このページは,私が在宅介護で対応できなくなった時に、よく利用している「特別養護老人ホーム」の「ショートスティ」の職員との人間関係や出来事などを紹介するものです。

「かんばらの里」は、新津市の新興住宅街から少しはなれた田園地帯にあります。
デイサービス・介護支援センター・ショートスティなど150人くらいの収容人員を
介護できる施設で、私が「在宅生活」を選択する時の一つの柱に位置するところです。

介護職員紹介
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《naoto.H》 kazuhiko.I
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ショートステイ介護職員・介護されてる度チェック
《私が思う介護職員から受ける介護レベル・応対の良し悪》

NEMU

評価内容・日常的エピソード

評価度

naoto.H リーダーとして利用者への対応などを見てても言うべき事はない。私が1番頼りにしたい職員である。

kazuko.T 本人は,体力が落ちたと言っているがテクニックでそれを補えるものを持っているような気がする。ひょうきんな時が楽しい時もある。

kazuhiko.I 私が弟みたいに思っているパソコンの話をすると無知な事ばかり言う、今時の若い子にしてはめずらしい明るいところが良い。

AYUMI.I 始めて配属された頃、毎朝必ず「おはようございます」と挨拶にくることが多かった。悩みでもあるのか最近はなくなった。介護する時、自分なりに工夫するところが良い。

EMI.M 私のことを正男君と呼ぶ。私の要求に対しての反応は早いほうだと言える。若いのと明るさが良いところだろう。

kazuko.S かんばらでは、長くいる一人かもしれない。一度私の介護を忘れたことがある。

MEGUMI.K かんばらに来て数年しかたっていない、ひょうきんな所があるのだが分からないところもある。

*****.K ショートスティでは、1番の年配者かもしれない。利用者との会話を聞いていると人生経験を感じる。

*****.h あまり介護をした事はない。しかし、男性介護者の中に時々みられる力任せの介護をしているような気がする。

     

評価度はA.B.C.D.Eの5段階にします。
番外編 (過去に担当していた介護職員より)

satomi.M かんばらでは、ベテランに属するだろうか・・・。数年前ショートステイの担当していた。几帳面な介護をする。現在でもホームの廊下で私を見かけると必ず声をかけてくる明るい職員である。

suguru.K 現在ホームに移動したが、ショートスティの担当も長かった。この職員も廊下で会うと私に愛想をふり、おどけて見せたりする。

 

 

《宮崎則男》
私が利用するようになって「ショートスティ」の担当が何回が後退しましたが,彼が担当していた頃が、1番楽しかったエピソードがたくさんあったような気がする。それは、私の方が彼が担当の頃、利用回数が多かったと言う事もあった事と、男性介護職員がリーダーになったのも始めてでした。彼の明るさと、時々出てくるジョークも私を楽しくさせたものかもしれません。現在は,現場を離れ「生活指導員」となってしまったので、関わることが少なくなったのが残念なところです。

宮崎則男の最近書かれた文章

俺はこの街の空気を吸っていたいんだ
特別養護老人ホームかんばらの里 生活相談員

はじめに
近頃私が思うことは、近年の日本は大袈裟であるかもしれないが、悲劇への道を歩みはじめたと感ぜずにはいられないことがある。
たしかに現在の日本の経済力は、世界に名だたる力を有している。しかし、その根底には、貨幣に対しての過剰とも言える執念・執着心が窺えるのである。つまり単なる経済的評価の目安であり、物と物との交換の媒介でしかない貨幣に対して、ある種フェティシュな振る舞いによって貨幣を至上なものとしてきた部分がある。この倒錯とも言える振る舞いの果てになにが起きたかといえば、バブルの崩壊後の経済不況であり,環境問題であり、余暇と相俟っての労働時間の問題といった具合に、経済市場ばかりでなく様々の領域に弊害が現れてきたのである。「金がなければ生きていけない」「世の中全て金だ」という言葉の前に、何人もの人々が、不安と恐怖を抱き、あたかもお金があれば幸福になれるだろうと思い、より多くの金を得よう躍起になってきた結果なのである。しかし、貨幣至上主義・経済至上主義ともいえる貨幣への極端で盲信的な姿勢がなければ、戦後のどん底から僅か数十年の間に世界で上位の経済力を有することは不可能であったろう。しかし、今日景気の回復を期待する人は少なくなり、今の状況が私達の置かれた社会であり、そのなかでどうやっていきのびていくか必要に迫られているのである。
2000年4月に介護保険が導入され、介護の時代が始まりました。介護=福祉から、社会全体で考える福祉に変化してきている。福祉の世界は、今まで措置という市町村の事業の枠で行い、何をされるかということに対して利用者の側からあまり異議申立てができないような制度―措置制度という聖域がなくなり、1対1の契約となり利用者から利用料を頂き、事業者はサービスを提供する形に変化し、福祉で働く職業人としての意識の変化を求められる。福祉の分野もマーケティグや顧客という言葉が研修の中で当たり前のように飛び交う。自由競争に伴う介護保険事業所やケアマネジャーの倫理問題も、表面化している。私は、貨幣が不必要で無意味で無価値だといいたいのではない、現代社会において貨幣は、価値があり必要なものであるのは、至極当然のことである。しかし、ニーズは多様化しており,貨幣に満たされるニーズから、貨幣に満たされないニーズが大きくなっているのではないだろうか。あいまいの表現の仕方かも知れないがものごとには、程度がかんじんで緊張感ある平衡感覚がなければならないと感じる。

