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シネシャモ

忘れじの面影
Letter from an Unknown Woman
2003年5月 第2回上映

前置き

第1回上映は通常見ることのできない作品だったので、それを反省して、今回からは入手しやすい作品を選んだつもりでした。ところが、これ、現在DVDもVHSも日本版が出ていないんですね。私は数年前にアメリカ版を購入しました。細かい会話の内容は分かりませんが、字幕がないので、きれいな画面を楽しむことができます。

映画から採録したシナリオを収めた "Letter from an Unknown Woman" (Rutgers Films in Print, Vol. 5) という本が出ています。これを読みながら、映画を見ると、英語の勉強にもなります。しかも、この本には原作の短編小説も掲載されています。


スタッフとキャスト

白黒 90分弱 アメリカ公開1948年6月
監督 マックス・オフュルス Max Ophuls (1902-1957)
ユダヤ系ドイツ人。ドイツで演劇や映画の演出を手がけていたが、ナチスが政権につく直前の1933年、パリに移住。1940年にパリがドイツに占領されたため、アメリカに渡る。ハリウッドで数本監督したのち、1950年フランスに戻り、「輪舞」、「快楽」、「たそがれの女心」、「歴史は女で作られる」を作る。息子のマルセル・オフュルスも監督で、ドイツ占領下のフランスを描いた「悲しみと憐れみ」(1971)が有名。
制作 ジョン・ハウスマン John Houseman
原作 シュテファン・ツヴァイク Stefan Zweig, "Brief Einer Unbekannten"
脚本 ハワード・コッチ Howard Koch (「カサブランカ」(1943)でアカデミー脚本賞受賞)
撮影 フランツ・プラナー Franz Planer
編集 テッド・J・ケント Ted J. Kent
美術 アレクサンダー・ゴリツェン Alexander Golitzen
衣装 トラヴィス・バントン Travis Banton
音楽 ダニエル・アンフィテアトロフ Daniele Amfitheatrof
制作会社 ランパート・プロダクション Rampart Production
配給 ユニバーサル・インターナショナル Universal International
  
リーザ ジョーン・フォンテーン Joan Fontaine (1917-)
1歳年上の姉、オリビア・デ・ハビランド Olivia de Havilland と同じく東京生まれ。いったんアメリカに戻ったが、10代に目黒の聖心女学院に通う。1940年代の初め、ヒッチコックの「レベッカ」と「断崖」に主演し、後者でアカデミー主演女優賞を獲得。同じ年に姉も主演女優賞にノミネートされていたが、敗れたために不仲になる(二人とも80半ばで健在らしい)。彼女の従順な性格がなければ、「忘れじの面影」もヒッチコック作品も信じがたい話になったかもしれない。(注: 役名の Lisa は、日本的に読むと「リサ」ですが、映画の中では「リーザ」と呼んでいるように聞こえます。)
ステファン ルイ・ジュールダンLouis Jourdan (1919-)
フランス生まれで、第二次大戦中は地下運動に参加。知的で上品な二枚目。性格が控えめなのか、「恋の手ほどき Gigi 」など、女優の相手役としてしか印象がない。ピアニストでプレイボーイという「忘れじの面影」の役柄にピッタリで、これほどの二枚目でなければ絵空事になってしまう。この人も80代半ばで健在らしい。


あらすじ

舞台は19世紀末のウィーン。少女リーザが母親と二人で暮らすアパートにコンサート・ピアニストでプレイボーイのステファンが引っ越してくる。リーザは彼に夢中になるが、母親が再婚したためにウィーンを離れる。数年後、ステファンを忘れられないリーザはウィーンで一人暮らしを始める。高級洋服店のモデルとして生計を立て、仕事が終わると、自分が前に住んでいたアパート近くの街角に立ち、ステファンがピアノを弾くのを聴いている。ある日、街角に立つ彼女にステファンが声をかける。ステファンは彼女のことをおぼえていないが、二人はそのままデートをし、一夜をともにする。ステファンはリーザに再会を誓って演奏旅行に出かけるが、そのまま音沙汰がなくなる。リーザはステファンの子供をもうけ、子供が9歳になったころ、裕福な年配の軍人と結婚する。リーザとステファンはオペラ劇場で再会する。リーザは、夫の制止を振り切って、ステファンのもとに走るが、ステファンは彼女とどこかで会ったことがあるという程度の記憶しかなく、リーザは失望する。まもなくリーザと息子は腸チフスで亡くなり、リーザの夫とステファンは決闘することになる。

