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シネシャモ
続・夕陽のガンマン
The Good, the Bad and the Ugly
2003年8月 第 5 回上映
第1回 Movies Begin / 第2回 忘れじの面影
第3回 ピアニストを撃て /
第4回 荒武者キートン

村長のあいさつ
「続・夕陽のガンマン」(1966)は、「続」がついているものの、「夕陽のガンマン」とは関係ない話です。もちろん、監督のセルジオ・レオーネ、音楽のエンニオ・モリコーネ、主演のクリント・イーストウッドとリー・バン・クリーフは同じですけど。
今回のために、安いDVDを購入しました。70年代に名画座で見たときは、10年間たらい回しされたフィルムだったので、きれいだったという記憶はないんだけど、DVDのフィルムは驚くほどきれいです。テレビでも2度ほど見ていますが、ワイドスクリーンじゃなくて、左右がちょん切られていました。DVDは、ワイドスクリーンがテレビの画面にすっぽり収まっていて、雄大な景色が一望できて壮観です。
サントラCDも購入しました。これも安かったし、叙情的な曲が多くて、けっこう気に入っています。
今回は、Jeff Smith の "The Sounds of Commerce" という本が先にありました。「ティファニーで朝食を」と「007/ゴールドフィンガー」も分析していますが、DVDとCDが一番安かったという理由で、「続・夕陽のガンマン」を選びました。だから、特に好きな作品というわけではありません。
「拳銃は自らの調べを奏でる」
"The Sounds of Commerce" の第6章は、 "Every Gun Makes Its
Own Tune" という見出しで、「続・夕陽のガンマン」の音楽を分析しています。
まず筆者は、エンニオ・モリコーネによるマカロニ・ウェスタンの音楽は挿入歌の発展に重要な役割を果たしていると述べています。挿入歌の代表的なものは、「明日に向かって撃て
Butch Cassidy and the Sundance Kid」(1969)におけるバカラック作曲の「雨に濡れても
Raindrops Keep Fallin' on My Head」で、その歌が流れる自転車のシーンは、物語の流れを停止し、歌自体を売り込む機会を与えています。モリコーネはマカロニ・ウェスタンで歌を挿入することはなかったのですが、挿入歌同様に、しばしば映像を音楽に従属させています。たとえば、決闘シーンでは、音楽が前面に出てきます。
ここで村長が思い出したのは、レオーネの次の作品「ウエスタン Once Upon a
Time in the West」(1969)です。ここでは、最初に、ヘンリー・フォンダ、クラウディア・カルディナーレ、チャールズ・ブロンソンらのテーマ曲を作っておいて、撮影現場でそれを流し、音楽にあわせて役者たちが演技するという方法をとりました。
エンニオ・モリコーネは何百本もの映画に音楽をつけており、最も尊敬され、多産な映画音楽家の一人です。
"The Sounds of Commerce" の筆者が代表作として挙げているのは、「アルジェの戦い」(1965)、「殺人捜査」(1970)、「天国の日々」(1978)、「ミッション」(1986)、「アンタッチャブル」(1987)、「バグシー
Bugsy」(1991)です。(今年2003年のNHK大河ドラマ「武蔵」の音楽も担当しています。)
筆者によれば、レオーネとモリコーネは音を映像と同等の地位まで高め、70年代と80年代の映画における歌の使用を予示しているそうです。映画における物語の展開を支えながら、映画音楽を「売る」という原型だそうです。
モリコーネとレコード産業
クラシックを学んだモリコーネは、ほとんどのポピュラー音楽を嫌っているそうです。彼は聖セシリア音楽院に学び、パレストリーナ、モンティベルディ、バッハ、ストラビンスキー、ウェーベルン、ブーレーズの作品を賞賛しています。ポピュラー音楽は、音楽制作を標準化し、作曲家の創造性に制限を加え、長期にわたる悪影響を映画音楽に及ぼしている、と彼は主張します。
ただ、モリコーネは実践的で折衷的なので、商業音楽の分野で活動することができました。聖セシリア音楽院を卒業したのち、ラジオやテレビのためにオーケストラのアレンジを行う職につきます。60年代初期にはRCAに入社し、イタリアのレコード業界の最前線に立ちます。マリオ・ランザ、ポール・アンカ、チェット・ベイカーなど、500曲以上のオーケストラをアレンジしました。この頃の経験が、後年の映画音楽に影響を与えます。豪華でロマンチックなストリングス、刺激的なエレキギター、キーボード、ベル、コーラス、ボーカリーズ、電子音楽、効果音などです。
