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マイロの出産記録1からのつづき 逆子が直って家に帰る気分でルンルンだった私は、突如入院することになってしまい不安の渦に落ちていきました。 とりあえず簡易の診察室から、病院ツアーでも見たあの本格的な陣痛・分娩の部屋に移動することに。 それでも子宮口が開いているからと、カンタンに入院させてくれたことには正直拍子抜け。だって、バースクラスでさんざん「かなり痛くなってからでないと入院なんてムリ」と教育されましたからねぇ・・(しつこいですね・・汗)でもこういう陣痛の痛みが弱い私みたいなタイプは家に居たらどうなるのか後で不安になりました。 こうして入院の事実を疑いながらも、すでにガウンに着替えていた私は着替える必要もなく、丸見えの後ろ姿をシーツで隠し、まだ余裕で動けたので歩いて移動。(いちおう車椅子用意してくれましたが・・) 私の部屋担当のナースがやってきて、また血液検査(きのうやったのに)。点滴の管を手首から通して完全に入院体制。それでも信じられなくて、思わずナースに不安をこぼす・・。 「ほんとは私、家に帰れるんですよね。これ、何かの間違いですよねー。まだ準備できてないですぅー」ってしきりに帰りたいモードを訴えました。 でもこれは間違いではなくて、ナースが言うには、 「たぶん、そうねぇ、今日の夜にはご対面かしらね・・」って。(マジかよ) なぜ今日病院へ来たのかなどを話しながら、「ポジション直ったベイビーです」と言うと、「えー!それはすごいね!直ったんだ。あれってけっこう直る確率半分なのにねー。エライエライ」と、お腹の子がなんだか勲章ついたベイビーに思えました。
入院してすぐのときは特にすることがなかったので(要するに暇で)、気分転換に病院内を歩きました。お腹が空いていたのでカフェテリアに行こうと、夫と一緒に点滴のバーを引きずって隣接しているビルへの接続廊下を歩いていたら、私を呼ぶ声が。あっちの方からナースが飛んできて、 「ダメよー、あなたはそっちに行ってはいけないのよ」 と言われ、またも腹へらかしの妊婦から食べ物が遠ざかっていくのでした(涙) そんな私に与えられるのはジュースと、「赤と緑どっちにする?」と言われても、どっちもイヤな着色料たっぷりのゼリーばっかし(笑)。こんなときまで「万が一の事態(帝王切開)に備えて、食べ物は控えること」というわけで、逆子修正で気力(体力も?)を使った私は出産前なのにすでにエネルギー切れ状態。 結局、歩けばもっとお腹がすくし、ガウンは下も背中もスースーして居心地悪いし、散歩もたいして楽しくないのでションボリ部屋に戻るマイロ。ベッドに戻ると陣痛の山を見ながら『陣痛とは何ぞ』の研究をすることに。そこでようやくコツというか感覚が分かってきました。 それから度々ナースによる子宮口のチェックが入り、入院体制になってから一向に開かないのでPitosen(陣痛促進剤)を入れようということで、手首の点滴から入れられました。(というか、2時間弱でこの判断はどうだったんだろう?) それから30分くらいすると、陣痛がさらに強くなり痛くなってきました。 Pitosenと痛み止めの効き具合がかなり強く、足や手や唇がガタガタと震えて、自分はこの先どうなるんだろうと思っていました。 それからナースが子宮口をチェックすると「7センチ」といい具合になっているというので、ついに痛みにガマンできなくて「エピドラル」(硬膜外麻酔)をお願いしました。 それからがかなり長い時間に感じられて、もう言葉も出ないほどの痛みで文句も言えず、容赦ない陣痛の嵐と痛み止めのラリった状態がごちゃごちゃ。私は早くエピドラルを打って欲しいのに、なんでこんなに時間がかかるのかそればかり気にしていました。陣痛は波などころか間隔なく絶えず私を攻めるので、麻酔を打つことになったとしても起きあがれる自信はありませんでした。 後で知ったんですが、その頃私があまりにもがき苦しむのに夫はモニターを見つめて、その波があまり強くないのに(ピークが100もいかない強さ)、なんでそんなに苦しいんだろうと思ったそうです。(実は、このとき私のお腹についているはずのモニターがずれて正確な数値が出ていなかったらしい) そんな状態が10分ほど続いて、大変なことになったのです・・・
