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シネシャモ
(過去の上映作品はこちらで)

2004年9月 第18回上映
狩人の夜
The Night of the Hunter

今回は怪優チャールズ・ロートンの唯一の監督作品「狩人の夜」です。関係者のインタビューで映画の制作過程を描いた "Heaven and Hell to Play With: The Filming of The Night of the Hunter" をもとに、この映画を勉強していきます。
9月は仕事が忙しかったので、当初思っていたほどには、 "Heaven and Hell to Play With" を活用できませんでした。とにかく「狩人の夜」ファンの方は、本を購入してください。そうすれば、ここは読む必要がありません。

今回は原作を読む暇がなかったので、2年後か3年後に改めて上映することにします。原作はインターネットの洋書通販で買うことができますし、創元推理文庫に訳本があります。 また、映画は日本盤DVDが2004年1月に発売されました。



1955年 アメリカ映画 ユナイテッド・アーティスツ制作 93分 白黒

スタッフとキャスト

制作: ポール・グレゴリー Paul Gregory (1920-) 
演劇プロデューサーで、1940年代にチャールズ・ロートンと組んで朗読劇を上演。映画のプロデューサーとしては、「狩人の夜」以外に、ノーマン・メイラー原作、ラオール・ウォルシュ監督の「裸者と死者」(1958)しかないようです。
監督: チャールズ・ロートン Charles Laughton (1899-1962)
イギリス人俳優です。不機嫌な顔をした太った老人のイメージが強いです。いつもいやらしい役ばかりで、私が見た中では、奥さんのエルザ・ランチェスターと共演した「情婦」(1957)の弁護士役が唯一好印象でした。30年代が最盛期で、「魔の家」、「暴君ネロ」、「ヘンリー八世の私生活」、「人生は四十二から」、「戦艦バウンティ号の叛乱」、「ノートルダムのせむし男」などで好演しました。
原作: デイヴィス・グラッブ Davis Grubb (1919-1980)
「狩人の夜」のほかに、"Fool's Parade" という小説が1971年に映画化されました。監督はアンドリュー・V・マクラグレン、主演はジェイムズ・スチュアート、ジョージ・ケネディです。日本公開されていないようです。
脚本: ジェイムズ・エイジー James Agee (1909-1955) 
小説家で映画批評家で脚本家。脚本家としては「アフリカの女王」(1951)が有名。「狩人の夜」が公開された1955年に心臓麻痺で死去。
撮影: スタンリー・コルテス Stanely Cortez (1908-1997) 
サイレント時代からの撮影技師。なんといってもオーソン・ウェルズの「偉大なるアンバーソン家の人々」が有名。
編集: ロバート・ゴールデン Robert Golden
音楽: ウォルター・シューマン Walter Schumann (1913-1958)
「ドラグネット」のテーマも彼が書いたようです。そういえば、「狩人の夜」のコケオドシ的なジャジャーンという音楽は「ドラグネット」のジャーンジャジャンジャンジャーーーンというおなじみのフレーズと通じるような。
美術: ヒルヤード・ブラウン Hilyard Brown
1963年の「クレオパトラ」でアカデミー賞を受賞しました。
     
