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シネシャモ

ワイルド・バンチ
The Wild Bunch
2004年2月 第11回上映



スタッフとキャスト

1969年 ワーナー・ブラザーズ
監督: サム・ペキンバー Sam Peckinpah
脚本: ワロン・グリーン Walon Green、ペキンパー (原案はグリーンとロイ・N・シックナー Roy N. Sickner)
撮影: ルシアン・バラード Lucien Ballard
音楽: ジェリー・フィールディング Jerry Fielding
編集: ルイス・ロンバード Louis Lombardo
上映時間: 143分

パイク・ビショップ: ウィリアム・ホールデン William Holden
デイク・ソーントン: ロバート・ライアン Robert Ryan (パイクの昔の仲間で、今は敵同士)
ダッチ・イングストロム: アーネスト・ボーグナイン Ernest Borgnine (パイクの相棒)
テクター・ゴーチ: ベン・ジョンソン Ben Johnson (パイクの仲間)
ライル・ゴーチ: ウォーレン・オーツ Warren Oates (パイクの仲間でテクターと兄弟)
エンジェル: ジェイム・サンチェス Jaime Sanchez (パイクの仲間のメキシコ人)
サイクス: エドモンド・オブライエン Edmond O'Brien (パイクの仲間の老人)
マパッチ: エミリオ・フェルナンデス Emillio Fernandez (メキシコ盗賊軍の首領マパッチ)
コファー: ストロザー・マーティン Strother Martin
T.C.: L.Q. ジョーンズ L.Q. Jones
クレージー・リー: ボー・ホプキンズ Bo Hopkins (パイクの仲間で、最初の強盗で居残って殺される)


サム・ペキンパー (1925-1984)
  • 荒野のガンマン The Deadly Companions (1961)
  • 昼下りの決斗 Ride the High Country (1962)
  • ダンディー少佐 Major Dundee (1965)
  • ワイルド・バンチ The Wild Bunch (1969)
  • 砂漠の流れ者 The Ballad of Cable Hogue (1970)
  • わらの犬 Straw Dogs (1971)
  • ジュニア・ボナー Junior Bonner (1972)
  • ゲッタウェイ The Getaway (1972)
  • ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯 Pat Garrett and Billy the Kid (1973)
  • ガルシアの首 Bring Me the Head of Alfredo Garcia (1974)
  • キラー・エリート The Killer Elite (1975)
  • 戦争のはらわた Cross of Iron (1977)
  • コンボイ Convoy (1978)
  • バイオレント・サタデー The Osterman Weekend (1983)
編集:ルイス・ロンバード (1932-2002)
 「ルイス・ロンバードは直接スローモーションにショットをつなげるという最後の規則を破っただけでなく、一本の映画では最多の3624ショットという記録を作った。「ワイルド・バンチ」はワイドスクリーンの作品だが、それを無視して、まるで16ミリのように編集した。スピーディーな編集を次々と行い、ペキンパー独特のダイナミックな演出スタイルとされるようになるものを明確にした。ほとんどすべてのシーンで革新的に時間を処理しており、同時代の他の編集者以上にアメリカ長編映画の編集技法に変革をもたらした。」(Paul Manaco, The Sixties, History of the American Cinema, University of California Press, 2001)

ウィリアム・ホールデン (1918-1981)
若い頃のホールデンはとてもハンサムでしたが、「ワイルド・バンチ」のときは、50歳ぐらいなのに、酒のせいでロバート・ライアンと同じ60歳ぐらいに見えます。もともと1939年の「ゴールデン・ボーイ」という映画のボクサー役で注目を浴びましたが、本格的に人気が出始めたのは1950年の「サンセット大通り」からで、同じビリー・ワイルダー監督の「第17捕虜収容所」(1953)でアカデミー主演男優賞を受賞します。1950年代には、他に「麗しのサブリナ」「喝采」「慕情」「ピクニック」「戦場にかける橋」など名作やヒット作ぞろいで、1954年から1958年までアメリカのドル箱スター・トップテンに名を連ねていました(1956年は1位)。


