差別事象にたいする全解連の方針

 1998年12月6〜7日 第2回中央委員会

もくじ

一、いま、なぜ差別事象問題かーこの「方針」の目的

二、二十一世紀をめざし差別と偏見を克服する道

   部落解放運動の性格

   部落問題をとりまく状況

   「部落問題の解決された状態」とは何か

三、部落問題の解決を妨げる「差別糾弾」路線

四、差別事象にたいして「確認・糾弾」の手段をとらない

五、差別事象への取り組みの原則と対応のあり方

  具体的な性格にそくした対応のあり方

  (1)支配者側の差別事象について

  (2)勤労国民間の差別事象について

  (3)文化・芸術・マスコミ分野での問題

  (4)公的機関の活用のあり方

資料 「二十一世紀をめざす部落解放の基本方向」

一、いま、なぜ差別事象問題か

 ーこの「方針」の目的

 十六回大会(一九八七年三月)で全解連は、綱領的文書「二十一世紀をめざす部落解放の基本方向」(以下・「基本方向」)を決定しました。「基本方向」は、現在の部落問題をとりまく客観的条件の分析をはじめ、部落問題の性格や解決を妨げている原因、解決をはかっていく原動力、全解連の任務と運動の方向、二十一世紀への展望などを規定づけています。また、これからの全解連の運動の課題として、第一に、独占資本と反動勢力の横暴な支配を民主的に規制し、民主主義を確立・推進する、第二に、新・旧二つの差別主義を克服する、第三に、部落問題の解決をめざす民主的まちづくりの促進、第四に、部落解放の最終責任を担いうる主体の形成、第五に、以上の課題を総合的に前進させ、歴史的使命を達成するための、質量とも強大な全解連を建設するーことを提起しました。そして全解連は、同和対策事業特別措置法施行以来十九年間の運動のあり方が同和行政に依存しがちであった実態に目をむけ、これを克服するため、部落解放運動の歴史的教訓にも学びつつ、新たな形態の運動として「私の要求」運動を提起し、その定着と前進のために全組織をあげて奮闘しています。

 全解連は、この「基本方向」の路線を基礎にして、運動の各分野でこれをいっそう具体化し、そのもとで「二十一世紀に部落差別を持ちこさない」より確かな土台を構築していかなければなりません。こうした観点から、差別事象問題についても、「基本方向」を基礎にしてよりいっそう充実した方針の確立が必要になっており、この課題にこたえることが私たちの任務です。したがって、この「差別事象にたいする全解連の方針」(以下「方針」)は、「基本万向」のこの分野における具体化であり、「二十一世紀に部落差別を持ちこさない」実践的うらづけを保障するものです。

 また、「部落解放同盟」による「部落民以外はすべて差別者」とする部落排外主義にもとづく国民敵視の「確認・糾弾」路線は、矢田事件や八鹿高校事件にみられるように、なんら差別でないものまで「差別」にデッチあげたり、ささいな言葉づかいの間違いを理由に暴力的「確認・糾弾」行為を強行していることから、国民の部落問題についての「自由な意見交換」や正しい理解をはばみ、部落問題の解決にとって重大な障害となっています。そして政府ですら地域改善対策協議会の「意見具申」や「啓発指針」において、「確認・糾弾」行為が新たな差別意識を生む要因の一つになっているとし、この見直しを「運動団体」に求めるという状況も生まれています。今日、この問題について運動団体がどのように応えるかが国民的関心となっています。

 全解連は、こうした状況を踏まえた上で、「確認・糾弾」行為を含む差別事象への対応について、この機会に私たちの考え方を社会的に明らかにし、この問題での国民的台意をはかることにより、部落解放運動の正しい前進を推し進めていこうとするものです。

二十一世紀をめざし差別と偏見を克服する道

部落解放運動の性格

 今日では、戦前と異なり部落差別を残し支える社会的しくみは基本的になくなり、憲法はすべての国民に基本的人権を保障し、第十四条で「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と明確に定めています。そして、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であることを確認し、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と強調しています。

