1. Dickson Experimental Sound Film (1894ごろ) 15秒
WKLディクソンはエジソンのもとで映画を開発した中心人物で、アメリカ最初の映画監督です。メガフォンのような形の大きなマイクの前でディクソン自身がバイオリンを弾き、他の男性二人が踊ります。これだけ見ても面白くないかもしれませんが、いろんな事情を知れば知るほど面白くなるようなフィルムです。実際にトーキーが一般に広まるのは1920年代末だけど、当初から音付きの映像を人々は夢見ていたこととか、背景が真っ黒なのはブラックマリアというエジソンのスタジオで撮影されているからとか。
ブックレットには、参考文献として Richard Able と Rick Altman 編集による
"The Sounds of Early Cinema" (Indiana University Press, 2001)
が挙げられています。これは初期映画と音の結びつきに関する論文を20数編収めたものですが、もっと全般的にアメリカで映画が開発されていく様子を知りたければ、Charles
Musser の "The Emergence of Cinema: The American Screen to 1907"
(University of California Press, 1990) がオススメです。
エジソン社の作品はアメリカの議会図書館で見ることができますが、私が試した限りでは、この作品から音は聞こえてきません。また、Kono
Video から "Edison: The Invention of the Movies" という4枚組DVDが出ており、この中にも収録されています(このDVDもオールリージョンです)。 |
2. Buffalo Bill's Wild West
- Annie Oakley (1894) 20秒
- Buffalo Dance (1894) 15秒
- Bucking Broncho (1894) 20秒
エジソン社が当初作っていたのは、大勢の前で見せる映画ではなく、一人一人が箱をのぞきこんで見るキネトスコープ用の作品でした。1894年、ディクソンは、カメラマン
William Heise とともに、そうした作品を約80本作りました。女性ダンサー、男性ボクサー、寄席芸人をブラックマリアで撮影したものが大半でした。
バッファロー・ビルは、ロバート・アルトマンの「ビック・アメリカン」でポール・ニューマンが演じた人物で、「ワイルド・ウエスト」という巡業ショーを行っていました。ショーのために電灯を設置してほしいとバッファロー・ビルがエジソンに交渉したときに、エジソンが映画の出演を依頼したそうです。
1本目のアニー・オークリーは、「アニーよ銃をとれ!」でおなじみの女性。助手が投げる標的にライフルを連射しますが、あまり当たらないのがご愛嬌。アニーの顔はわからないんだけど、全体の感じがかっこいい。ブラックマリアで撮影されたもので、背景が真っ黒です。
2本目のインディアンは、スー族数名がカメラを向いたりして誇らしげに踊っています。巡業のために何年も踊ってきたものだろうから、本来の部族の踊りではないかもしれません。これもブラックマリアで撮影されたものです。
最後のは荒馬乗りを撮影したものですが、これはブラックマリアの外にフェンスを作って撮影されたようです。馬を興奮させるためにピストルを地面に発射するなど、かなり荒っぽい。スローモーションなんだけど、これは当初からスローモーションだったのかな。昔は手動でカメラを回していたから、スローモーション撮影は簡単だったかもしれません。
これらもアメリカの議会図書館で見ることができるようです。 |
3. The Suburbanite (1904) 9分
タイトルは「郊外居住者」という意味。中流階級の家族が郊外に引っ越してきたけど、散々な目にあって、出て行くという話。すっきりまとまったコメディで、構図にセンスを感じるし、ドタバタが適度に抑制されているし、子供たちを見つめる視線が暖かいしで、ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」シリーズを思い起こさせます。
