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シネシャモ
(過去の上映作品はこちらで)

2005年3月 第23回上映

吸血ギャング団

タイトルこそ違え、前回上映した「Les Vampires」と同じ映画です。前回はあらすじをまとめましたが、今回は次の文献を読んで理解を深めます。

この映画は「ドラルー」というタイトルで当時日本公開されたようです。「ファントマ」が日本でもヒットして、その勢いに乗って公開されたと推測します。それにしても、この「ドラルー」という邦題の意味は何でしょうか。誰か教えてください。

以下の本を持っている人なら、「なんてテキトーな訳と抜粋の仕方なんだろう!」と驚くこと疑いなしです。興味をお持ちの方は必ず原著を当たってみてください。



DVDの解説書

Fabrice Zagury という人が書いている解説のテキトー訳です。興味のある箇所だけ訳しているので断片的になっています。自分なりに書き換えているところもあります。

ルイ・フイヤードは、創始者(リュミエール、メリエス)と20年代の前衛的な作家(アベル・ガンス、マルセル・レルビエ)の間に位置する。動く映像を最もポピュラーな娯楽に変えた。グリフィスの作品のように、フイヤードの作品は、原始的な物語から、洗練され、自省的でさえある芸術作品に進化していった。フイヤードは、自分が住む社会の鋭い観察者であり、自分の時代を意識的に映す鏡だった。

ルイ・フイヤードは、1873年2月19日、フランス南部の小さな町リュネルに住むワイン仲買人の一家に生まれた。才能豊かで、文学を学び、詩、戯曲、雑誌の記事を書いた。1905年に脚本家としてゴーモン社に入社。1907年、アリス・ギイが退社し、フイヤードは彼女の後釜に座り、ゴーモン社の制作全体を任される。

フイヤードは精力的な監督だった。生涯で800本の脚本を書き、そのうちの700を監督した。1913年ごろには年間80本の映画を監督していた。べべ・シリーズ(1910-1913)のあと、「ブ・ドゥ・ザン Bout-de-Zan 」シリーズ(1912-1916)を監督した。どちらも子供が中心のコメディで、「ブ・ドゥ・ザン」は「吸血ギャング団」の第八話にマザメットの子供として出てくる。彼の初期の大ヒット作は5本の長編から成る「ファントマ」シリーズだ。根気強いがトンマなジューヴ警部が大悪党ファントマと戦う。

1920年にフイヤードは自分の信念を次のように説明している。「映画は説教でも協議でも判じ絵でもなく、目と心を楽しませる手段である。この娯楽の質は、観客の興味の度合いによって測られる。」

フイヤードは自らを大衆的な監督であり、知的な監督と正反対の位置にいるとみなしていた。フランスの最初の映画批評家や映画史家たちは、フイヤードをフランス映画の開拓者の一人とはみなさなかった。1920年代の批評家や映画作家たちは、映画を高尚で知的なものにするのを望み、教養のある観客を相手にし、古臭いメロドラマ風なシリーズ物を軽蔑した。これはフイヤードの視点と正反対だった。「私は映画を休息の場、愉快な場、心地良い場、夢の場、すべてを忘れさせてくれる場と考えている。抽象、奇抜、幻覚、奇形の神殿へと変えたがっている者もいるが、それは彼らの勝手だ。大衆は常に勉強するために映画を見に行っているわけではない。彼らは楽しむために集まっているのだ。私は何よりも大衆を上位に置く。楽しむことが彼らの目的だから、唯一の私の目的は彼らの欲求を満たすことだ。大衆は私の主人だ。」

「吸血ギャング団」は第一次大戦中の閑散とした陰気なパリで撮影された。フイヤードは、興味をそそり常にビックリさせるストーリー、環境の空想的で詩的な使用、現実の観察を組合わせることに成功している。彼は、現実離れした登場人物を実際の風景の中に置く。「吸血ギャング団」で最も魅力的なのは時代を直接捉えていることである。もっともありそうにない場面でさえ、20世紀初期を見事に描写している。フイヤードのリアリズムは、都会や郊外の風景、ブルジョワの室内、洋服ダンス、身ぶり、持ち物、人間関係の表現の中に見出すことができる。