 部落差別の残存は、この憲法が規定する基本的人権の確立がいまだ現実の生活において実現していないことを示しています。したがって、部落問題の解決をめざす運動は、憲法の基本的人権の実質化をめざすものであり、自由と民主主義を確立するたたかいの一環をなすものです。

部落問題をとりまく状況

 今日、劣悪で低位におかれていた部落の生活環境、労働、教育などの各分野で、部落内外の格差が全国的に大きく縮小し、部落の閉鎖性も弱まり、社会的交流も発展して、部落解放への展望を明るくしており、部落差別は基本的に解消の過程にあります。

 しかし、「基本方向」が指摘しているように、「二十一世紀に部落差別を持ちこさない」ためには、まだ一掃し切れていない部落問題にたいする非科学的認識や偏見により部落住民を侮辱・排斥する古い差別主義を克服していくことが必要です。同時に、「解同」一部幹部が、一九六〇年代後半から反共と部落排外主義を露骨化し、暴力と利権あさり、民主主義破壊の集団へと転落するもとで生み出されている新しい差別主義を社会から一掃していかなければなりません。この「新・旧二つの差別主義」を克服していくことが、部落解放運動の重要な課題です。とくに、部落排外主義による「差別糾弾闘争」は、国民のあいだに部落問題をタブー視させたり、「こわい」という意識を潜在化させ、同時に、不公正・乱脈な同和行政やえせ同和行為などの温床となって、部落問題の解決を大きく阻害しています。

 したがって、「基本方向」を実現していくためには、新しい差別主義をこの社会から一掃していくことが前提となることば言うまでもありません。

 今こそ、すべての地域で公正・民主・公開、住民合意の同和行政を確立すること、また正しい部落解放運動が名実ともに本流として成長する必要があります。

〃部落問題の解決された状態〃とは何か

「基本力向」は、部落問題の解決された状態を次の四つの指標で示しました。

@部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること。

A部落問題にたいする科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会でうけ入れられない状況がつくりだされること。

B部落差別にかかわって、部落住民の主活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること。

C地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること。

 つまり、部落問題の解決すなわち国民融合を達成する道は、この四つの指標を総合的・複合的に実現していくことであることを「基本方向」が示しています。

そのためには、

 @差別事象がおこってから「確認・糾弾」として取り上げるのでなく、つね日ごろから部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会でうけ入れられない状況を積極的につくりだしていくことです。少なくとも(1)国民融合の理論と政策を住民の間に積極的に普及し、正しい部落解放運動への支持と共感を広げること、(2)自主・民主・合意を原則とした啓発をおこなうこと、(3)教育の現場で偏向教育としての「解放教育」を排除し、民主教育を確立することなどが必要です。こうした取り組みとともに、部落を含む地域社会の人びとのあいだで民主主義の力量を高め、生活文化としての民主主義が定着することによって、人権と民主主義を基調とした自治の水準をつくりあげ、かりに差別事象がおきても、その地域社会が自主的・主体的にその問題を解決できる状態を実現することです。

 A部落住民の自立をはかる活動をいっそう前進させ、部落解放を実現していく主体の形成のために、(1)民主的市民道徳や社会的常識にもとづく堅実な生活を営む能力、(2)現代の社会的労働に従事するために必要な社会的・職業的な資質・能力、(3)自治と民主主義をにないうる能力を育むことです。全解連の活動をとおして、人間としての誇りや、たたかう仲間との連帯、献身、あるいは正義感と自立心をつちかっていくことが必要です。差別への〃怒り〃だけで組織すれば、反面で排他的思想が増幅された0、無責任な意識が形成されたりします。このことは、部落問題を解決していく上で重大な弊害です。

