神楽宿に行くと、そこにはあれやこれやと不思議な飾り付けがあったりする。「飾り付け」という俗っぽい表現を便宜上使ったが、どうやら神楽という神事の中でそれぞれ何らかの意味のあるもののようだ。その全てについて理解できたわけではないが、主だったところを説明しておこう。
神楽宿の屋根には「棟飾り(むねかざり)」が取りつけられる。棟飾りは3本(3種類)の御幣が基本のようで、写真のように両端に弓矢が飾られている地区もある。弓矢が外を向いているところを見ると、魔除けの意味があるのだろう。3種類の幣は、実際の方角とは関わりなく向かって右を東、左を西と定め、これに従って飾られている、らしい。
神楽宿の外観(2001年12月、浅ヶ部神楽の例)。屋根には仮設の千木(X字型の丸太)が載せられ、弓矢や幣が飾られている。庭に建っているのが外注連。
庭には「外注連(そとじめ)」が建てられる。見物人にとっては神楽拝観中、尻を向けている位置にあるのでピンとこないが、外注連は神楽においてかなり重要な意味があるらしい。そもそも外注連というのは、天界の「高天原」を模したもので、神楽のために神々がこの神楽宿に下りてくる場所だという。
外注連は「ヤマ」とも呼ぶ。そういえば「博多祇園山笠」などでも、飾りつけられたヤグラの類を「ヤマ」と言ったっけ。高千穂神楽の外注連は動かさないが、「神が降り立つところ」という意味は同じなのだろう。また正月飾りの「門松」も、この外注連がさらに簡略化されたものか、少なくとも同じ起源を持つのではないか、と思う。
(典型的には3本の)大竹にあしらわれた円形の飾り(浮輪)やそれに立てられた多数の御幣は宇宙を象徴しているとか。下の写真の外注連はかなり本格的で大きな物だ。こういうのを「本注連」と言うそうな。ただ、神楽宿の庭の状態によっては、より小型のものになることも少なくない。
そして、外注連と屋内の神棚の前に設けられた内注連(うちじめ)を連結している「みどりの糸」とよばれる縄(いろいろ飾りが下げられている)を経て、内注連の内側の神庭(こうにわ)に神々が降臨し、ここでほしゃ(舞人)と同化して舞い遊ぶ…ってことらしい。シロート的には、外注連がアンテナ、みどりの糸がケーブル、内注連がテレビジョンで、神庭がブラウン管…って感じだろうか。「みどりの糸」の「みどり」を「緑」と解釈する考えもあるようだが、「御通」とか「神通」とかから来ているのではないかと思う。
外注連を正面から見たところ(2001年12月、浅ヶ部神楽の例)。俵が積まれ、榊(さかき。高千穂神楽では「柴(しば)」と称される)の枝で囲まれている。写真では判りにくいが、左右には榊の大きな束が二本立ててある。これは「乗り柴」と呼ばれ、「御柴」の舞などで使われるもの。俵の上には祭壇が設けられ、餅などの供物がある。
外注連の左右から母屋に向けて張られた縄が「みどりの糸」で内注連に連結されている。中央付近から出ている縄は、神楽の終盤で舞人が引きながら舞う綱。ここでは両者が区別されているが、「みどりの糸」で両者を兼ねている地区が多いようだ。
室内の神棚の前には「内注連(うちじめ)」が飾り付けられる。四隅は竹や木を4本立てるか、写真のように家屋の柱を使い、柴(榊)を立てる。注連縄と切り紙のような「彫り物(えりもの)」で囲まれている。この内注連に囲まれた8畳分の正方形の空間が「神庭(こうにわ)」または「御神屋(みこうや)」とよばれる「聖域」。ここを舞台にして神楽舞いが披露される。一般に、女人禁制。
神棚の前に作られた内注連(2001年12月、浅ヶ部神楽の例)。この中の空間が神庭。左右に外注連から伸びる「みどりの糸」連結されているのがわかる。