ロバート・ライアン (1909-1973)
「ワイルド・バンチ」のとき、ロバート・ライアンは60ぐらいでした。若い頃は地味すぎるけど、年を重ねるにつれ、いい味を出してきた俳優です。寡黙で渋い初老男の魅力が出始めていましたが、残念ながらガンで4年後に亡くなります。1940年ごろから映画に主演していますが、私が思い浮かぶといったら西部劇の「誇り高き男」(1956)と犯罪物の「拳銃の報酬」(1959)ぐらいです。

アーネスト・ボーグナイン (1917-)
ガマガエルのような変な顔で、しかも愛嬌があるというより怖い感じ。だから昔は鬼軍曹の役や西部劇の悪役が多かったけど、「マーティ」(1955)で、同じように顔があまり良くない娘と結ばれる善人を演じて、アカデミー主演男優賞を受賞。それ以来、顔は怖いが心は優しいという役も演じるようになります。私が一番印象に残っているのは1973年の「北国の帝王」で、ここでは、ホーボーのリー・マービンを絶対に列車に乗せまいとする怖い車掌を演じていました。

ベン・ジョンソン (1918-1996)
アイルランド人とインディアンの混血で、馬乗りが上手だったため、ジョン・フォード監督に重宝されました。演技は別に大したことはなく、「ワイルド・バンチ」でもさほど目立ちませんが、1971年にピーター・ボクダノビッチの「ラスト・ショー」でアカデミー助演男優賞を受賞してから、渋い脇役として活躍するようになりました。


ウォーレン・オーツ (1928-1982)
地味な感じで、この映画や「夜の第捜査線」の警官役を見る限りでは、主演なんかやれそうには見えません。でも、年を取るにつれ渋みを増して、70年代には「デリンジャー」や「ガルシアの首」で主演しています。53歳で亡くなったのが惜しまれます。

エミリオ・フェルナンデス (1903-1986)
「真珠」(1947)や「熱情のしぶき」(1953)などで知られるメキシコの大監督。陸軍士官学校卒業後、メキシコ革命戦争に参加するが、殺人罪で20年の刑を言い渡され、アメリカに脱走。1933年にメキシコに戻り、1940年代から監督を始める。1960年代からは、「ワイルドバンチ」のように、脇役としてハリウッド映画に出演。

あらすじ

1913年、メキシコとの国境近くの町で8人の強盗団が鉄道事務所に押し入るが、鉄道が雇った賞金稼ぎたちに待ち伏せされ、通りで銃撃戦となる。強盗団のうち5人が逃げ延びる。リーダーのバイク・ビショップ、相棒のダッチ、下品で文句ばかり言っているゴーチ兄弟、若いメキシコ人エンジェルである。隠れ場所に戻った彼らが強奪した袋を開けてみると、金貨ではなく、ボルトの座金が詰め込まれていた。

一団は国境を越え、内戦が続くメキシコに入る。エンジェルの故郷の村に着いた彼らは、その地方が政府軍のマパッチ将軍に脅かされているのを知る。エンジェルは、自分の彼女テレサが自らマパッチについていったことを知って嘆く。

一団は、マパッチの軍隊が本拠地とするアグアベルデに行く。エンジェルは、自分の彼女テレサがマパッチのひざの上に乗っているのを見て、彼女を射殺する。マパッチは、エンジェルが自分を狙ったのではないと分かると、彼を釈放する。一団は、アメリカの列車から武器を盗むようマパッチから依頼される。

列車強盗は成功し、武器はマパッチに渡されるが、エンジェルは、マパッチと戦う山の人々に武器一箱を渡す。それを知ったマパッチは、エンジェルを捕まえて、残酷な仕打ちをする。一団は、エンジェルを助けるために、死を覚悟で殴りこみに行く。



メキシコ革命

狭義のメキシコ革命は、「ディアス独裁体制の打倒を目ざした1910年11月20日のマデロによる武装蜂起に始まり,革命憲法が制定された17年に終結したとされる」(CD-ROM平凡社大百科事典)。過酷な生活を強いられた農民たちによる政府に対する反乱です。そうした反政府活動を指揮したのが、南部ではサパタで、北部ではパンチョ・ビラでした。

マパッチ将軍率いる政府軍が本拠地とするアグア・ベルデ Aqua Verde は、地図で確認できませんでしたが、アメリカとの国境近くのようです。だから、彼らはパンチョ・ビラと戦っています。