監督は画面の奥から手前に何かがやってくるのがお好きなようです。汽車が出発して、男性がプラットフォームを追いかけるギャグも縦の構図ですが、なんといっても最初のショットが素晴らしい。使用人を含めた大人5人、子供5人ぐらいの主人公一家が画面奥からやってくるのを長々と撮影しています。1910年代の終わりごろ確立されたカット割りの手法だと、こんなに長くは撮らないはずです。ただ、無駄に長いわけではなく、新しく植えられた街路樹、新築の家、庭、家族の様子など、いろんな情報が伝わってきます。
当時はショットを分割する手法が発展していなかったので、1ショット1シーンが当たり前だったんだろうけど、1ショット内の演出が充実していて、間延びした感じがしないので、意識的に長回しをしているようにさえ思えてきます。
制作会社はバイオグラフ社で、監督は Wallace McCutcheon です。この頃のバイオグラフ社については、
上述した Charles Musser の "The Emergence of Cinema" が詳しいです。McCutcheon
を Internet Movie Database で調べたら、「ポーリンの危機」のパール・ホワイトと結婚したことと、ピスト自殺したことがわかりました。 |
4. The Country Doctor (1909) 14分
ある医者が妻と娘と田舎で幸せに暮らしていたが、ある日、娘が病気になる。隣の娘も病気になったので、その娘を診察しに行くが、その間に自分の娘が死んでしまう。自宅と燐家という二つの場所を交互に見せながらドラマを盛り上げるのはグリフィスお得意の手法です。見世物でしかなかった映画が、この頃には、複雑な気持ちを観客に喚起させることができるようになっています。
グリフィスの短編映画は、Tom Gunning の "D.W. Griffith and the Origins of American Narrative Film - The Early Years at Biograph" が詳しいです(Tom Gunning はこのDVDに参加しており、この作品でも彼の解説を聞くことができます)。この本は、グリフィスの物語作法が大いに発展した1908年と1909年の2年間を扱っています。この作品は、最初と最後に田舎の景色をパン撮影したのが珍しいようで、そのことを主に論じています(「パン」というのは、カメラの位置を固定したまま、首だけ動かすことです)。
当時、クレジットタイトルを映画に付ける習慣がないらしく、観客は監督や俳優の名前を知ることができませんでした。医者の妻を演じたフローレンス・ローレンスは人気のある女優でしたが、バイオグラフ社の作品だということしか観客は知らされないので、「バイオグラフ・ガール」と呼ばれていました。メアリー・ピックフォードもチョイ役で出演していますが、もちろん誰も彼女の名前を知らないし、この作品からは後年大スターになる気配は感じられません。
1908年から1913年までの間にグリフィスは450本以上の短編をバイオグラフ社で作ったのですが、なんと、そのうち約440本が残存しているのです。当時作られた映画の90%以上が失われていることを考えると、これは非常に驚くべき数字です。これには二つの理由があります。まず、バイオグラフ社は、著作権保護のために、フィルムを紙にコピーして、議会図書館に提出していました。これが後年発見されて、紙からフィルムに再生されました。もうひとつは、1939年にニューヨーク近代美術館がバイオグラフ社のネガフィルムを「救った」からです(「救った」というのは、当時の発火しやすいフィルムを発火しにくいフィルムに変えたということだと思います。こういうことは、Paolo
Cherchi Usai が "Silent Cinema: An Introduction" という本の中で初心者にわかりやすく説明しています。)
バイオグラフ社の商標はAとBを丸で囲んだものですが、グリフィスの短編を見ていると、字幕には必ずこの商標が付いているし、室内シーンでも壁にこの商標が付いています。屋外シーンでも木に商標を付けることがあるそうです。なぜこんなことをするかというと、映画のいたるところに商標権を付けておけば、映画を不正コピーされた場合、商標権の侵害で訴えることができるし、著作権保護の手続きよりも安上がりらしいです。ただ、商標が目立ちすぎると、観客が映画に浸るさまたげになるので、そのうちに付けるのをやめたようです。(商標に関しては
