私事で大変恐縮なのだが、実は9月に入籍した。相手は生まれも育ちも高千穂という生粋の高千穂娘だ。
地元農家の娘である妻は、子供のころから完全有機農法のうまい米を食べて育った人なので、米の味にはうるさい。
味より満腹感優先の僕がそれまでワシワシと食っていた米も、妻にはまったく不評で「臭くて不味い米」という烙印を押されてしまった(もっとも、米そのものの品質ではなく、僕の保存の仕方に問題があったようなのだが)。
そこで妻が実家から持参した自慢の米を食すと、確かに風味が豊かだ。うまい、うまい、と喜ぶ僕。
ところが、僕が以前から使っていた電気炊飯器で炊いたそのご飯の味は、妻にはまだ不満らしい。妻の実家では昔からガス炊飯器を使ってきたそうだ。電気炊飯器よりガス炊飯器のほうがご飯がうまい、という話は僕も聞いたことがある。
実は少し前から僕も電気炊飯器には違和感を感じるようになり、ひとりの時は少量づつ鍋で炊くようになっていた。登山で使うアルミ製小鍋をガスの火にかけて炊くのだ。一般家庭ではあまりやらない炊き方だと思うが、単独での登山などを長く経験している僕には馴染みの方法だ。
この方法で良い具合に炊けたご飯は、かなりうまい。妻の米をこの方法で炊いてみたところ、ようやく妻からも合格点をもらうことができた。
ところが…この小鍋で少量の米を炊く方法は、火力調節や火から降ろすタイミングが難しい。長年の経験がある僕でも焦げ付かせてしまうなどの失敗はなくならない。まして、経験のない妻に気軽に任せられる方法ではない。うーん、困った。
が、もうひとつの良い方法を思い出した。僕の知る限り、美味しいご飯を炊く一番手軽な方法。使うのは、普通は鍋料理くらいにしか使われない「土鍋」。実は、土鍋特有の断熱力が炊飯にも適していることが近年注目されている。
いきなり強火にかけても中の温度が急激に上がることはないし、一番難しい終盤のとろ火での「蒸らし」も、火から降ろして鍋の持つ余熱に任せることで焦げ付きを起こしにくい。水の量と火にかける時間さえ守れば、大雑把な火力調整でも失敗が少ないのだ。おまけに適度な吸水力により、炊飯後のご飯を保管する「おひつ」としても優れている。
実際に試してみると、鍋料理に使う普通の土鍋でも、実にうまいご飯が炊ける。ただ、本来炊飯には広口で浅い通常の土鍋の形より、深鍋の形状のほうが向いている。そこで最近は炊飯専用の深鍋型土鍋もいろいろ市販されるようになった。
僕が高千穂町内で入手したのは、おそらくそんな炊飯用土鍋としてはもっともシンプルで安価な製品だろう。1000円でおつりが来た。1合から3合炊き用で2合がベスト、というサイズは妻との2人暮しにはちょうど良い。
これで炊いた米の味…ひと粒ひと粒の米が立ち、豊かな風味を放つ。さすがの妻もこれには絶賛。以来この炊飯用土鍋は、我が家の台所の主役の座に就くこととなった。
さて話は変わるが、僕のアフリカ時代にも「土鍋」の思い出がある。
現地では貧しい村でも鍋類は通常アルミ製かホーロー製だった。素焼きの鉢や壷などはあったが、水や食料を保管する容器として使われることが多い。
ある日本人の友人がそんな素焼きの器の中から広口の浅い鉢を選んで買い求めた。古代人が作った土器とさほど変わらない外観の素焼きの鉢だ。しかし彼はその鉢に肉や野菜をぶち込み、炭火コンロにかけて「鍋料理」を始めた。僕はその御相伴にあずかりながら、思った。そうか、日本の土鍋も「土器」なんだ。
日本でもアフリカでも金属器が普及する以前は、どんな食材を煮炊きするにも土器、つまり土鍋を普通に使っていたのだろう。なぜか「鍋料理専用」という役回りになってしまった日本の土鍋だって、本当はもっと多目的に使えるモノであるはずだ。
逆に考えると、日本人にとっての土鍋の原点は縄文土器か。そして、弥生人が大陸から持ち込んだ米を最初に炊いたのも、きっとそんな土器だったに違いない。
なーんだ、土鍋で米を炊くなんて、昔の日本人が当たり前にやっていたことじゃないか!
(夕刊デイリー新聞2004年11月13日「エッセーひろば」掲載)
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