映画は、決闘の前夜から始まります。ステファンが帰宅して、「見知らぬ女性」からの手紙を読み始めると、リーザの回想になって、リーザの視点から物語が進行します。最後は、手紙を読み終えるステファンに戻ります。リーザの手紙を投函したのは病院の看護婦で、リーザが死亡したことが書き添えてあります。当初、決闘する気がなかったステファンは、手紙を読んで決闘する気になり、翌朝、リーザの夫が乗る馬車とともに、決闘の場に出かけるところで終わります。


原作との比較

原作で、見知らぬ女性からの手紙を受け取るのは、ピアニストではなく、著名な作家です。その女性の名前は最後まで分かりません。その作家が彼女のアパートに引っ越してきた当時、彼女は13歳で、ウィーンで一人暮らしを始めるのは18歳のときです。(映画に対する批評の中には15歳と書いてあるものもあります。ステファンが引っ越してきてから何年一緒のアパートに暮らしていたか分からないけど、13歳から15歳ごろなんでしょう。)

映画でリーザとステファンが夜を共にするのは一夜だけではないようです。彼は、彼女に内緒で、彼女が勤める洋服店に客として訪れるぐらいだから、1夜限りの女性ではありえません。原作では、二人が夜を共にしたのは3回だと明記されています。

原作には、リーザがステファンに子供のことを10年間打ち明けなかった理由が書いてあります。自分の子供だということを彼は信じないだろうとか、彼に迷惑をかけたくなかったということです。映画でも、教会の病院でシスターから父親の名前を問われても答えないシーンがありますが、たぶんステファンに迷惑をかけたくなかったのでしょう。

映画では、子供が9歳になったとき裕福な男性と結婚しますが、それ以前は省略しています。原作では、誰とも結婚しておらず、「自分を売って」生活していたようです。子供を出産した時の様子も生々しく描かれています。彼女が勤める高級洋服店は親戚が経営しており、妊娠を知られると母親に告げられるだろうから、仕事を休み、宝石を売りながら生活していました。ところが、出産するころにはお金が尽きてしまい、貧しい人のための産院に入らなければならず、そこで屈辱的な思いをしたようです。

ピアニストまたは作家は彼女のことを覚えていないのに、彼の召使は彼女のことを覚えていたという皮肉は、映画では最後にさらっと示しているだけですが、原作では、より鮮やかに描いています。映画では召使が口が利けない設定になっており、これはうまい方法だと思います(この口の利けない召使は、とてもやさしそうな中年男性で、映画全体を和らいだ雰囲気にしてくれます)。


制作までと完成後
この部分は、"Letter from an Unknown Woman" (Rutgers Films in Print, Vol. 5) の "The Production" という項目を参照にしてます。本では、ハウスマンとコッチのエッセイ、オフュルスのインタビューと手紙が収められており、より詳細に制作のことが分かります。

ジョーン・フォンテーンは、1946年から1951年まで、ユニバーサルの重役、ウィリアム・ドジャー William Dozier と結婚していました。1947年、二人はランパート・プロダクションを設立し、その第1回作品として、ドジャーが数年前から興味を持っていたシュテファン・ツヴァイクの短編小説を映画化することに決めました。ドジャーは友人のジョン・ハウスマンにプロデュースを任せました。ハウスマンが、以前オーソン・ウェルズのラジオ劇場で一緒に働いていたハワード・コッチを脚本家に選ぶと、今度はコッチがオフュルスを監督として推薦しました。オフュルスが、同じような内容の "Liebelei"を20年前に作っていたからです。

撮影はスムーズに進みましたが、映画の完成後、ユニバーサルの重役たちは、映画がヨーロッパ的すぎるとして、大々的には公開しませんでした。公開時の批評も好意的でないものが多く、アカデミー賞のどの部門にもノミネートされませんでした。しかし、イギリスの批評家が評価したために、ロンドンで6ヵ月間上映され、以来、批評家間での評判が高まるとともに、テレビで何度も放映される作品になりました。