マパッチ将軍の軍隊は、最初、盗賊軍だと思っていましたが、本当は政府軍でした。政府軍といっても、政府がメキシコ全体を組織化した軍の分隊ではなく、政府を支持する集団のようで、さほど大きな地域を支配しているようには思えません。


DVD鑑賞

DVDを少しずつ見ながら、感想を書きました。

1. 鉄道事務所襲撃

タイトルバックの映像は、無数のアリに襲われるサソリ、それらを楽しげに見ている子供、そのそばを馬に乗って通り過ぎる「ワイルド・バンチ」です。無数のアリの襲われるサソリの映像からは、「民衆に倒される暴君」や「一般市民に倒されるアウトロー」といった、いろんな解釈ができます。さまざまなことを連想させる豊かな映像は、特定の解釈に固定しないほうが良いと思います。映画全体を象徴する、すぐれたタイトルバックです。

「ワイルド・バンチ」の「バンチ」は一団ですが、「ワイルド」という言葉もさまざまな意味があります。「野生の」「野蛮な」「荒っぽい」「騒々しい」「でたらめの」「すてきな」などです。西部劇で描かれていた時代が終わろうとしていたころに、まだアウトローをしているという点では、「未開の一団」です。彼らがアメリカからメキシコに移動するのは、アメリカが未開の地ではなくなり、彼らの居場所がなくなったからだと解釈できます。

映画の開始から5分後には鉄道事務所の襲撃になります。パイクのセリフ、「動いたら、殺せ If they move...kill 'em!"」が効果的に挿入され、監督ペキンパーの名前が出て、タイトルバックが終了します。向かいのビルの屋上に賞金稼ぎたちがいて、一団が事務所から出てくるのを待ち構えています。すぐに銃撃戦になります。禁酒運動家たちが行進している通りをはさんで撃ち合いになるというのは演出上素晴らしいだけでなく、「ベトナム戦争に抗議する平和運動家たちも戦争が始まればひとたまりもない」というメッセージを伝えているのかもしれません。しかし、私はペキンパーの考え方を知らないので、こういう解釈は、むしろ私自身の考えを反映しています。

この銃撃戦はかなり激しいものです。一般市民が血をふき出しながらスローモーションで倒れる様子は、今見てもショックだから、当時はもっと衝撃的だったでしょう。10数分ほどのシーンだと思っていたのですが、なんと約4分でした。それほど強烈な地獄絵巻です。

銃撃戦のあと、町の子供たちが楽しげに拳銃ゴッコをしているのは、アリがサソリを殺すのを楽しげに見ている子供たちと対応しています。「ワイルド・バンチ」における子供たちの存在を考察すると面白いでしょう(最後の虐殺シーンでもパイクを撃って、うれしそうにしている子供が出てきます)。


2. メキシコ〜エンジェルの村

生き残った5人、パイク、ダッチ、エンジェル、ゴーチ兄弟は、メキシコに渡り、アジトであるメキシコ人農家に戻ります。そこには、彼らの仲間であるサイクスじいさんが待っています。盗んだ袋を開けると、お金ではなく、金具が入っていたので、みんなガッカリします。このシーンでは、ゴーチ兄弟が不平分子だということと、パイクが、自分たちの時代が終りに近づいているのを自覚していることが分かります。今度の強盗でひともうけして、引退しようと考えていたようです。

夜になり、一団も、それを追いかける賞金稼ぎたちも、横になってくつろいでいます。一団のパイクと、彼を追跡するソーントンは、自分たちの過去を振り返ます。二人は昔のアウトロー仲間で、売春宿で遊んでいるときに、彼らの追跡者が乗り込んできて、ソーントンが撃たれ、パイクは逃げます。(こうした回想シーンのいくつかは、最初に上映されたとき、監督に無断でカットされたようです。)

一団が馬に乗って砂漠を横切っています。坂になっているところを降りていると、みんな、馬ごとひっくり返ってしまいます。ここでも、ゴーチ兄弟が不平分子ぶりを発揮します。パイクは、足が悪いらしく、馬にうまく乗れません。馬に乗ってパイクの後姿は、さみしそうだし、老いを感じさせます。

一団はエンジェルの田舎に到着します。エンジェルは、父がマパッチに殺されたこと、恋人テレサが自らマパッチについていったことを知ります。夜に宴会が行われ、翌日、一団は村を去ります。