 B政府・独占資本は、日米安保条約のもとでアメリカが求める軍事同盟として、「西側の一員」の役割を軍事、政治、経済の各分野で積極的に果たすことにより、アメリカの世界戦略の一端を担い、軍拡路線のいっそうの促進による予算増を、すべて国民の犠牲で切り抜けようとしています。そのため、世界人権宣言四十周年をむかえ国民の人権の擁護と伸長をはからなければならないにもかかわらず、それとは逆に国民の生活や教育、福祉なとがいっそう破壊され、それにともなって、国民の反撃を事前に押さえるため、すべての分野で人権侵害が広がり、深刻化しているのが実情です。

 その上、天皇の重体を契機に支配層とマスコミによる異常キャンペーンが大規模に推し進められています。これは、主権在民の否定、基本的人権の破壊に通じるものであり、国民の間に前近代的・非民主的価値観を押しつけるものでもあり、部落問題解決に逆行するものです。

 私たち全解連は、地域を基礎にして、このような人権侵害と民主主義の破壊に反対し、民主勢力との協力・共同のたたかいを前進させるなかで、部落差別を過去のものにしていかなければなりません。

 C部落内外の社会的交流を促進し、わだかまりなく相互理解ができるようにしなければなりません。そのためには、部落の文化水準を引き上げる活動と同時に、部落問題について自由に語れる社会的状況の実現がなによりも必要です。また、部落内の公共施設を部落内外に開放する措置を取らせ、部落内外を対象にした地域づくりのセンターとして機能するようにしなければなりません。

 D部済問題を解決していくうえで、正しい部落解放運動の存在が大前提ですが、民主主義を擁護、確立していく課題を追求している民主運動の全力量と水準に大きくかかわっています。なぜなら、現在の社会は、支配する者と支配される者との階級関係のもとで、さまさまな反動的思想や反民主主義思想が独占資本をはじめとする支配階級からもちだされ、これに反対し、これを克服するための科学的・民主的思想を生みだし、たたかっているのが、今日では民主運動だからです。憲法の平和的・民主的条項の擁護・完全実施、人権と民主主義の確立・前進、部落問題の解決を逆行させている部落排外主義の克服など、これらの課題を本格的になしうるのが全解連をはじめ民主勢力です。したがって民主勢力のたたかいと伸長が部落問題解決にとって確たる保障です。

三、部落問題の解決を妨げる「差別糾弾」路線

 「解同」幹部は、同特法が制定された一九六九年以降、暴力的「差別糾弾」路線をいっきょに全国化させました。そして地方自治体や教育界はもとより、市民生活をはじめ労働運動、言論・出版界、芸能界、宗教界、企業など、あらゆる介野にわたって不当な「差別糾弾」をおこない、介入しています。この暴力的「糾弾」が強行されるもとで、同和対策事業の「窓口一本化」による私物化、利権あさりと無法が横行し、地方自治と教育は破壊され、マスコミなどで「部落問題」タブーが生みだされました。

 全解連をはじめ民主勢力は、この蛮行を徹底して批判し、理論と実践の両面で真っ向から対決してたたかってきました。このわれわれのたたかいか反映して、政府は地対協の「意見具申」やこれにもとづく「啓発指針」で厳しく「差別糾弾」路線を否定せざるをえなくなりました。しかし、「解同」は、この「啓発指針」を「差別文書」だとして、死文化・破棄させようと、巻き返しの策動に狂奔する始末です。

 暴力的「差別糾弾」路線が生みだした害毒と否定的現象は、以下六つの分野、領域でみるように、許しがたい反民主主義、反国民的な内容をもっています。

 @矢田事件、八鹿高校事件などにみられるように、民主勢力への敵対を特徴とし、そこから革新分断の尖兵として革新統一戦線の破壊者となり、また革新自治体の転覆などの策動をおこなうという政治的な役割を果たしてきました。