モリコーネは、映画音楽を観衆に理解してもらうには、観衆がよく知っているスタイルやジャンルで音楽を作る必要があると考えています。この分かりやすさがモリコーネの特徴です。
1960年ごろのイタリアは、アメリカの次に多くのサントラ盤を制作していました。1956年から1962年の間に、イタリアは250枚以上のサントラ盤を発売しました。そのうちの半分近い111枚が1962年に発売されました。当時の代表的な映画音楽家は、ニーノ・ロータ
Nino Rota、マリオ・ナシンベーネ Mario Nascimbene、カルロ・ルスティケリ
Carlo Rustichelli らでした。
モリコーネが最初に音楽を書いた映画はルチアーノ・サルチェ Luciano Salce
の "Il Federale" (The Facist, 1961) でした。このサントラはイタリアRCAから7曲入りEPとして発売されました。それから1964年までに10数本の映画に音楽を付けましたが、1964年10月に「荒野の用心棒」が公開され、初めて商業的な大ヒットを飛ばしました。
「夕陽のガンマン」はさらにヒットし、イタリア史上最も収益を上げた映画になりました。1966年後半、ユナイテッド・アーティスツは、この2本をアメリカで公開し、3本目の映画に出資すると発表します。この3本目の映画「続・夕陽のガンマン」は1966年12月にイタリアで公開され、前2作を上回る興行成績を上げました。アメリカでは翌年の12月に公開されますが、その前に前2作が公開され、ヒットします。
1968年、「続・夕陽のガンマン」のテーマ曲とサントラLPがアメリカでトップテンに入るヒットを飛ばします。LPは小売売上高が100万ドルを超え、ゴールドディスクとなりました。シングルは、ヒューゴ・モンテネグロ
Hugo Montenegro がアレンジしたテーマ曲がビルボードの2位まで上昇しました。
LP「続・夕陽のガンマン」のヒットには、以下に挙げるモリコーネの3つの特徴が貢献しているそうです。
(1) 長く、叙情的なメロディ
(2) 独特の音色
(3) 主題の多様性
スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンによれば、モリコーネ独自のスタイルの混合は"Dumpster
eclecticism" のようなものを作り出し、モリコーネは、ニューヨークの反主流ロッカーたちの精神的父親になったそうです。"Dumpster
eclecticism" は「ごみため折衷主義」とでも訳しますか。2ヵ月前に上映した「ピアニストを撃て」もそんな感じでした。こういうものには「ポストモダニズム」という言葉が使われているらしいけど、「ゴチャマゼ主義」とか「おもちゃ箱ひっくり返し主義」でもいいんじゃないの。ゴダールの映画もそうだし、ビートルズ後期のジョン・レノンもそんな感じだったし、ロックのサイケデリック・サウンドもそうだったから、60年代はそんな時代だったのでしょう。
"The Sounds of Commerce" は、その3つの特徴各々について説明しています。以下、本に書いてあることを要約してみます。
(1) 長く、叙情的なメロディ
モリコーネは歌の形式に影響を受けている。「続・夕陽のガンマン」のサントラには11曲入っているが、そのうち5曲は16小節という歌の形式に基づいている。メロディを強調しているのは、西部劇の音楽が昔から民謡やバラッドを素材にすることが多いからという理由もあるが、モリコーネの場合、イタリアのオペラの影響もある。これは、同じイタリア人のニーノ・ロータや
Pino Dinaggio にも共通している(後者の作曲家、村長知りません)。もちろん、映画音楽全体が歌形式の曲に重点を置くようになったという時代の流れもあった。
(2) 独特の音色
50年代と60年代のバーナード・ハーマンも音色の可能性を広げたけど、モリコーネはさらに発展させた(ハーマンはヒッチコックの「北北西に進路を取れ」や「サイコ」が有名)。ハーマンの音色は物語の流れに沿ったものだったが、モリコーネは物語とは関係なく音色を際立たせることがある。正確な音色を出すために、モリコーネは同じミュージシャンをよく使う。モリコーネによる西部劇音楽の独特の味わいは、エッダ・デローソ
Edda Dell'Orso のソプラノ、アレッサンドロ・アレッサンドローニ Alessandro
