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昔 話 の 魔 力
ブルーノ・ベッテルハイム
評論社、1978



これまでは英語の本を取り上げてきましたが、今回は邦訳本を取り上げます。心理学者ブルーノ・ベッテルハイムの「昔話の魔力」(評論社、1978)です。昔、図書館で借りて面白かった記憶があったので、数年前に購入しました。今はもう絶版のようですが、古本なら購入できるし、図書館に行けばあるかも。

ブルーノ・ベッテルハイムには「自閉症・うつろな砦」という本があって、この本について昔トリュフォーがどこかで言及したので、この人に興味を持ちました。トリュフォーは子供のころ、両親からあまり愛情を受けずに育ったので、子供のことにはとても興味がある人でした(過去形なのがつらい)。それで、「あこがれ」「大人は判ってくれない」「野性の少年」「トリュフォーの思春期」といった子供を題材にした作品が存在するのです。ウィキペディアによると、ベッテルハイムは「自閉症は養育者の態度などの後天的な原因で発症するという説」を唱えたそうで、こういう説はトリュフォーが好きそう。英語のウィキペディアによると、この説にも「うつろな砦」にも疑問が投げかけられているそうですが、ベッテルハイムはまだフランスでは評価されているそうです。

彼はウィーン生まれのドイツ系ユダヤ人で、強制収容所に入れられた経験があり、「鍛えられた心―強制収容所における心理と行動」(法政大学出版局、1975) という著書もあります。1903年生まれで、1990年に自殺。ウィキペディアによると、死後、経歴詐称や患者に対する問題行動があかるみに出て、評価が落ちたそうです。

そんな評判とは関係なく、役に立つことはどんどん吸収しちゃえというのがこちらの立場。「昔話の魔力」は、子供時代に聞いた話が人生でどれだけ影響力を及ぼしているかを具体的な作品を挙げて例証しています。目次には20ほどの昔話が載っていますが、半分も知っていないぐらいだし、もちろん日本の昔話は載っていません。たぶん、日本の昔話で同じようなことを試みている学者がいると思います。少し調べてみたら、河合隼雄氏の「昔話と日本人の心」(岩波現代文庫)というのがありました。

私の知っているのは「三びきの子ブタ」「ヘンゼルとグレーテル」「赤ずきん」「ジャックとマメの木」「白雪ひめ」「眠れる森の美女」「シンデレラ」ぐらい。ただ、題名でピンとこなくても、ストーリーは知っているものがあるかも。

著者が本書で立証しようとしたのは「昔話の根底には人間のもっとも普遍的な問題がモチーフとなっている」ということです。昔話は、子供から大人に移行するときに生じる問題、自分を確立しようとするときに生じる問題、悩みや心配、未来への希望を語っています。「快楽原理対現実原理」「思春期の少年の直面する問題」「女性の思春期をめぐるさまざまな問題」など、筆者は昔話を人生に当てはめて考察していますが、私のブログの文脈からすると、映画のストーリーにどれぐらい昔話のパターンが入り込んでいるのかとか、どのように昔話が感情の発展に役立っているのかに興味があります。

「はじめに:意味を求める努力」という最初の部分を読むだけで今日は終わりそうです。個々の昔話については、おいおいということで。

自分が生きているということに意味を見出すのは難しい。人生の経験を十分積まなければ理解できない。子供を育てるうえで一番大切で、一番難しいのは、生きることに意味を見出すのを手助けすることである。

より深い意味を見出すには、自分の枠を超えて、いつかは世間に貢献できると信じる必要がある。では、どんな経験が子供に生きることの意味を悟らせることができるのだろうか。この問題に対して一番重要なのは両親であるが、次は文化的遺産であり、その中でも文学が重要である。

子供に理解できる物語の中で、昔話ほど、内面の問題を教え、その解決策を示してくれるものはない。子供にとって生きることは途方に暮れる問題なので、混乱した感情の中から筋の通った考え方を引き出す手助けをする必要がある。どのように心の中を整理して、生き方の秩序を作り上げるかを教える必要がある。

昔話は、子供の本当の心理的・感情的な状態から出発している。昔話は、子供の心を苦しめる圧迫を無意識のうちに理解できるように語り、さしせまった心の問題を解決する方法を示している。

子供は、昔話の形と構成をまねて、自分の白日夢を作り上げることができる。それによって、自分の人生により良い方向を与えることができる。無意識が行動を決定する力は大きいが、その内容を明確にして、いろいろ想像することができれば、無意識の圧迫によって悪い影響が出る可能性が低くなる。

しかし、たいていの親は、子供を苦しめる問題から気をそらそうとする。漠然とした不安や怒りに満ちた空想から目をそむけさせようとする。明るい面だけを見せても、偏った心しか育たない。人間は不安や怒りによって行動することがあり、生きていく上で失敗するのは自分自身の性質だということを教えることなく、人間は本来善であると信じさせようとすると、子供は自分がとんでもない出来損ないだと思ってしまう。

我々の社会で支配的なのは、人間に悪い面があるとは考えずに、楽天的な社会改革論を信じるふりをしていることである。人間は、自分自身を圧倒する力と戦うことによってのみ、自分の存在に意味を見出すことができるというのに。

昔話が伝えているのは、人生においてさまざま困難にぶつかるのは避けることができないが、しっかりぶつかっていけば、困難は乗り越えられるし、いつかは勝利を収めることができるだろうということである。

道徳心を育てるのは、善が最後に勝つからではない。子供が主人公と同一化して、さまざまな困難と戦うからである。道徳的な昔話で善人と悪人がはっきりしているのは、自分自信の人格が定まっていない子供にとって理解しやすいからである。子供の選択方法は、悪より善をではなく、憎たらしい者よりも同情できる者をである。主人公の立場に心を動かされるので、自分と同一視するのである。そして、主人公が善い人だから、自分も善い人になろうとするのである。

「長靴をはいた猫」や「ジャックと豆の木」は、道徳的な昔話というより、弱い者でも成功できるという希望や安心感を持たせる昔話である。そのため、善人と悪人などの極端な表現が少ない。

「二人はいつまでも幸せに暮らしました」という結末を非現実的だと決めつける人がいるが、これは子供たちにとって大切なメッセージである。子供には親から引き離されるという不安があるが、そういう結末は、他人と真の関係を築けばその不安から逃れられると教えているのである。最初に親から引き離される昔話は多いし、広い世の中に出ることによってのみ自分自身を見つけることができる。そして、いつまでも一緒に暮らす相手を見つけることで、別離への不安がなくなる。このことは、誰かに守られたいという望みを捨てて、独立した存在になるよう導いてくれる。

(シネシャモ日記2012年11月11日)

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