 A社会的には、「部落民以外はすべて差別者」とする部落排外主義路線にもとづき、暴力的「糾弾」をほしいままにした結果、国民の間に恐怖と部落タブーをうみだし、新しい差別主義を形成し、部落内外の分離・分断を促進させる役割をになってきました。また、この「糾弾闘争」が背景となって、「エセ同和行為」と呼ばれる利権あさりが社会でまんえんしたと言えます。

 B新聞・放送・出版界・宗教界など文化の領域では、「差別語狩り」による「糾弾」を恐れるあまり「自主規制」が横行し、また「解同」の蛮行を報道することをタブー視する現象が生みだされ、日本の民主的文化と言論の自由の確立、発展に重大な障害をつくりだしています。

 C「差別糾弾闘争」をテコにした「行政闘争」によって、「行政の主体性」がうばわれ、「解同」に屈服、癒着した自治体では、不公正・乱脈な同和行政がまかりとおり、地方自治の破壊が生みだされ、一刻も放置できないところまできています。

 D教育の現場における児童・生徒の言動をとらえて「差別事件」と称し、暴力的な教育介入が押しつけられ、最高裁で有罪の確定している「狭山事件」を無罪だとする立場から「教材化」されたり、発達過程にある児童・生徒に「部落民宣言」や「狭山」同盟休校・登校などが押しつけられるなど、教育の自主性や中立性が破壊されています。

 E支配階級は、暴力的「糾弾」行為が「私的制裁」以外のなにものでもなく、また明らかに違法行為であるにもかかわらず、「解同」の反民主主義的、ファッショ的な言動や行動を利用する立場から、これを「泳がせ」てきました。その結果、暴力が支配する無法状況が生みだされ、法治国家ではあるまじき事態を生みだし、国民的不信をまねいています。

 このように「解同」が「生命線」とする「差別糾弾」路線は、政治、社会、文化、行政、教育、法の各分野で、部落問題を解決していく上で決定的な否定状況をつくりだしました。まさに、「差別糾弾」路線は、いまこそ一掃されなければなりません。

また国民全体の民主的な力量の向上により、「解同」の無法な圧力に屈することなく勇気をもって対応できる資質を身につけることも重要です。

四、差別事象にたいして「確認・糾弾」の手段をとらない

 「確認」とは、「たしかにそうだと認めること。また、はっきりたしかめること」(広辞苑)であり、「糾弾」とは、「罪状を問いただして非難すること」を意味します。全解連は、一般的に使用されているこのような意味での「確認」や「糾弾」を否定するものではありません。ましてや憲法の平和的民主的条項をじゅうりんする不当な政治を、国民の立場から言論・集会の自由、批判の自由の権利行使の一環として「糾弾」することは、当然の権利です。

 また、部落解放運動の分野でも、戦前の厳しい弾圧の下で果敢にたたかわれた「福岡連隊差別糾弾闘争」や「高松差別裁判糾弾闘争」のように、絶対主義的天皇制とこれを支える支配階級にたいする「差別糾弾闘争」は、現代においても正当に評価されるべき運動です。戦後においても、アメリカ兵ジラードによって部落の婦人が相馬が原(群馬県)で虐殺された事件や信太山・富士自衛隊の差別事件を部落解放運動が「糾弾」したことについても同様です。

 こうした支配階級側からの差別にたいし、部落解放運動が国民的世論を結集し、民主団体とともにその政治的・社会的・道義的責任を追及し、社会的謝罪と責任ある解決措置を求めることは当然です。

 しかし今日では、部落解放運動にかかわって使われる「確認・糾弾」は、本来的な意味・性格とは異質なものとなっています。「解同」などが「差別事件」と称しておこなう「確認・糾弾」行為の主な矛先は、勤労国民です。そしてその「確認・糾弾」行為は、差別でないものまで「差別」にデッチあげ、「当事者」に対して多数で押しかけたり、呼びだしたりして、「その見解の表明と自己批判を求める」ものであり、相手の人権や人格を踏みにじり、身柄を拘束し、「解同」の言い分を受け入れるまで、脅迫・恫喝する私的制裁以外の何物でもありません。そのため「解同」員が、たびたび「逮捕」「監禁」「強要」などの罪で罰せられています。このような「確認会」「糾弾会」に公務員が同席するなどは、決して許されるものではありません。