Alessandroni の口笛とギター、I Cantori Moderni di Alessandroni のコーラスを繰返し使用していることから生まれる。
モリコーネが西部劇で使うギターの音色は、ベンチャーズ、シャンテイズなど、サーフロックのトワンギー・サウンドに影響を受けているが、その後、今度はモリコーネのギター・サウンドがロック・ミュージシャンに影響を与えることになる。
モリコーネの音色に対する興味は、60年代半ばにスタジオでのサウンド実験が流行したことを反映している。ビートルズなどのロックバンドやミュージシャンにモリコーネが影響を受けているのかどうか、ここでは論じないが、彼によるマカロニウエスタンの音楽は、拡大していくロックと関連づけて理解されていたと思う。
(3) 主題の多様性
(ここは、サントラの各曲を説明している部分が面白いのですが、サントラを持っていない人には全然面白くないだろうから割愛しています。そのため、この箇所は、肝心なことが何か抜けているような気がします。時間があれば、要約し直そうと思います。)
個々の曲のヒントを、アルバムに収める曲として満足できるものに発展させなければ、主題の多様性を商業的なものにすることはできない。短すぎたり、あいまいだったりするヒントは捨てられ、しっかりした主題と構造を持つ曲に発展するものが残る。結局、「続・夕陽のガンマン」のサントラには11曲収められ、それぞれがモリコーネ独特のメロディを持ち、2分から5分というポップスのシングルの長さになっている。
映像付きジュークボックス
多くの批評家が指摘しているのは、セルジオ・レオーネの映像と音に対するアプローチがオペラに似ていることです。主要な場面で音楽が映像を支配するからです。"The
Sounds of Commerce" の筆者は、これに疑問を投げかけます。音楽と動きが統合されているものなら、クラシック・バレー、モダン・ダンス、ボードビル、ミュージカル映画もそうじゃないか、と言うのです。そして、筆者は、レオーネがオペラに影響を受けていることは認めるものの、映像付きジュークボックスにも大きく影響を受けていると主張します。本当かどうかはともかく、この映像付きジュークボックスの歴史を概観した箇所は、それ自体が面白いものなので、ここで要約してみます。
ヨーロッパとアメリカでは1962年から67年にかけてスコーピトーン Scopitone とシネボックス Cinebox という2種類の映像ジュークボックスが流行した。
スコーピトーンはフランスで1960年に発明され、クラブやレストラン用に設計された。ジュークボックスと同じ仕組みだが、レコードではなく音声付きフィルムが収納されている。最大で36本のカラー16ミリ映画を収納でき、26インチの画面に映し出される。一本の作品の長さは2分半から4分である。
シネボックスはイタリアで発明され、スコーピトーンの導入直後に、サンレモ音楽祭で紹介された。こちらのほうが収納本数が少し多いし、映像と音が、1本のフィルムではなく、フィルムとレコードにそれぞれ記録され、上映時にシンクロさせる方式だった。
1961年末までにスコーピトーンはヨーロッパ中に1,000台以上設置された。テレビの代わりにスコーピトーンを設置するカフェやバーが増えた。シネボックスは少々出遅れたが、1963年までに西ヨーロッパとイギリスで350から400台が設置された。
スコーピトーンに対する興味はイギリスやアメリカでも高まったが、英語の作品が少ないし、利用できる演奏者や曲も少なかった。スコーピトーンはイギリスに支社を設立し、アイディア、ストーリー、シナリオを募集して、フランス製の作品と匹敵する英語作品を作ろうとした。
英語の作品が増えるにつれ、イギリスやアメリカでも設置され始めた。アメリカでは、1962年かr65年の間、1,200台の映像ジュークボックスが設置された。特にウエスト・コーストが盛んで、アメリカで売れたスコーピトーン1,034台のうち400台が設置された。従来のジュークボックスとの競合を避けるため、大都市のホテル、カクテル・ラウンジ、レストランをターゲットにした。当時人気があったのは、フランソワーズ・アルディ、ジョニー・アリディ、ディオン、ポール・アンカ、ぺトゥラ・クラークだった。
1965年、アメリカのスコーピトーン製造会社は、3分の作品を毎週制作すると発表した。登場する歌手は、ジェームズ・ダーレン、フランキー・アバロン、ビッグ・ダモン、エラ・フィッツジェラルドらが予定された。一方、シネボックスは、有名なタレントを利用できないので、ダンサーやゴーゴーガールを起用した。