フイヤードは、パリとその郊外に主役の座を与え、19世紀に根ざすフランスを描いている。そこは化石化した、永遠を信じる世界であり、ブルジョワの登場人物が共有するモラル同様に不変の世界である。だが、このリアリズムは、奇抜で作り物めいた虚構の世界を排除しない。「劇場でも、文学でも、映画でも、大衆が決して飽きないことがある。小説風の作り話である。この嗜好は、生まれながらに人間が持っているものだ」とフイヤードは言う。彼の作品は19世紀の大衆小説家、アレクサンドル・デュマとユージェーヌ・シューに関連づけるべきである。

「吸血ギャング団」においても小説の伝統を見ることができる。男と女の夢魔、イギリスのゴシック小説、善と悪が必死で戦う大衆小説、秘密組織、誰も知らないリーダー、複雑で混乱した組織の序列など。フイヤードの絵画主義は素晴らしい。海の港、道路、川の土手、古い村、オリーブの木、フォンテンブローの森といった風景は動く絵画だ。フイヤードによれば、ショットが突然印象主義的になる場合があるし、ほとんど抽象的になることさえある。

フイヤードの映画では、いくつかのショットに行動を分けることよりも1ショット内に行動を収めることのほうが優勢である。グリフィスがアメリカ映画を刷新してからしばらくたっても、フイヤードは新たな編集技法を拒否し続け、ショットによる行動の分割やクローズアップを不自然な中断として多用しなかった。画家として、詩人として、フイヤードは、映像の信憑性、すなわち平凡な日常生活に隠された真実の幻影を犠牲にすることなく、最も入り組んだメロドラマと最も迷宮的な連続活劇の作り方を知っていた。

「吸血ギャング団」と第一次世界大戦の社会的・歴史的な同時発生は、「フイヤードの神話」に大いに貢献している。「吸血ギャング団」の公開当時、フランスの空はサーチライトと炸裂する弾丸で引き裂かれていた。パリの閑散とした街並みは好戦的な狂気で破壊され、観客の逃避願望をこの映画の空想的世界に見出すことができる。

オカルト信仰、催眠術、悪魔祓い、透視力、これらすべては、不合理性に取りつかれていることを示している。いくつかの出来事は合理的に説明できるが、説明できないものもあり、シュールレアリストの想像力を刺激した。

「吸血ギャング団」は、戦時中の観客の超自然現象への信仰を満足させた。イルマ・ヴェップは非現実的でもあり、超自然的でもある。彼女は愛を求め、自分の欲しいものを手に入れる。彼女が性的に解放されているために、映画には異端的なところが少しある。イルマ・ヴェップはフイヤードの想像力から生まれたが、彼女は当時の神話の一部となった。彼女は伝染性のエロチシズムと子供のような詩情の両方を放っている。彼女は、取りつかれたように彼女を追い求めるフィリップのような最も理知的な観客に対して未知の世界の扉を開く。

フイヤードの作品は、ダダやシュールレアリスムが生まれた戦後世代の反抗と切り離すことができない。「フイヤードは、驚くべき詩的な天分によって、たやすくシュールな世界を作り出す。彼は自分の夢を実現したような印象を与えてくれる」とアラン・レネはフイヤードを賞賛する。実際、フイヤードが忘れられないでいるのは、シュールレアリストが彼を崇拝したことが大きい。この凝り性のブルジョワと反抗的な若者たちとの出会いは非常に独特である。シュールレアリスムの創始者、ルイ・アラゴンとアンドレ・ブルトンは「吸血ギャング団」をあがめた。映画史家のジョルジュ・サドゥールは次のように言う。「我々が友達になったとき、ブニュエルはフランスの前衛映画に対して非常に厳しかった。彼は当時流行の技法上の離れ業を拒否した。彼の手本は、気どった方法なしに異常な現実を直接描写した「ファントマ」や「吸血ギャング団」だった。」


フイヤードは性や階級の問題を無視しなかった。戦争のトラウマによってもたらされた不安定な社会の中で、男女の関係が変わり始めていることを、この映画は示している。労働者階級と金持ちのブルジョワは互いにサービスを提供しているものの、互いに無関心である。この構造の中で、イルマ・ヴェップは革命的である。昼間彼女はメイド、銀行員、電話交換手として働いているが、本当は、彼女が誘惑する反社会的犯罪者の協力者である。たとえ彼女がヴァンパイア大王、モレノ、サタナス、有毒男の愛人だとしても、本当の黒幕は彼女である。

