Leslie Smith Dow の "Adele Hugo: La Miserable" (Goose Lane Editions,
1993)という本があります。アデル・ユーゴーの実際の人生を描いた本です。以下はその巻頭の年表です(少し省略しています)。
年表
1802 父ヴィクトル・ユーゴー生まれる。
1803 母アデル・フーシェ生まれる。
1822 ユーゴー、アデルと結婚。
1824 姉レオポルディーヌ生まれる。
1826 兄シャルル生まれる。
1828 兄フランソワ=ヴィクトル生まれる。
1830 アデル生まれる。
1843 姉レオポルディーヌ死去。
1852 ユーゴー一家、チャネル諸島のジャージー島に亡命。
1854 アデル、ピンソンに会う。
1856 ユーゴー一家、ジャージー島を追放され、ガンジー島に移る。
1963 アデル、ハリファクスに家出する。
1866 アデル、ピンソンを追ってバルバドスに移る。
1868 母アデル・フーシェ死去。
1871 兄シャルル死去。
1872 アデル、バルバドスから連れ戻され、精神病院に入れられる。
1873 兄フランソワ=ヴィクトル死去。
1885 ヴィクトル・ユーゴー死去。
1915 アデル死去。 |
実際はどうだったか
上記の本から、いくつか興味深い点を書いてみます。
- 実話と映画の最大の違いは、実際のアデルがピンソンを追ってハリファクスに行ったのは33歳ぐらいのときだったのですが、イザベル・アジャーニがアデルを演じたときは19歳でした。
- バロバドス島でアデルの面倒を見る黒人女性が映画にも少し登場しますが、実際にはかなり重要な人物です。このバア夫人は、お金を工面して、1872年初頭にアデルをフランスに連れて帰ります。その際、女好きのユーゴーは彼女と関係を持ち、彼にとって初めての黒人女性だったと日記に書いているそうです。彼女はユーゴーから、かかった費用を返してもらいましたが、この2ヵ月の旅行の間に得たであろう所得までは弁償してもらっていないようです。1881年にバア夫人は再びアデルとユーゴーに会いにフランスに来ました。
- 夜中アデルが溺死した姉レオポルディーヌを呼び出そうとするシーンがありますが、ガンジー島でのユーゴー一家は降霊会をよく開催していました。姉レオポルディーヌの死は次のようなものでした。1843年9月、新婚7ヵ月のレオポルディーヌは、夫、夫の叔父、叔父の10歳の息子とともにセーヌ川でボートに乗りました。レオポルディーヌは妊娠3ヵ月でした。急流のためにボートが転覆し、4人は溺死しました。夫は泳ぎがうまかったのですが、レオポルディーヌを見捨てることができず、一緒に亡くなりました。この出来事はかなりのショックをユーゴー一家に与えました。
- アデルが男装してパーティーに行くシーンは、現実離れしていて、トリュフォーが加えたものだと思っていました。ところが、実際、アデルがピンソンを求めて夜出かけるときは、男装していたそうです。夜の女と間違えられないためという理由もありますが、男装の女流作家ジョルジュ・サンドにあこがれていたという理由もありました。ただし、映画のようにパーティーを開いている家の中まで男装で入ることはなかったと思います。
- この映画の原作は1968年に出版されたギル女史の「アデル・ユーゴーの日記第1巻」ですが、これは1852年を扱っています(1971年に「第2巻(1853)」、1984年に「第3巻(1854)」が出版されます)。1852年といえば、まだピンソンにも出会っていない頃ですが、どうも序文にアデルの伝記が掲載されているようです(英語のシナリオを掲載したペーパーバックの序文そんなことが書いてあります)。
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ピンソン中尉を演じたブルース・ロビンソンについて
アデル・ユーゴーが愛したピンソン中尉は、実際にはギャンブル好きの借金男でいつもアデルからお金を受け取っていたようですが、映画では真面目な好青年といった感じで、アデルにつきまとわれて可哀相でした。そのピンソン中尉を演じたブルース・ロビンソンって他の映画では見たことないなあと調べたら、ビックリ。役者としてよりも監督や脚本家として活躍しているようです。一番の驚きは、あの「キリングフィールド」の脚本を書いたということ。それから、監督デビュー作で脚本も書いた「ウイズネイルと僕」もカルト的人気があるそうです。この
