"Smile When the Raindrops Fall" という伝記が出ていますが、5千円ほどのハードカバーしかないので、よほど興味がないとキツイですね。
アメリカのメリーランド州バルチモアで1893年に生まれます。1889年生まれのチャップリンより少し年下で、1895年生まれのキートンより少し年上。1940年に46歳で死去。直接の原因は心臓発作ですが、酒好きだったことがたたったようです。
10歳ごろには街頭に立って歌ったりタップダンスをして小銭を稼いでいました。最初は一人でしたが、そのうち街頭芸仲間の少年たちとトリオを組んで、コントもやるようになります。10代半ばになると、劇場に出演することを望むようになり、、寄席(ボードビル)の一座に加入します。
映画に出演し始めたのは1913年からですが、本格的に映画界入りしたのは1914年で、マック・セネットのキーストン社でした。本名のチャールズ・パロット(Charles
Parrott) でチャップリンやメーベル・ノーマンドの映画に助演したり、他のコメディアンの作品を監督したりしました。主演作もあります。
1917年にフォックス社に移籍し、1920年まで年10本ほどの短編コメディを監督しました。
1921年にハル・ローチと契約し、当初はスナップ・ポラード主演の短編コメディを監督しました。1924年から短編コメディの主演を務め始めます。1926年まではレオ・マッケリーがほとんどすべて監督していましたが、マッケリーがハル・ローチ・スタジオ全体の指揮を任されたので、1927年からは弟のジェイムズ・パロットが監督するようになります。ちょうどハル・ローチ・スタジオのスタン・ローレルとオリヴァー・ハーディがチームを組んで爆発的人気を呼んだ頃です。
チャーリー・チェイスはその後も亡くなるまで毎年10本から20本の短編コメディに主演し続けました。1929年からトーキー映画に出演し始めますが、歌がうまいことや、作風がスラプスティックよりもシチュエーション・コメディに近いことから考えると、他のスラップスティック芸人よりもうまく乗り切ったようです(トーキーになってからの彼の短編コメディを見たことがありません)。ただストレスがたまって、酒におぼれるようになりました(キートンもそうだけど、トーキーになったことより、大会社でしか映画を制作できなくなって、自由が奪われてしまったということが原因かもしれません)。
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