兄ジョン・ハーパー: ビリー・チェイピン Billy Chapin (1943-)
子役一家で、妹のローレンはテレビシリーズ「パパは何でも知っている」の末娘役だったとか。
妹パール・ハーパー: サリー・ジェイン・ブルース Sally Jane Bruce (1948-)
母ウィラ・ハーパー: シェリー・ウィンターズ Shelley Winters (1920-)
下町の姐ちゃんといった感じで、情が深そう。「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)のおかげで、やさしい太ったおばさんという印象もあります。「陽のあたる場所」(1951)では、エリザベス・テイラーとの結婚を望むモンゴメリー・クリフトのせいで溺死してしまう恋人を演じています。たまに、こういうシリアスな役もやりますが、基本的にはB級映画の助演女優といったイメージです(ほめ言葉のつもりなんですけど)。
父ベン・ハーパー: ピーター・グレイヴス Peter Graves (1926-) 
おなじみテレビ「スパイ大作戦」の「フェルプス君」。
伝道師ハリー・パウエル: ロバート・ミッチャム Robert Mitchum (1917-1997)
14歳から肉体労働やボクサーをした後、20代後半から映画のエキストラをやり始め、1年後ぐらいにはB級西部劇の主演を務めます。1944年のことです。以来、目のトローンとしたタフガイとして主にアクション映画に主演しました。「狩人の夜」以外にも、"Out of the Past" (1947)、「恐怖の岬」(1962)、「ライアンの娘」(1970)、「さらば愛しき女よ」(1975)など、単なるアクション俳優でないところを見せてくれます。「ザ・ヤクザ」(1974)で健さんと共演しました。
孤児を養う婦人レイチェル・クーパー: リリアン・ギッシュ Lillian Gish (1893-1993)
1910年代のグリフィス映画から1987年の「八月の鯨」まで活躍した大女優。グリフィスの「散り行く花」、「東への道」、「嵐の孤児」といったサイレントの傑作と比べるとトーキー以降の出演作はチト寂しい。というのも舞台に専念していたからです。アルトマンの「ウエディング」(1978)の出演も忘れられません。「リリアン・ギッシュ自伝」では、「狩人の夜」について、ミッチャムを徹底的に悪役として描かなかったから映画に一貫性がないと述べています。彼女としては、グリフィス映画のように善悪はっきりさせたかったのかもしれません。
あらすじ

不況時代のアメリカの田舎でのお話。ベン・ハーパーは銀行強盗を働き、殺人を犯してしまう。彼は盗んだお金を娘の人形に隠し、息子に「妹とお金を守ってくれ」と頼んだのちに逮捕される。刑務所で同室だった伝道師ハリー・パウエルは、ベンが子供にお金を託したことを知ったが、どこに隠したかまでは分からない。ベンは死刑となる。出所したハリーは、ベンの妻ウィラと結婚し、子供たちからお金のありかを聞き出そうとする。それに気づいたウィラはハリーに殺される。子供たちは、ハリーから逃げるために、ボートで川を下る。ハリーはそれを追跡する。子供たちは、孤児を養っている婦人レイチェルに助けられる。ハリーはレイチェルの家にやってきて、子供たちを取り戻そうとするが、レイチェルの抵抗に会い、警察に捕まる。
"Heaven & Hell to Play With" という本

Heaven & Hell to Play With: The Filming of The Night of the Hunter
Preston Neal Jones
Limelight Editions, 2002


「良い映画には良い本が伴う」とでも言うべきか。関係者のインタビューによって時間順に映画の制作過程を描いた労作です。インタビューは1970年代中ごろに行われました。なぜ出版まで20年以上かかったのでしょうか。まとめるのに時間がかかったにしても長すぎます。「狩人の夜」の評判が高まるまで満を持していたのか、これまで出版社が取り上げてくれなかったのか。ともあれ、主演者ロバート・ミッチャム、助演者リリアン・ギッシュ、原作者デイヴィス・グラッブ、撮影監督スタンリー・コルテスが在命中にインタビューを行っていたのが何より。ほかにインタビューを受けているのは、プロデューサー、原作者の弟、美術監督、編集者らです。監督のチャールズ・ロートンが60年代初めに亡くなっていることと、主演の少年を演じたビリー・チェイピンが個人的理由でインタビューを受けていないのが残念です。

映画のシーン、撮影風景、撮影の合間などの写真のほかに、原作者によるヘタッピーだけどユーモラスなイラスト、美術担当ヒルヤード・ブラウンによるきれいな水彩画(カラーでないのが残念)、音楽担当ウォルター・シューマンの楽譜などがアチコチにあって、興味深いです。