"Withnail & I" は Criterion からDVDが出ているので近いうちに買ってみようと思います。(2005年10月17日のポルカ亭での発言を転記。) |
シルビア・マリオット Sylvia Marriott
下宿屋の優しそうな初老の夫人。「恋のエチュード」では英国姉妹の母親でした。Internet Movie Database によれば、30年代から映画出演していますが、1943年から1957年まで映画出演がないので、この頃結婚していたのかも(それとも舞台が専門なのか)。その後もたまにしか出演していません。アニメの「101匹わんちゃん」で声優を務めたり、ショーン・コネリーが久しぶりに007を演じた「ネバーセイ・ネバーアゲイン」に出演したりしていますが、どちらもエキストラ的な役割のようです。 |
ポーリン・ケイルの評価
"5001 Nights at the Movies" によれば、故ケイル女史は、「ピアニストを撃て」、「突然炎のごとく」、「野性の少年」と同じぐらい「アデルの恋の物語」が好きなようです。ユリイカ1985年2月「トリュフォー」特集号の「愛のためにすべてを」と題された「アデルの恋の物語」評を読むと、確かに絶賛しています。このエッセイは「明かりが消えて映画がはじまる−ポーリン・ケイル映画評論集」(草思社)に収録されているようです(原著は
"When the Lights Go Down: Film Writings 1975-1980")。
「調子のいい一つの音楽だ。音楽を聴くように見ることができる。」
「見る者は映像の進行につれ、沸きあがる幸福感にとらえられるだろう。このような継続感、流れにのって運ばれている感覚はジャン・ヴィゴの「アタラント号」や、ジャン・ルノワールの「ピクニック」で川の流れが何年間かの時間の経過を示したシーンなどを思い出させる。」(ポーリン・ケイル著、武藤康史訳、「愛のためにすべてを」、ユリイカ1985年2月号。) |
脚本家ジャン・グリュオー Jean Gruault
トリュフォー作品では、「突然炎のごとく」、「野性の少年」、「恋のエチュード」、「アデルの恋の物語」、「緑色の部屋」に参加(時代が古いものばかり)。その他、「パリは我等のもの」(リヴェット、1960)「ヴァニーナ・ヴァニーニ」(ロッセリーニ、1961)「カラビニエ」(ゴダール、1963)、「尼僧」(リヴェット、1966)、歴史もののテレビドラマなど。「アメリカの伯父さん」(レネ、1981)でアカデミー脚本賞にノミネート。
トリュフォーは晩年にグリュオーと「ベル・エポック」というシナリオを書いていたようです。これは1990年代半ばにテレビドラマとなり、シナリオを小説にしたものが出版されました。
グリュオーは「風と共に去りぬ」のような歴史を背景にした大河作品にしたかったらしいのですが、予算の関係で373ページのシナリオが116ページに削られました。お金がかかる歴史に関するシーンが削られ、アデルのみに焦点が当てられました(以上、Baecque
& Toubiana, "Truffaut" 参照)。トリュフォーの書簡集に収められたグリュオーの手紙によれば、グリュフォーは完成した映画に失望したようです。 |
音楽 (5枚組CD "Bandes originales des films de Francois Truffaut" 参照)
モーリス・ジョーベール (1900-1940) はジャン・ヴィゴの「操行ゼロ」(1933)と「アタラント号」(1934)、マルセル・カルネ監督、ジャック・プレヴェール脚本の「霧の波止場」(1938)と「日は昇る」(1939)の音楽を担当。トリュフォーは、「アデルの恋の物語」に続いて「トリュフォーの思春期」、「恋愛日記」、「緑色の部屋」でもジョベールの音楽を使用します。4作品すべて演奏指揮は
Patrice Mestral です。 |
ネストール・アルメンドロス (「キャメラを持った男」(筑摩書房、1990)参照)
