短編小説

レオンの冒険

作・解説;栗原智昭


 「あなた、あなた、起きて下さい。」

 夕方、インパラの食事にありついた後、気持ち良くまどろんでいたジョセフは妻に揺すり起こされ目を覚ました。

 「どうしたんだ、マリア?」大きなあくびをした後、不機嫌そうにジョセフは答えた。

 「ちょっと目を放した隙に、またレオンがいなくなってしまったんです。」

 「仕方のない奴だ。また人間のところに行ったな。」

 「少しきつく言ってやって下さいな。最近、あの子ったら人間に興味を持ってしまって…。」

 「最近の人間は、そう滅多に『火の棒』は使わないさ。」

 「そうは言っても『雷の獣』に襲われでもしたら…。」

 「ちょっと様子を見てくる。大方また『光の場』辺りだろう。」

 ジョセフは立ち上がり、豊かなたてがみをひと振りさせると、『光の場』に向かってゆっくり歩き始めた。

 「パパ、お出かけ?」 末の娘が目を覚ましたようだ。

 「おまえ達はママとここにいなさい。」 父親は妻と3匹の娘を薮のなかに残し、闇の中に消えていった。

 


 ジョセフはまばらに木が生える林の中を、茂みに身を隠すようにしながら注意深く歩いて行った。彼が人間の道にさしかかったとき、左のほうからけたたましい音を伴って光の筋がこちらに向かって来るのに気が付いた。ジョセフは反射的に薮の中に身を伏せ、息を潜める。

 ゴォーーーッ…

 『雷の獣』とその背中に乗った5人の人間は、ジョセフに気付くことなく通りすぎて行く。ジョセフは様子を伺いながらやり過ごした。

 「まったく不思議な奴だ。人間が背中に乗っている時だけ激しく動き回り、夜は目を光らせる。おまけに生き物としての気配がない。」

 『雷の獣』が撒き散らした臭い息と砂ぼこりが落ち着くのを待って、ジョセフは再び身を起こし、歩き始めた。

 途中『光の場』の方から飛んできたフクロウを呼び止めた。

 「ホーウ…、『光の場』の傍で見かけたのは、あんたんとこの息子さんだったのかい。東側の薮から『光の場』をうかがっているよ。…まったく無茶な子だねぇ。ちゃんと仕付けとかないと、いつか人間に殺されちまうよ!」

 ジョセフはだまって『光の場』の東側へ向かった。


 ひと月ほど前、一人で冒険に出たとき、レオンは初めてこの『光の場』を見つけた。そこは夜でもまるで真昼のように明るく、人間達が夜遅くまでたむろしては食事をしたりしながら過ごしている。辺りには人間たちの寝床もあるらしい。付近には『雷の獣』も休んでいる。幼いレオンにとってここは限りない興味を掻き立てられる、不思議な場所だった。

 「どうしてこんなに明るいんだろう?人間たちは毎晩ここで何をしているんだろう?何かを食べているようだけど、僕たちみたいにインパラの肉を食べているのかなぁ…。」

 もっと近づいてみたい衝動に駆られつつも、「人間に近づくな。殺されるぞ。」という父の戒めがそれを引き留めていた。

 「レオン。」 突然背後から呼びかけられ、レオンは身をすくめた。それから恐る恐る振り返ると、暗闇の向こうから父のにおいがした。 「なんだ、パパか。」

 「なんだじゃない。人間には近づくなと言ってあるだろう?それにひとりの時はもっと背後に気を配れ。」

 「ごめんなさい、パパ…。」

 「帰るぞ。ママが心配している。」

 父に諭され、レオンはしぶしぶ引き返すことにした。

 父の後について歩きながら、レオンは考えていた。なぜ両親や他の獣たちはそれ程までに人間を嫌い、恐れるのだろうか?レオンにはいま一つ、納得がいかなかった。

 「ねぇ、パパ。人間って本当に怖い生き物なの?あの『光の場』にいる人間たちは、獣を殺したりしないよ。」 

 「このあいだ、ミハエルさんの一家が『雷の獣』に乗った人間たちに追いかけ回された話を忘れたのか?」

 「それはそうだけど、誰も殺されはしなかったんでしょう?そりゃ、追いかけ回されるのは嫌だけど…。『火の棒』も使わなかったって言うし…。パパだって見たことないんでしょう?『火の棒』が火を吹くところを。」

