「高千穂神楽は日本神話を舞で表現したもの」…なんとなくそんなふうに思っている人は多い。かくいう栗原だって、実際にホンモノの夜神楽をちゃんと拝観するまではそう思い込んでいた。「観光神楽」を拝観するとその思い込みはさらに深まり、神楽宿でもらった「番付表」に掲載されている「命付け(みことづけ)」(各番付の舞を最初に舞った神様の名前、とされている)に日本神話に出てきそうな名前が並んでいるのを見て、思い込みは頂点に達する。だが…ここが初心者カグラーの最初の「つまづき所」だ。
まず最初に「日本神話」とはどういうものか、を再確認しておこう。国語や歴史の授業で習った奈良時代の古文書「古事記」(西暦712年)や「日本書紀」(720年)、そして各地の「風土記」(700年代?)にまとめられ、神々によって日本(の国土と政権)が形作られる過程を表現した神話のことだ。
「古事記」は全体が一本化された物語に編集されているが、「日本書紀」はあちらこちらに伝わる神話を寄せ集めて羅列したもので、似たような話が違う表現で何度も出て来るし、「古事記」とは内容が必ずしも一致しない。「風土記」は各地に残る神話を地域ごとにまとめたもの(現存し内容が確認されているのはごく一部のようだ)で、これまた「古事記」や「日本書紀」の内容に必ずしも沿っているわけではない。そんなだから日本神話は、例えば旧約聖書のように一本化された話として残っているわけではない、ということだけは理解しておこう。
さて、日本神話のストーリーを題材にしたと考えて良いであろう舞が、高千穂神楽に存在するのは確かだ。その代表が「岩戸五番」と呼ばれる終盤の山場。実際には5〜7番で構成されているが、そこに描かれているのは日本神話の中でも有名な「アマテラスの岩戸隠れ」の話だ。「古事記」に書かれている「岩戸隠れ」のあらすじは…
| 弟神・スサノオの悪行に困り果てた太陽神・アマテラス(天照大神)が「天岩屋戸」の中に閉じこもってしまい、天地は暗闇となり災いが続いた。困った他の神々は話し合い、対策を練った。知恵者・オモヒカネ(思兼命)の案により、鶏を鳴かせたり、まが玉の数珠や鏡を作て天香具山から抜いてきた榊に飾り付けたり、祝詞を唱えたりした。女神・アマノウズメ(天鈿女命)は岩屋の前でタスキやカツラをつけ、伏せた桶を踏み鳴らしながら踊り狂い、胸元を露わにし、衣の紐も股まで下げ垂らして舞い、その様子に皆が笑いどよめいた。不思議に思ったアマテラスが岩戸を少し開けて外を覗いたとき、そばに隠れていたタヂカラオ(手力雄命)がアマテラスを外に連れ出した…。 |
さて次に、夜神楽番付表の代表例である高千穂町(三田井地域向け)と天岩戸神社(岩戸地域向け)がそれぞれ制作・配布しているものから、これに該当する部分(いわゆる「岩戸五番」)の説明を抜粋して見よう。
| 三田井(カッコ内は命付け) | 岩戸 | ||
| 伊勢神楽 | (天児屋根命)岩戸を探る舞で、岩戸開きの準備である | 柴引 | 太玉命が香久山より榊をひき帰り岩戸の前に飾り給う舞 |
| 柴引 | (天香語山命)天香久山から柴を引き岩戸の前に飾る | 伊勢 | 天児屋根命岩戸開き準備の舞 |
| 手力雄 | (手力雄命)天照大神がかくれている天岩戸を探しあてるところ | 手力 | 手力男命、大幣を以って、天照大神の御岩屋を探り給う舞 |
| 鈿女 | (天鈿女)天岩戸の前の舞 | 鈿女 | 鈿女命が身振り面白く天照大神を誘い出させる舞 |
| 戸取 | (戸取明神=手力雄命)天岩戸を開き天照大神に再び出て頂く 又これで世の中が明るくなった | 戸取 | 手力男命が岩の戸を取り払い給う舞 |
| 舞開 | (手力雄命)ついに天岩戸を開き天照大神に出て頂いたので鏡を両手にもってよろこび祝う舞 | 舞開 | 思兼命が天照大神の神手を取りつれ出し給う舞 |
| 日の前 | (天児屋根命・猿田彦命・思兼命・天鈿女命)外注連を祭り天照大神の出御を祝福する | ||