この映画は、労働者とプチブルの中間的存在が登場する点でユニークである。それはマザメットである。映画が進むにつれ、マザメットは下層からプチブルへと出世する。

自由なアメリカというテーマが何度も出てくる。新しい金が新しい力を生み出す。映画に登場するアメリカ人は、金持ちであれ泥棒であれ、お金をフランスに持ち込む。戦争に疲れた国とその経済はアメリカ資本の流入によって再生される。資本主義は社会的危機に対する解決策かもしれない。

ドイツの侵略から解放されることを待ち望んでる1915年のフランスでこの映画を見ることは一種の儀式である。連続活劇のように今週から次週へと続く記憶は、次週までの物語の空白を埋めようとして、夢や幻想を生む。連続活劇の上映は数ヵ月に及ぶため、観客の精神にしみ込む。シュールレアリストが夢と現実の「連通管」と呼ぶものは、観客に、彼らの日常生活と平行して、空想的な生活を提供する。

フイヤードの話法は因果関係や直線的な論理の上に成り立っておらず、迷宮的でらせん状の道を逆方向に進む。果てしない仮面劇、役割の交換、アイデンティティの喪失は、平凡な現実の背後に神秘的でぞっとする世界を作り出す。ウエイターは偽者で、ワインには毒が混入され、窓はふさがれ、居間は毒ガス室に変わる。

フイヤードと連続活劇

"Cinema: A Critical Dictionary" という2巻から成る映画作家評論集から "Louis Feuillade and the the Serial" という項目をざっと見ていきます。この本は、Robert Aldrich から Karzysztof Zanussi までABC順に200名以上の映画作家についての評論を集めています。寄稿者は40名ほどで、各映画作家に対して1名の寄稿者が文章を書いています。ただ、ヒッチコック、ラング、ルビッチ、ルノワールなどは、たとえば「ドイツ時代のラング」と「1936年から1960年までのラング」というように、2名の寄稿者が書いています。逆に、ルネ・クレマンとクルーゾー、キャロル・リードとデヴッド・リーンなどは二人ひとまとめに書かれています。また、「アメリカの前衛映画」、「フランス映画の起源」、「カリガリ博士」というように映画作家以外の項目もあります。

1980年に出た本で、現在では絶版ですが、アメリカのアマゾンなどで古本を購入できます。かなり安い価格の古本もありますが、もしかしたら2巻のうち1巻だけかもしれません。2巻そろっていると明記されているものは1万円ぐらいしますが、高くはないと思います。この本が出た当時、銀座のイエナで1万数千円だったのであきらめていましたが、しばらくして東京駅近くの八重洲ブックセンターの店頭でバーゲンセールをしていて、7千円か8千円ぐらいで売られていたので購入しました。その後、ずっと愛読しています。

編者はリチャード・ラウド Richard Roud で、フイヤードの項も彼が書いています。ゴダールやラングロワについての本があって、なじみのある人ですが、最近どうしたのだろうと調べたら、1989年に亡くなっていました。ご冥福をお祈りいたします。

ラウドが書いた「ルイ・フイヤードと連続活劇 Louis Feuillade and the Serial」は本文が8ページで、「ファントマ」と「吸血ギャング団」の写真が1枚ずつ挿入されています。各々、見開き2ページを使ってデカデカと飾られていますが、「吸血ギャング団」の写真に写っている場面は、DVDの中で確認できませんでした。DVDには6時間半収録されているけど、それでも完全版ではないのだろうか。連続活劇については最後に少し書いてあるだけで、文章のほとんどはフイヤードについてです。

以下は「吸血ギャング団」に関する部分を中心に訳しています。かなり端折っているので、興味のある方はぜひ原著を当たってみてください。

フイヤードの作品が当時大人気だったことを考えると、長年フイヤードが忘れられた存在だったのが信じられない。フランスでは「ジュデックス」(1916)と他のいくつかの連続活劇の監督として記憶されているが、1944年にシネマテークで「ファントマ」(1913)がリバイバル上映されるまで、彼が大監督だと評価されたことはない。イギリスでは1963年に「ファントマ」と「吸血ギャング団」がナショナル・フィルム・シアターで上映されるまで、アメリカでは1965年にニューヨーク映画祭で「吸血ギャング団」が上映されるまで、誰もフイヤードなんて知らなかった。