インタビューの合間に著者による補足があります。カリフォルニア大学の映画テレビ・アーカイブに未編集のフィルムやアウトテークが数時間分あって、著者はそれを参照しています。音声はアフレコらしく、撮影中にロートンがミッチャムや子役たちに演技の指示をしている声が未編集フィルムに入っているようです。

当初はヒットしなかったし、一部の批評家しか評価しなかったのに、なぜ評価が高まったのでしょうか。いくつかの理由を挙げておきます。(ヒットはしなかったけれど、当初から評価していた批評家はけっこういたようです。)
  • トリュフォーがフランスで公開された1956年にほめていて(欠点も指摘している)、彼の評論集 "The Films in My Life" に収められている。彼によるヒッチコックのインタビュー「映画術」でも言及。
  • スパイク・リーが映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」で引用。
  • スティーブン・キングが影響を受けている。
  • スピルバーグが「ET」を作る際に、子供の視点から描くことを理解させるためにスタッフに見せた。
  • ブルース・スプリングスティーンが "Cautious Man" (アルバム "Tunnel of Love")で引用。
  • 原作者がロートンのために書いたイラストをマーティン・スコセッシが入手。
制作前

以下は、本を読んで、私が興味を持ったことを抜粋したもので、本のごく一部でしかありません。本は、関係者のインタビューを組合せて、ちゃんとした流れにしています。興味ある方はぜひ本を読んでください。

ロバート・ミッチャムが演じた伝道師ハリー・パウエルのモデル
ハリー・パウエルは、右手の指にLOVEを、左手の指にHATEを刺青していて、これが強烈な印象を与えます。原作者のデイヴィス・グラップは、20代の中ごろ、プールで、片手にLOVEを、もう一方の手にHATEの刺青をした人物を見て、ショックを受けたことがあるようです。それから、不況時代の1930年代初めに何人もの未亡人を誘惑して殺したセールスマンが実在していて、彼をモデルにしたようです。インターネットで調べたところ、たしかにハリー・パワーズという殺人犯がいました。「狩人の夜」の舞台はウエスト・バージニアですが、この人物もウエスト・バージニアで殺人を繰り返していたようです。

原作はベストセラー
私は原作を無名の作品だとばかり思っていましたが、1953年に出版されたとき、評論家の評価も高かったし、ベストセラーリストに28週間とどまったほど売れた小説でした。とすると、チャールズ・ロートンが初監督作品として、このベストセラーを選んだのは、けっこう話題になったんでしょうね。下記のようにアン・バクスターやグレース・ケリーがウィラ役をやりたがっていたようですし。

原作者のイラスト
原作者は、ロートンに小説を説明するためにイラストを100枚ほど書きました。本に何枚か掲載されていて、下手なんだけどユーモラスで味わいがあります。のちに、そのイラストはマーティン・スコセッシの手に渡り、数年後、彼は米国映画芸術科学アカデミーのマーガレット・へリック図書館に寄贈しました。

ウィラ役
ウィラ役は撮影直前まで決まりませんでした。アン・バクスターとグレース・ケリーがやりたがっていたようですが、グレース・ケリーだと品がありすぎるし、きれいすぎます。実際に選ばれたシェリー・ウィンターズは、1940年代後半、ロートンが教えていたシェークスピア講座の熱心な生徒だったそうです。彼女は1948年の「二重生活」で主人公の情婦を演じて評判になり、1951年には「陽のあたる場所」でアカデミー助演賞にノミネートされました。ただ、「狩人の夜」の直前には、1952年に結婚したイタリア俳優ヴィットリオ・ガスマンと1954年に離婚するという個人的な問題があったようです。

