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法華宗の宗旨 日蓮聖人の教え 高祖 日蓮大聖人 開祖 日真大和尚 総本山 本隆寺
  

開山の智願院さま

 

妙法寺 本堂内陣
 妙法寺は、法華宗真門流の寺院です。 法華宗真門流は、日蓮大聖人を高祖とし、その精神を受け継がれました常不軽院日真大和尚が、長享2年(1488)、四条大宮の地に慧光無量山本妙興隆寺(現、慧光山本隆寺)を開創、開宗されました。

本尊

 「法華経」の「如来寿量品」の「久遠実成の釈迦牟尼仏」(永遠の救いを示す仏さま)を本尊とします。本尊の形は、一塔両尊四士など仏像によるものと、筆書きの大曼荼羅本尊がありますが、それらはすべて「法華経」にある諸仏の姿をあらわしています。

 妙法寺の本堂に安置されている本尊は、「一塔両尊四士」で、一塔とは「南無妙法蓮華経」の七字を書いた題目塔のことで、両尊は釈迦如来と多宝如来、四士は「法華経」の四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)です。題目塔を中心に向かって左に釈迦如来坐像、右に多宝如来坐像、その左右外側に四大菩薩を脇侍としておまつりします。


守 護 神
 
 法華宗では、守護神として鬼子母神、番神さんを「法華経」の修行者を守ってくれる善神としておまつりしています。
 妙法寺では「妙見大菩薩」が古くから信仰されており「開運」「交通安全」「進学成就」の神様としてお祭りしています。

 末法の世に「法華経」をひろめようとすると、いろいろな障害がありますが「法華経」を信仰する人を諸菩薩善神が必ず守ってくれると「法華経」に書かれてあります。
 
 
経 典

 法華経を根本経典とします。正しくは「妙法蓮華経」といい鳩摩羅什の漢訳で八巻二十八品からなります。

 「法華経」の前半は方便品が中心で人間は千差万別でいろいろな人がいますが、身心ともに完全円満な仏に成る仏性をもっているので、それを覚って信仰することの大切さが説かれています。ものごとには必ず因があり、それが、縁にふれて現象が起こると「縁起の法」が説かれますが、これもまた方便であり究極の真理へ導く手段とされています。

 「法華経」の後半は寿量品が中心です。無限の時間、空間に本仏がおいでになり、一切の神、仏はこれの分身であり、一切の帰着するところも本仏にあることが教えられています。人種・民族・優劣・善悪など差があります。本来は平等無差別であり、無始以来久遠の本仏の愛子として生を受け、その仏種にめざめ生きて、また本仏の世界へ帰るのが人の一生と説かれています。我利我欲の妄想をすてて法華経の菩薩道を実践して、本仏中心の平等互恵の精進で生きると四苦八苦の苦しみから救われます。
 
 
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  高祖 日蓮聖人の教え  

  
  
  
     
日蓮聖人御真筆曼荼羅
岩本弥八郎、徳畑仁右ヱ門寄進
 天明4年(1784)
 日蓮聖人は、法華経こそがお釈迦様がこの世に出現した本懐であり、寿量品第十六を根拠に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という十界は、それぞれの境地にそれぞれ備わり(十界互具)、いわば私たちの日常の心にあらゆる事象がすべてそなわっている(一念三千)という教義を樹立し、「南無妙法蓮華経」と唱えられ立教開宗されました。

「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩の九種の境地は、無始無終久遠である本仏の境地にふくまれている」ということであり、「本仏の境地は無始無終久遠である九種の境地にそれぞれに備わっている」ということであります。


 私たちが孤独にさいなまれ悩み苦しみ、あるいは怒り心頭に発するときは、私たちに備わる地獄界が表面に出たときであり、貪り求めるときは心の中の餓鬼界が外面に顔を出したときであり、他者と張り合い争うときは修羅界が他界を圧したときであり、同情して慈悲の手をさしのべるときは菩薩の心が芽吹いたときです。

 こうみてくると、私たちに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩の九界が備わっていることは経験上理解することができますが、はたして「仏界」が私たちの心に宿っているのか、仏がわが心の中に住んでいるのかという段になると、なかなか納得しにくいのが私たちです。

