僕が福岡から高千穂町に通うようになったのも、後に移住して高千穂町民になったのも、紛れもなく「クマ探し」…幻の九州産ツキノワグマの探索活動のためだ。なかなか成果が出ず苦労しているし、山で猟が行われる冬季はさすがに作業規模を縮小したが、それでも毎日クマのことを考えながら過ごしている。
そんな僕のことだから、当初は「ヨカグラ」なるものに大した興味はなかった。それがこの冬、週末毎神楽宿を訪ねては、一晩で500コマのシャッターを切ることになろうとは…。
「クマ探し」を通じて知り合った高千穂町の学芸員・O氏は、毎年冬になると毎週末を神楽宿で過ごしながら高千穂神楽の調査を続けている。ビデオ映像を中心に記録資料は膨大なもので、実地で積み重ねた見聞は口述筆記だけで本になりそうだ。
そのO氏が「神楽の写真を撮らないか?」と言い出した。しかし、神楽宿では毎回多くの写真家や神楽ファンが写真を撮っている。慣れない僕がいまさらシャッターを切ることもあるまい。それでもO氏は「もっと体系的な記録写真がほしい」という。
今一つ「神楽取材」に乗り気でない僕に手渡されたのは、高千穂神楽について書かれた一冊の本。しかし、いかにも難解なその書物をだましだまし読み進むうちに、僕はある重要なことに気づかされた。
「神楽」が一種の宗教儀式であり、また「日本神話」に深く関連付けられた伝統芸能である、という点に疑問の余地はないだろう。だが、その根底にあるもの、高千穂の人々が神楽を通して伝えてきたものは、単なる宗教上の形式だったのか?
日本各地の伝統的な祭りや行事の多くがそうであるように、高千穂の夜神楽にも山の幸や田畑の稔りへの感謝、あるいは日々の安泰を願う祈りが込められている。神楽舞いの中でも、五穀豊穣に感謝する「五穀」や、狩猟文化との関わりが見て取れる「山森」などは判りやすい。「派手なタスキだ」と思っていたものは、実は女性の帯で安産祈願だという。

(シシが登場する「山森」の舞い・高千穂町河内で2002年1月)
「宗教」とか「信仰」とかいった概念すら明確でなかった時代、科学的知識も高度な技術も持ち合わせなかった古の人々が、自然の成り行きに翻弄される日々の中で出来たこと。それはただひたすら祈ることだけだったはずだ。
だからこそ、彼らは自然の森羅万象の中に「神」を見出し、それらを崇めたのだろう。そんな中で育まれていった「神を敬い、感謝し、畏れる心」。それはすなわち「自然界の万物に対する謙虚な心」と言っても良いのではないだろうか。
より複雑な形式をまとってはいても、「夜神楽」がその素朴な「心」を基に成立し伝えられて来たというのであれば、「人間と自然・生物の共存」という大テーマを掲げる僕にとっても、大変興味深い対象だ。
O氏にうまく乗せられてしまった気もするが、ともあれ今シーズン中はいくつかの地区の夜神楽を拝観しながら、試験的に撮影してみることにした。実際に本気で撮って見ると、下手な野外撮影より過酷で難しい撮影環境だ。僕が目指したい「記録として価値のある神楽写真」を撮りつつ「高千穂神楽の精神性」に迫るのは容易ではないと思うが、「クマ」とはまた一味違った良いテーマに出会えた気がしている。
(夕刊デイリー新聞2002年2月16日「エッセーひろば」掲載)
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