リリアン・ギッシュ
レイチェル役は小鳥のような女性がいいとロートンが言ったら、プロデューサーのポール・グレゴリーはリリアン・ギッシュを思いつきます。ロートンは、「わりと小さな役だし、「白昼の決闘」(1946)以来映画に出たがらないからダメだろう」と思ったらしいのですが、ギッシュは、ロートンが送ってきた原作を読み、善悪の戦いを描いた非常に素晴らしい小説だったので引き受けます。リリアン・ギッシュといえばすぐにグリフィス作品を思い出しますが、「狩人の夜」はグリフィス作品の影響がかなり大きいようです。

ジェイムズ・エイジー
実物以上に見せようとする傾向のある人物で、やりすぎるところがあるそうです。彼が書いた「狩人の夜」の脚本は分量が多く、6時間分ぐらいあって、使い物になりませんでした。ロートンは脚本家としてクレジットされていないけど、ほとんどロートンが書き直しました。The New Biographical Dictionary of Film の著者 David Thomson は、たとえロートンが書き直したにしても、エイジーの見方や彼の故郷テネシー(ウエスト・バージニアの近く)の文化がロートンに影響を与えているはずだ、とエイジーを擁護しています。

撮影監督スタンリー・コルテス
気難しい職人らしいです。凝り性なのか、12月の糖液よりも仕事が遅いと評する人もいます。オーソン・ウェルズの「偉大なるアンバーソン家の人々」という映画史上の名作を撮影していますが、それ以外はB級映画ばかりで、ウェルズの「市民ケーン」を撮影したグレッグ・トーランドと比べると寂しいです。ユニバーサル社は「狩人の夜」の前年に「死刑五分前 Black Tuesday」というエドワード・G・ロビンソン主演の犯罪映画を公開しました。撮影スタンリー・コルテス、美術ヒルヤード・ブラウン、編集ロバート・ゴードンと、「狩人の夜」と同じスタッフが参加しています。ピーター・グレーブスも出演しており、銀行強盗を働き、警官を殺した死刑囚という、「狩人の夜」とほぼ同じ役を演じています。

北に向う象の南端のような顔
ロートンは自分の顔を「象の後ろ側」と自嘲する複雑な人物だし、ミッチャムやエイジーはアル中で、コルテスもハリウッドの異端者のような感じがしますが、みんな本当は心優しくて、繊細な人たちだと思います。ハリウッドの大量生産システムの中では扱いにくい人たちも、この手作りの作品では仲良くやっているようです。そういう人たちだからこそ、人間の心の弱さや善と悪の関係をニュアンスたっぷりに描くことができたんだと思います。(本を読み進んでいくと書いてあったのですが、ロートンが自分の顔を「像の後ろ側」と言ったというのは正確ではなく、本当は「北に向う象の南端」と言ったのだそうです。)
制作

大きく分けてみます。

1 ジョンとパールの兄妹は銀行強盗を犯した父ベンから1万ドルを預かる。ベンと刑務所で同室だった伝道師ハリーがそれを知る。ベンは死刑になる。ハリーが1万ドルを奪うためにジョンたちの町に来る。
2 ハリーはウィラと結婚し、彼が子供たちからお金を奪おうとしていることに気づいたウィラを殺害。
3 子供たちはハリーから逃げ、川を下る。
4 孤児を養うレイチェルがジョンとパールを助け、ハリーを退治する。


1

女性の遺体。伝道師ハリー登場。ストリップ劇場。自動車泥棒で警察に逮捕されるハリー。

冒頭、遊んでいる子供たちが女性の死体を発見する場面は、この頃としては珍しいヘリコプターからの撮影です。これは第二班の監督、テリー・サンダースが撮影したものです。ヘリコプターからの映像といえば、ニコラス・レイの「夜の人々」(They Live by Night, 1949) が思い浮かびますが、ロートンはその映画を見て思いついたんじゃないかとサンダースは言っています。