 お釈迦さまが仏になられる前に修行したあらゆる修行(因行)も、また、お釈迦さまが仏になってから後の「仏というもの」の全部(果徳)も、みなこの妙法蓮華経の五字に備わっているのであり、私たちがこの五字を受持すれば、お釈迦さまが仏になる前に修行したあらゆることも、仏になってから得たすべてのものも、自然に私たちにゆずられるのであります。

 私たちは末代悪世の凡夫であるから宗教的には低俗であるかもしれない。しかし「南無妙法蓮華経」と口に唱えることはできます。南無妙法蓮華経と唱えさえすれば、私たちの心の中の「仏界」が姿を現す、つまり「成仏できる」のであるといわれています。
  
 日蓮上人は、南無妙法蓮華経と口称すると、どうしてそこに浄土が顕現し、また唱えた人が何故に成仏できるのか、ということについて「法華初心成仏抄」で次のように教えておられます。
  

 およそ妙法蓮華経とは、われら衆生の仏性と、梵王・帝釈等の仏性と、舎利弗・目連らの仏性と、文殊・弥勒らの仏性と、三世の諸仏のさとりの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故にひとたび妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・一切衆生の心中の仏性を、唯一声に喚び顕わし奉る功徳は無量無辺なり。

 わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、わが己心中の仏性が、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕われ給うところを仏とはいうなり。たとえば籠の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるがごとし。空とぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出でんとするがごとし。口に妙法をよび奉れば、わが身の仏性もよばれてかならず顕われ給う。梵王・帝釈の仏性はよばれてわれらを守り給う。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生の皆成仏道の妙法というはこれなり。

   
 日蓮上人は、私たちの心の中に「仏性」(仏のタネ・仏となる可能性)があり、私たちが南無妙法蓮華経と口に唱えるということは、心の中の仏性を「呼び出す」ことであるとし、南無妙法蓮華経と呼びさえすれば「仏」(さとりの境地)も呼ばれて私たちに近よってくるといわれ、心の中から呼び出された仏性と、呼び寄せられた仏とは同質・全同であるから、そこで和合して一つになる。仏と仏たちが合体する、それが成仏であり、そこを「浄土」と名づけるといわれています。

 口に出して南無妙法蓮華経と唱えれば、心の中の仏が顕現して生きながらにして成仏できるのです。さらに現世の信心が未来を利益し、未来永劫にわたって久遠の本仏と共にいることができるのです。つまり、現世においてお題目を唱える私たちは、寿命を全うしてあの世へ移ってからは、「常に霊鷲山に在り」(寿量品)という久遠の本仏の御許・霊鷲山に往詣することができるのです。

 仏に聞きとどけられるようなお題目をお唱えすることによって、現世において成仏し、命終してからは霊山往詣できるのであってみれば、毎日の生活にあくせくするばかりでなく、日蓮上人の唱えたのと同じようなお題目を、私も、あなたもお唱えしたいものではありませんか。そのためには健康を保ち、悩みごとや苦しみを解決し、経済的にも豊かでなければなりませんがそれらはお題目を唱えれば、自ずと授かることではあるにしても、ご本尊やご守護神の加被力を得ての上での唱題であれば、相乗効果も働いて、さらに一層の拍車がかけられることとなるのです
 
 
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高祖 日蓮大聖人
  
  
  

お生まれ

日蓮聖人は、承久4(1222)年2月16日に現在の千葉県安房郡小湊にお生まれになりました。幼少の頃より利発で、勉学のため12歳ときに近隣の名刹清澄寺(せいちょうじ)へのぼられ道善房(どうぜんぼう)に師事、16歳で正式に出家されました。

求道の旅

修行が進むにつれ、「釈尊の説かれた道は一つであるのに、どうしてさまざまな宗派があり互いに争っているのだろうか」という疑問をもたれた聖人は、その答えを求めるため清澄山を後にされ、京都の比叡山を拠点に諸国のお寺を遊学されながら、さらに多くの経典を研究されました。そして、清澄寺入山から20年の年月を経て、ついに「法華経」こそが釈尊の教えの根本であり、救いの道は法華経にあるとの確信を得られます。

立教開宗

清澄寺へ戻られた聖人は、建長5(1253)年4月28日、旭が森の山頂で昇り来る太陽にむかい、「南無妙法蓮華経」と始唱され、立教開宗(りっきょうかいしゅう)を宣言されました。このとき、名を「日蓮」と改められます。

