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シネシャモ
(過去の上映作品はこちらで)

2004年11月 第20回上映
ピクニック
Une Partie de Campagne

今月はジャン・ルノワール監督の未完の傑作を上映します。なんといっても驚きなのは、今年紀伊国屋書店から発売されたDVDで、40分の本編に86分の「撮影風景」(NG集)と15分の「リハーサル」がオマケについていることです。70年近く前の映画なのに、こんなフィルムが残っているなんて。



1936年 フランス 39分 白黒

スタッフとキャスト

製作: ピエール・ブロンベルジェ Pierre Braunberger (1905-1990)
有名なプロデューサー。主な作品:「アンダルシアの犬」、「牝犬」、「ゲルニカ」、「我は黒人」、「ピアニストを撃て」、「女と男のいる舗道」、「ミュリエル」。
監督: ジャン・ルノワール (1894-1979) 
脚本: ジャン・ルノワール (原作モーパッサン、台詞協力ジャック・プレヴェール)
ご存知、画家オーギュスト・ルノワールの息子。30年代のルノワールは、「牝犬」、「素晴らしき放浪者」、「トニ」、「ランジュ氏の犯罪」、「どん底」、「大いなる幻影」、「獣人」、「ゲームの規則」など、傑作ぞろい。
撮影: クロード・ルノワール (1914-1993)
ジャンの兄で俳優のピエール・ルノワールの息子。つまりジャンの甥っ子で、画家ルノワールの孫。70年代末までたくさんの映画の撮影を担当しています。(ちなみに、ジャンの弟の名前もクロードで、「ラ・マルセイエーズ」や「獣人」で助監督を務めています。同じ名前の叔父さんと甥っ子がいて、二人ともジャンの映画に関わっているのだからややこしい。)
主な作品: 「トニ」(ルノワール、1935)、「七月のランデヴー」(ジャック・ベッケル、1949)、「河」(ルノワール、1951)、「黄金の馬車」(ルノワール、1953)、「恋多き女」(ルノワール、1956)、「ピカソ−天才の秘密」(クルーゾー、1956)、「血とバラ」(ヴァディム、1960)、「大進撃」(ジェラール・ウーリー、1966)、「バーバレラ」(ヴァディム、1968)、「フレンチ・コネクション2」(ジョン・フランケンハイマー、1975)、「007/私を愛したスパイ」(ルイス・ギルバート、1977)
音楽: ジョゼフ・コスマ (1905-1969)
シャンソンの名曲「枯葉」で有名。ルノワール作品は、「大いなる幻影」、「獣人」、「恋多き女」、「コルドリエ博士の遺言」、「草の上の昼食」、「捕らえられた伍長」など。
編集: マルグリット・ルノワール
結婚していなかったが当時のルノワールのパートナーで、自らルノワールという姓を名乗っていました。共産主義の闘士。
助監督: ジャック・ベッケル、イヴ・アレグレ、アンリ・カルティエ・ブレッソン、ルキノ・ヴィスコンティら。
のちに有名になる人たち。各自調べてください。
娘アンリエット: シルヴィア・バタイユ Sylvia Bataille (1908-1993)