3. マパッチの本部

一団は、マパッチの軍隊が本拠地にしているアグアベルデに行きます。そこでまず見たものは自動車で、一団は仰天します。自動車は時代の移り変わりの象徴です。西部劇が描いていた時代が終わりつつあることを告げています。

マパッチといちゃついているテレサを見て、エンジェルが嫉妬心からテレサを射殺します。ここで、周りの連中が一団を襲うかどうかという一発触発の緊張感が走り、画面が一瞬停止したようになります。マパッチは、エンジェルがねらったのが自分ではないと知って、エンジェルを許します。(自分がねらわれたのではないにしても、自分のすぐそばで女性が射殺されるのを見て怒らない暴君がいるだろうか?観客は、一団が窮地を脱するかどうかのみに集中しているため、そういう疑問はわかないのかもしれない。)

一団はマパッチから、アメリカ軍の武器を盗むために列車を襲撃するよう依頼されます。

4. 列車襲撃

この映画のアクションシーンのほとんどは残酷で激しいものですが、この列車襲撃は、とても静かで、映画に強弱をつけています。列車内にいるアメリカ兵や賞金稼ぎたちに気づかれないように列車を乗っ取るために、無言で、銃も撃たず、見張りのアメリカ兵たちを降参させていきます。

一団は武器を盗むことに成功します。馬で追いかけてくるソーントンら賞金稼ぎが通過する橋が爆破されるシーンが見ものです。

5. 武器の引渡し〜エンジェルの拷問

一団は、エンジェルの知り合いであるレジスタンスたちに武器を一箱分けてやります。これが、あとでエンジェルの命取りになります。

その後、数回に分けて、マパッチに武器を引き渡し、金貨をもらいます。マシンガンの使い方が分からないマパッチらがマシンガンを暴発させるシーンは、コッケイというより、恐ろしさを感じます。こういう無知な人たちが、核兵器を所有したらどうなるのでしょう。

エンジェルは、武器を一箱レジスタンスに渡したことがばれてしまい、マパッチに捕らえられてしまいます。エンジェルが射殺したテレサの母がエンジェルに復讐しようとマパッチに密告したのです。エンジェルは、自動車のうしろにロープでつながれて引きずられるという拷問を受けます。


6. 大虐殺

パイク、ダッチ、ゴーチ兄弟は、エンジェルを返してくれるようマパッチに頼みますが、マパッチは断ります。パイクとゴーチ兄弟は、メキシコ人に誘われるまま、女を買いますが、ダッチはそういうのが嫌いなのか、外で待っています。

意を決した4人はエンジェルを取り返しに、再びマパッチのもとに出向きます。マパッチがエンジェルの首をかき切ると、パイクがマパッチを射殺します。このあと、時間が止まったかのように、みんな固まってしまいます。この緊張感がたまりません(エンジェルがテレサを射殺したあとと対応しています)。そして、銃撃戦が始まります。最初の銃撃戦同様、10数分ぐらいあると思ったのに、たった4分ほどしかありません。それだけ、中身が濃いということでしょう。

この映画は、銃撃戦などの暴力的な場面で有名ですが、静かな場面もすぐれています。というより、激しい場面と静かな場面の対比がすぐれています。銃撃戦のあと、ロバート・ライアンが座り込んで、そのそばをマパッチの傘下にいたメキシコ人たちがトボトボ去っていくシーンなんか最高に素晴らしいです。ロバート・ライアンは、出番は少ないけれど、やるせなさそうな表情で座っているだけで絵になるので、やっぱり重要な役どころなんだなあと、ここで初めて気づきました。



西部劇の反抗

Paul Monaco
History of the American Cinema: The Sixties の一部を訳して、整理してみました。

何人かの批評家は、ペキンパーの偉業を第一級のものとした。その中の一人は、「演出の点で、黒澤作品を除いて、映画史上匹敵するものがない。ぎょっとさせるだけでなく、細部にもこだわっている」と述べた。

ペキンパーは、例によって、血だらけの銃撃シーンを6台のカメラで同時に撮影している。それぞれのカメラの撮影速度は少しずつ異なっている。編集者ルイス・ロンバードとの共同作業で、暴力を様式化するのにスローモーションを使用した。この手法は、これまで、「俺たちに明日はない」のラストのように、ぞんざいに扱われただけだった。