法華経の布教

 法華経の布教を開始された聖人は、人々を正しい仏法に導くことでその不安や苦しみが救えるとの確信のもとに辻説法や討論を通じて民衆に訴えかけられました。しかし、世情は不安定で度重なる災害により人々の暮らしは困窮をきわめる惨状でした。

そこで、聖人は「立正安国論」を鎌倉幕府執権北条時頼に奏進されると同時に、法華経こそが末法の世を救うと説かれ、改宗を迫られました。

四大法難

 ところが、聖人の諫言は、幕府や誤った仏法だと指摘された他宗の信者の反感を買い、聖人はこれ以後、大小様々な迫害を受けられることになります。

なかでも松葉谷草庵の焼き討ち(松原法難)、伊豆への流罪(伊豆法難)、小松原での武士による襲撃(小松原の法難)、龍ノ口の処刑未遂に続く佐渡への流罪(竜口法難)が、四大法難として有名で数々の逸話が残されています。

佐渡での日々

極寒の佐渡で、聖人は飢えと寒さに耐えられながら、たび重なる受難や迫害を受けたご自身をぎりぎりまで内省され、聖人の教えの根本聖典とされる「開目抄」、「観心本尊抄」、さらに「大曼荼羅本尊」を書き上げられました。

 開目抄では、「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目(がんもく)とならん。我、日本の大船とならん。」と強い信念で身命を惜しまず法華経の教えを弘める決意を改めて説かれています。

身延への入山

 3年後、赦免された聖人は鎌倉に戻り幕府に三度目の諫言(かんげん)をされますが、受け入れられず、文永11年5月、ご自身滅後の弟子の教育のため、また教学の充実に努めるため甲州の身延山に入られました。身延山では、「撰時抄」「報恩抄」を著されています。

池上でのご入滅

 日蓮聖人は、弘安5年9月、湯治療養のため常陸の国(現在の茨城県)の温泉へ向かう途中に立ち寄られた武蔵国(現在の東京都)の池上邸で最期を迎えられます。

 「立正安国論」の講義をされ、六人の本弟子を定め弟子たちに心を一つにして法華経の救いを伝えるように遺言され、ご入滅されました。弘安5年10月13日、聖人が六十一歳の秋のことでした。このとき大地がゆれ、山いちめんに桜が咲いたと伝えられています。

  
  
  
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開祖 常不軽院日真大和尚
 
 

日真大和尚像 江戸時代
 
 日真大和尚は、文安元年(1444)に城崎郡九日市(兵庫県豊岡市)の山名家にお生まれになりました。六歳にして山名家の菩提寺である妙境寺、十八歳にして、比叡山に登り一院に寄寓され天台・日蓮教学を研究されます。

 さらに、京都の妙本寺で二十有余年の研鑽をつまれた後、「法華経に二教あり。本門と迹門なり。本迹の相違は天地懸隔、水火不同の如し。」との立場を明確にされました。

 しかし、この立場は法華経に二経、ましてや優劣などないとする妙本寺の立場と相容れなかったため、正しい法を挽回するとの誓願のもと妙本寺を去られ、四十五歳で、京都の四条大宮の地に慧光無量山本妙興隆寺(慧光山本隆寺)を創建されました。

 その開堂式で、「一部修行 本勝迹劣 唯寿量 本果実証 上行所伝南無妙法蓮華経」と、像門(日像菩薩の門流)の正統を継承することに不惜身命の誓いをたてられました。

 
 
 


 日真大和尚筆本尊 延徳2年(1490)

日真大和尚は、八十五歳で亡くなるまで高祖日蓮上人の教えの弘通すべ
く各地を行脚され、多数の曼荼羅を人に授けたと伝えられています。
  その筆跡は像師(日像菩薩)を模したもので「波動の題目」と呼ばれました。
  妙法寺には本宗で最も古い日真大和尚の曼荼羅を所蔵しており、
霊応殿中央には日真大和尚の尊像がお祀りしてあります。
 
  
 
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開山の智願院さま
  
  
 妙法寺の本山は、京都市上京区智恵光院五辻上ルにあります法華宗真門流総本山本隆寺です。京都布教の第一人者日像上人の教えを奉じ、日真大和尚が本隆寺を創建、長享二年(一四八八)四月二十八日に独立されました。
 詳しい案内は、総本山本隆寺のホームページをご覧ください。
 
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