高千穂町河内の熊塚

 祖母・傾山系には「熊の祟り」の伝説があり、熊を殺してしまった猟師やその関係者によって、その霊を鎮めるための祠や墓が建立され、慰霊祭が行われたりした。下記写真は高千穂町内に現存する熊塚の一つ。このほか、よく知られているところでは障子岳山頂などに「熊塚」「熊墓」が現存する。

 (写真1)傾いてはいるが、祠の形は残っている。祠右側に2枚重ねて積んであるのは、本来は祠の扉であるとのこと。注連縄などはここを管理されている宮司の方が、毎年正月に慰霊祭を行う際に整えるという。この宮司の証言やいくつかの文献の記載を総合すると…、享保年間(1716〜1735)に、この近くに住む猟師が役人に強要され熊を銃殺したところ、村に病人が出たため、熊の供養のため、当時の宮司によってこの祠が建てられた。射殺現場(ここから数百メートルほどのところらしい)などにも祠が建てられたが、現在はわからない、とのこと。

 

 (写真2)写真1の祠に安置されている石版の拡大写真。何やら彫られているが、肉眼でもよく判らなかった。一説には熊(下に向かって三本出ているものが、頭と前足2本?)が、猪(上半の半円形のもの)を担いでいる、とも言うが、これでは意味不明。熊の上に大きなもの(巨岩とか)を載せた「熊封じ」の意味ではないか、と栗原は推測した。

(高千穂町熊野鳴滝神社境内にて2001年11月17日撮影)

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