 したがって、全解連は、勤労国民のなかでの差別事象にたいして「確認・糾弾」という手段をとりません。また、支配階級に属する差別事象にたいしては、言論・表現の自由、批判の自由の徹底した権利行使により、議会闘争をも含む宣伝・集会・デモなどによる社会的闘争として、政治的・社会的・道義的責任を追及します。

 全解連が部落排外主義にもとづく「差別糾弾」路線を批判するのは、その運動形態や方法そのものが基本的人権をじゅうりんし、民主主義に敵対する内容になっているからです。また、そのことが部落問題の解決手段に到底なりえないし、現実には部落問題解決に逆行するものだからです。

 「解同」は最近、国民的批判をかわすために、「確認・糾弾」の場を公開にするとか、第三者に立ち会ってもらうなどと〃手直し〃を口にしていますが、彼らの「確認・糾弾」行為の本質はいささかも変わらず、国民の恐怖が払拭できるわけがありません。また、どれだけ平穏をよそおった「確認・糾弾」であっても、この形態と方法そのものに問題がある以上、社会的に一掃されなければなりません。

五、差別事象への取り組みの原則と対応のあり方

 今日まで部落解政運動を支えてきたのは、部落住民はもとより、良識ある国民の不当な部落差別にたいする怒りであり、差別のない明るい民主的な社会を実現し、人間平等を求める崇高な願いです。この願いを真に実現していく上で重要なことは、部落排外主義にもとづく「被害者意識」を部落住民の「自覚」として強制したり、国民全体を敵視するいわゆる「差別者」対「被差別者」という誤った社会認識による偏狭な「差別糾弾」行為を続ける逆流を断じて許してはならないということです。

 部落解放運動六十余年の歴史から正しく継承されるべき教訓は、旧身分のいかんを問わず、部落内外の障壁を打破して、自由な市民的交わり、国民的な融合をとげていく立場から運動を推し進めていくことです。

 私たちは、「解同」などの暴力的「糾弾」に反発するあまり、差別事象の解決に消極的、否定的になったりする傾向を戒め、敏感に対応し、全解運の方針にもとづいた積極的で適切な解決をはかるために努力しなければなりません。

 部落問題にかかわる差別事象とは、部落にたいする非科学的認識や偏見から、就職、結婚などのさい旧身分を問題にする悪習や、市民生活で旧身分によって侮蔑、排斥する悪弊などが、社会生活で具休的なかたちで表われ出たものを言います。

 差別意識は、ほんらい支配階級の思想です。部落にたいする差別意識は、封建社会における生産関係を基礎にして、法的および政治的制度としてつくられた身分制度と、この支配を維持するための封建的倫理観、道徳によって、人民に押しつけられた封建時代における支配階級の思想の残りものです。

 今日の状況は、新しい差別主義がこの古い差別観をも助長する役割をはたし渾然一体となっているもとで、部落にたいする国民感情をより複雑にしています。国民が、部落解放運動や同和行政の歪んだあり方を批判したり、また部落住民の生活態度などに疑問をもつことも当然あります。このような疑問や批判は、「差別事象」となんらかかわりのない次元のちがう問題です。

 差別事象であっても、反動勢力の側からの意図的な差別と、勤労国民のあいだの偏見や認識不足、不用意な言動などにもとづく問題とを厳密に区別します。

 私たち全解連は、差別事象に対応する場合、@いかなる理由があっても相手の人権を侵害しない、A社会的常識と道義を遵守し、民主的態度で行動する、B広範な国民の支持を獲得する、ことを基本原則とします。したがって、私たちは、差別事象にかかわって集団による長時間にわたる詰問や、相手の身柄を結果的に拘束するようなやり方は一切とりません。この行為は、「差別者」と称して相手の内心に踏み込み、結論を多数により強制し、特定の運動や路線に屈服させるものであり、教育、説得、納得などを基本とした民主主義的方法に反する行為であるのみならず、部落解放運動がもっとも重視しなければならない人間尊重の理念からも許されるべきものではないからです。