これに続いて、伝道師ハリーが自動車に乗って登場します。このシーンは、あきらかにスタジオで撮影されています。別撮りした田舎の風景を映写しながら、スタジオに設置された車にロバート・ミッチャムが乗っているのです。いろんな事情で野外撮影が難しかったのかもしれませんし、車を運転しながら空を見上げて神に話しかけてるというのも野外撮影では無理でしょう。この独り言で、ハリーが10数名の未亡人を殺していることと、彼が殺人を神からの指示だと思い込んでいるのも分かります。

ストリップ劇場でハリー・パウエルは踊り子を見ながら、「ふしだらな人間が多すぎて、全員殺すことができません」というようなことを神に語りかけます。指にHATEと刺青されている左手をポケットに突っ込むと、飛び出しナイフの刃が背広を突き抜けて外に出てきます。フロイトならうまく解釈してくれそうですが、異性に対する欲望を暴力でしか処理できない彼の異常さが示されています。

ジョンとパールの兄妹が銀行強盗を働いた父ベンから大金を預かる。

ストリップ小屋でハリーが逮捕され、裁判を受けるあたりは非常に簡潔に描いています。それに続いて、銀行強盗と殺人を犯したベン・ハーパーが1万ドルをどこかに隠し、息子のジョンにそれを託すあたりもスピーディに処理しています。そのお金は、パールがいつも抱えている「ミス・ジェニー」という人形に隠しているというのは、このシーンでは分からないかもしれませんが、観客はすぐに気づきます。母親が作ったらしい不恰好な人形と、それをいつも抱えているパールは、奇妙な雰囲気をかもし出しています。

刑務所でベンと同じ部屋になったハリーがベンの寝言で子供に大金を預けたことを知る。

刑務所で一緒になったあたりから、白黒の画面が非常に陰影を効かせていることが分かります。ドイツ表現派の影響が強いです。スタンリー・コルテスは、この頃、コントラストの強い「トライX」というフィルムを実験していたようで、初めてローソク1本で撮影したのはキューブリックの「バリー・リンドン」ではなく自分だとか言っています。

ベンが処刑され、ジョンとパールは他の子供だちにからかわれる。母親のウィラは、パートで働いているアイスクリーム屋の夫人から再婚を促される。

「Hing, Hang, Hung (ヒン、ハン、ホン)」という覚えやすい歌を町の子供たちが歌っていますが、これはジョンの父親が絞首刑を受けたことをからかっている歌です。無邪気なパールも口ずさむので、兄にたしなめられます。(実はベンが処刑されたのを観客が知るのは、この前の、死刑執行人が執行後に自分の家に戻るシーンです。このシーンについては今回割愛。)

ここで、彼らの住む町の様子が分かります。といっても、子供の視点から描いているので、細かくは描いていません。ジョンが飾ってある時計を眺める中古ショップ、ウィラがパートで働いているアイスクリーム屋(ここの夫婦は好助演)、オンボロのボートハウス(ここに住む老人も好助演)ぐらいしか印象に残りません。ジョンとパールの家がどこにあるのかも、はっきり分かりません。川に向う通りを少し上ったところにあるようです(つまり、川から少々離れたところ)。

この町のセットは、カリフォルニア州チャッツワースのローランド・V・リー牧場に作られたようです。道を下ったところにオハイオ川という大きな川が流れているのですが、これは実際の川の映像と牧場のセットの映像を合成したものらしいです。

スタジオで撮影されているためと、画面に陰影を効かせているために、外は昼間なのに、アイスクリーム屋の店内は夜に電気をつけたような感じです。おせっかいなアイスクリーム屋の夫人がウィラに再婚を勧めているのですが、そこに汽車の映像がインサートされます。バックに大げさなブラスの音楽が流れ(ハリーが登場するときには必ず流れる)、ハリーがその列車に乗って町に近づいていることを示しています。