ジョーン・フォンテーン中心の映画

上記のように、彼女自身のプロダクションが作った映画なので、ジョーン・フォンテーンが中心です。ステファンがリーザからの手紙を読むシーンが、最初と最後のほかに途中3回ほど出てきますが、それ以外は、その手紙に書いてあるリーザの回想なので、すべてのシーンにフォンテーンが出てきます。彼女の顔には常に照明が当てられています。また、リーザによる一人称のナレーションが随所に出てきます。

ジョーン・フォンテーンは最初14歳前後のリーザとして登場しますが、当時30歳ぐらいだったわりには、うまく演じており、さほど違和感がありません。

衣装も豪華です。18歳になったリーザがリンツの日曜教会に参るシーンでは純白のドレスを着ているし、洋服店でモデルをしているときには、いくつかの服に着替えるし、オペラ観戦の際に着る白いコートも高そうです。


進歩的な女性映画?

リーザのまわりは、ちゃんとした大人ばかりです。彼女の母親は常識的な人だし、母親の再婚相手も庶民的で人の良さそうな仕立屋だし、ステファンは上品で礼儀正しいプレイボーイだし、リンツで彼女が振ってしまう中尉も好青年のようだし、彼女が結婚する相手も立派で礼儀正しい軍人です。したがって、彼女が社会から外れた道に進むのは、純粋に、コンサート・ピアニストであるステファンへの、彼女自身のやむにやまれぬ恋心からです。外部の力が感じられるのは、子供と彼女自身が病気で死ぬことぐらいですが、唐突過ぎて、単に物語を終わらせる口実にしか過ぎないように思えます。

以上のことから考えると、当時の普通の女性客は、よっぽどピアニストにあこがれている女性でない限り、リーザに感情移入できなかったのではないかと推測します。将来性のある若者の求愛を断り、ウィーンで働きながら一人暮らしをし、落ち目のピアニストを立ち直らせるために立派な軍人との結婚生活を棄てようとする女性は、当時よりも現代の女性客のほうが共感しやすいと思います。


絶妙な語り口

最初から最後までよどみなく流れていくような映画です。かなり技巧を屈指していますが、あくまで物語を効果的に語ることを目的としているので、意識して見ないと気付きません。

たとえば、ステファンやリーザが部屋から部屋に移動する際、ショットが切り替わるのですが、その際に1秒か2秒省略されるのです。ステファンが次の部屋に通じるドアを開けるところでショットが切り替わったとすると、次のショットでは、すでにステファンは2メートルぐらい先に進んでいるのです。リーザがステファンの部屋に忍び込むシーンがあるのですが、5メートルぐらい先のピアノを見つけて、そちらに歩き出すと、ショットが切り替わって、もう彼女はピアノのそばまで来ているのです。彼女とピアノの間にソファがあって、それを迂回しなければならなかったはずなのに!ゴダールぐらいジャンプすると気付きますが、これぐらいだと観客は自動的に調整するようです。現に私は、Edward Branigan の "Narrative Comprehension and Film" という本を読むまで気づきませんでした。

かなり長く、変化に富んでいるショットが二つあります。一つは、母親が再婚して、ウィーンから転居したリンツの街頭でのシーンで、もう一つはオペラ劇場のシーンです。

リンツでのショットは、18歳のリーザが両親と一緒に日曜の教会に行く途中、軍隊の大佐から
甥っ子の中尉を紹介され、リーザと中尉が並んで教会に向かうのを移動撮影したものです。大佐と中尉が家から出てくるのを素早くパンしたり、馬車が画面の前方を横切ったり、リーザと中尉が角を曲がったり、この二人がカメラの前を横切って道の逆側を歩いたりして、風景や進行方向がどんどん変わっていきます。リーザと中尉は、最初、画面の左から右に歩いていますが、角を曲がると、今度は左に向かいます。さらに、カメラの前を横切って反対側の道を歩くと、右方向に進むことになります。

リンツの場面は、映画全体の真ん中にあり、その前後とトーンが違います。他が室内や夜間のシーンばかりなのに比べ、天気の良い屋外で撮られ、リーザや他の女性が白いドレスを着て、白いパラソルを差しているので、明るく、さわやかな感じがします。また、中尉がリーザに振られ、父親と共に自尊心を傷つけられ、リーザの両親も狼狽する様子は、どこかコミカルです。軍隊のブラスバンドが演奏する音楽も効果的に使用されています。