しかしスコーピトーンもシネボックスも目標を達成することができなかった。スコーピトーンは、全米で10万台設置する目標だったが、1万台を超えることはなかった。1967年までに、かなりの数の映像ジュークボックスが姿を消し、いかがわしいフィルムをのぞき見する機械に改造された。
失敗の一番の原因は本数が少なかったことである。アメリカ導入後の3年間、作品数は、アメリカ製が80本、フランス製が260本だけだった。2番目の原因は、大人をターゲットにしすぎたことである。若者が近づきにくい場所に設置されたし、歌手も古めかしかった。3番目の原因は、内容がひどかったことである。水着の女性がたくさん出てくる作品、「世界残酷物語
Mondo Cane」のようなグロテスクな作品、風変わりな作品、エキゾチックな作品が多かった。
スコーピトーンの映画への影響を特定するのは難しいが、60年代後期の映画やサントラに影響を及ぼしているのは明らかだ。特にクロード・ルルーシュは、スコーピトーンのために400本の作品を監督した。ルルーシュの最も有名な映画「男と女」(1966)は国際的なヒットとなり、サントラは100万ドルを稼ぎ出した。多くの批評家は、この映画を、時間の長いコマーシャルと評した。
たしかに「男と女」はコマーシャルに似ている。アヌーク・エイメと亡夫との関係、レースの準備をするトランティニアン、エイメとトランティニアンのロマンティックなボート旅行、トランティニアンのパリへのドライブといったシーンは細かいショットの積み重ねによって描写され、物語の流れは止まり、フランシス・レイに音楽を展開させる機会を与えている。まるで、スコーピトーンの短編を積み重ねたような作品である。
この点で、ルルーシュの「男と女」は、その後一般的になる挿入歌を含む映画の先駆けである。以後、「明日に向かって撃て」以外にも、「華麗なる賭け
The Thomas Crown Affair」(1968)でスティーブ・マックイーンがグライダーに乗るシーンに「風のささやき」が挿入され、「女王陛下の007」のロマンス・シーンでルイ・アームストロングが歌う「愛はすべてを越えて」が挿入され、「真夜中のカーボーイ
Midnight Cowboy」(1969)でジョー・ボイドがナンパするシーンにニルソンの「うわさの男」が使用された。
こうした時代の流れの中で、「続・夕陽のガンマン」のいくつかのシーンでも、音楽が映像に従属せずに、同等の地位にまで高められており、映画自体が楽譜やサントラ・アルバムを宣伝するための優れた媒体となっている。
村長の感想
原題の "The Good" (善玉)は賞金稼ぎで、クリント・イーストウッドが演じています。"The
Bad" (悪玉)はリー・バン・クリーフが演じており、北軍の兵士で、南軍捕虜収容所の副所長です。"The
Ugly"(卑劣漢)はイーライ・ウォラックが演じるお尋ね者です。「善玉」、「悪玉」、「卑劣漢」という役柄は彼らの間だけの相対的なもので、3人とも平気で人を殺す悪党だし、状況によって、これらの役柄が交代することもあります。
イーライ・ウォラックがコメディ・リリーフ的存在で、映画を面白くするのに、かなり貢献しています。無口なイーストウッドやクリーフと対照的に、常に悪態をついています。
物語の中心は、この3人が隠された20万ドルの金貨を探し求めるというものですが、それに南北戦争がからんで、壮大で深みのある2時間40分の作品になっています。
メインタイトルから、リアリスティックなものではなく、劇画のようなものにしようという意図が明らかです。主人公たちの大写しの写真はモノクロで赤や青に染色され、まるで劇画の一コマのようです。音楽もストレートなものではなく、奇妙な味付けがしてあるし、銃声がバンバン入ります。それから、主人公の3人が各々登場するシーンでは、彼らの顔がストップモーションになり、その横に、"The Ugly", "The Bad", "The Good" という各々を説明する字幕が出ますが、これも漫画のようです。もちろん、イーストウッドの超人的なガンさばきは、まったく非現実的です。
賞金稼ぎのイーストウッドはお尋ね者のウォラックを保安官に引き渡して賞金をもらいますが、ウォラックが縛り首にされる瞬間、遠くからライフルで縄を撃って、ウォラックを逃がします。そうして、別の町の保安官に引き渡して、また賞金をもらうわけです。この趣向は、最後のオチにも使われています。