 「ああ、確かにそうだ。しかし、おまえのひい爺さんは『火の棒』で殺されたんだ。人間なんて何をしでかすか、分かったもんじゃない!」

 父の言葉にレオンは何も言えず、黙って父の後について歩いて行った。

 


 翌日、一家は暑い日差しを避け、薮に囲まれた木陰でくつろいでいた。子供たちは母親に寄りかかったまま寝息を立て、母はそんな子供たちの顔を眺め、やさしく微笑んでいる。

 「なぁ、マリア。」

 「何ですか、あなた?」

 「レオンの奴を次の満月の夜に、エレンばあさんと『神様』に会わせようと思うんだが…」

 「えっ?」 妻は少し驚き、振り返ってジョセフの顔を見上げた。

 「ちょっと早すぎはしませんか?やはり『たてがみの儀式』まで待ったほうが…」

 「私もそのつもりでいたんだが…。この子の人間への興味は並大抵ではなようだ。このままではいつ何が起こるか分からん。それに…私はこの子に私たちとは少し違う『何か』を感じるんだよ。この子はちょっと特別かもしれん。」

 「そうですねぇ…あなたがそうおっしゃるのなら…」

 「明日、私から話すことにするよ。…さて、すこし眠るとするか。」

 辺りの草原では、つむじ風が砂塵を巻き上げながらダンスを繰り返していた。

 


 その夜、いつになく物静かな父の後をついて歩きながら、レオンはこれから会いにいく相手が余程特別な存在であることを悟っていた。葉を落とした乾期の森には、満月の明りが差し込んでいる。

 「エレンさんって、誰なの?」

 「この辺りに住むゾウの長老だ。私の何倍もこの世に生きている。」

 「ゾウって怒らせたら怖いんでしょう?」

 「ああ。でも普段はおとなしい動物さ。レオン、連中を怒らせるんじゃないぞ。」

 しばらく歩くと前方の森の中に巨大な生き物たちの気配が漂ってきた。ジョセフとレオンが近づくにつれ、ゾウたちはざわめき始めた。

 「ライオンだ!近づいてくるぞ!」

 「子供たちを奥へ!」

 ゾウたちが騒然となりかけたところで、ジョセフが口を開いた。

 「騒ぐな。狩りに来たんじゃない。」

 ゾウたちはじっと睨むように父子のライオンを見下ろしている。

 「じゃあ、何をしに来たのさ!用がないのならとっととお帰り!!」

 一頭の母ゾウの荒々しい声にレオンは身が縮む思いがした。

 「エレンばあさんに会いたい。いるかね?」

 「エレン様に?」

 すると群れの奥からひときわ大きい黒い陰がぬぅっと現われ、他のゾウたちが静かに道を開ける中をゆっくりと進み、ジョセフたちの前で立ち止まった。レオンはそのゾウのあまりの大きさに、腰を抜かしそうになりながら父の後足の後ろに隠れた。

 「お久しぶりだねぇ、ジョセフ。相変わらず見事なたてがみだこと。」

 「ばあさんも元気そうだな。」

 「ブフォフォッ、なあに、あんた達の餌になる日もそう遠くはないさ。老いぼれの肉なんぞ、うまくはないだろうがねぇ。」

 「息子を連れてきた。レオンだ。」

 「おや、かわいらしい。初めまして、レオン。」

 「は、始めまして…エレンさん。」

 「実はレオンを『神様』に会わせたいと思ってね。」

 「おや、少しばかりおちびさんだけど、いいのかい?『たてがみの儀式』もまだだろうに。」

 「この子はちょっと変わり者でね。早いほうがいいと思うんだ。」

 「まぁ、あんたがそう言うのなら、構わないだろうよ。」

 「今からいいかい?」

 「ついていらっしゃい。」

 エレンは振り返り、見守るゾウたちの間を抜けるように歩き始めた。ジョセフとレオンがそれに続くと、ゾウたちはいっそう広く道を開けた。

 「エレン様、今から『神様』のところへ?」

 さっきの母ゾウが、前を通りすぎようとするエレンに心配そうに声をかけた。

 「『神様』にお会いできるのは満月の夜だけだからねぇ。」

 「お気を付けて。こいつらに気を許さないでください。」

 「分かってるわよ。ブフォフォフォッ…」

 エレンは鼻を軽く鳴らして笑い、そのまま群れを抜けて行った。

 