リーザとステファンが最後に再開するオペラ劇場のシーンの導入ショットも、50秒足らずですが、とても豊かです。モーツァルトの「魔笛」が上演されることを示す看板からパンすると、豪華なオペラ劇場のロビーが写ります。着飾った金持ちや軍人がロビーを行き来するのに合わせて、カメラが左右に何度かパンします。カメラはパンしながら、ロビーの奥のほうに移動していきます。すると、すぐに目を引く純白のコートを着たリーザと夫が画面の奥から現れ、中央の大きな階段を上ります。カメラは、クレーンを使いながら、それを追います。階段を上ったところに、数人の男女がいて、ステファンの噂話をしています。それに気づいたリーザが彼らの視線の先に目をやると、ステファンが階段を上っているショットに切り替わります。


アパートの階段

もともとリーザが母親と一緒に住み、その後ステファンが引っ越してくるアパートの階段は、映画の中にたびたび登場し、重要な舞台になっています。

映画が始まってすぐ、ステファンがアパートに帰宅するのですが、階段を上るステファンをカメラは仰瞰で捉えます。階段は、玄関から入ると、正面に数段の階段があり、すぐ踊場になり、2階に上がるには、そこから左に曲がり、緩やかにカーブした階段を上ります。

次に階段が出てくるのは、リーザの回想になってからで、リーザは、ステファンの引越し作業を行っている作業員たちが行き来する階段をすり抜けながら階段を上ります。このシーンでは、ステファンの召使が口頭ではなく書面で作業員に指示していることから、耳は聞こえるが、しゃべることができないのが分かります。また、リーザの部屋のドアがステファンの部屋の真向かいにあることも分かります。

リーザは、ある日、ステファンの部屋に忍び込むのですが、召使に見つかってしまい、逃げ出します。ドアを開けると、階段の中ほどで母親が恋人とキスしています。娘に気づいた母親は、恋人を娘に紹介することなく、恋人にその場を立ち去らせます。このシーンは、カメラが最初リーザの視線から母親と恋人を見下ろしていますが、いくつかのショットが積み重ねられたあと、カメラがパンしながら、リーザの後姿、母親が階段を上るところ、恋人が階段を下りるところを同時に捉えたダイナミックなショットが続きます。

母がその恋人と結婚したために、リーザはウィーンを離れなければなりません。転居先のリンツへ向かう列車をウィーン駅で待つ間、リーザはステファンに会いたくてしょうがなくなり、こっそりとアパートに戻ります。ステファンが不在なので、彼女は3階に上る階段で彼の帰宅を待ちます。しばらくすると、ステファンが女性といちゃつきながら戻ってきます。彼らが玄関から入ってくる様子をリーザの頭越しに真下を見るような感じでカメラが捉えます。カメラが移動しながらパンすると彼らは一瞬画面から消えますが、階段を上るにつれ再び現れてきます。カメラが真上から覗き込むようなこのショットは、不思議な効果をもたらしています。彼らが部屋に消えたあと、リーザはトボトボと階段を下りていきます。

18歳になり一人でウィーンに戻ったリーザは、モデルの仕事を終えたあと、アパートの外からステファンの部屋の窓を眺めるのが習慣になっていたようなんですが、ある日、ステファンに声をかけられます。二人はレストランや遊園地で楽しい時間を過ごした後、アパートに戻ってきます。ここで彼らが玄関から入り、階段を上る場面のカメラワークは、上述のシーンでステファンが別の女性と自分の部屋に向か場面のカメラワークとほとんど同じです。つまり、リーザは、ステファンが一夜を共にする他の女性と変わらないことを表現しようとしているのかもしれません。

リーザが結婚後、オペラ劇場でステファンと再会した後、アパートを訪れる場面では、カメラはクレーン撮影で、ずっとリーザの表情を追います。夜の階段は暗いのに、彼女の顔にはしっかりと照明が当てられています。彼女は、結婚生活が破綻することを覚悟でステファンの部屋に向かっているのです。ところが、ステファンはやはり彼女のことを覚えておらず、他の女性と同じ扱いをするので、リーザはこっそりと帰ってしまいます。階段の途中で、召使とすれ違いますが、彼女が誰か知っている召使は、彼女が玄関を出て行くのを見つめています。