彫り物は半紙(通常、2枚重ね)に型どおりに切れ目を入れた飾りで、内注連と、一般には後述の「雲」の周囲に飾られている(神楽宿の軒下に飾られていたこともあった)。いろいろな図柄(鳥居、「木火土金水」の各文字、干支ほか)があるが、型や配列がきちんと決まっていて、地区毎に微妙に違うらしい。彫り物のうち、各方角の中央には一般に「鳥居」の図柄が下げられることが多い。
彫り物の下1/5ほどの部分には上記の図柄とは別に、剣先状か短冊状の切れこみが縦に複数(3または5本くらい)入り、それぞれの下辺は切り離さずに(一般に)外に向かって垂らしてある。これは「剣」と呼ばれ、元は魔除けの剣の意味があるようだ。
なお、神楽宿の神庭においては地理的方角に関わらず、神棚側の正面を「東」とする。日が昇る「東」が正面…これは日神信仰から来た考えだろう。そして、東西南北それぞれの方角に神が宿ると考えられている。「彫り物」はそれらを象徴している「御札」みたいなものだと思う。神道の文化と言うより、陰陽道の影響のようだ。
ところで、上の写真の彫り物をよく見て欲しいが、「金」「土」の文字が裏返しになっている(写真のウラ焼きじゃないぞ)。つまりこれは「表」は内注連の内側、すなわち「神庭」に向けられているってことだ(地区により例外あり)。見物人は「ウラから覗かせてもらっている」って感じなのだ。
ちなみに神楽が行われている最中、関係者が何らかの用事で神庭を左右に横切るとき、向こう側(神棚側)ではなく、手前の見物客の目前を堂々と横切る。神楽は見物人たちのためにではなく、神に奉納するために行われている、というのが如実に判る瞬間だ。
彫り物の下に張られている注連縄には右・中・左に7本・5本・3本の房が下がっている。これは「七五三の注連」と呼ばれるものだ。その7・5・3の意味は…栗原にもまだよくわからんが、高千穂で「注連縄」といえば、この「七五三の注連」が基本で、「七五三縄」で「しめなわ」とも読むんだそうな。注連縄に下げられている紙の飾りは「注連ばしり」とか「紙垂(かみしで)」と呼ばれる「幣(へい)」の一種らしい。
彫り物の行列も七五三の注連も、内注連の四方にぐるりと張ってある。「七五三の注連」は、神社から神楽宿を結ぶ沿道にも飾られている(途中省略されていることも多いが)。
神庭の上部に吊られている四角のもの(多くは絵が描かれた正方形の布が枠に固定されたものだが、板で出来たものもあった)が「雲(くも)」で、四隅から出た綱が内注連の四隅に固定されている地区が多い。ただし、天井の低い民家ではこれが吊るせない事もあり、天井の低い家が多いある地区では、略式の「雲」が使われている。
「雲」は必ず吊り縄を操作して上下できるようになっている。夜神楽最終番付「雲降」でこれを降ろして神楽は終焉する。その際、雲の上に仕込まれた「紙ふぶき」が舞い散り、華やかな演出になっている。だが、雲も「雲降」の番付もない地区もあった(天井が低かったので吊るせなかっただけかもしれないが…)。「雲」は「天界」を象徴しているのではないかと思う。だとすれば、雲を下ろすのは「天地の融合」ってことかいな?
内注連の上方に吊るされた「雲」(左は2001年12月の浅ヶ部神楽、右は2002年11月の上永之内の例)。浅ヶ部では雲龍が描かれた正方形の布が、彫り物で縁取られた枠に固定されている。上永之内では、日月星の図柄の入った正方形の板が下げられ、彫り物ではなく注連縄で縁取られている。内注連とつないでいる縄も前者では四隅にあるが、後者では八方に張られている。
これは野方野神楽で使われている略式の「雲」で、御幣や供え物を天井に固定している。そこから内注連に8本の注連縄が伸びる。神庭の中央には2畳分のムシロが敷かれ、これは正方形の「雲」に代わる物、とのこと。(2002年12月)
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