Eileen Bowser の "The Transformation of Cinema: 1907-1915" に書いてあります。これは
History of the American Cinema シリーズの第2巻で、上述の Charles Musser
の "The Emergence of Cinema" はその第1巻です。) |
5. The Wonderful Wizard of Oz (1910) 13分
「オズの魔法使い」は1939年にMGMがジュディ・ガーランド主演で作ったミュージカル映画が有名ですが、1900年に L. Frank Baum が原作を出版して以来、何度か舞台や映画になりました。それらについては Mark Evan Swartz の "Oz Before the Rainbow" という本が詳しいようです。
原作よりも、1902年から8年近く全国を巡業した舞台によってアメリカの人々は「オズの魔法使い」に親しんだそうです。みんなストーリーを知っているので、ストーリーを語ろうとせずに、名場面を断片的に寄せ集めたような出来です。舞台をフィルムに収めただけという感じで、1シーンをカットなしで正面から固定カメラで撮影しています。背景の書割を詳しく描きすぎて、前で演技している人たちと区別がつかなくなって、ごちゃごちゃしていて見づらいです。
9歳の Bebe Daniels が可愛いのと、女性たちによる群舞がユーモラスなのが取得("Bebe"
は「ビービー」と発音するらしい)。ドロシーが連れている犬のトトは着ぐるみのため馬にしか見えないけれど、カカシ男やブリキ男は1939年のMGM作品とあまり変わらない。原作にイラストがあるのか、1902年の舞台がこうしたキャラクターを確立したのか。 |
6. Early Advertising Films
- Admiral Cigarette (1897) 30秒
- Flash Cleaner (1920ごろ) 45秒
- Buy an Electric Refrigerator (1926) 30秒
- The Stenographer's Friend (1910) 8分
一本目は、エジソン社が作ったタバコのCM。数名の役者がタバコを吸っている舞台を正面から撮っただけって感じの原始的なもの。当初の広告映画は酒やタバコを宣伝するものが多かったようです。夜間、屋上で映写して、通行人の気を惹くという宣伝方法もあったとか。ちなみに、エジソンは数年後に禁煙運動家となり、「喫煙者は雇用しない」と誓ったそうです。
二本目は石鹸の宣伝。映像自体は特にどおってことないですが、工場で使用している石鹸を家庭でもどうぞという内容が、主婦が消費者としてターゲットにされ始めたことを表している点で興味深いそうです。
その点では三本目の電気冷蔵庫なんて、もろ主婦向けでしょう。ただ、電気冷蔵庫を映像で説明するものではなく、どこかで展示会を行うという字幕がほとんどの作品です。こんなに早くから電気冷蔵庫があったことに驚きですが、やはり当時一番売れていたのは氷を入れるタイプの冷蔵庫だとか。
四本目は、蝋を塗った筒に音を記録する録音機を売り込むためにエジソン社が作ったコメディ仕立てのCM。従業員数名の小さな会社は、紙に筆記したものを速記タイピストに清書させているのですが、手間取ってしまって、定刻に退社したい女性タイピストは泣いてしまう始末。そこにやってきたのがエジソン社のセールスマン。彼が紹介した録音機によって、すべてはスムーズに進行し、みんな幸せ。 |
7. The Invaders (1912) 41分
トーマス・H・インス(1882-1924)は、監督としてよりもプロデューサーとして才覚のある人です。この頃、カリフォルニア州サンタモニカにインスヴィルと呼ばれる映画撮影用の町を建設し、西部劇ショーの一座を呼んで、大がかりな西部劇映画を作り始めました。当時は1巻物ばかりで、この映画の3巻という長さは画期的だったようです。この作品の監督は彼のなのか、主役も務めているフランシス・フォード(ジョン・フォードの兄)なのかわからないようですが、いずれにせよ、インスが総監督を務めた彼の作品と言っていいのでしょう。
