(下野八幡神社)
| 拝観日 | 場所 | 備考 |
| 2002/11/22-23 | 佐藤某氏邸 | 後半のみ拝観 |
2002年11月22〜23日(「自然派宣言!/クマ探し日記」より抜粋)
(前略) (福岡から)そのまま車で高千穂へ向け走る。夜7時半ごろ高千穂着。このままこの夜開催される夜神楽の会場にかけつけるつもりで準備はしてあったが、さすがに疲労を感じて一旦帰宅。仮眠を取った後、9時ごろから改めで出かけた。
だが案の定、神楽宿はものすごい混雑だ。連休に加えて、先週の初日の夜神楽のことが新聞・TVで紹介されたばかり。この夜は3集落の夜神楽が重なり、さらに高千穂神社のお祭りも行われているので、お客さんはもう少し分散するかと思ったが、僕が選んだ神楽宿は町の中心に一番近いと言うこともあってか、観光客が集中したようだ。
人混みの後ろから撮影にトライするが、どうにもならない。あきらめて焚き火の横でカッポ酒を飲みながら、地元のオジちゃんや観光客のみなさんと雑談。僕はすっかり「よしゃくモード」(「よしゃく」というのは、方言で飲食のもてなしの事)。横浜から来たという女性客はよほど高千穂が気に入ったのらしく「高千穂で嫁のもらい手はないか?」というので、「貧乏写真家でよかった、ここにひとりおるんだが…」と立候補したのだが、悲しいかな引かれてしまった…。
深夜になってもなかなか客が引かず、僕がカメラバッグを抱えて神楽宿に入れたのは、午前3時を回っていたと思う。なんとか神庭の横に座れたのでやっと撮影開始。だが、福岡帰りの疲れに、たらふく飲んだカッポ酒が効いて、ピントがなかなか合わない(僕のカメラはオートフォーカスではない)。明け方の冷え込みは緩かったが、怒涛の睡魔にカメラを抱えてウトウト。なんとか目をこじ開けながら最後まで撮影。終了したのは9時ごろだったか。
(後略)

終盤で披露された「五穀」の舞
| 番付表 | 実際の順番 | ||
| 1 | 彦舞(ひこまい) | 1 | 彦舞(18:00開始) |
| 2 | 大伊殿(おおいどの) | 2 | 大殿 |
| 3 | 神(かみ)おろし | 3 | 神降 |
| 4 | 鎮守(ちんじゅ) | 4 | 鎮守 |
| 5 | 杉登(すぎのぼり) | 5 | 杉登 |
| 直会(御神酒) | |||
| 6 | 地固(じがた)め | 6 | 地固め |
| 7 | 幣神添(ひかんぜ) | 7 | 幣神添(前半) |
| 道化荒神 | |||
| 幣神添(後半) | |||
| 8 | 本花(ほんはな) | 8 | 本花 |
| 9 | 地割(じわり) | 9 | 地割 |
| 10 | 八ツ鉢(やつばち) | 10 | 八鉢 |
| 11 | 岩(いわ)くぐり | 11 | 岩潜り |
| 直会(夜食) | |||
| 12 | 住吉(すみよし) | 12 | 住吉 |
| 13 | 弓正護(ゆみしょうご) | 13 | 弓正吾(=弓正護) |
| 14 | 御神体(ごしんたい) | 14 | 沖会(=沖逢) |
| 15 | 沖逢(おきえ) | 15 | 酒漉し(=御神体) |
| 16 | 七貴神(しちきじん) | 16 | 七鬼神(=七貴神) |
| 17 | 山森(やまもり) | 17 | 山守(=山森) |
| 18 | 大神(だいじん) | 18 | 鞭神添(=武智) |
| 19 | 武智(ぶち) | 19 | 大神 |
| 20 | 太刀神添(たちかんぜい) | 20 | 大刀神添(=太刀神添) |
| 21 | 袖花(そではな) | ||
| 22 | 御柴(おんしば) | 直会(御神酒) | |
| 23 | 柴引(しばひき) | 21 | 柴引 |
| 24 | 伊勢(いせ) | 22 | 伊勢 |
| 25 | 手力男(たぢからお) | 23 | 大力男(=手力男) |
| 26 | 鈿女(うずめ) | 24 | 鈿女命(=鈿女) |
| 27 | 戸取(ととり) | 25 | 戸取 |
| 28 | 舞開(まいびらき) | 26 | 舞開 |
| 29 | 五穀(ごこく) | 27 | 五穀 |
| 30 | 日の前(ひのまえ) | ||
| 31 | 注連(しめ)ぐち | 28 | 注連引 |
| 32 | 繰下(くりおろ)し | 29 | 繰下し |
| 33 | 雲下(くもおろ)し | 30 | 雲下し(9:00頃終了) |
上表左欄は、現地で配布された下野地区専用の番付表を参照。本文にある通り、まともに拝観できたのは後半のみ(上表右欄のデータ提供は高千穂町教育委員会・緒方氏)。順番はほぼ番付表に従っているが、途中3番が省略されたようだ。なお、番付表と神楽宿で表示された各演目の表記がかなり異なっていた。
番付表の特徴としては、一般に中盤で舞われる事が多い「五穀」が、「岩戸五番」の後に来ていたこと。これは農耕に関わるこの舞を重視するこの地区の特徴らしい。
神面と共に神楽宿に招かれる神社の御神体は、一般には神棚に上げられ「岩戸五番」の際に「岩戸」の影に置かれたり神事の際だけにご開帳されたりする事が多い。ところが、ここでは終始神棚の手前中央の床にご開帳された状態で置かれ、前には常に蝋燭1本が灯されていた。
外注連には大竹が立たず、「浮輪」に立つ多数の御幣ひとつひとつが、かなり大きな物だった。楽奏では、なぜかあまり笛が使われていなかった(一部の舞では、非常に上手い笛が入っていたのだが…)。かわりに他所ではあまり見かけない「むらし」と呼ばれる小太鼓(小刻みに軽く打つ)が使われていた。
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