当時、作家で哲学者のジョルジュ・バタイユの奥さんだったそうです。のちに哲学者ジャック・ラカンと再婚。この映画ではさほど魅力を感じませんが、オマケの「リハーサル」に垣間見える普段の表情はとても魅力的です。たぶん、映画での乙女役は彼女には若すぎたのではないでしょうか。(1985年冬の「季刊リュミエール」第2号に掲載されたプロデューサーのブロンベルジェのインタビューによれば、当時、10年間、彼女はブロンベルジェの愛人だったとか。)
父デュフール氏: アンドレ・ガブリエロ Andre Gabliello (1896-1975)
いわゆる「デブ・キャラ」。パリで小さな店を持つプチブルの役。1934年ごろモンマルトルのキャバレーでシャンソン歌手として人気だったとか。60年代半ばまで脇役として数多くの映画に出演していたようです。
母デュフール夫人: ジャーヌ・マルカン Jane Marken (1895-1976)
1910年代から70年代初期まで、ずっと脇役として映画に出演していたようです。出演作は、「北ホテル」、「悲恋」、「天井桟敷の人々」、「夜の門」、「デデという娼婦」、「素直な悪女」などなど。
祖母: ガブリエル・ファンタン Gablielle Fontan (1873-1959)
演劇人。映画界入りは1920年代末で、すでに50歳を超えていました。以後、亡くなるまで、数多くの映画に出演しています。たとえば、「舞踏会の手帖」、「肉体の悪魔」、「愛人ジュリエット」、「夜の騎士道」、「殺意の瞬間」、「リラの門」などなど。
使用人アナトール: ポール・タン Paul Temps
デュフール氏の店の使用人。貧弱な体型で精神年齢も低そう。デュフール氏といつも一緒で、このコンビは明らかに「ローレルとハーディ」を模しています。可哀想にアンリエットは彼と結婚させられる運命にあります。ポール・タンという俳優についてはよく分かりません。
アンリ: ジョルジュ・サン=サーンス Georges Saint-Seans
ジョルジュ・ダルヌーという別名もあるようですが、少し映画に出演して、少し助監督をした以外、全然知らない人です。正装した都会の夜のプレイボーイなら似合いそうだけど、この映画でのTシャツを着た田舎のプレイボーイは、なんか違和感があります。少々年を取りすぎた感じがします。プロデューサーのブロンベルジェによれば、「1年たって、ルノワールが撮影を再開することに同意してくれました。ところが、肝心のダルヌーが老けてしまっていて、シルヴィアも多少そうでしたが、もとのままの室内シーンを撮ることは不可能でした。」(1985年冬「季刊リュミエール」第2号)
ルドルフ: ジャック・B・ブリュニウス Jacques B. Brunius (1906-1967)
アンリの相棒で、アンリが内省的なのに対して、とても陽気。トリュフォーの「突然炎のごとく」のジュールとジムは、明らかにアンリとルドルフを参考にしています。細長い顔の人で、監督もやったことがあるようですが、「ランジュ氏の犯罪」、「獣人」、「アモーレ」、「ラベンダー・ヒル・モブ」などに脇役として出演しています。
ジャン・ルノワール
マルグリット・ルノワール
アラン・ルノワール
ジャン・ルノワールはレストランの亭主の役。編集者マルグリットは給仕する女性の役。アランは、ジャンが最初の妻カトリーヌ・エスランとの間にもうけた息子で、最初に橋の上から釣りをしている少年。