 「ねぇ、パパ。エレンさんって、大きくておっかないかと思ったけど、本当は優しいんだね。」

 「ああ。」

 最初怖がっていたレオンも、ようやく落ち着きを取り戻し、ジョセフとならんでエレンに案内されるまま歩いて行った。

 3頭は、すでにレオンがこれまでに来たことのない森に入っていた。この辺りは今まで歩いてきた林より木が繁っており、満月の光を遮りはじめた。そして、所どころに幹が異様に太い木が目立ち始めた。

 「どこまで行くの、パパ?」

 「もう少しだ。黙って付いてきなさい。」

 間もなく、森の向こうにひときわ明るく月に照らし出されている所が見えてきた。その辺りだけ開けているようだ。3頭は間もなく森を抜け出て、その広場に出た。

 そこでレオンは目の前の光景に思わず息を飲んだ。広場の中央には、レオンが今までに見たことのないほど太く巨大な木が小山のようにそそり立ち、ずっしりと根を下ろしている。その大きさに、前に立ち止まったエレンでさえ小さく見える程だ。樹皮は月に照らされて美しい白い輝きを放っていた。 「すごーぃ…」レオンはため息をもらした。

 「静かにしなさい。これが『神様』だ。」

 「えっ、この木が?!」

 巨木に向かい、静かに呼吸を整えていたエレンは、その長い鼻をゆっくりと持ち上げ、天に向かって高々と差し出した。そして再びゆっくりと木のほうへ傾け、鼻の先で優しく撫でるように巨木の幹に触れて、静止した。エレンはそのままの姿勢で何かを唱え始めた。辺りを静寂がつつみ、強い緊張が、レオンの小さな身体を押しつぶしそうだった。

 エレンが再び黙り、少しの間を置いて大きな深呼吸をした。すると不思議なことに、風もないのに辺りの木々が小枝を震わせ始めた。

 ザワザワザワザワザワザワ……

 レオンは全く動じる気配のない父の足の間に隠れ込み、身体を小さくした。

 「いったい何が起るんだろう??」 とレオンが思ったとき、前の方から光が差し込み、みるみる強くなり始めた。恐る恐る顔を上げたレオンの目には、あの巨木が太い幹から先端の細かい枝にいたるまで煌々と光を放つ不思議な光景が飛び込んできた。レオンには何が起こったのか見当も付かなかった。ただ、今までに見たこともない光景に呆然と見とれていた。

 光は眩いばかりの強さにまでなった後、またゆっくりと弱くなり、月灯りに似た優しい明るさとなって落ち着いた。エレンは鼻をゆっくりと下ろしたあと、木から一歩退いて語りかけ始めた。

 「『神様』、お目覚めでしょうか。エレンでございます。2頭のライオンたちがあなた様にお目にかかりたいと申すもので、連れてまいりました。」 すると、木の幹の中から、とても優しく澄んだ声が響いてきた。

 「エレン、ありがとう…あなた方ですか…私に会いに来たというのは…」 

 「『神様』、大変ご無沙汰いたしております。南の丘のジョセフです。」 

 「ジョセフ…元気そうで何よりです…」

 「今夜は息子のレオンを連れてまいりました。」

 「おお…先日おしゃべりのカラス達の間で噂になっていた子ですね…ずいぶん冒険好きらしいですねぇ…なんでも人間に興味を持っているとか…」

 「はい、正直言って手を焼いております。実はそのことでレオンに『神様』の教えを授けて頂きたく、連れてまいりました。」

 ジョセフはこれまでのレオンの毎日を神様に説明した。

 「分かりました…よろしいでしょう……レオン…初めまして…私はこの森の生き物たちから『神』と呼ばれているバオバブの木です…」

 「は、はじめまして…」

 レオンは自分が木と話をしているという事実に、強い戸惑いを隠しきれなかった。

 「驚くのも無理はありません…私たち木や草は、ふだんあなた方獣たちとは話ができません…私たちの声はあまりに小さく、あなた方の心に届かないのです…しかし、私のように歳をとり、大きくなると…エレンのような者の力を借りることで、話ができるようになるのです…」

