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| ◆出直していない…自立支援法と諸制度。 |
全障研・和歌山大会の基調報告の中に「応益負担はおかしい」という言葉がありますが、
私のところへ6月下旬、新しい受給者証が送付されてきました。7月から自己負担の上限が9300円から3600円になると言う案内だったわけで、手間ひまかけて申請書類を何枚も提出したわけです。私達夫婦の預金口座のコピーまで提出させられてプライバシーの侵害とも言えるようなことをさせておいて7
月分からの自己負担の上限は何も変わっていませんでした。なぜかと聞いたら、担当者は「奥様が住民税などを払っているから、引っかかった・・・」という返答でした。考え方を変えるとおかしなことがいくつかあります。同一生計者と言うならば、税金を払っていながら、介護の自己負担も多く払うことになること。500万円以下の所得だから、「殆どの人が軽減策の対象になる…」と言う触れ込みは大嘘です。妻の実所得と言っても私の年金や重度手当てなどの合計と同じ位ですから…。
そもそも「自立支援法」の応益負担が問題なのだと言うことは、多くの皆さんにはご理解いただけるものと思います。厚労省などの役人は、税金の使われ方の問題を指摘されながら、立法化したことに「誇り」さえ懐いているとも伝えられます。
「法が人を死に追い込み・苦悩させる」など受け入れられるはずもなく、かってないほどの「大集会」へ結実し、政府は「補正」に追い込まれました。補正や修正では「出直し」にはならないと私は強く感じました。
『きょうされん』は、2015年までに解決しなければならない課題として「障害者の所得保障」「扶養義務の社会化」「精神障害者の社会的入院の解消」の3つを上げています。
[申請制度]は従来から日本の社会保障の根本問題だと言われてきました。国民を下にするものではないか…。今回の事に関しても、いくつもの書類など申請しなければ、得られないことなのだろうか。介護を必要な立場は、収入の多少で変わるわけはない。応益負担が続く限り行政が歳出削減の「根拠」として利用するものでしかない。43年程前「母子年金」を受給資格がありながら、5年間も支給されなかった記憶がある。私は1977年頃、障全協の吉本さんの講演の中で「フランスへ日本の商社マン夫婦が仕事で滞在中に子供を出産したらフランス政府から出産費用が支給された…。」と話され、私は申請しなくても福祉や医療が保障される国があることを初めて知りました。
「扶養義務」は100年近く前の民法877条が、21世紀の今なお存在しているのもおかしいと思わなければと思います。欧州諸国の多くは扶養義務の社会化も立法化されていると伝えられています。「扶養」という言葉が家族間の経済的負担になることは、多くの制度を利用する時の境目にされている事は事実でしょう。
「経済的負担」と別に最近、気になるのは「量的制限」と言う事を介護事業所の対応などで強く感じます。利用できる曜日や日数を障害者は排除されたり、訪問介護事業所の中には「30分でも減らそうとする」言葉が少なくありません。もともと社会補償費を削減する中で「障害者施策」は置き去りにされてきたと言われています。10年以上利用してきた「短期入所」の特養は満席のようで1年以上使っていません。介護保険以降、予約することが困難になっています。歳出削減による基盤整備の遅れ、介護報酬単価の引き下げなどや過酷な労働環境が引き起こす労働力不足が背景でしょう。こんなことでは「人の生活を細切れにする自立支援法」と立岡晄さんの本「共同作業所のこころと実践」の中で語られていますが、その通りだと思っています。私は親亡き後一人暮らしを続けてきました。全介護の自分が選んだことだから仕方がないとも思いますが、結婚後一人でいる事が減りました。妻は病院の介護職員として働いています。妻が仕事をしている時間は介護を認めていながら、介護を受けるのは本人なのに…「扶養」とか「所得状況」などうんざりします。親しい知人は「夫婦の間で世帯分離するか…」とか「離婚するか…」と言う事を冗談を言う者もおりますが、私達には無縁の言葉です。
そして最近感じるのは、私の利用するデイサービスは重複障害の若い障害者が多いという事です。養護学校卒業後山奥の施設に入れたくないという親の心理もあるかと思います。高齢者中心の施設に利用できる施設があることは良いのですが、はたして適切な療育的措置ができるのだろうかとも思います。
今回の「補正」で上限額が変わった人から「1600円になった…」と歓喜する声もあります。日本の社会保障はこんなものとあきらめが入っている声でしょう。応益負担を残したまま自己負担も何通りかに分断されるのは要求運動を分断する意図的なものと思うのは私だけでしょうか…。国連が「障害者権利条約」を交付し各国が批准に向けて国内法を整備している時代に日本は、国内法をどうしようとしているのか私には見えてきません。
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