騎兵隊と先住民は不可侵条約を結びますが、鉄道会社の測量技師がそれを破ってしまったので、先住民たちは騎兵隊の砦を襲います。最後、絶体絶命というときに救援隊がやってきます。本当の先住民(主にスー族)を使用し、その部族内部でのドラマも描いたことが画期的だったようです。ポカホンタスのように白人に友好的な酋長の娘も登場します。
騎兵隊の下士官が隊長の娘と恋仲だったり、絶体絶命というときに隊長がピストルの残りの1発で自分の娘を殺そうとしたり、その後の西部劇で何度も見るようなエピソードが出てきます。ただ、こうしたエピソードは、映画によって初めて確立されたのではなく、すでに大衆小説や巡業ショーで確立されていたのかもしれません。
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8. The Hazards of Helen: Episode 26, "The Wild Engine" (1915) 14分
連続活劇は1912年頃から盛んになり、1914年に代表作である「ポーリンの危機」が作られました。「ポーリンの危機」は20話でしたが、この「ヘレンの冒険」(私が勝手に付けた邦題です。日本公開されたかどうかわかりません)は1914年11月から1917年2月まで毎週1話ずつ公開され、全部で119話ある人気シリーズでした。連続活劇といっても、serial(続き物)と
series (1話完結)があって、 「ポーリンの危機」は前者でしたが、「ヘレンの冒険」は1話完結が売りでした。
女主人公である鉄道の電信通信士を演じるヘレン・ホームズ Helen Holmes (当時22歳)
は最初の50話ほどに主演したあと、別の女優に交代します。このDVDボックスセットに収録されているのは第27話で、これまでさんざん鉄道会社を救ってきただろうに、新たな部署に配置され、そこの所長からは「いざとなったら女性は当てにならない」と言われる始末。最後、鉄道会社の危機を救ってくれたヘレンに所長はあやまりますが、たぶん次回でも別の部署で同じ扱いをされるのでしょう。
今回の事件は、切れた電線で機関士が感電し、線路に落ちてしまい、機関車が暴走するというものです。"Treasures from American Film Archives" に収めされていたグリフィスの "The Lonedale Operator" (1911) でブランチ・スイートが演じた可愛い子ちゃんの電信通信士と違って、ヘレンはアクション派で、自らバイクに乗って機関車を追いかけ、開閉式の橋から川に落っこちても平気です。暴走する列車、ヘレン、他の列車の位置関係がよくわからないのが残念ですが、そんなことは気にせずに、主人公が一生懸命追いかけている様子を見ていればいいのかもしれません。
連続活劇における女性に関する参考文献としては Shelley Stamp の"Movie-Struck
Girls: Women and Motion Picture Culture after the Nickelodeon" (Princeton
University Press, 2000) が挙げられています。列車については、本ボックスセット
Program 2 の "From Leadville to Aspen" の解説で、 Lynne Kirby
の "Parallel Tracks" (Duke University Press, 1997) が挙げられています。 |
9. Gretchen the Greenhorn (1916) 58分 (5巻)
題名を訳すと「世間知らずのグレッチェン」で、greenhorn には「新着移民」という意味もあります。ドロシー・ギッシュ演じるグレッチェンがオランダからアメリカに移民するところから映画が始まります。おなじみの民族衣装を着ているので、どこから来たかすぐわかります。
移民にとって映画は最大の娯楽でした。安いし、言葉がわからなくても理解できたし、アメリカの文化や習慣を学ぶことができました。グリッチェンが住むことになる移民街には、ヨーロッパだけでなく、東洋からの移民も住んでいるようです。移民の観客たちは、この映画に感情移入しやすかったのではないかと推測できます。
グリッチェンと父親がニセ札作りの一味に利用されるエピソードが中心ですが、異なる国々から来た貧しい移民たちが助け合っている様子、グリッチェンのイタリア人青年との恋、子供たちの活躍など、うまくまとめています。