これにはいくつかの理由がある。まず、フイヤードの映画は人気がありすぎて、誰も彼を芸術家として真面目に扱わなかった。第二に、彼は1919年から亡くなるまでの6年間に衰退し、以前のような傑作を作ることができなかった。さらに、この時期、映画が大きく変わった。20年代初期にフランスはグリフィスを発見し、魅了された。彼のダイナミックなカメラワークとモンタージュは新しい世代の批評家にとって試金石となった。この二つの技法はフイヤードの作品にないものだった。

40年代半ばにフイヤードは復活した。イタリアのネオリアリズムが野外撮影を多用し、オーソン・ウェルズの最初の二本の作品がヨーロッパで公開され、モンタージュに重きを置かないことと奥行きのある構図が新たな関心を生んだ頃だった。

1910年代はアナーキスト・ギャングが最も活動的な時代だった。中産階級は、暗黒街の勢力の出現におびえた。彼らは権威や財産に対する脅威だった。労働者階級は失うものがさほどなかったので、金持ちがおびえる光景に喜んだ。

フイヤードは悪を描くことで自らの才能を刺激した。彼の最良の映画はすべてそうだ(「ファントマ」、「吸血ギャング団」、「Tih Minh」(1918)、「Barrabas」(1919))。彼が道徳的になろうとすると、彼の映画から力強さが失われる。なぜかというと、彼が意識的に持っている考え方(カトリック信者で君主制主義者)とイルマ・ヴェップやファントマに彼が見出す魅力との間で彼の中に緊張感が生まれ、そこから傑作が生まれるからだ。

映画作者の題材と人格の間で緊張感が生まれる例は他にもある。「キッスで殺せ Kiss Me Deadly」はロバート・アルドリッチの最高の映画だが、これは押しつけられた仕事で、アルドリッチは登場人物にも主題にも強く反発していた。その結果、緊張感が生まれ、あっと驚く映画ができあがった。

あきらかにフイヤードはファントマのような悪の親玉に賛成してもいないし同一化してもいないが、映画は、どこにでも出没し、変装の名人であるこの悪玉を賛美しているとしか思えない。


映画が非常に信じられるものになっているのは、実際の屋外で撮影されているためである。安心な日常風景とその下に隠れた驚くべき事実が絶え間なく影響しあっていることが、フイヤードの優れた作品に共通する魅力の秘訣である。

普通の日常的な背景の中で異常な出来事が起こることほど怖いことはないというのはフイヤードの大発見である(ヒッチコックはこの原理を多くの映画で利用している。たとえば、「北北西に進路をとれ」の農薬空中散布のシーン)。ファンタジーは日常的な現実に基づくことで、より信じられるものになるし、より怖いものになる。

アラン・レネは次のように言う。「メリエスの伝統があるとか、リュミエールの伝統があるとか人々は言うが、メリエスのファンタジックな面とリュミエールの現実主義を見事に結びつけているフイヤードの流れもあると思う。日常生活の最も平凡な要素を使用して神秘を作り出し、夢を喚起させる流れである。」

「ファントマ」よりも「吸血ギャング団」がすぐれているのは、フイヤード自身が脚本を書いているために、全体が映画的に考え出されているからだが(「ファントマ」には原作がある)、もう一つ理由がある。ミュジドラ Musidora 演じるイルマ・ヴェップの存在だ。新聞記者フィリップと悪党たちの戦いは、政治的、社会的な戦いのみならず性的な戦いでもあるのだ。この点で、彼女が警察でもフィリップでもなくフィリップの新妻に殺されるのは興味深い。死んだ彼女をフィリップはじっと見つめている。

「吸血ギャング団」のエピソードの一つが警察によって一時的に上映禁止となり、フイヤードとゴーモン社はビビッた。そのため、次の作品は非常に用心深く作られた。その「ジュデックス」はフイヤード最大のヒット作となった。

Figures Traced in Light

David Bordwell の "Figures Traced in Light" は人物の配置や動きによって映画作家のスタイルを考察した本です。4人の監督に焦点を当てています。ルイ・フイヤード、溝口健二、テオ・アンゲロプロス、ホウ・シャオシェンです。ショットが長くて、画面に奥行きがある人たちです。

「ファントマ」や「吸血ギャング団」は連続活劇ではなく、完結したエピソードごとに上映されたようです。「吸血ギャング団」は30分から1時間ぐらいの10のエピソードで構成されていますが、各エピソードは分割されずに公開されたということでしょう。エピソードを分割して最後に「続く」とか出てくるパテ社の「ポーリンの危機」(1914)を真似た本当の連続活劇は「ジュデックス」(1917)かららしいです。

