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― 鎌倉仏教と女性 仏涅槃図 一幅 兵庫 妙法寺 ―
絹本著色 縦123.6 横89.6(描表装とも) 鎌倉時代 正中2年(1325)
背面の貼紙に次のような、製作時期・開眼導師・絵師・願主を記す整った内容の墨書がある「正中二年乙巳三月廿三日開眼導師西大寺泉律師絵師命尊南京法華寺比丘尼玄本本尊也」。
法華寺の玄本という尼僧は、永仁元年(1293)発願で、叡尊十三回忌の正安4年(1302)に完成した西大寺の「文殊五尊像」の中尊納入品のうち「大般若経」巻五百七十三の奥書に、「永仁三年三月十日 書写了 少比丘尼玄本」と名を記す人である。
絵師命尊は、暦応3年(1340)に完成した興福寺の木造吉祥天像の台座裏墨書銘に、彩色担当者として「絵所大仏師法眼命尊」と記されるのと同一人とみなされ、鎌倉時代初期に活躍した尊智の直系と考えられる南都絵仏師である。本図の背面貼紙には他に、海龍王寺常住の銘と、文禄3年(1594)の妙法寺常住の銘もあり、伝来が辿られる。
本図と関連の深い作品に藤田家旧蔵の「仏涅槃図」があり、その背面貼紙には、法華寺常住、元享3年(1323)作、願主は比丘尼行施、絵師は法橋命尊の旨が記されている。行施もまた、「文殊五尊像」納入「大般若経」巻五百四十七を永仁6年に書写しており、同じ環境にいた尼僧二人がそれぞれ涅槃図を、同じ絵師を用いて製作したわけである。
両本の図様は基本的に共通し、おおむね涅槃図の一般的な形式にもならっているが、寝台の向かって右下隅部に配された、尼僧と認められる二人物が特徴となっており、願意に関わる要素かもしれない。なお行施本には、その方が法量が大きいこともあってか、上記の二尼僧の周辺に女性の姿が多く描かれているのが注意される。
(奈良国立博物館 学芸課)
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