事例を通して考える
 介護保険制度の大変換機にあって「サービスと権利」という言葉が一人歩きしてしまい、いままでの福祉が大切にしてきたものがないがしろにされているのではないか。一方の論理だけを飛躍させれば必ずひずみがでてくる。そんな中、事例を通して感じた事を述べてみたいと思う。
私とAさん(52歳)の出会いは、6年前からになる。その当時の私は、特別養護老人ホームのケアワーカーであった。当時の在宅サービスは、Aさんの要求するサービスは整備されていなく、ホームヘルパーの活動も月〜金曜日で時間帯も例外的に夜間の訪問が行われていた時代である。
 現在のAさんの状況であるが、先天性脳性麻痺により現在は寝たきりの状態である。10年くらいまでは歩行ができていた。両上下肢に麻痺があり、日常生活全般に介護を要する。父は、はやくに死亡し、主介護者であった母親も本人が44才の時に死亡する。その後、自宅でひとり暮らしをしている。母親が死亡した時に、施設入所をしたほうがよいのではという話が行政側や彼を取り巻くサービス事業者から話があった。「ひとり暮らしなんか無理だ。なにかあったらどうするのか。」彼を問い詰める言葉が浴びせられた。Aさんは、住み慣れた地域で、そしてなじみの深い人間関係の中で自分が住み慣れた自宅を改良して暮らしつづけたいという希望があった。
 Aさんは、私の勤めるかんばらの里でこう訴えた。「施設入所はしたくない。自分で自分の生き方を決めることはできないのか。周囲とのかみあわないもどかしさはあるが自分の生きる道は自分で決めたい。」というものであり、Aさんの訴えに私は、目じりから頬にかけ暖かいものが伝わった。それから、Aさんは様々なサービスを可能な限り使いながらひとり暮らしを続けている。
 また、Aさんの、サービスの利用状況であるが、以前よりも福祉サービスの量も増大し訪問介護を1日3回。訪問看護1日1回。短期入所生活介護は土日を中心に月2〜3回。ボランティア(彼の人柄からか多くの来訪者あり,コミニュケーションを中心に行う。また,彼のことを一番よく理解してくれるパートナーがおり、この人の存在がAさんにとっては非常に大きな支えになっている。)
 介護サービス内容は、水分補給、離床介助、排泄介助、食事介助(朝食はベッド上でギャジアップ。昼食、夕食は電動車椅子で離床する)、歯磨き介助に手浴(手掌に汗をかきやすい)、シーツ交換、買物等の生活援助がある。
Aさんが、一番注意しているのは、排便コントロールである。以前にイレウスを起こし入院したことがあり、排便の調子が健康のバロメーターになっている。その大事なトイレ介助にも全身の不随運動があり、トイレの介助にも工夫が必要である。市販のポーターブルトイレでは,身体を支えることができず、必ずトイレで排便を行う。人にみられているとなかなか排便できないため、介助者は,その場から離れるが,身体が崩れないように枕やタオルで身体の姿勢を維持する。スムーズに排泄が行なえないときは再度、べッド上で浣腸しトイレ誘導をおこなう。
 また、Aさんの生活の楽しみは、パソコンである。バイオとソーテックの2つのパソコンをテレビ画面につないで自分のホームページを開設している。ボランティアやAさんのパートナーの操作が必要になる。ワープロの知識は十分だったとはいえ独学で使用方法を身につけた。長い日で5〜6時間おこない、Aさんはいう。「ホームページの作成は,全世界に対して私は、生きているだというメッセ―ジになるのだ。私は、身体が不自由であり狭い空間でしか生活できないが、パソコンは、私の気持ちを世界中の人達に伝える事ができし、色々な人からメ―ルをもらい情報交換ができる。」Aさんのホームページのオープニングは、パッヘルベル:カノン「普通の人々」の映画のテーマで始まる。好きなアーティストは、ハービハンコックやベンチャ―ズを好んで聞いているとの事。また、夜間は一人で水分補給をとれるようにしているが、水がぬるくなってしまい朝のコーヒーを飲むとホットするとの事。
ある日、私は彼に尋ねた。施設介護であれば、365日24時間休むことなく、入所者の生活を支える為にサービスを提供できるが、現在の福祉サービスでは,断続にしかサービスを提供できない。どうしてそこまでして、危険な橋を渡って自宅にこだわるのか。Aさんは、「この前車で外出した時にお前の車が丁度前にいたんだ。お前は、奥さんと子供と楽しそうに車を運転していた。そんな新津の街の空気を俺は吸っていたいんだ。俺はその光景を見たときすごくうれしかったんだ。」
Aさんは普通の暮らし、普通の人々でいたいんだということにきずかされ、私が思っていたあたり前と、Aさんが思っている事が違うことを改めて感じさせられた。いかに、自分が枠にはめられた感覚でいたのか教えられた気がする。