ぷちっ! 後で知った ものすごい強さの陣痛とともに、股の間から何か物体が飛び出るような感覚がありました。それから止まることなく水が流れ出るのが分かって、自分が破水したことに気が付いたのです。 でも・・なんか変。 そう思ったと同時に夫に「ナース呼んできて!破水したー!」と叫びました。 そして夫が走ってナースを呼んできました。チェックしに来たナースはここで異常に気づくのです。 「あ!いけない、羊水が濁って胎児の排便が見られるわ・・。
私は意識が朦朧としていて何が何だか分からなくて、ただ『異常があったんだろう』ということだけははっきり覚えています。 「マイロさん、破水で異常が見られました。今からすぐに帝王切開しますからね」 もう有無を問わない緊急体制になっていたようでした。
ここから先は夫に聞いた話。(意識が不安定なマイロは知らなかった) 一刻を争う事態で早く帝王切開しなくてはいけないのに、手伝いのナースや肝心のドクターが来なくて、チェックしに来た先ほどのナースが「早く!だれか来てー!もっとナースが必要なのにどういうこと!」などと叫んで慌てふためいていたそうです。 そこへ夫が、私につながっているいろんなもの(モニターのケーブルなど)を指さして、「これ全部抜いて彼女を運ぶんですよね!」とナースに確認したあと、配線を全部取って私を運ぶ準備を手伝ったそうです。 それから私は酸素マスクを付けられて、別の運搬用ベッドにひざをついてうつぶせになるように言われ、必死になって移動。ナースは胎児が出ないよう私の子宮口を手でぐっと押さえ、(このときすでに子宮口はほぼ全開の9センチ開いていたそうです)私の体をまるごと上から隠すようにシーツをかぶせると、緊急手術室へ走って運ばれました。 ナースは廊下に出ると「どいてどいて!緊急オペよ!そこ開けて!」と叫んでおりました。私はうつろながら走って運ばれたのは覚えています。それはまるでドラマの「ER」そのものの世界でした。
胎児の心拍低下のため、一刻も早く胎児を出さなければいけない。まさに非常事態の中、そこでされた処置はとっても素早かったようです。 まず、陣痛を止める注射(逆子修正でもやった、イっターい注射)を打たれ、それと同時にガス麻酔のマスクを付けられ、コロっと逝っちゃいました。(何やら麻酔医師がごちゃごちゃ言っていた気がするんだけど覚えていません) これも夫から聞いた話、緊急だったため手術には立ち会えなかったんですが、私が手術室に入って約20分で、へその緒も切られ、きれいにふき取られたジュニアと初対面したそうです。ほんとに早い展開に夫もビックリ。 ↓緊急事態から約20分でこの姿。 これが入院から約6時間後でした。なんと、逆子を発見してくれたきのうのドクターがこの緊急手術の担当でした。結局その日ドクターに直接会うことなく残念でしたが、ジュニアを助けてくれた感謝でいっぱいでした。
なんと夫はちゃっかりERのナースにデジカメを渡して写真を取ってもらえるようお願いしていました。(上のジュニアのファーストショットはナースが撮影してくれたもの) さらに、夫はナースからの善意で、通常の帝王切開立ち会い用の緑の服とメッシュの帽子にマスクを借りて、すっかり立会人のカッコをしてジュニアとともに写真を撮ってもらっておりました。なんでも、ほんとは入ってはいけないところでコレをやったらしくて、ドクターに叱られたそうです。(汗) ジュニアが産まれた後もマイロは帝王切開後の処置のため、引き続き手術室で手当を受けていたそうです。これが約2時間くらいだったようです。 その間、生まれたてのジュニアは通常の手順で検査するため、バースレコード作成などでナースセンターに連れて行かれ、夫はガラス張りの部屋でのやりとりを写真におさめておりました。 ↓ガラス張りのナースセンターで検査されるジュニア ちなみに、写真左のナースはER担当なのでグリーンのユニフォームですが、アメリカのナースたちはみんな写真右のナースのようなカラフルなユニフォームを着ています。ナースユニフォームのデザインは自分で選べるらしく、いろんな柄のユニフォームを見ます。また、日本のようなスカートではなく動きやすいパンツ姿で活発な印象を受けます。
ふと目が覚めると、私は集中治療室に居ました。手術から3時間は経っていたました。前にいた陣痛・分娩の部屋とはちがうかんじです。ナースが常に部屋にいて、私の様子を見ていました。そして夫もいます。彼はそばでにっこりと「男の子だよ。がんばったね」と言ってくれました。 ジュニアとの初対面は・・・まだです。 マイロの出産記録その3(産後)へつづく・・ |