ハリーが町にやってくる。

夜になってジョンとパールが自分たちの部屋で寝ようとしているとき、壁に映っているジョンの影の上にハリーの大きな影がかぶさります。たぶん大げさな音楽も伴っていると思いますが、恐怖映画の常套手段を誇張して使用しているのもこの映画の魅力です。家の外にハリーが立っており、「頼れ、頼れ、永遠の御手に頼るのだ Leaning, leaning, leaning on the ever lasting arm」と歌っています。この聖歌は、このあと何度か出てきて、非常に効果的に使用されています。

ジョンがおんぼろのボートハウスを訪ねます。そこにはバーディという酒飲みの老人が住んでいます。このシーンの最初に大きな船が川を通りますが、これは合成された映像です。バーディ老人は世間離れしているので、町ではからかわれるジョンもここでは落ち着くのでしょう。このあたりはハックルベリー・フィンのような世界です。

その帰り道、ジョンがアイスクリーム屋をのぞくと、ハリーがいます。ジョンが店内に入ると、ハリーは、指に刺青した「LOVE」と「HATE」の文字を使って、愛が憎しみに勝つ話をします。夫人も母ウィラも感心して聞いているし、パールはすぐにハリーになついたようです。彼が話をする様子を見ると、彼は正気のペテン師が人をだまそうと芝居しているのではなく、本気で自分の話に熱中しているので、かえって怖いです。女性陣は彼に好感を持ちますが、ジョンとアイスクリーム屋の主人は「なんか変なやつ」と思っているようです。彼は、本当は刑務所でベンと同室だったのに、死刑囚ベンを慰める牧師としてベンと接していたとウソをついています。

川辺で婦人たちが中心になってピクニックをしています。ハリーは "Bringing in the Sheaves" という聖歌を婦人たちと合唱しています。ここにいるすべての婦人が彼に好感を持っているようです。ウィラは、ベンがお金を川に沈めたと言っていたとハリーから聞いて、罪悪感がなくなったようです。このピクニックの場面は不思議な映像で終わります。ジョンのネクタイが曲がっているのをハリーが直しているのですが、ジョンの視点からの映像で、画面右半分はハリーの顔で、左半分は画面奥のほうでウィラとアイスクリーム屋の夫人が喜んでいます。手前のハリーの顔と映像とバックのウィラたちの映像を合成していて、不思議な効果を出しています。


2

かわいそうなウィラ

ウィラはハリーと結婚しますが、初夜でハリーから「セックスは子供を作るためにするのだ。私は二人の子供を育てるために君と結婚したのだから、君と寝る必要はない」と拒まれ、欲を捨てた生き方をしようと決意します。が、ハリーがお金のありかを聞き出すために子供たちを虐待しているのを知ってしまい、ハリーに殺されます。

ウィラがハリーと結婚するまでを考えてみます。死刑となったベン・ハーパーの妻ウィラは、ベン・ハーパーを愛していなかったのでしょうか。実は、映画の中でウィラとベンが一緒のシーンはありません。ベンが警察に連行されるのを少し離れたところから心配そうに眺めているショットがあるだけです。当然二人は結婚当初愛し合っていたのでしょうが、不況で貧しくなり、それどころではなくなったのでしょう。二人の子供を育てなければいけないし、洋服や化粧品などをベンにねだっていたようです(ハリーとの結婚後、ハリーが開いた宗教の集いで彼女がそう告白するシーンがあります)。だから、ベンが銀行強盗を働いたのは自分のせいだという罪悪感が彼女にはあります。それから、ベンが盗んだお金を自宅のどこかに隠したことで、そういうお金を持っていることにも罪悪感があります。それで、刑務所でベンが「お金は川に捨てた」と言っていたとハリーから聞いて、その罪悪感がなくなり、ハリーとの結婚に踏み切ります。彼女は信心深い家に育てられたのか、清らかに生きなければならないという心を持っていて、それでハリーにだまされたのかもしれません。これまでハリーに殺された10数名の未亡人も同じ手口でだまされたのでしょう。