 「は、はいっ。」

 「さて、レオン…あなたはずいぶん人間に興味を持っているようですね…そのために度々冒険に出かけては、ジョセフやマリアに心配をかけている…」

 「はい…悪いとは思ってます。」

 「あなたは、人間のどんなところに興味を感じているのですか…?」

 「ぼ、僕は…人間たちが僕たちとずいぶん違った生活をしていたり、変な道具を使ったりするのが不思議で…けどパパたちが言うように人間がとても怖くて、危険な生き物だとは思えないんです。本当は…本当は、友達になれるんじゃないか、って…」

 隣で父が怖い顔をしているのが分かった。しかし、『神様』の声は優しく語りかけてきた。

 「そうですか…それではこの土地の生き物と人間たちとの関わりについて、すこし話してあげましょう…」

 


 「…あなたも『火の棒』や『雷の獣』のことは知っていますね?…しかしかつて…あなたからすれば気が遠くなるほど昔のことですが…人間たちは『火の棒』も使わず、『雷の獣』を走らせることもありませんでした…あの頃の人間たちは、あなた方獣たちと対等で…ライオンが人間を襲うこともあれば、人間がライオンを倒すこともある…そんな時代だったんです…その頃の獣たちと人間たちはお互いを尊敬しあい、決して無駄な殺し合いをすることはありませんでした…それに人間たちもお互いを傷つけ合うこともあまりありませんでした…

 …しかし、この土地に白い人間たちがやってきた頃から、少しづつ様子が変わり始めました…彼等は『火の棒』を使い、離れたところからでも自由に獣たちを殺すことができたのです…『火の棒』を前にしては、この土地で最も勇敢だった北の森のライオンたちも、一番の乱暴ものだった南の原のゾウたちも歯がたたず、次々に血を流して死んでいったのです…

 …白い人間たちは食べるためだけではなく、時には毛皮や角、牙、羽を持ち帰り、飾るために獣や鳥を殺していきました…また彼等は次々に木を切り倒し、そこを自分たちの食べ物を得るための土地に作り変えていきました…白い人間たちは、黒い人間たちを獲物のように狩ることさえあったのです…黒い人間たちもお互いを妬んだり、憎しみ合うことを覚え、なにより私たち森の木々や獣たちに対する尊敬の気持ちを失い、いつしか白い人間たちと同じように木を切り、獣たちを殺すようになったのです…

 …その後『雷の獣』が走り回るようになり、これに乗った人間たちはよりいっそう獣たちを殺し、森の木々を切り倒していきました…森は狭まり獣たちは減り、私たちは息を潜めるように生きていかなくてはならなくなったのです…

 …ただ、この辺りは、土地が人間たちの好みに合わなかったらしく、かろうじて森と草原が残りました…その後しばらくして、人間たちはこの土地の外側に囲いを作り、人間の世界と私たち木々や獣たちの世界を区別するようになりました…それ以降、この土地を訪れる人間がへり、鳥や獣が殺されたり、木が切られることが少なくなりました…こうして、この土地に、今あなたが知っているとりあえず平和な時代がやってきたのです…

 …今この土地を訪れる人間たちの多くは、たとえ『火の棒』を持っていても、滅多に使いはしません…あなたが『光の場』で眺めているという人間たちも、獣や鳥を狩りに来ている訳ではありません…しかし、囲いの辺りでは外から入って来る人間たちがしばしば獣を獲り、木を切り倒しています…その辺りでは、時にはこの土地を守ろうとする人間たちと、犯そうとする人間たちとの間にいさかいが起こっています…」

 レオンはいつの間にか『神様』の話に聞き入り、先程まで感じていた違和感を忘れていた。

 「じゃぁ、この土地の周りの囲いの外には、もっとたくさんの人間がいるのですか?」

 「そう…囲いの外には人間たちの世界があります…そこにはたくさんの人間たちが暮らし、人間たちが作った人間の食べる草や木が生える土地が広がりっています…そこにはあなたたちが暮らして行けるような、森や草原は残っていません…」