グリフィスの「国民の創生」や「イントレランス」の頃の作品です。この映画を制作したファインアーツ社は名目上グリフィスの指揮下にあり、ドロシー・ギッシュなどグリフィス作品の俳優が多く出演しています。カット割りや構図など物語を語る技法がちゃんとしているのはグリフィスゆずりなのかな。
監督はチェスターとシドニーのフランクリン兄弟で、当時26歳と23歳でした。この兄弟は翌年から「ヂャックと豆の木」、「小公女」、「アリババと40人の盗賊」など子供主演の映画を作り始めるのですが、この映画を見ると、子供の使い方がうまいのがわかります。シドニー・フランクリンはパール・バック原作の「大地」を1937年に作ったのち、プロデューサーとなって「哀愁」や「ミニヴァー夫人」などを制作します。
ドロシー・ギッシュは、リリアン・ギッシュの5歳年下の妹で、姉さんよりもふっくたしており、健康的で明るい感じです。1898年生まれだから、このとき18歳。1920年代後半から舞台が主となり、ほとんど映画に出なくなりました。1968年死去。
ずんぐりした小柄な悪党を演じるユージン・パレット Eugene Pallette (1889-1954)
は、「イントレランス」、「襤褸と宝石」、「スミス都へ行く」、「レディ・イヴ」など数多くの映画に出演している名脇役です。チャーリー・チェイスの短編でも見かけたことがあります。ガラガラ声も特徴なんですが、このサイレント作品では聴くことができません。 |
10. The Breath of a Nation (1919) 6分
アニメーション。題名は1915年の "The Birth of a Nation (国民の創生)" のもじり。内容は全然関係なくて、禁酒法を題材にしているから、「国民の酒気」とでも訳しますか。
禁酒法が本格的に施行されるのは1920年1月ですが、その前年である1919年の7月1日に戦時体制下の臨時禁酒法なるものが施行されたようです。このアニメは1919年6月29日に公開されたもので、カレンダーをめくると7月1日になるという出だしが非常に時事的です。
主人公は犬顔の飲んだくれ判事で、いつものように飲みつぶれているところをカミさんに叩き起こされ、禁酒に関する説教を聴きに行けと命令される。説教が行われるホールの向かいにはパーラーがあって、シルクハットのハリー(彼も犬顔)が酒の代用飲料を販売している。それを飲むとみんな精力的になる。判事も説教師もそれを飲んで浮かれ騒ぐが、判事のカミさんがやってきて、みんなを退散させる。
背景が最小限度の線で描かれているのが今から見るとオシャレに見えるのですが、これは制作者のスタイルではなく、たんに予算がなかっただけかもしれません。ウエイトレスの動きが魅力的なのですが、これは、のちにベディ・ブープを生み出すグリム・ナトウィック
Grim Natwick によるものです。犬顔のキャラクターの原作者はトーマス・A・ドーガン
Thomas A. Dorgan です(ペンネームは Tad)。この作品を監督したのは27歳のグレゴリー・ラ・カーヴァー
Gregory La Cava で、1936年にスクリューボール・コメディの代表作の一つ「襤褸と宝石
My Man Godfrey」を作りますが、もともと政治漫画を新聞に連載していました。 |
11. De-Light: Making an Electric Light Bulb (1920) 12分
教育映画とか文化映画と呼ばれる作品(主として短編)は、私が購読していた70年代のキネマ旬報にも見開き2ページのセクションがあって、毎回数本の新作を紹介していました。教育テレビでも毎年優秀作品を放送していましたが、今はどうなんでしょう。こういう作品は、学校、企業の展示会、自主上映会などで見ることができたのだと思いますが、アメリカの場合は教会でも上映されたようです。
教育映画はかなり昔からあったようです。初期の映画は低俗だと思われていたので、バランスをとるために、企業がスポンサーとなって教育映画が作られ、小さな町の映画館で「低俗な」作品と同時上映されました。1910年ごろのことです。
フォード社はT型フォードをベルトコンベアで大量生産し始めた1913年の翌年に教育映画の制作に乗り出し、毎週1本ずつ上映していたようです。いろんな製品の製造過程を説明する作品が主でしたが、直接フォード社の製品を宣伝するものではなかったようです。ここに収録されている作品も電球の製造過程を描いたもので、フォード社の名前は字幕に控えめに記入されているだけです。