具体的な性格にそくした対応のあり方

(1)支配者側の差別事象について

 わが国の反動的支配階級に属するところの大企業や政党・政治家、高級官僚など、公的立場からの意図的な差別や就職差別にたいしては民主団体などとの協力・共同を確立、発展させながら、抗議行動をも含めてその政治的、社会的、道義的責任を追及します。不当な権利侵害にたいする責任を追及する抗議行動は、部落差別の場合も、思想信条による差別、性別による差別などに反対する取り組みと同様に、言論・表現・集会・デモなどの集団示威行動などを含めた宣伝、批判活動として、また必要によっては政党の協力も得ながら議会闘争も含めた社会的闘争としておこないます。具体的には、宣伝活動をはじめ文書による申し入れや公開質問状、署名活動、集会の開催などによって抗議の意志を示します。そして、広範な世論に訴えることをとおしてその反動的な本質を明らかにし、社全的な理解と支持を獲得・拡大することにより力関係を変え、杜全的な謝罪と責任ある解決措置をとらせるよう取り組みます。

A勤労国民間の差別事象について

 勤労国民のあいだでおこった問題は、敵対的(たとえば「部落」村「部落外」というように)にとらえたり、いたずらに問題を広げたり、一方的に問題対象とされる言動の責任追及に終始することのないように、客観的事実関係の上にたって整理し、当事者間の民主的な話し合いで解決することを原則とします。全解連は、この原則にたって相談にのり、正しい問題解決がはかれるよう指導・援助を積極的におこないます。

 また、住民が差別事象に直面したとき、それぞれの職場・地域でその言動の誤りを民主的に批判し、説得し、解決できるよう、日常的な教育活動に努めます。必要によって、私たちが直接対応する場台にも、相手の同意を得ながら、信頼関係をきずく立場で、部落にたいする誤った偏見がいかに時代おくれなものかを明らかにし、人間の尊厳と人権をまもる意識をたかめ、部落内外の相互理解と融合を深めることを基本にして説得に努め、民主的な話し合いのもとでおこないます。

 @学校や地域において児童・生徒間で賤称語の使用などの言動があっても、それは心身ともに発達過程にある児童・生徒の不十分な認識から生みだされたものであり、それを「差別事象」と規定したり、「差別事件」として社会問題化することは誤りです。児童・生徒間の問題は、その発達段階に対応した教育活動によって正しく解決することが子どもの成長を保障する手だてです。学校や教育行政が児童・生徒の問題を社会問題化したり、外部の圧力でそれに手を貸すという事態は、子供の成長を著しく阻害することであり、教育の原理を逸脱するものです。学校・教師集団は、子供と教育を守る立場を堅持して、主体性をもって自主的・民主的に問題解決にあたることが重要です。

 「解同」による児童・生徒の発言問題をとらえての教育介入が全国各地で増加している今日、これに断固反対するたたかいは、いま以上に重視されなければなりません。また教育行政や学校が教育介入を許して、教育の自主性・中立性を放棄した場合は、父母・教職員とともに、この姿勢を厳しく批判し、その是正のため努力します。

 A結婚にかかわる差別問題は、身分制度が廃止され、旧身分にかかわりなく自由な交流が前進する過程で発生するものです。 長い目でみれば社会の進歩・発展のなかでおこっている障害の一つと言えます。結婚は、男女の愛情がその基礎であると同時に、その両性による合意が前提となって成立します。したがって、結婚や男女交際にかかわって部落問題を理由にしたトラブルが発生した場合は、あくまでも当事者二人の意志を尊重して、その家族も含めて励ましながら援助し、道理を尽くした説得で偏見や誤解を取り除くように取り組みます。 当事者や家族に展望を与え、民主主義を前進させ、部落問題解決に結びつける立場から対処することがだいじです。