初夜のシーンの演出も見事ですが、それは実際に映画を見ていただくとします。ウィラはその気になっているのに、彼女に対して素直に欲望を表現できないハリーは精神的に病んでいます。壁に向ってベットに横になっているハリーの後姿は哀れな感じさえします。

ウィラがベッドで殺されるシーンでは、彼女は悟っているかのようにおとなしくしています。寝室は屋根裏部屋にあるのか、部屋が三角形で、陰影が強いものだから、「カリガリ博士」を代表とするサイレント時代のドイツ表現派を思い起こさせます。ハリーが飛び出しナイフで彼女を刺そうとしているところでショットが替わり、実際に殺すシーンは見せていません。

車とともに川底に沈められたウィラの映像はこの作品の白眉です。残酷だけど幻想的です。気味が悪いけど、きれいです。本によれば、ウィラは実物そっくりに作ったマネキンです。長い藻が水流で揺れ動いていますが、これはイチジクの木を逆さにして根っこをなびかせているそうです。バーディ老人が釣りをしていると、沈められた車に針が引っかかったので、バーディが上からのぞくと、ウィラが車の座席に座っているのが見えるのですが、この映像も不気味な魅力があります。

初夜のシーンとウィラが殺されるシーンの間には、いろいろシーンがはさまれているのですが、一番面白いのは、玄関の前でパールが人形からお札を出して人形の形に切っているシーンです。それを見つけたジョンがお札を人形の中に入れようとしますが、ちょうどハリーが玄関から出てきます。この辺ハラハラドキドキですが、結局ハリーは気づきません。お札が2枚風に吹かれてハリーの足元を通り抜けるという演出がにくいです。


3

子供たちは川を下る。

ハリーは地下室に隠れている子供たちを見つけて、やっと人形の中にお金が隠されていることを知ります。子供たちは家から脱出し、ボートで川に乗り出します。もう少しのところで子供たちを捕まえられなかったハリーの表情と叫び声が、なんともおぞましいです。単に怖いというだけではなく、自分自身の暗部を見せられたような気もします。

子供たちがボートでオハイオ川を下るシークエンスは、スタジオ内で撮影され、作り物めいた感じがします。妹が歌う子守歌も明らかに吹き替えですし、川の途中にいるカエル、ウサギ、クモの巣も画面を合成したのが明らかです。プロデューサーなどはリアリティを出したがっていたようですが、ロートンは、子供のおとぎ話だからということで、リアルには描かなかったようです。私もそれで良かったと思います。

唯一リアリティを感じるのは、途中岸に上がって、ある家の主婦からふかし芋か何かをもらうショットで、他のホームレスの子供たちももらっていて、不況時代の物語だということを意識させられます。

夜になって二人は岸に上がり、農家の納屋の二階で寝ようとしますが、ハリーがいつも口ずさんでいる「頼れ、頼れ、永遠の御手に頼るのだ」という歌が聞こえてくるので、ジョンが起きると、遠くの丘の上をハリーが馬に乗ってゆっくり進んでいるシルエットが見えて、ジョンは「奴は寝ないんだ」と口アングリです。ここは、ゆっくり進んでいるのを見せるために、小さい馬に小柄な代役を乗せて撮影したというようなことが本に書いてありました。ちなみに、ハリーが子供たちを追跡するのに白い馬に乗っているというのも、なんかおとぎ話みたい。


4

レイチェルに拾われる。

リリアン・ギッシュ扮するレイチェルが川岸で寝ているジョンとパールを見つけ、自分の家に連れて帰ります。ここまでは、ジョンとハリーの対決が中心でしたが、ここからはレイチェルが中心になります。チャールズ・ロートンはグリフィスの大ファンで、リリアン・ギッシュを崇拝しているようで、ハリーの扱いが少々ぞんざいになります。実はロバート・ミッチャムが、スタンリー・クレーマーの監督処女作「見知らぬ人でなく」とのかけもちになってしまったという事情もあるようです。そういえば、リリアン・ギッシュは冒頭にも出てきて、聖書の一節か何かを読みますが、あれはグリフィスの「イントレランス」の影響か。