ステファンとのデート

18歳のリーザが街角でステファンに声をかけられてデートするシーンも面白いので、そのデートについて詳しく書いてみようと思います。

リーザをデートに誘ったステファンは、まず、アパートの近くのレストランに入り、知り合いのウェイターに、「仕事関係者が来たら、今夜はリハーサルに出れないと告げてほしい。今付き合っている女性が来たら、今夜は仕事があると告げてほしい」と頼みます。

ステファンとリーザは、高級レストランの個室で、ワインを飲みながら、ロブスターを食べます。途中、ウェイターがやってきて、「隣室の伯爵夫人が、午後のコンサートのパンフレットにサインをほしいそうです」と言うと、ステファンは、ウェイターが差し出すパンフレットに快くサインします。ステファンがワインに関する講釈を始めると、リ-ザは「あなた自身のことを話してほしい」と頼みます。ステファンが、「聴衆は私の音楽を、あまりにたやすく受け入れてくれる。ときどき、自分よりも他人を喜ばすほうが簡単だ」と言うと、リ−ザは、「あなたの演奏を聴いていると、自分が捜し求めているものを見つけていないように思える」と言います。(どうも、リーザは、ステファンが音楽的に行き詰まったときに救うことができる唯一の女性になることを夢見ているようです。結婚後、彼のもとに走ったのも、彼を立ち直らせることができるのは自分だけだという思い込みがあったようです。ステファンにとっては、いつでも単なる一女性にすぎないのですが。)

二人は馬車に乗り、遊園地に向かいます。その途中、ステファンは、街角の花売りから白いバラの花を1本買って、リーザにプレゼントします。

遊園地は、雪が積もっており、夜遅いせいか、店がほとんど閉まっているようです。後方に観覧車がうっすらと見えます(この映画の1年後に公開される「第三の男」もウィーンを舞台にしており、観覧車が出てきます。ウィーンの観覧車は有名らしく、この映画が描いている19世紀末に作られたようです)。実演販売の大きなアメを買ったあと、ふたりは、列車のコンパートメントを模したアトラクションを楽しみます。世界の名所を描いた絵が列車の窓を通り過ぎていきます。ここでリーザは、自分が小さい頃、父親が旅行会社の友人からもらってきた絵を見ながら二人で世界を旅していたと話します。

その後、ダンスホールで、中年女性ばかりのバンド演奏をバックに、二人だけで踊っていますが、夜遅いらしく、二人に付き合っていられないと不満げなバンドの女性陣はさっさと帰ってしまいます。自分たちだけの世界に酔いしれていた二人は、バンドがいなくなったことにしばらく気づかなかいのですが、それに気づくと、ステファンはピアノに向かって、バンドが演奏していた曲を弾き始めます。「突然消えてしまうことはないと約束してほしい」とステファンが言うと、リーザはうなずきます(このあと、旅行に出たまま音沙汰がなくなるのはステファンのほうです)。

その後、二人はステファンのアパートに向かいます。


あとがき

全体の構成が今ひとつですが、2回目の上映にしては、けっこう書き込んだと思います。でも、何か物足らないので、何年かしたら再上映しようかなとも考えています。

20数年前にテレビで1回見て、20年ほど前に映画館で3回見て、2年ほど前にビデオを買って2回ほど見ましたが、この1ヵ月で、かなりこの映画に対する理解が深まりました。

冒頭でも言及している "Letter from an Unknown Woman" (Rutgers Films in Print, Vol. 5) という本がとても優れた本だということが分かりました。10年前に購入していたのに、原作の短編小説が収められていることさえ、これまで気づきませんでした。


それにしても、この映画、アメリカでもビデオが入手しにくくなったみたいです。(2004年9月追記: あまり詳しくありませんが、どうもインターネットでこの映画を見ることができるようです。)(2006年3月追記: 2005年9月にGPミュージアムというところから日本版DVDが発売されたようです。)

第三回上映は、ピアニストつながりで、「ピアニストを撃て」を予定しています。乞う、ご期待!

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