フイヤードは、低い声でどなり、教練指導官の笛を使って、軍隊のように撮影現場を指揮しました。ステッキを身近に置き、怒るとピシッと鳴らしました。彼はいかなる違反も許さず、吸血ギャング団のリーダーを演じた役者が病気で遅れてきたとき、映画の中でイルマに彼を射殺させ、二度と起用しませんでした(第六話の終りに該当するシーンがあります)。

病人にかまっていられないほど忙しく、撮影前にシナリオを練る時間さえありませんでした。演技者たちは彼の直感に合わせて、いつでも即興で演技できるようにしておかなければなりませんでした。彼は、演技者たちが4分間続けて演技することができて、取り直しなんて必要ないと信じていました。そのおかげで、短編なら午後の間に、40分ほどのエピソードなら3日間で撮影することができました。

撮影の間にスタジオの管理もしました。朝7時半にゴーモン社の社長と会い、きっかり1時間後に撮影を開始します。ストーリーを買い、役者を雇い、他の監督を管理します。夜になると脚本を読みます。休みはほとんど取りませんでした。親友は彼の一座の仲間たちでした。体の弱い最初の妻が1911年に亡くなり、女優と再婚し、彼の娘はカメラマンと結婚しました。忠実な仲間のおかげで、何年も着実に作品を作り続けることができました。

アメリカでは、1917年ごろ、いくつかのショットによってシーンを組み立てる効果的な物語作法が確立されました。短いロングショット(遠写し)で人物の位置を示したのち、さまざまなアングルからのミディアムショットやクローズアップで人物の表情や身振りを明確にとらえるというものです。これは "continuity" スタイルと呼ばれています。

ヨーロッパの監督はこのスタイルをさほど使用しませんでした。野外撮影では、いくらかカット割りをしましたが、室内撮影では、たいてい一方向からの視点から演技が撮影されました。手紙や新聞記事を見せるときにクローズアップが挿入されるぐらいです。演技者のリアクションを強調するためにロングショットからミディアムショットに変わることもありますが、その場合でもロングショットと同じ方向からだし、アメリカのように斜めから撮影するのではなく、たいてい正面からの撮影です。アメリカ以外の監督は、長い1ショットの中で全員で演技させるのを好む傾向がありました。

「吸血ギャング団」の第10話で警察がギャング団のアジトに乗り込むシークエンスがありますが、アメリカの同様のシーンと比べるとショット数がかなり少なく、1ショットが長いです。このシークエンスには19ショットあって、1ショットの長さは平均15.5秒です。当時のアメリカでは4秒から10秒が普通で、グリフィスの「イントレランス」のクライマックスは36ショットあって1ショット平均2.8秒です。

上映時間が長くなり、ストーリーも複雑になる中で、最も重要なものに観客の注意を引きつけるにはどうすればよいか。その一つがアメリカのように細かくカット割りする方法ですが、ヨーロッパの場合はショットが長いので人物の配置に工夫を凝らします。そういったことをボードウェルはフィルムから引き伸ばした写真を多用して説明しています。そのあたりに興味がある方は、この本を読んでください。さほど高い本ではないし、最近発売されたばかりなので入手しやすいです。

Mists of Regrett

ダドリー・アンドリューは、大学のゼミで “Major Film Theories” という本をテキストとして使用していたし、1978年に出版されたアンドレ・バザン伝も当時じっくり読んだので、昔からなじみのある人です。

1998年の “Mists of Regret: Culture and Sensibility in Classic French Film” は、詩的リアリズムと呼ばれる1930年代のフランス映画について論じた本です。そこに至るまでのフランス映画にも触れており、フイヤードについては、第2章の「印象主義とシュールレアリスム」の中で8ページほど書いています。


フイヤードは、ルイ・デリュックやジャン・エプスタンなどの印象主義派からは低級だとして軽蔑されたが、シュールレアリストからは支持された。1929年、アンドレ・ブルトンとフィリップ・スポーは、「吸血ギャング団」でイルマ・ヴェップを演じたミュジドラのために劇を書いた。(彼女に捧げられた劇は1920年にもあった。ミュジドラは現代を最も代表する女優だと信じるコレットが書いたものだ。)