ちなみに、伝承ではこの神話にあるウズメの舞こそが「神楽舞」の起源…ということになっているのだが…神話の中に描写されているウズメの舞は、どっちかっつーと…マセたコギャルどもが都会のクラブ(最近は「ディスコ」とは言わないそうで…)で、親が見たら卒倒しそうなセクシーファッションに身を包み、「イェ〜イ!」とかなんとか叫びながら踊りまくっている様…に近い。いや、これこそが日本初のストリップショーである、なんて話もある。(注:ウズメの名誉のために言っておくが、神話にある岩屋の前でのエロチックな舞は、あくまでアマテラスを誘い出すための、まさに身体を張った一大パフォーマンスなのである。)
それが神楽の「鈿女」の舞で大人しくまとめられているのは、個人的にとっても不満。かといって、男性である神楽の舞人に脱がれても困るのだが…。
夜神楽での「鈿女」の舞。当然、脱いだりはしない。(2002年11月、押方五ヶ村にて)
そういった細かい異同はともかくとして、上記の「岩戸五番」の舞がこの「岩戸隠れ」神話を元に構成され、実際の舞にもそれなりにその内容が反映されているのは、たぶん事実だろう。
では高千穂夜神楽の全演目に渡ってこの調子か、というと…全くもって「否」である。日本神話の内容が神楽舞の中に反映されていると思われるのは、上記の「岩戸五番」の他には「スサノオのオロチ退治」を題材にしていると言われる「蛇切(じゃきり)」の舞(岩戸地域のみ)くらいだろう。
大蛇(右)に向かって太刀を振りかざすスサノオ(2002年12月、岩戸五ヶ村神楽「蛇切」)
他に各演目単位で比較的ストーリー性が強いものとして、「御神体」の舞がある。夫婦神が「酒こし」をし、その酒(ドブロクのようなものだろう)を飲んで酔っ払う。そして双方とも見物客に浮気相手を求めるが、その度に相方の嫉妬で止められる。ようやく夫婦神は仲睦まじく「合体」におよび、最後は酔いつぶれた男神を女伸が起こして連れ出す…。地区によってストーリーの段取は多少異なるが、いずれも「命付け」は「日本神話界のアダムとイブ」こと、イザナギ&イザナミと言うことになっている。
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「御神体」の舞で男神(赤面)が女性客に迫り、女神(白面)がそれを引き止めようとしている場面。(2002年11月、押方五ヶ村神楽にて)
「御神体」の舞で夫婦神が合体する場面。神楽宿は爆笑に包まれる。(2002年11月、押方五ヶ村神楽にて)
だが、「御神体」に描かれているような場面は「古事記」にも「日本書紀」にも出てこない。仮に「御神体」が神話の中のイザナギ・イザナミの性交の場面を表現しているとしたら、これは神話の最初のほうの「国生み」という極めて大切な部分に関わっているのだから、神楽でも序盤に相当重要な位置付けで舞われていないとおかしい。だが、そうはなっていない。この神話を元にした舞、というよりも、神話の中で比較的露骨に両神の性交の描写がなされていることと、この舞のエッチな内容とが結びついた、のだろうと思う。
この他、比較的ストーリー性のある「七貴神」(親神・オオクニヌシが子神たちに舞を教える様子、とされている)などにしても同様で、神話を題材にした舞とは言いにくい。
「七貴神」の舞。左の親神が右の子神に舞を教えている、という。(2001年12月、浅ヶ部神楽)
その他の番付に到っては、単調な舞の動きを反復するものが多い。「四方割り」という東西南北の神々に同じ舞を各4回奉納する形式が多く用いられていたり、小道具を取り替えながら似たような所作を繰り返したりすることから見ても、もともとそれがストーリー仕立ての「舞劇」ではく、純粋な「神事舞」であったと見て良いと思う。結局、「命付け」以外に「日本神話」との関連性を見出すのは難しい。
それどころか、「命付け」に強い矛盾を感じることもある。