 Bいわゆる落書き問題について基本的な立場と対応は、一般的に落書きは書いた人を特定できないことからも、消去もしくは施設や対象を以前の状態に復元することで基本的に解決するものであり、部落についての記述も同じことです。このような問題は基本的に社会問題化しません。

 C相手が特定できない差別的な内容の投書・電話は、執拗で悪質な場合にかぎって告訴・告発の措置をとるようにし、落書き問題と同様に取り組みます。

(3)文化・芸術・マスコミ分野での問題

 文化・芸術、マスコミなどの問題については、「差別」と観念的に受け取れる単語だけを取り上げて問題にするのでなく、文章表現や発言内容、ストーリー全体をとおして、客観的にとらえることが大切です。

 私たちは、問題の理解をつうじて、人権と民主主義を守る見地から、関係者が部落問題を積極的に取り上げていくように努めます。この分野で、何でも「差別」にし、脅迫して、自らのイデオロギーと路線に屈服させる「解同」の策動に強く反対します。また、マスコミ対策を強め、一部新聞などにみられる「解同」追随の不公正な報道にたいし機敏に対応し、公正な真実にもとづく報道をおこなうようはたらきかけます。

(4)公的機関の活用のあり方

 私たちは、差別事象の内容や程度に広じ必要性がある場合に公的な機関を利用します。公的機関には、法務省の人権擁護機関や司法による救済措置があります。その他、弁護士会の人権擁護委員会が「基本的人権を擁護する」立場から独自に設置されています。

 また、私たちは、民主的行政改革のいっかんとして、人権擁護機関や内容の民主的改革をはかる運動も並行しておこないます。民主的改革の骨子は、法務省の人権擁護局の「人権侵犯事件調査処理規程」を改正して、国民に申請権を保障すること、両者の意見を同時に聴取する機会の提供、調査結果を文書で回答する義務規定などを設けるとともに、このための予算・人員増をはかることです。また、人権擁護委員問題では、選出・運営の民主化、委員会の議事録の公開、報告の義務などが必要です。法的救済が必要な場合には、司法の刑事・民事による救済措置をとります。

 人権侵害に関して、刑法では「名誉毀損」罪(第二三〇条)、「侮辱」罪(第

二三一条)などがあり、民法では「不法行為」として損害賠償、謝罪広告の請求(第七〇九条以下)ができることになっています。

 なお、これらの公的機関の措置が不当なものであれば、当然、批判の自由にもとづき世論に訴えるたたかいを展開する権利があります。

@矢田事件とは

 一九六九年二月、大阪市教組東南支部の役員選挙に立候補した木下浄・阪南中教師(当事)のあいさつ状を「解同」が「差別文書」と断定し、木下氏と推薦に名を連ねた十三人の教師を〃糾弾〃。教師を監禁した「解同」幹部の刑事事件は八二年三月に有罪が確定した。

 候補者が配布したあいさつ状には「進学のことや同和のことなどで、どうしても遅くなること、教育こん談会などで遅くなることはあきらめなければならないのでしょうか」などと書かれていた。これを部落解放同盟は「解放同盟の運動が教師を抑制するという考え方をしている。差別文書だ」などと一方的に断定した。こうした「解同」に追随・屈服、いいなりになって現場の教師を不当にも強制配転するという暴挙をおこなった大阪市教育委員会を相手どり、木下氏ら八人がおこした国家賠償訴訟で一、二審判決は「あいさつ状を差別文書と断定するのは困難。処分は教育の自由と公教育の中立性、さらに原告らの思想、信条、内心の自由を侵し、教育の本質に反して裁量権を乱用しており違法」と木下氏らの主張を認めた。そして八六年十月、最高裁が大阪市教委の上告を棄却して原告勝利が確定した。