あらすじ

あらすじをざっと述べておきます。「1860年の夏の日曜日、パリの金物商デュフール氏は妻と義母と娘と未来の婿養子アナトールを連れて隣の牛乳屋から借りた馬車でピクニックに出かけた。」というのが冒頭の字幕。未完成だから、こういう字幕が付いているのです。

良さそうなレストランを見つけた一行は、そこでピクニックを楽しむことにします。レストランにはボート遊びに来たアンリとルドルフがいて、ブランコをこぐ娘アンリエットに魅了されます。

一行はレストランから取り寄せた昼食を草の上で楽みます。母とアンリエットは暖かい日差しの中で肉体的欲望を感じますが、デュフール氏とアナトールは釣りにしか興味がありません。二人が釣りをする間、母はルドルフと、アンリエットはアンリとともに別々のボートで河に漕ぎ出し、陸に上がって各々関係を持ちます。

数年後、アンリが思い出の場所を訪れるとアンリエットがいますが、そのかたわらには夫となったアナトールが寝ています。二人は、お互いを忘れたことがないという短い会話を交わしますが、アナトールが起きたために別れます。

久しぶりに見て思ったこと

久しぶりに「ジャン・ルノワール自伝」を読むと、アメリカ時代のルノワールも面白そうだし、フランスに復帰してからも面白い。「牝犬」(1931)より前はちょっと今のところは見る気がしませんが、実験映画特集のような催しで、「チャールストン」や「水の娘」からの抜粋を見たことがあります。自伝から気に入った一節を抜書きすると:
  • 私にとって理想は、まったく主題のない、ひとえに監督の感覚に基づく、その感覚を俳優たちが一般公衆にわかる形に表現してみせた、そんな映画であった。(68ページ、「映画作法を求めて」)
  • 現実を飽くなき関心をもって観察することが第一。そしてさまざまな角度による撮影、照明などによって装置や風景、人物の顔の表情に奥行と広がりを与えることが必要不可欠である。(69ページ、「映画作法を求めて」)
  • 「水」抜きの映画など、私には考えられない。(81ページ、「友情」)
  • あらゆる芸術的創造の目的は人間の理解
  • 人間が興味を持つ対象はただ一つ、人間そのものなのだ。(168ページ、「俳優と真実」)
  • ショウや映画、あるいは芝居というものは、作者と観衆が協力し合わなければ、ある一定の水準にまで到達することは叶わぬものである。(174ページ、「アルベール・ピンケヴィッチ」)
  • 全てを言い切らず、常に解釈の余地を残して、物語の設定や登場人物の感情について各人が考えながら家路を辿るように持って行く。(174ページ、「アルベール・ピンケヴィッチ」)
  • 題材がありふれたものであればあるほど、映画の「作家」に創造の余地を与える。(178ページ、「ラ・マドロン」)
  • 人は自己を取り巻く環境から出発して、自我に到達する。(213ページ、「1939年・「ゲームの規則」)
  • 真の危険は、私の見るところでは、いわゆる「完璧さ」に対する盲目滅法な執着にこそある。(257ページ、「変れば変るほど」)
この自伝によると、ロケ地は「マルロットから数キロメートル離れた、ロワン川の畔(ほとり)」だそうです。

1978年6月に大塚名画座「素晴らしき放浪者」との併映、1983年11月にフィルムセンターで「人生は我等のもの」との併映で見る。私にとっては水面のゆらめきと木々のざわめきだけで十分傑作でした。長い間見ていなかったために私の中で神格化されましたが、久しぶりに見たら、やはり40分は物足りません。しかし、オマケの90分のNG集がそれを補っています。(1977年3月26日から4月28日まで岩波ホールで「素晴らしき放浪者」との併映で公開されたのが日本初公開だと思いますが、そのときには見に行っていません。)

いい加減さが好き。ジョン・フォードや黒澤明は、理想的な雲の配置になるまで何日間も待ちそうだけど、ルノワールは天気が変わるとシナリオを変えます。(「いい加減さ」というより「柔軟性」と言い換えたほうがいいですね。)

NG集を見ながら本編をふくらます

開巻

本編は、少年が橋の上から釣りをしているところへデュフール一家が乗った馬車が通りかかるところから始まります。ちょうど少年が魚を釣ったところで、それを見た釣り好きのデュフール氏が、その辺で昼食をとることに決めるのです。

NG集には、そこに至るまでの馬車の様子が2シーンあります。どちらも編集なしの1ショットで撮影しています。どちらも面白いシーンなので、田舎に到着するまでの道中記が最初にあったらなあと悔やまれます。
  • 最初のシーンは、道が奥に伸びているショットが出てきます。画面奥からみすぼらしい身なりの少年が二人カメラのほうに向ってきます。そのうしろから自転車に乗った男性がやってきて、二人を抜き去ります。その自転車は当時の前輪が異常に大きな自転車です。馬車は画面の手前から入ってきて、画面奥に走り去ります。
  • 次のシーンは、道端に馬車を止めて、馬車に乗ったまま田舎の景色に感嘆する5人です。これを見ると、この家族は仲の良い愉快な家族だし、5人によるまとまった演技も見事です。このシーンは2テイク収められています。
本編では、続いて、車か何かの上からレストランを移動撮影したショットになります。その映像の上に、「良さそうなレストランじゃないか」というような家族の会話がかぶさります。ドキュメンタリー風な少々ぶれたショットで、こういうのは古典的ハリウッド映画にはないもので、ヌーベルバーグにつながる新鮮さがあります。NG集にはNGショットが一つ収められています。レストランのドアから出てくる給仕の女性が、手前の木の向こうに隠れてしまったので、もう一度撮ったのだと思います。