「俺たちに明日はない」同様、「ワイルド・バンチ」は、弾丸が人に当たるのを再現するために、革新的な爆薬技術を多用している。赤い染料を詰めたプラスチックのバッグに電線を取り付けた仕掛けはカラー映画において非常に強烈なインパクトを与える。1960年代後期から盛んになり始めた血まみれのどぎつい暴力シーンは、新たな技術が開発されたことと、アメリカの長編映画のほとんどがカラー映画になったことの必然的な結果と考えうる。


「ワイルド・バンチ」をめぐる当時の論争の多くは、当然、暴力の視覚的表現という問題に集中した。批評家で歴史家のアーサー・ナイトは、「ペキンパーは、非常に強烈で、胃を痛くさせ、さまざまな恐怖を詳細に描く映画にしようという自分の意思に忠実なため、暴力の魅力それ自体は完全に消えている」と考えた。

しかし、ジョウゼフ・モーガンスターンはニューズウィーク誌で、「たとえ隠喩的な意図があったとしても、ペキンパーは暴力に対して言い訳できない。彼は、暴力を芸術的に様式化すれば暴力自体を批評することができるという間違った前提で映画を作っている」と論じた。

歴史家のレナード・クワートとアルバート・オースターは、ずっとあとに、「「ワルド・バンチ」が知性面で一貫性がないことと、どぎつい暴力にたびたび頼ることは、1960年代後期の多くのアメリカ映画に特徴的である」と論じた。この二人の歴史家は、「間違った方向に進んだ世界のイメージを喚起する以上のことができない」と判断した。

しかし、何人かの批評家は、アメリカの一団によるメキシコ革命への介入をベトナムへのアメリカ軍の介入と解釈することで、流血シーンを正当化しようとした。


確かに、この映画は、1960年代に出現したどぎつい映画の最高点に位置し、スクリーン上で大虐殺を描く視覚的な力を大いに高めた。ベトナムにおけるアメリカ軍と類似していると解釈されようとされまいが、あるいは1963年のケネディ暗殺によって国民の純潔が喪失されたことを反映していようがいまいが、「ワイルド・バンチ」のテーマの暗さは、1960年代後期の画期的な映画を特徴づける悲観的な時代精神とぴったり一致する。

ペキンパーは、ハリウッドの西部劇を常に支配していた伝説的開拓者の伝統的な暴力を狂気にまで発展させたと広く見られている。この点だけでも、「ワイルド・バンチ」は画期的な映画と評価しうる。この映画は、西部の神話の暗くやっかいな面に光をあてる一方、その神話がハリウッドで何十年も続いていたことに対して暗に疑問を投げかけている。疑いもなく、観客のいくらかは、どぎつい恐怖に対する自らののぞき趣味との葛藤に立ち向かわざるをえなかったであろう。



西部の展望

Jim Kitses Horizons West から。「ワイルド・バンチ:」について書いている部分の最初のほうだけ抄訳しました。

ペキンパーの作品は見る者を不穏にさせる。たびたびシュールな描写が出てくるが、それは独自の世界観によるものだ。かつてルイス・ブニュエルは、「ネオリアリズムの現実は、不完全で、形式的で、合理的なものだ。しかし、詩や神秘など、現実を完全にするものは失われつつある」と述べた。ペキンパーは、ブニュエルと多くの点で異なるが、同じようにすべてを見渡す視力を持ち、世界に対して全面的な反応を示す。ペキンパーが直接影響を受けたのはドン・シーゲルで、「第11号監房の暴動 Riot in Cell Block 11」などの作品から多くを学んだ。しかし、ペキンパーが、野蛮で破壊的な本能の存在や、抑圧や自由な行動の結果や、安定や主体性をもたらすために必要な悪夢のような苦闘に心を奪われるのは、あきらかに、シュールレアリストたちが以前から興味を持っている領域に足を踏み入れているからだ。