 「人間は森がなくても生きて行けるのですか?」 レオンは次々と心に浮かんでくる疑問を『神様』に投げかけ始めた。

 「…少なくとも…今の人間はそうです…」

 「でも、この森や草原を守ろうとしている人間もいるんでしょう?」

 「…確かにいます…しかし、決して多くはありません…今でも、この土地を犯し、木を切り、鳥や獣を狩りたいと願っている人間のほうが、はるかに多いのです…」

 「……」

 レオンは自分の知らなかった人間の世界の事を初めて知り、大きな戸惑いを感じていた。

 「レオン…私はあなたが人間に興味を持つことは決して悪いことではないと思います…」

 「『神様』!」 ジョセフが思わず間に入ろうとしたが、『神様』は話を続けた。

 「最後までお聞きなさい、ジョセフ…レオン、今やこの土地の運命は、人間たち次第なのです…今、かろうじて守られているとはいえ、森は少しづつ貧しくなり、獣たちの数も徐々に減っています…これから先、人間たちがもっと強い気持ちでこの土地を守ってくれなくては、この森も草原も、そしてあなた方獣たちも、いずれは滅びてしまうでしょう…この土地を傷つけるのが人間の仕業であるかぎり、それから私たちを守ってくれるのも人間しかいないのです…私たちはこの土地を守ろうとする人間たちを信じるしかありません……」

 「悪い心を持った人間たちをやっつけてしまえばいいじゃないですか!僕たちライオンにならできます。」

 「およしなさい…人間たちの恨みをかい、あなたやあなたの家族、仲間たちが苦しめられるだけです…どんな人間も、みんな最終的には人間の味方なのです…その事を忘れてはいけません…」

 どうしたらいいんだろう…そんな思いがレオンの心に込み上げてきたが、幼い彼には答えが見つけられそうになかった。しかし、なんとかしたいという強い気持ちがその心をつき動かすのをはっきりと感じていた。

 「神様、僕は人間と話がしたい!どうして話ができないんですか?同じ獣なんでしょう?」

 「…そう、人間もあなた方と同じ獣の仲間です…実は、かつての人間の中には、こうして私たちと話ができる者もいました…ただ、人間たち同士は主に声で話をします…心で話をする私たちとは違います…何より人間たちの心が変わってしまってからというもの、心で話ができる人間はいなくなってしまいました…」

 「…ぼ、僕、探してみます!。きっとまだどこかにいるよ、心で話ができる人間が…そして頼んでみます、この土地を滅ぼさないでくれって!」

 「…ホホホ…やはりあなたは、ジョセフたちとは少しばかり違うようですねぇ……………」

 『神様』の声は次第に遠くなり、巨木が放っていた光もすうっと引いていった。辺りは再び静けさを取り戻し、満月が先程までと同じように煌々と光を放っていた。

 「エレンばあさん、ありがとう。疲れただろう?」

 「ふぅ…なあに、まだまだやれるよ。それより『神様』の力が少し衰えてきたみたいで、心配だねぇ…。」

 「この辺りの水も悪くなったからなぁ…。さぁ、レオン。ためになっただろう?帰るぞ。レオ…」

 レオンはジョセフの足元で、すでにスヤスヤと寝息を立てていた。

 「きっと、緊張したんだろうよ。ゆっくり休ませておやり。…それじゃぁ、私は先に引き上げるとするわよ。」

 「ああ、またな。」

 巨ゾウの陰が深い森の中に消えて行くのを見届けた後、ジョセフはぐっすりと眠り込んでいる息子の傍に腰を下ろした。そして、その寝顔を見つめながらつぶやいた。 「人間と話がしたい、か…。」

 


 季節が移り、いつしかレオンの身体は大きくなり、かたてがみも生えそろい、立派な若者へと成長していた。レオンは自分が一人前となり、家族から離れて暮らさなくてはならない日が近いことを悟っていた。そして以前にも増してレオンは独り歩きを繰り返し、より遠くにまで足を伸ばし、いろいろな人間たちの姿を見て回った。ジョセフはあの夜以来、レオンの独り歩きをとがめることを止めた。母や姉妹たちはそんなレオンの姿にただ呆れていた。

 レオンは人間たちの前に自分の姿をあらわにし、人間たちの心に向かって呼びかけるようになった。

 「そこにいる人間たち、俺の心の声があなたたちの心に届いているのなら、答えてくれ!俺たちはあなたたちの救けを必要としているんだ。さあ、誰でもいい。受け止めてくれ、そして答えてくれ!」