続いて、馬車から降りるショットになります。本編では祖母の耳が遠いのと、デュフール夫人が甲高い声で笑う以外、特に印象に残らないショットですが、NGショットでは、デュフール氏が妻を馬車から降ろすときに、彼女の足かお尻をさわるのが分かります。そのときに「せっかく田舎へ来たのだから」というセリフをデュフール氏が言いますが、これは本編にはありません。本編では昼食後に妻が「昨年は楽しんだじゃない」と誘うのに対して、眠いので面倒臭そうにしているデュフール氏ですが、このNGショットを見ると、到着したときにはまだ元気だったようです。

Girl on a Swing

デュフール一家が到着したのをアンリとルドルフがレストランの入り口のところで見ています。二人はレストランのテーブルに座って、そのうち都会人だらけになってしまうというような話をします。この二人がどういう人か知らないのですが、休日にボート乗りを楽しむ近所の農家の若者でしょうか(若者というには少々年を取りすぎています。モーパッサンの原作を読めば解決するかもしれません)。会話が多いだけにNGショットもけっこう収められていますが、ルドルフが口ひげをセットするマスクのようなものをしている以外、特に興味深いこともないので、細かく見る必要もないでしょう。(インターネット上で無料で読める原作の英訳 "A Country Excursion" を見つけました。そのうちこれを読んで、補足します。タイトルを "A Day in the Country" と英訳している本もあるようです。)

ここはジャン・ルノワール自身が演じるレストランの亭主も登場します(一行が馬車から降りるシーンですでに登場してましたっけ?)。なんか照れているような感じや、カメラを意識しているような感じがします(こっちがそう思うだけかもしれませんが)。それに、「ゲームの規則」でもそうだけど、演じている人物がなんかガサツそうなのが、私のイメージする映画作家ルノワールとギャップがあります。


ルドルフがさっと窓の扉を開けると、少し遠くのほうでブランコに乗っているアンリエットが見えます。奥行きがあり、室内と屋外の明るさの対比もあって、印象に残るショットです。

ここで画面は屋外になります。NG集には本編にないシーンがあります。奥のほうでデュフール夫人とアンリエットがブランコをこいでいる手前で、デュフール氏とレストランの亭主が会話しています。デュフール氏は、自分がパリで金物商を営んでいるとか、レストランの建物が立派だとか言っています。レストランの外部に何か金物が飾ってあるらしく、亭主がイギリス製だと言うと、デュフール氏はイギリスよりフランス製のほうがすぐれていると熱弁をふるい始めますが、亭主は興味なさげです。デュフール夫人がブランコを押してくれと叫んでいるので、デュフール氏とレストランの亭主は画面奥のブランコの方に行きます。
(あれはレストランなのか、旅館なのか。あとで調べてみます。)

アンリエットがブランコに乗っているショットはカメラも一緒に動いていて、新鮮です。うしろの木々が見えたり、空が見えたりします。まったく物語と関係ないので、こういうシーンに力点を置くのは古典的ハリウッド映画ではまれです。すべてが物語に尽くしているようなハリウッド映画と異なり、この作品では、物語はこういう映像を撮るための口実にしか過ぎません。

NG集には農民の馬車が通り過ぎるショットがあります。実に自然なので、実際に撮影現場を通り過ぎている人たちを撮影したのかもしれません。それは本編にはなく、本編には神学生たちがブランコに乗るアンリエットに見とれて、列を乱してしまうのがインサートされます。