このように、ペキンパーのシュールな描写は、彼の現実的な世界観に由来している。アメリカがよりリベラルになりつつある時代、多くのアメリカ映画は、悪が運勢や自分自身の中に存在するのではなく、環境に存在するという考えを支持している。ペキンパーは、人間は動物になりえ、運命は自分の中にあり、悪は存在し、世界におけるアメリカの地位は、その悪の存在に少なからず負っていると主張する。当初からペキンパーは、この個人的見解を述べるための材料や条件を断固要求していた。しかし、「ダンディ少佐」では、自分の目標を達成することに制約を加えられたと彼は感じていた。4年近くのブランクのあと、「ダンディ少佐」で行おうとしたことを「ワイルド・バンチ」で完全に実現した。

この驚くべき作品は、これから描かれる世界を直接喚起するショッキングなイメージから始まる。殺人アリの大群の中でサソリがもがき、それを子供たちが楽しそうに眺めている。そのそばを、アメリカの兵士に扮装した主人公の一団が馬に乗って通り過ぎる。このイメージは、これから展開するアクションを予告する一方、主人公たちと彼らが通過する社会との関係も描いている。子供たちの存在も忘れてはならない。とりわけ、この巻頭シーンは、無邪気さと残酷さ、笑いと残忍、理想主義と流血好きが共存するこの映画の構造を紹介している。ペキンパーは、マパッチのアグアベルデで、この点を強調している。弾薬ベルトの間に置いた赤ちゃんに乳を飲ませている母親がいるし、庭を引きずりまわされているエンジェルの体に乗る子供たちがいる。最後の虐殺シーンで、少年がパイクを背後から撃って喜んでいる。このシーンは最初の銃撃戦とバランスをとっている。賞金稼ぎと一団の間を飛び交う銃弾の雨は、禁酒運動協会の罪もない人々の行進を血だらけに裂いてしまう。そして、ペキンパーは、ときどき、その虐殺を見ている子供たちに注意を向ける。ペキンパー自身の子供マシューが少女と一緒に現場の真ん中に立っている。

この見地に立つと、「ワイルド・バンチ」のアクションが内戦を舞台に繰り広げられていることは完全に妥当である。というのも、最後にエンジェルと一団を破滅させたのは、エンジェルの村で一団を快くもてなした同じ人々の父、息子、兄弟(それに女性)だからだ。「ワイルド・バンチ」が最終的に描こうとしたのは、ペキンパーの他の作品同様、愛、喜び、親交に対する能力と、破壊、欲望、残忍に対する能力という人間の二重の能力である。そして、この中心的なこだわりのせいで、ペキンパーはメキシコに不変の愛着を持っている。バッド・ベティカーは、個人主義がまだ盛んな土地としてメキシコに接しているが、ペキンパーは、アメリカの下半身にある特別な場所としてメキシコを愛している。もしアメリカが、死や暴力を制度化することで死や暴力を否定し、愛をロマンチックに描くことで愛から意味を奪ってきたなら、メキシコには(ブニュエルのスペインのように)、そうした傾向がほとんどない。それゆえ、ペキンパーは、メキシコの歴史や文化の中に、誠実さの点で普遍的に重要と考える行動や儀式を見出すのである。そのため、ペキンパーは儀式に重点を置いている。部族の儀式、テレサの葬列、そして最後の虐殺に向かう一団の行進などである。ペキンパーが作り出すメキシコ人の登場人物も関係がある。パイクをもてなす娼婦の小鳥のような美しさは、歯をむき出しにした肉食の盗賊軍によってバランスをとっている。エンジェルに規律を教えようとする村の長老の寛大な知恵は、エンジェルののどを切るマパッチのグロテスクな自尊心と調和する。



おまけ

David Weddle 著の If They Move...Kill 'em!: The Life and Times of Sam Peckinpah というペキンパーの伝記があります(これ、訳本があると思ったんだけど、探しても見当りません。勘違いしていたのかな)。今回ほとんど利用していないのですが、当時の興行収入が載っていたので、それを書き留めておきます。
明日に向かって撃て $46,039,000
ラブ・バッグ $21,000,000 車が主人公のディズニーの実写コメディ。
真夜中のカーボーイ $20,325,000
イージー・ライダー $19,100,000
勇気ある追跡 $14,250,000 ジョン・ウェインがアカデミー主演男優賞。
ワイルド・バンチ $07,503,000
ご意見などお気軽に。 メール
村長 粟村彰義
 
(アワムラ アキヨシ)

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