと | 緒方町尾平の個人? | 緒方町上帯迫岡の山中で切り倒したアサダの木に爪あとがあった。 | 該当部分を丸太状に切断して保管してあった。現状未確認。 | 3, 22 |
| 足跡標本 | 未確認 | 1977年熊本商科・短期大学探検部が笠松山にてクマの足跡発見し、石膏標本として採集。 | 鑑定した渡辺弘之(京都大学)がツキノワグマと断定。 | 2, 10 |
| 足跡写真 | 未確認 | 1994年日之影町水無平の沢で鮮明な足跡(2つ、幅10cm)を発見。写真に記録。 | 新聞掲載された写真はかなり鮮明。原版を見てみたい。 | |
| 足跡標本・写真 | 高千穂町コミュニティセンター | 1999年高千穂町田井本の墓地にて地元住民が足跡2つを発見。石膏標本と写真で記録。 | 写真を見た米田一彦(日本ツキノワグマ研究所)は「クマに間違いない」とコメント。石膏標本は不明瞭。 | 13 |
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