監督:大林宣彦
脚本:中岡京平 内藤忠司 大林宣彦
出演:天宮良 中江有里 勝野洋 柴山智加 石橋蓮司
長年大林ファンをやって来ていますが、ここまで直球勝負で、しかもそれが大成功している映画は記憶にありません。とにかくこの映画は素晴らしかったです。
僕たちのように不自由なく育ってきたものには音が聞こえないと言うことがどんなことなのか、正直想像がつきません。僕は歌や音楽も好きだし映画やTVドラマもよく観ます。そして突然そこから音が奪われたとしたら、何事にも変えられないほどの衝撃かもしれません。しかし彼らにとってはそれが日常であり、永遠です。彼らは僕らが思っているほど不幸ではないのかもしれません。しかし僕らは「かわいそうに」と言う目で見てしまう部分が確実にあります。彼らはみな、僕らと同じように世界を感じ取っている仲間なのに。この映画の中に主人公の昌宏がディスコで知り合った少女にキスしようとして「耳が聞こえなくてもしたいことは同じなのね」と笑われ、「でもいいから私偏見ないから」と言われて傷つくシーンがあります。あれはまさしく我々が無意識にとっている「かわいそうだけど普通に接してあげよう」という意識や態度の現れなのかもしれません。
しかしこの映画では彼らのことをけっして暗く描写していません。むしろ彼らが滑稽なほど奮闘する姿を見せ、我々を笑わせてくれさえします。例えば無作為にひとりの人を選び出し、その生涯を映画にしたとしたら、多くの場合それはコメディではないでしょうか。おそらく普通の人間の人生は他の人から見たら笑いで満ちたものでしょう。そしてそれは耳が不自由な彼らの人生でも同じです。彼らの人生のそう言った面をしっかりと写し取っているだけでもこの映画は評価できます。
主役の二人の想いは切なく深い。最初は単なるペンフレンドで疎遠になった時期などもあったが、何回か実際に会うことでお互いにかけがえのない存在になっていく。それは突然燃え上がったものではなく、時間をかけて少しずつ育てられたものです。耳が聞こえないことで就職の壁にぶつかった奈美子が親友の手を借りて昌弘に電話をかけるシーンがある。お互いに耳の聞こえない二人だが、昌弘は電話の相手が奈美子だと直感し、優しく話しかけるのです。このシーンはあの往年の"硝子越しのキス"を思いださせました。共にお互いを感じ取ることは出来ないが、わずかにつながった糸のような手段がお互いの意思を認識しあう瞬間です。ここは屈指の名シーンでした。
トライアスロンと言う競技は世界一厳しい競技のひとつでしょう。この映画はほぼ全編に渡ってこの競技の様子がメインの時間軸で語られ、主役の二人の姿は過去の回想の形で紹介されています。競技のシーンの大半は実際の大会にカメラを持ち込んで行われ、後からドラマ的シーンは多くの協力を得て撮り足されたそうです。大会参加者にはカメラに反応しないようにお願いしてあったそうですが、この映画の意義に賛同していなければ協力してもらえなかったかもしれません。トライアスロンの魅力に取りつかれた選手達の、トライアスロンの世界を紹介しているこの映画に対する想いの一端が感じられるし、同時にそのトライアスロンそのものに対する愛情も感じ取れる気がします。極限まで自分を追い込む競技だからこそ、美しく魅力のあるスポーツなのでしょう。昌宏はあこがれだったシェフへの道が一人前になるまで10年はかかると言われただけで断念するような根性ナシであり、同棲中のアパートに泥棒が入ったときに寝たふりをして奈美子に泥棒を追い出させてしまうような情けないやつです。しかしそんな彼ですがこれだけのきついスポーツからは逃げ出そうとしない。トライアスロンにはそれだけの魅力があるのでしょう。昌宏役の天宮良さんは実際に撮影の翌年(今年)も大会に参加して見事完走したそうです。トライアスロンの魅力に実際に取りつかれた人が、ここにもいました。
昌宏と一緒にいる時間を増やしたい奈美子は共にトライアスロンを始めます。おそらくスポーツとは無縁に近い生活を送ってきたであろう彼女が昌弘の愛情に支えられてつらい練習に耐え、やがて大会で完走するところまでいく。彼女もまた、トライアスロンの魅力に負けたのでしょうか。
主役の二人はとても良かったです。特に天宮さんは耳が聞こえないながらも手話とともに特徴あるニュアンスで声を出してコミュニケーションをとろうとする昌宏に見事にマッチしていました。現在30代半ばの天宮さんが、なんと最初は中学生役でしたが、不思議と違和感なく見えてしまうところが凄いです。年齢とともに成長しているようで実はしきれてなくて、しかし結婚、競技を経て確実に成長し始めている姿を充分に演じきった好演でした。同じく中学生から30代までを演じきった中江有里さんも、セリフらしいセリフの
ほとんどない難しい役を演じきったのは素晴らしかった。脇を飾った大林映画お馴染みの勝野洋さん、入江若葉さん、岸辺一徳さん、柴山智加さん、高橋かおりさん、嶋田久作さんらも良かったです。しかし何と言っても昌宏の父親を演じた石橋蓮司さんが良かったです。あのお父さんの息子に対する愛情がこの映画を支えた大きな要因のひとつであることは間違いありません。
最初に書きましたが、この映画は大林監督作品にしては珍しく、凝った絵作りや合成映像効果、コマ撮りなどの特殊撮影がほとんど使われていません。今回はそれが大正解で最近の大林映画が技に走りすぎて失敗を繰り返していたのではと改めて思わざるをえないかもしれません。それほど今回はオーソドックスでありながら確実な語り口で素晴らしい映画を作ってくれました。これでまた、しばらくは大林を追い続けていくことになると思います。
上映後ロビーに出るとこの映画の主役のモデルとなった高島良宏さんが来場されていました。屈託のない笑顔で我々観客を迎えてくれ、即席のサイン会が開かれ、しっかり私もパンフレットにサインをいただきました。ところが気がつくと、周りに並んでいるうちの多くの人たちが手話で会話していました。これは正直驚きました。どうやら劇場に足を運んだ人たちの中に、この映画の主人公達と同じ耳の不自由な方々が多くいらっしゃっていたようです。この映画は全編字幕が入っています。普段映画を観ない可能性の高い、または字幕の入る洋画しか観ないであろう耳の不自由な方々が、もしかしたらこの日本映画を観て楽しんでもらえたのでしょうか。だとしたらこれもとても素晴らしいことです。映画自体も観れて幸せでしたが、この状況に接することが出来たのもやはり幸せでした。
長文失礼しました。