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16世紀に西欧で描かれた日本列島は、まだ、空想の域をでていなかった。しかし、17世紀にはいると、我が国と西欧との交流は拡大し、国産の行基図なども海を渡ったとみられる。
下の地図は、1669年、ロンドンで刊行された、ブロゥム(Richard Blome)の “A New Mapp of y Empire of CHINA”の一部である。依然として、西日本が中心で、関東以北の地域はまるで付け足しである。その構図は、行基図以来の伝統的本州の形である。また、琵琶湖と大阪湾が、巨大な淀川でつながっているのも注目される。地名は増えたが、形は? ただ、図中、我が列島名が“IAPON or Niphon”とあるのは嬉しい。ついに「にほん」登場である。

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