イーストウッドに裏切られたウォラックがイーストウッドを捕まえて、砂漠を引き回すシーンがありますが、ここは映像がとてもきれいです。砂のベージュ色、空の水色、壮大な地形がマッチして、惚れぼれします。今まで劇場やテレビで見たものよりもDVDのカラーは、はるかにきれいだし、ワイドスクリーンの構図もカッコよく決まっています。細かい部分にこだわることなく、画面全体を大きく使った構図なので、大きなスクリーンよりも小さなテレビ画面のほうが構図が分かりやすいかもしれません。
映画の半ばから南北戦争が前面に出始めますが、南北戦争のシーンに出る音楽は常に叙情的で、悲しくて、兵士を憐れむようです。南北戦争が無意味な戦いであることを訴えており(奴隷制度についてはまったく触れていませんが)、ちっぽけな橋のために大勢の兵士が犠牲になるエピソードは、そのメッセージをかなり強烈に伝えています。ここでの戦闘シーンはエキストラが多数使われ、壮大です。
その戦闘場面に続いて、イーストウッドが息絶えだえの若い兵士にタバコを吸わせてやるシーンがあるのですが、南北戦争のエピソードの締めくくりとして、短いながら、とても感動的なシーンです。モリコーネの音楽がかなり貢献していますが、若者の悲しそうな表情も忘れられません。
それよりずっと前の捕虜収容所の場面で、副所長のリー・バン・クリーフがウォラックを室内で拷問している最中に、屋外で捕虜たちに音楽を演奏させて拷問の音を消すエピソードがありますが、これはナチスのユダヤ人収容所で実際にあったことをヒントにしたというようなことをどこかで読んだような気がします。
最後の3人による決闘は、3角形の頂点にそれぞれ立っているような位置関係で、ほかの二人が誰を撃とうとしているのか腹の探り合いをしている様子を描いていますが、延々と引き伸ばされるので、トランペットの音楽がやたら耳につきます。このあたり、音楽が映像を支配しているというところでしょうか。
音楽がかなり前面に出る傾向は、この映画の3年ほど前にヒットした「俺たちに明日はない」がきっかけかもしれません。バンジョーによるブルーグラスの「フォギー・マウンテン・ブレークダウン」は、かなり映画に貢献していました。
物語とは関係なく音楽が出てきて、それが映画全体を豊かなものにしているといえば、1964年の「ビートルズがやってくる、ヤア!ヤア!ヤア!」が思い浮かびます。その映画の監督リチャード・レスターは、かなりゴダールに影響を受けています。そのゴダールの「女と男のいる舗道」(1962)には、まったくストーリーとは関係なく、アンナ・カリーナがジュークボックスから流れる音楽に合わせて踊るシーンがあって、この映画の魅力の一つになっています。さらに、トリュフォーの「ピアニスト撃て」(1960)で給仕が意味不明の変な歌を歌うシーンも、中心のストーリーとは関係ないので、カットしても映画全体には影響を及ぼさないような気もしますが、この映画の名場面の一つです。というわけで、ヌーベルバーグは、物語を効率的に展開する古典的映画に風穴を開けました。
あとがき
もう一度 "The Sounds of Commerce" という本に戻るつもりでしたが、やめました。「続・夕陽のガンマン」に関する章の終わりのほうは、大金が隠された墓を卑劣漢ウォラックが探し回るシーンと、三つ巴の決闘のシーンの音楽を詳しく論じたものですが、それらのシーンも、その音楽も、私にはあまり面白いとは思えないからです。そうすると、もう書く種がなくなったし、先週、映画の感想を書いた時点で、村長は燃え尽きちゃったようです。
「続・夕陽のガンマン」に関する章のタイトル、"Every Gun Makes Its Own
Tune" は、銃声を聞いて、近くにウォラックがいることを知ったイーストウッドが言うセリフです。私は「拳銃は自らの調べを奏でる」と訳しましたが、DVDの字幕は「銃は独自の調子がある」になっており、そのあとに「だれの銃か音で分かる」というセリフが続きます。
日本で最初に公開されたときは、「地獄の決闘」という副題がついていました。インターネットで探せば、ポスターやスチール写真を見ることができます(Google
のイメージ検索が便利)。また、アマゾンでサントラ盤を少し聴くことができます。
双葉十三郎氏の「ぼくの採点表」は次のとおりです。(白星5つが最高。白星1つは20点、黒星1つは5点。白星4つだと傑作の仲間入りなので、「荒野の用心棒」はもうチョイ。)
| 荒野の用心棒(1964) |
☆☆☆★★★ |
| 夕陽のガンマン(1965) |
☆☆☆★ |
| 続・夕陽のガンマン(1966) |
☆☆☆★★ |
| ウエスタン(1968) |
☆☆☆★ |
ちなみにペキンパーの「ワイルドバンチ」は ☆☆☆★★ です。
(星印は、どのパソコンでも、ちゃんと見ることができるのですか?)