「吸血ギャング団」は、ブニュエルを思わせる神秘的な出来事やモチーフがちりばめられている。秘密の部屋に入ろうとした悪党が仕掛けに引っかかり、大きなクギが彼の手に刺さる(こんなシーンありましたっけ?)。血がにじみ出ている傷のクローズアップは「アンダルシアの犬」で主人公の手のひらからはいでるアリを予告している。突然挿入される回想シーンで、牛が無慈悲に殺され、その死骸が横たわるが、この突然の奇妙な出来事はシュールレアリストの想像力を刺激したはずだ。シュールレアリスト全員が指摘するように、「吸血ギャング団」の神秘的な出来事にとりつかれていないパリの街角はほとんどない。現実と想像が複雑に相互浸透し、平凡な場所が変貌することによって人間たちは変質する。


ルネ・クレールはフイヤード作品の俳優だった。彼が最初に監督した “Paris qui dort”(1924)は、頭のおかしい科学者がパリを催眠にかけて人質にとるというフイヤード風の話だった。パリに向けて発射されるアニメの大砲が「幕間」(1924)に出てくるが、これは「吸血ギャング団」の引用だ。しかし、この二人の映画作家を結びつける最も印象的な映像は、特徴的なパリの屋根をすばやく移動する悪党のシルエットである。クレールは、「ル・ミリオン」(1931)の中で、雨どいをつたって降りてくるフイヤードの悪党たちを嬉々として模倣している。

映画とは何か

アンドレ・バザンは、「映画とは何かIV−映画と他の諸芸術」(小海永二訳、美術出版社、1977年)の「1. 非純粋映画のために−脚色の擁護」の14ページから16ページで、「吸血ギャング団」について言及しています。絶版のようなので、抜粋してみます。文中の「オムニバス映画」は「連続活劇」に、「短篇小説」は「物語」に置き換えたほうがよいでしょう。

新聞連載小説の大衆向きのテクニックを採用しているオムニバス映画は、実は、短篇小説の古くからの構成法を復活させているのである。わたしはそのことを、シネマテーク・フランセーズの感じのよい館長、アンリ・ラングロワが運営の秘密を握るあの映写会の一つで、フイヤードの「ドラルー(吸血鬼)」を再度見ながら、自ら体験を通して悟った。その晩は、二つある映写機の一つだけしか使われていなかった。その上、映写されたプリントには字幕がなかった。わたしは、フイヤード自身でさえ、自分の殺人犯たちをそこに見つけ出すことは難しかっただろうと思う。そこには、誰が善人で誰が悪人かについての賭けが提出されていた。悪漢だと思われていたものが、次の巻では犠牲者であることが明らかにされるのだった。最後に、映写機にフィルムを巻きかえるために十分ごとに室内を照らし出す明かりが、エピソードの数を増やすかのように思われた。こんなふうにして映写されたフイヤードの傑作は、その魅力の美学的な原理を鮮やかに示していた。中断されるたびごとに、失望の「ああ!」という叫び声があがり、再開されるたびごとに、解決を期待する溜息がもれるのだった。観衆には何がどうなっているのかさっぱりわからぬこのお話は、純粋に物語が強要するものだけで、観衆の注意を惹きつけ、その願望を引受けていた。それは、幕間によって勝手気儘に分割された、先存する筋書きなどでは断じてなく、不当に中断された創造行為、神秘の手によって流れを堰き止められた涸れることない泉なのだった。

「以下次号」によって引起される耐え難い緊張と、続いて起る出来事への、というよりはむしろ、物語がどう展開し、一時停止した創造行為がどう再開されるかへの、不安な期待とは、そのことに由来する。実際、フイヤード自身、彼の映画を作るのに、別のやり方をしたわけではなかった。続篇の度に、彼にも先がどうなるのかわからず、彼は、その日のインスピレーションの赴くままに、次々と、続きのエピソードを撮影した。作者と観客とは同じ立場に、すなわち王とシエラザードとの立場にいた。映画館のくり返される暗闇は、「千一夜物語」のくり返される夜そのものだった。本当の新聞小説の「次回へ続く」は、古いオムニバス映画のそれと同様、物語とは無関係な一つの仕掛けなどでは全くない。もしもシエラザードが一度に何もかも物語ってしまったならば、観客と同じくらい残酷な王は、翌日の夜明けには彼女を処刑させてしまったことだろう。両者は互いに、その中断によって魔法の力を試し、夢の断絶に他ならない日常生活にとって代る短篇小説への甘美な期待をゆっくりと味わうことを、必要としているのである。

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(アワムラ アキヨシ)