塀から子供が4人のぞいています。トリュフォーの「あこがれ」で、太ももあらわに自転車に乗るベルナデッド・ラフォンに春の目覚めを感じ始める子供たちのように、ブランコに乗る妙齢の女性に目が釘付けです。ルドルフもニヤニヤしながら、窓から身を乗り出して見ていますが、「あこがれ」のラフォンと違って、肉体の露出度が少ないので、映画内の男どもが見とれるほどのエロチシズムは、映画を見ている者には感じません。ルドルフは、立ってブランコをこいでいるアンリエットを見ながら、「座ったら、さぞかし見ものだぞ」とか言っており、実際に彼女が座ったときは恍惚としますが、座っても何も見えないので私は肩透かしを食らった感じです。ブランコに乗った乙女が自然と一体化しているさわやかさしか感じません。
(エロチシズムを感じるのはデュフール夫人のほうですが、それは今後のお楽しみ。)

レストランのテーブルに座っているアンリとルドルフは女性談義をします。ルドルフは気楽な男で、アンリは真面目な男だということが分かります。すると、ルノワール扮するレストランの亭主が口をはさんで、デュフール夫人のほうが味が良さそうだとか、楽しめそうだとか言います。こういう女性談義のシーンはフランス映画の十八番のようで、トリュフォーなどのヌーベルバーグ作家の作品にもよく出てくるような気がします。

昼食の前

デュフール氏と使用人アナトールが川をのぞいています。デュフール氏は、知ったげに肉食魚の話をしていますが、アナトールはオツムが弱そうで、デュフール氏の話をうのみにするだけです。ローレルとハーディの漫才を見ているような、おかしなシーンです。それにしても、なぜデュフール氏は、この体も頭も弱そうなアナトールを娘の婚約者に選んだのでしょう。

この愉快な男性コンビと対照的に、デュフール夫人と娘のアンリエットは夏の日差しの中で寄り添って、愛で胸ふくらませています。アンリエットが母の肩に顔をもたらせて、「自然のものすべてに対して愛を感じる」と語ります。これは母性の目覚めでしょうか、春の目覚めでしょうか。いずれにせよ、とてもなまめかしいものを感じます。(「なまめかしい」を新明解国語辞典で調べたら、「女の人の上品な美しさの中に、性的魅力が感じられる様子だ」とありました。まさにピッタリ!)

このシーンはセリフが多いので、けっこうNGテイクが収められており、演技の前後の表情が面白いです。たとえば、今までデュフール夫人の方に顔をもたらせて、ウットリと語っていたアンリエットが、「カット!」の合図で、相手の肩から顔を離して、よそよそしい表情になるとか。(「カット!」はフランス語では「クペ! Coupez!」ですが。)


次は、この男性二人、女性二人のプチブル4人組が、岸につないであるボートを見ながら、「ボートに乗るってさぞかし楽しいでしょうね」とか言いながらワクワクしているシーンです。ここでもデュフール氏は自分の知識を披露し、アナトールはただ感心するだけです。最初のほうで、道で馬車を止めて田舎の風景に感嘆する一家が出てきますが、それと似ているシーンです(残念ながら、最初のほうのシーンは本編ではカットされています)。

一家が昼食しようとしている場所に行くと、アンリとルドルフが寝そべっており、一家はガッカリですが、二人は快く場所を譲ります。ここで初めて、アンリとアンリエットはあいさつを交わします。

昼食後

春川ますみのようにムチッとしたデュフール夫人がドレスの背中を開けて横になっています。暖かい日差しの中で性的欲望を感じたらしく、だらしなく寝そべっているデュフール氏の耳元で「去年は楽しんだじゃない」などと誘いますが、デュフール氏は眠いので、知らん顔です。NG集には、ルノワールが「カット!」の代わりに「素晴らしい!」と声をかけると、夫人役のジャーヌ・マルカンが少しニッコリするのですが、それがとても色っぽい。

欲求不満になったデュフール夫人は、胃腸の弱いアナトールのしゃっくりに我慢できなくなり、甲高い声を出しながらヒステリックに泣きます。水を飲ませてしゃっくりを止めさせるために、デュフール氏はアナトールをレストランに連れて行きます。