カメラマンのアルメンドロスが、撮影をほめてくれるけど、たいていは舞台装置が優れているからだと書いているのが面白いです。これから映画の色彩をほめるときは、撮影監督だけでなく美術監督もほめましょう。この映画はアジャーニの顔が中心の映画だから、彼女の顔のさまざまな色を強調するために、バックの色調を抑えたそうです。バルバドス島では、まわりが派手な色彩の服を着ているので、黒っぽい服を着たアデルが際立ちます。あと、「恋のエチュード」同様、少ない光で撮影する試みも行ったようですが、私は技術的なことに弱いので、言及するだけにとどめておきます。 |
二人の姉妹
この映画を初めて見たとき、溺死する姉に関する部分がよくわからなかったし、最初のほうでしか言及されないので中途半端な気がしました。今こうして背景を勉強して、姉レオポルディーヌの溺死はユーゴー家に相当影響しているのがわかると、なるほどと思います。もしかしたらフランス人にとっては常識的なことで、少し言及するだけで十分なことかもしれません。ひょっとして、レオポルディーヌの溺死を描いた映画があるのかも。
二人の姉妹といえば、この数年前の作品「恋のエチュード」にも登場しました。自由な姉と抑制的な妹という組合せでした。レオポルディーヌとアデルも明と暗だったかもしれません。少なくとも、残されたアデルの写真からの印象では、アデルは暗いです。その点で、「恋のエチュード」で妹を演じたステイシー・テンデターはピッタリだったような気がします。ただ、彼女が演じていたとしたら、「緑色の部屋」や「恋愛日記」のように地味な作品になっていたでしょう。
二人の姉妹といえば、「柔らかい肌」で主演したフランソワーズ・ドルレアックと、「暗くなるまでこの恋を」で主演したカトリーヌ・ドヌーブがいます(その後「終電車」にも主演します)。この姉妹の姉ドルレアックも若死にしました(1967年、25歳で交通事故死)。トリュフォーは二人と関係を持っていたようです。もちろん、ドヌーブと関係を持ったのはドルレアックが亡くなってからです。私が雑誌「スクリーン」を購読し始めた70年代初めごろは、ドヌーブとマストロヤンニの仲が話題になっており、たしか子供も設けたと思います。ドヌーブはその前にトリュフォーと恋仲だったようです。1969年の「暗くなるまでこの恋を」の頃ですが、「アデル・ユーゴーの日記」が出版され、トリュフォーが読んだのもこの頃だから、最初はドヌーブをアデルに起用するという話もあったようです。
二人姉妹じゃないけど、ブロンテ三姉妹をも連想させますが、あまりくわしくないので、この話題については、この辺でお開きにします。 |
トリュフォーは絶対的な愛を信じているのか
「恋のエチュード」の原作の最初はミュリエルの手記で、「どの女性にも夫となる男性は一人しかいないし、どの男性にも妻となる女性は一人しかいない。その男性に会わないのなら、私は結婚しないほうがマシ」というようなことを書いています。これはアデルにも通じることがあるから、ミュリエルを演じたステイシー・テンデターをアデルに起用するという案があったのもうなずけます。こういう絶対的な愛を信じる人物は他にもいます。たとえば、「夜霧の恋人たち」でクロード・ジャドをそっと追う人物がそうだし、「緑色の部屋」でトリュフォーが演じた主人公もそうです。ただ、トリュフォー自身はどうなんだろう。というのも、トリュフォーが描く世界の中でさえ、彼らは奇異に写るからです。彼らに共感しているのは確かだろうけど。 |
フランス語版と英語版 (準備中)
吹替え版ではなく、実際、別々に撮影された。フランス語版を撮影したあと、英語版を撮影。アルメンドロスは英語版のほうが撮影がなめらかで好きだといっています。110分と95分。最初に日本で公開されたのはフランス語版だったが、110分だったのか。現在DVDやビデオで流通しているのはフランス語版だけど、時間は95分ほど。吹替え?(イザベル・アジャーニは英語がしゃべれる?。英語がうまくなくても、つじつまが合う?)。 |
| 原作者のギル女史 (準備中) |
イザベル・アジャーニ (準備中)
(ポーリン・ケイルが面白いことを言っている。ジャン=ピエール・レオを引き合いに出して。この話はそのうち) |