レイチェルはすでに三人の女の子を養っています。パールを演じるサリー・ジェイン・ブルースはまったく演技ができないので、ここに至るまでも印象が薄かったですが、ここからあとは女の子たちに混じってしまって、ほとんど印象がなくなります。彼女は映画の最初から、あきらかにロートンの演技指導に従っているだけで、ときどき動きが不自然に見え、この映画が好きでない人には失笑ものでしょうが、この映画が好きな人には、それも魅力の一つになります。たとえば、ハリーがジョンとパールの居所を見つけて、レイチェルの家を訪ねる場面で、パールがハリーに近づくときに人形を落とすのを見せるショットがあるのですが、いかにも人形を落とすことだけを示すためにインサートされたショットで、編集もパールの動きも不自然です。

ハリーとの対決。

ハリーがレイチェルの家を訪れるシーンは、屋外で撮影したショットとスタジオで撮影したショットを組み合わせています。屋外で撮影していたときは細かい表情や仕草まで考える余裕がなかったのでしょうか。全体的にユーモアが漂っている作品ですが、特にこのシーンはコッケイです。真正なキリスト教信者であるレイチェルから見れば、ハリーは胡散臭い感じで、刺青を使った説教も通用しません。鉄砲を構えたレイチェルがカッコいいのとは対称的に、落ちた人形を拾ったジョンを追いかけて地面を這いずり回り、レイチェルに鉄砲の先でお尻をつつかれるハリーは無様です。

ハリーはレイチェルに鉄砲を突きつけられて退散しますが、夜戻ってきます。5人の子供を敵から守る初老の夫人という設定は、今なら、これでもかこれでもかとサスペンスを盛り上げるところでしょうが、このシークエンスは、よく理解できないけど、何か意味ありげなシーンが中心になっています。外にいるハリーが例によって「頼れ、頼れ、
永遠の御手に頼るのだ」と歌っていると、家の中で鉄砲を持って椅子に座っているレイチェルが一緒に歌いだすのです。レイチェルは「キリストに頼れ、キリストに頼れ」と歌っていて、ハリーの歌と少々ニュアンスが違うらしいのですが、そんなことより、敵の歌に合わせて口ずさむというのが不思議な感じです。(このシーンは撮影にも工夫を凝らしていますが、それは映画を見てのお楽しみということで。)

ハリーが警官に逮捕される場面で、ジョンが父親の逮捕を思い出して、「連れて行かないで、連れて行かないで」と言い出すのも、ハリーとレイチェルのデュエット同様、何か複雑な感じがします。

この映画はムードがよく変わりますが、ハリーの処刑を求める集団が暴徒化するシーンも異様です。善良と思えたアイスクリーム屋の夫婦も加わっており、狂ったようにリンチを求めています。で、どうなるのかと思いきや、ムードが突然変わり、レイチェルを先頭に、子供たちが一列に並んで、その場を去って行くのを真横からとらえた可愛いショットになります。

こうしたムードの変化のほかに、ジャンルの混合(単なるホラー映画でもサスペンス映画でも子供映画でもない)やハリウッドの古典的スタイルから逸脱した編集など、「勝手にしやがれ」や「ピアニストを撃て」といったヌーベルバーグ作品を先取りしています。この映画の準備段階でロートンとスタッフたちはグリフィスの映画を何度も見たそうですが、まだ映画技法が固まっていない頃の創造力豊かな映画に立ち戻ったことによって、よくできた「上質の」ハリウッド映画とは違う、実験精神に富んだ個性的な作品ができあがったんだと思います。

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村長 粟村彰義
 
(アワムラ アキヨシ)