女性が二人きりになったのを見たルドルフとアンリはアプローチを試みます。アンリエットがボートに乗りたいと言うので、四人でボート乗りを楽しむことにします。ルドルフが釣竿を持ってくると、デュフール氏は女性陣がボート乗りを楽しむことを快く承諾します。このあたりのアンリエットはボートに乗るのがうれしくてたまらない子供のようです。

ルドルフが釣竿を持ってくる場面で、ミスじゃないかと思えることがあります。ルドルフが「釣竿を持ってくる」と言って画面の左から出て行くのですが、アンリとアンリエットが会話を交わしながら歩いていると、釣竿を持ったルドルフが画面の右から現れるのです。ルドルフが左から出て行った直後に別のショットに切り替わるものの、時間の省略はないようだし、短い間の出来事なので、不自然です。

ボートに乗って...

アンリとアンリエット、ルドルフとデュフール夫人は別々の船に乗り込みます。陸では、デュフール氏の釣竿に靴底かなんかが引っかかり、釣竿を交換しろとアナトールに命令しますが、アナトールは子供みたいに嫌がります(ここもローレルとハーディみたい)。

ボートの上でアンリはアンリエットを森に誘おうとします。アンリエットが「母が心配するから帰ったほうが良さそうだわ」と言うと、ルドルフが漕ぐボートがやってきて、デュフール夫人が甲高い歓声を上げながら、「行けるところまで行きましょうよ」とか言っています。

ルドルフとデュフール夫人のコンビって面白いです。ルノワール扮するレストランの亭主は、デュフール夫人のほうが味が良いと言ってましたが、NG集を見ると、実際、監督ルノワールは、デュフール夫人の演技にご満悦のようで、「カット!」のあとで、「素晴らしい」とか言っているのが聞こえます。ルドフルも傑作です。デュフール夫人が、自分の名前はジュリエットだと言うと、「じゃあ、ぼくはロミオだ」と言ったり、森の中で牧神パンがフルートを吹いている真似をしたりします。

アンリとアンリエットは陸に上がります。アンリエットは最初アンリの愛撫に抵抗していましたが、最後はこらえきれずに身を投げ出して、自分からキスを求めます。ここで時間の省略があり、セックス後になります。といっても、アンリエットは省略前同様にきちんと服を着ているので、現在から見ると、本当にしたのかどうか不明ですが、当時はこの程度の描写で十分それが表現できたのでしょう。

二人がキスをして、アンリエットの目からうっすら涙が流れるという超クローズアップの短いショットがありますが、NG集にはキスのアップが延々と入っていて、今見てもエロチックです。この二人は実生活で特に恋人同士でもなかっただろうに、本番以外でも実に自然に愛撫しているのはフランス人だからでしょうか。

NG集には、各々が情事を済ませた後、母と娘が森の中で出会うという気まずいシーンがあります。本編にはなくて、アンリとアンリエットが関係を持ったあと、自然を撮影した短いショットの積み重ねで雨が降ってくる様子を描写しています。

それから数年後、アンリとアンリエットは思い出の場所偶然出会い、お互い、忘れたことはないという会話を交わします。そばで寝ていたアナトールが起きたので、アンリは隠れ、二人はボードで去ります。ボートを漕ぐのがアナトールではなくアンリエットだというのが面白いです。アナトールは体が弱いからでしょうか。そのくせ、アンリエットには威張っている。当時は、女性が男性に従順に仕えなければならない時代だったのでしょうか。自分で結婚相手を決められない時代だったのでしょうか。仮にアンリエットがアンリと結婚しても幸せになれるでしょうか。


DVDには、カメラテストをまとめた10分ほどの短編も収められています。各役者のカメラの映り具合を確かめるものなのか、主演者やルノワールが照れたように正面を向いたり、左右を向いたりしています。演技をしていない普段の俳優たちの表情を見ることができます。これを見ると、シルヴィア・バタイユは大人の女性として魅力的で、やはり映画の役は若すぎたかなって思います。

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村長 粟村彰義
 
(アワムラ アキヨシ)