セルジオ・レオーネは、これらの作品以前には「ロード島の要塞」(1961)という古代活劇しか作っていないし、以後も「夕陽のギャングたち」(1971)と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)しか作っていません。プロデュースしたり、一部を監督した作品がいくつかあるようです。1989年に亡くなりました。
卑劣漢を演じたイーライ・ウォラック Eli Wallach は1915年生まれだから、当時50歳ぐらいでした。同じ頃、オードリー・ヘップバーン主演の「おしゃれ泥棒」にも出ていました。キネ旬の「世界映画人名事典・男女優編」によれば、ブロードウェイの舞台で注目され、1948年からアクターズ・スタジオの理事と講師を務めたというから、マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、ジェームズ・ディーンらを直接指導しているかもしれません。90歳近いはずですが、まだ活躍されているようです。
リー・バン・クリーフ Lee Van Cleef は1925年生まれで、セルジオ・レオーネと同じ1989年に亡くなりました。もともと本家ハリウッドの西部劇の悪役専門で、「真昼の決闘」、「OK牧場の決闘」、「リバティ・バランスを射った男」などに出演しています。今回初めて知ったのですが、80年代半ばには、ショー・コスギと「ザ・忍者マスター」なるテレビシリーズに主演しているんですね。ちなみに、中学生になった村長が初めて映画館で見た洋画は、彼が主演した「西部悪人伝」(1970)というコメディっぽいマカロニ・ウエスタンで、主題歌が軽快な、けっこう楽しい西部劇でした。彼はサバタという主人公を演じており、翌年「西部決闘史」という続編もできましたが、こっちはあまり面白くなかったです。
クリント・イーストウッドは、これでマカロニ・ウエスタンを卒業し、ハリウッドでドン・シーゲル監督と組んだ現代アクション「マンハッタン無宿」(1968)や「ダーティハリー」(1971)で、さらに人気者になります。その間に、同じドン・シーゲルが監督し、シャーリー・マクレーンと共演した「真昼の死闘」という西部劇に主演しているのですが、村長はこの映画けっこう好きです。イーストウッドとマクレーンのコンビがおかしいし、ドン・シーゲルはレオーネよりテンポが良いですからね。この映画の音楽もエンニオ・モリコーネだなんて、今まで全然知りませんでした。
"The Sounds of Commerce" では、「ティファニーで朝食を」や「007ゴールドフィンガー」の音楽も論じているので、DVDとサントラCDを購入して、そのうち上映しようと思っていましたが、大好きな映画じゃないと、やる気が萎えてしまうので、今のところ未定です。でも、1ヵ月付き合っていると、けっこう好きになるものです。
来月はハワード・ホークスの「ヒズ・ガール・フライディ」です。今回、どういうストーリーだったか思い出せない観客がいらしたので、やはり、まず作品のストーリーなど概略を述べてから、「スクリューボール・コメディ」というジャンルを勉強しよう思っています。
10月は、アラン・ドロンが孤独な殺し屋ジェフ・コステロを演じるジャン・ピエール・メルビル監督の「サムライ」です。11月は、季節柄、小津安二郎の「秋刀魚の味」を上映したいのですが、手元にないので、今秋発売される小津DVD全集を買わなくちゃいけなくなりそうで、ふところと相談です。12月もすでに決まっているのですが、これはまだ内緒。
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村長 粟村彰義 (アワムラ アキヨシ)

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