 しかし、レオンの呼びかけに答える人間は誰一人としていなかった。レオンの姿を見た人間たちは恐れるか、『雷の獣』の上からこちらを覗き込みながら騒ぐだけだった。中にはこちらに気付かないまま走り去ってしまう者もいる。レオンの虚しい呼びかけが毎日のように繰り返されていった。そして、いつしかレオンの心の中にも不安が芽生え始めていた。

 「『神様』が言っていたのは本当なのかもしれない。心で話ができる人間など、もうこの世にはいないのかも…」

 


 その日、レオンはいつもよりずっと南の草原にまで足を運んだ。今日は『雷の獣』はあまり走り回っていない。時折、黒い人間たちが歩いているのが見える。

 「こいつらは駄目だ。俺が姿を見せただけで大騒ぎになってしまう。」

 レオンはそのまま枯れ草の茂みのなかを、身を低くして静かに移動していった。

 しばらく進むと、草原の中に白い人間が一人で立っているのが見えた。

 「人間の道から随分外れている。こんなところに人間が一人でやってくるなんて…。」

 その人間は『光の筒』らしき物で、右方向にいるセーブルアンテロープの群れを眺めている。風は右方向から吹いていた。人間もセーブルたちもこちらには気付いていない。レオンはとりあえず様子を伺いながら、風下に廻り込んでみることにした。

 その人間をほぼ風上に捉えたとき、風がその臭いを運んできた。

 「なんだ?!白い人間とも、黒い人間とも違う臭いだ。こんな奴は初めてだ。一体、何者なのだろう?」

 レオンは強い興味を覚え、ゆっくりと距離を詰めて行きながら、臭いだけでなくその姿を伺った。そしてレオンは考えた。

 「とりあえず、他の人間たちとは少し違うことだけは間違いない…。試してみるか…。」

 


 ケンジは愛用の双眼鏡でセーブルを観察しながら、その美しさに見とれていた。

 「何度見ても綺麗だ。あの角は芸術品だな。」

 日本人の彼は、ボランティアとしてこの国立公園にやってきた。観光客ならば公園内を一人で歩くことなど許されないのだが、彼は公園職員としての身分を得ていたため、時折こうして歩き廻っては写真を撮ったり、動物や自然を観察していた。自然を愛する彼にとっては、それが最高の喜びだった。

 そんな彼もこの公園で過ごしているうちに、一見しっかりと守られているように見えるこの公園でさえ、森林の破壊、動物の密猟、管理体制の不備など様々な問題を抱え、徐々に荒廃に向かっている事を知り、彼なりに苦悩していた。

 「この貧しい国で、自然を保護していくのは無理なのだろうか?もちろん国を豊かにしていくことも、医療を充実させることも大切だろう。でも同じように、自然保護だってこの国ためにはとても大切なはずなのだけど…。」

 そんな思いが、いまこうして自然を楽しんでいる時でさえ、彼の心の奥底で漂っていた。

 

 と、セーブルたちが何かに驚いたように、一斉に走り出した。

 「どうしたのだろう?」

 辺りを見回したが、特に変わった様子はなかった。少し離れたところでセーブルたちは立ち止まり、こちらを気にしている。

 「さては、僕が近づきすぎたかな?」

 気を取り直して再び双眼鏡を構えようとした時だった。

 「えっ?!」 背後から誰かに声をかけられたような気がして、ケンジは思わず振り返った。しかし、そこには誰もいない。ただ、枯れ草が風に揺れる草原と、その向こうに葉を落とした森がいつものように広がっているだけだった。

 気のせいだったのだろうか?ただの空耳か?いや、でも聞こえた…。『…守って…』確か、そんなふうに…。

 目の前に広がる自然の風景を呆然と眺めていると、もしかしたらこの自然が僕に救けを求めているのだろうか?そんなふうにも思えてきた。 「まさか…でも、そうだよな、俺たちが何とかしなきゃ…」

 熱く乾いた風が、また草原を吹き抜けて行った。

 

(終わり)

作者自身による解説


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この作品はマラウィ協力隊機関誌「Zikomo」121号(1997年7月発行)に掲載された同題の作品に加筆修正を加えたものです。著作権は作者である栗原智昭に帰属します。ストーリーおよび文章の全体、部分に関わらず無断で転載、転用することを固く禁じます。Copyright © 1999-2000 Tomoaki Kurihara. All rights reserved. (Revised on 13, Oct., 2000)