A八鹿・朝来暴力事件とは

 昭和四十九年十一月二十二日、兵庫県八鹿町で「解同」丸尾派の同盟員ら数百名が、約七十名の県立八鹿高校教職員に襲いかかり、十二時間もの長時間にわたって監禁し、殴る、蹴る、冷水を浴びせる、タバコの火を顔におしつけるなとの集団リンチを加え、頻死の重傷を含む約六十名が負傷した。

 事件は、八鹿高校の教師集団が一致団結して民主的な教育を守り、「解同」丸尾派の公教育に対する不当な介入に反対したことに対し、「差別教育だ」と言いがかりをつけて引き起したもの。 この背後には、兵庫県、県教委や南但各町の当局など、更には、警察当局まで彼らに援助や協力をおこなっており、それが事件を一層エスカレートさせた。

 この事件以前にも、南但馬では行政や小中学校教育に対する「解同」の暴力的介入が頻発し、これに反対した兵教組朝来支部の各分会を次々と襲い、ついに朝来支部長(当時)の橋本哲朗氏(現朝来町長)を「差別糾弾」と祢して、自宅を家族もろとも一週間にわたって包囲監禁し、昼夜をわかたず大型スピーカーを並べ、怒号、罵声を浴びせ屈服をせまった事件をはじめ、橋本氏を支援する多数の人びとに集団暴力を加える事件で二百名以上の人びとが、失明、骨折を含む負傷をさせられた。

 裁判で大阪高裁は八八年三月二十九日、重大な問題を残しながらも一審同様、全事件・全被告人を有罪とする判決を下した。「解同」側は何らの反省もなく無罪を主張して上告、検察側は上告を断念。現在、最高裁で争われている。

B意見具申

 政府の付属機関である地域改善対策協議会(磯村英一会長)が一九八六年十二月十一日、政府にたいしておこなった「今後における地域改善対策について」と題する意見具申。

C啓発指針

 総務庁長官官房地域改善対策室が、一九八六年八月の地域改善対策協議会の基本問題検討部会報告書、同年十二月の意見具申にもとづいて、翌八七年三月十七日付で発表した「地域改善対策啓発推進指針」のこと。重要な積極面として、「行政の主体性の確立」「自由な意見交換のできる環境づくり」などの必要性を指摘、「確認・糾弾」は「私的制裁以外の何物でもない」ことを明らかにしている。

D福岡連隊差別事件

 一九二六年、福岡歩兵第二十四連隊でおこった差別事件にたいし、全国水平社九州連合会・青年同盟福岡県連が中心となって糾弾闘争に立ち上がった闘争は、入営拒否決議にまで発展するなど、部落内外の広範な勤労国民による反軍国主義闘争となった。

E高松差別裁判

 一九三二年香川県で、部落の青年と恋愛し同棲していた娘の父が、同青年を誘拐罪で訴えたのにたいし、翌年高松地裁は「特殊部落民でありながら、自己の身分をことさら秘し…」などとして同青年らに懲役刑の判決をくだしたもの。

F相馬が原事件

 一九五七年、群馬県の相馬が原演習場で、米兵ジラード特務三等兵が、弾丸拾いをしていた部落出身の主婦を背後から射殺した事件。

 

G信太山(しのだやま)・富士自衛隊差別事件

 大阪府和泉市の陸上自衛隊信太山連隊で、和歌山県の部落出身の陸曹が半年間に六十回もの差別をうけたもので一九六四年に事件が明るみに出た。また、静岡県の自衛隊富士学校で陸尉が班長の陸佐から「部落の女を嫁にもろうて…」と部下の前で再々ののしられ、そのことを知った陸尉の妻が自殺(未遂)をはかるなどしたあげく、「私がいると夫の出世のさまたげになる」と書きおきし、二人の子どもを残して一九六三年の六月離婚した。事件は一九六五年二月、この陸尉が姫路地方人権擁護局に訴えでたことで明るみになった。

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