電球一つ作るのにも細かく分業化されているのに驚きます。一つ一つの工程をていねいに説明しているのですが、私はタングステンを極細の線に引き伸ばす工程に目を奪われました。その一方、手作業による工程もかなりあって、女性が線を芸術的な形に折り曲げるのにも感心します。 |
12. Skyscraper Symphony (1929) 9分
都会の風景を撮影したショットをモンタージュすることによって映像のリズムを作り出すという「都会交響楽」ものは、ワルター・ルットマンが1927年に作った「伯林−大都会交響楽」が代表的ですが、アメリカでは1921年にポール・ストランドとチャールズ・シーラーが作った
"Manhatta" が先駆けのようです。ロバート・フローリー Robert Florey
(1900-1979) が1929年に作った「摩天楼交響曲」(私の勝手な訳です)もそうしたものの一つ。早朝のマンハッタンの高層ビルを仰角で撮影したショットをモンタージュしています。DVD化の際に加えられた弦楽四重奏の現代音楽に引きずられしまうので、映像自体のリズムを知るには音を消してみたほうがいいかもしれません。1時間強の「伯林−大都会交響楽」をサイレントで見るのはキツイ経験でしたが、9分ほどなら集中して見ることができます。
前衛映画作家というとハリウッドの対極にいる人たちがほとんどなんだろうけど、このロバート・フローリーはハリウッドで活動しながら前衛映画も作っていたという変り種。パリ生まれで、ルイ・フイヤードの映画で助手を務めたのち、1921年に渡米し、ヘンリー・キング、フランク・ボーゼージ、キング・ヴィダー、スタンバーグといった監督の助手をしたり、ハリウッドをフランスに紹介する本を書いたりしました。マルクス兄弟の初めての映画「ココナッツ」(1929)を共同監督していますが、ハリウッドで監督した作品は二流作品ばかりのようです。チャップリンと仲がよく、「殺人狂時代」(1947)で助監督を務めています。テレビでも、ディズニー劇場、ヒッチコック劇場、「トワイライトゾーン」「アンタッチャブル」などで何話か監督しているようです。
"Lovers of Cinema: The First American Film Avant-Garde 1919-1945" という本に "Robert Florey and the Hollywood Avant-Garde" というエッセイが収められています。もっと面白そうな彼の作品のことが書いてあるのですが、今のところ見る機会がないのが残念。 |
13. Greeting by George Bernard Shaw (1928) 5分
このニュース映画に映っているバーナード・ショーは、ユーモアたっぷりで、とても愉快な爺さんです。庭の曲がりくねった道を歩いてきて、途中鼻をかみ、カメラのそばに来るまでカメラの存在に気づかないふりをして、カメラを通り過ぎようとするあたりでカメラを向いて、「こりゃ驚いた!みんな私を見に来たのかい?」と言う開巻から傑作。ムッソリーニのまねをしたり、ショーのことを知らない少女にサインを頼まれた話を披露したりして、私の限定的なリスニング能力にもかかわらず、とても愉快。いたずらっ子のような表情と、ノーフォーク・ジャケットという変わった上着が印象的です。
フォックス社は、自社のニュース映画を高級にするために、ヨーロッパに出向いて著名人を撮影したようです。このときショーは72歳で、3年前にノーベル文学賞を受賞しました。フォックス社は少し前にムッソリーニも撮影したらしく、ショーはそれを見てムッソリーニのまねをしたとか。
当時ワーナー社が採用していたトーキーの方式は、映写技師がレコードプレーヤーの音に映写機の映像を合わせるというもので、映像と音の同期に問題がありました。フォックス社はフィルムに光学録音する方式を採用し、この作品のように見事なトーキー映画を制作しました。そのあたりのことは、"History of the American Cinema" シリーズの "The Talkies: American Cinema's Transition to Sound 1926-1931" という本が詳しいです。 |