11月15日の狩猟解禁に伴い、僕の「クマ探し」は事実上三度目のシーズンを終えた。猟が始まると山の動物たちは山奥に逃げてしまうようだし、下手に山中をうろつけば誤射される危険もあるので、来年二月の禁猟までは活動規模は縮小だ。
だが、気を抜いている暇はない。ちょうどこのシーズンオフの期間中、別の撮影活動が僕を待ち構えている。昨シーズンから取り組んでいる「高千穂夜神楽」の取材だ。今年も11月16日押方五ヶ村地区の夜神楽で高千穂夜神楽の幕が開け、もちろん僕もその神楽宿に乗り込んだ。
昨シーズン中、夜神楽を拝観したのは全部で六地区。このうち四地区は神楽舞の全日程を拝観できた。こうやっていろいろな地区の神楽を拝観すると、「高千穂神楽」と一言で総称されるこの行事も、地区ごとにいろいろなバリエーションがあることが分かるようになった。
例えば舞の内容と順番は、もらった番付表や実際の舞の順を並べて見れば、一つとして同じ地区はないことがわかる。いや、その場の都合で変更されることもあるのでは、そもそも順番などを無闇に気にしても無意味か。
衣装も基本的に使われている物ひとつひとつ(白の着物、白の袴、素襖や千早)はどの地区も似たようなものだが、同じ舞だから同じような組み合わせで着ているかといえば、これが結構異なっている。飾り付けも同じように見えるが、細部にはかなり個性がある。
神楽の世界は「伝統」を重んじ、伝来の作法や形式をそのまま後世に伝えようとする。だが、各地区の神楽を比較するとそれぞれに違いがあり、つまりは多様性に富んでいる。なんとも矛盾する話ではないか。
個々は保守的で、ほとんど同じ形で後世に伝えられるが、元は同じであったものが地理的に分離したりすることで長い歴史の中で変化を生じ、全体的に見ると実に多様性に富む状態になる…。実は、似たような現象が別の世界に存在することを、僕は知っている。
それは、僕の本来の専門である野生生物だ。生物は皆「遺伝子」という「設計図」を後代に受け継ぐことでほぼ同じ姿の子孫を残して行く。にもかかわらず、自然環境の中で生きていく過程で数々の進化を経て、多様な生物の世界を地球上に構築し今日に到っている。
これに対し、人為的に生み出された動植物の「品種」には多様性が生じない。なぜなら、人為的な環境の中で「管理」されているからだ。逆にいえば、こういった品種であっても、野に放せばそのときから多様性は増して行くはずだ。
僕は、高千穂神楽の多様性に同じ性質を感じるのだ。たとえ「伝統を守る」という基本姿勢が貫かれたとしても、それがいろいろな地域に伝わるにつれ、地域の特性・各地の伝統文化などを吸収しながら独自の作法・形式・しきたりを派生する。また一つの地域においても、その時々の事情や考え方に基づいた意図的な変更があったり、何らかの事情による伝承の混乱が生じたりする。
伝統を守る、という観点でいけば、そういった変更や変化は歓迎できないものなのかもしれない。明らかな変更・変化は正すべきである、という意見もあるだろう。
だが僕個人は、過去の歴史の中で生じたそれらの変更や変化、そこから生じた高千穂神楽の「多様性」を、もっと前向きに考えたいのだ。高千穂神楽は一部の権力者などによって「管理された文化」としてではなく、民衆の日々の生活に根ざした「生きた文化」として伝承されてきた。高千穂神楽の多様性は、まさにその証なのだ、と。
だから、それぞれの地域に現存する独自の神楽のスタイルが、いつまでも伝承され続けて欲しいと思う。そして、僕はこれからもその「多様性」の目撃者であり続けたい。
さて、今シーズン中は、いったいいくつの夜神楽を拝観できるだろうか?
(夕刊デイリー新聞2002年11月30日「エッセーひろば」掲載)
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