式三番の一つ「杉登」は、素面2人舞を前後に分け、その間に神面1人舞「入貴(鬼)神の舞」が挿入される地区が多い。この入貴神の「命付け」は地区によってタケミカツチやスサノオと言われているようだが、そういった「命付け」とは無関係に各地区の氏神を表徴する神面が多用されたり、地区によってはこの部分を氏神の名をつけた独立の番付として舞う。こういったことを冷静に考えれば、「入貴神」は本来氏神の降臨を表現したものであろうことが推察できる。タケミカツチやスサノオを氏神として祭っているのならともかく、この命付けには無理があると思う。
野方野神楽の「杉登」に登場した「入貴神」。「命付け」はタケミカツチ命とされているが、氏神・石神神社(別名・牛神大明神)の「牛神さま」の面が使われている(2002年12月)
…となると、「岩戸五番」(と岩戸地域の「蛇切」)だけが<例外的に>日本神話を直接の題材にしている、ってことになるのだが…
実は、町内に残るある古文書(江戸時代後期の安政3年)によると、高千穂神楽は「岩戸五番」を除く27番で構成されていた、とされているそうだ。実のところは良くわからないが、今日同様33番が記されてるもっと古い他の文献では「岩戸五番」にだけ独立に「第一番・第二番…」と番付が与えられていたりもする(これは今日でも一部地区ではそのような数え方が残っている)。もともと祈願・祈念の意が込められているその他の演目と、そういった意味を持たず舞劇に近い「岩戸五番」を異質なものと見る意見は多い。
「岩戸五番」の内容を見ても、「伊勢(神楽)」と「手力雄(手力男)」で使われる「岩戸幣」という大型の御幣が他で使われる御幣と明らかに異質なものであったり、両舞の振り付けが全く同じである事はしばしば指摘されている。大体、ナンデ「岩戸」に「伊勢」なのか?「岩戸神話」の中における位置付けも意味不明である。ついでに「柴引」と「戸取」の舞も酷似する地区が多い。何やら無理やりどこからか持って来たり創作した感も、なきにしもあらず…。いつの時代に、どういう経緯だったかは不明だが、「岩戸五番」は、後に創作されるなどして「追加されたもの」と考えて良いのだと思う。
それに、神話をベースにして高千穂神楽が成り立っているとすれば、少々不自然な点がまだある。
日本神話にある「天孫降臨」の話は、アマテラスの孫(=天孫)であるニニギが、乱れた地上界を治めるために地上に降り立つシーンだ。その降り立った地こそが「高千穂」なのだから、何よりも先にこの話こそ高千穂神楽の題材になってしかるべきだろう。しかしこの神話を表現していると解釈されている演目はないし、「命付け」の中にニニギの名すらないのだ。あえて言えば、天孫降臨の神々を案内した地上の神・サルタヒコが神楽の冒頭「彦舞」で登場する地区が多いが、「道先案内の神」として他の神々を導く意味があるとしても、これが天孫降臨の神話を表現しているとは考えにくい。
こういった点から考えれば、高千穂神楽は「日本神話」とは元々無関係に発達した民俗芸能で、後に日本神話と関連付けられたと理解すべき、ということになる。「岩戸五番」以外の「命付け」は「後付け」、悪く言えば「こじ付け」だろう。夜神楽に詳しい関係者たちの間でも、これがほぼ一致した見解のようだ。
もちろん、地域の伝統文化として高千穂神楽を考えるとき、伝承は伝承として大切にしていってもらいたいと思う。たとえ、それが客観的に見て矛盾していようが、違和感があろうが、伝承者たちの本意に従えば良いのだ。
ただ、観光カグラーに闇雲に「この舞は日本神話のどの部分なのですか?」と聞かれても、こっちは困る。高千穂神楽に「神話のロマン」を求めるのは各人の自由だ。しかし少々無理のある「日本神話」との関連付けはあまり気にしないほうが、かえって夜神楽の世界は深く味わえる…と栗原は思っている。
「日本神話」は、あくまで西暦700年代の奈良時代の文書が拠り所になっている。その元になった神話は、さらに遡る古いものであるはずだが、文書としては旧約聖書などよりはるかに新しいのだ。
神楽の起源は、(形式的な部分はともかく)時代的にも精神的にも、もっともっと深遠なところまで遡るのではないか?それは恐らく、日本人の「原初的な祈り」の起源と同じところにある。
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