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墨田区   
並ぶ夫婦の石原や、吾妻(わがつま)橋を左に見、二つ並べし枕橋、連れびき合うも三回りの、葛西の梅に白髪や、齢を延ぶる長命寺、うしろは堀切関谷の里、木がくれにさそう落合の、月の名所や綾瀬川。向島は名所の多いところでございます。
 (柳亭燕路(5) 「和歌三神」)
  『古典落語』 第五巻,角川書店(1974)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
多聞寺 たもんじ 野ざらし(講ス文庫大全:28) 1件1題 (東京1件) 墨田区墨田5-31 向島七福神の一,毘沙門天.茅葺き屋根の山門は明和9(1772)年の号があり,墨田区最古の建物.境内に映画人の墓碑がある 多聞寺山門 1002
鐘ヶ淵 かねがふち 後開榛名の梅が香(角川円朝5:04) など 5件5題 (圓朝1件, 東京4件) 墨田区堤通2あたり → 北村辞典.千葉県の鐘ヶ淵でも出てくるが,水戸黄門が隅田川から釣鐘を毛綱で引き上げたという.鐘ヶ淵の紡績会社(野ざらし)は省略.すでに紡績をやめていたが,カネボウ本体も身売り.このあたり,汐入の渡しがあり,「そば地蔵」(青也沢田一矢:3)や「後の業平文治」に出てくる.1966年に廃止.写真の奥には,現役の造船所が見える.
"水勢が早い故、船はずんずんと鐘ヶ淵の方へ落として参る"(後開榛名の梅が香)
鐘ヶ淵あたり 1002
梅若塚 うめわかづか 傾城瀬川(青圓生12:20) など 6件3題 (圓朝2件, 東京4件) 墨田区堤通2-6 → 北村辞典.貞元元(976)年3月16日,信夫の藤太にさらわれた梅若丸は隅田川畔で病死.母は狂人となり後を追う謡曲「隅田川」.一時廃寺となった木母寺とともに梅若堂は川べり(堤通2-15)に移転した.梅若塚の前,ガラス張りの鞘堂に収まる.旧地にあったしるしの柳もなくなり,梅若塚跡の碑だけが防災アパートの片隅,梅若公園に残る.
"ぞろぞろ人ごみの中を梅若へお参りなすって、お帰りにお寄りになりましたのは、小梅の茶屋で"(怪談乳房榎)
梅若堂 1002
木母寺:三遊塚 さんゆうづか 雪月花一題ばなし(角川円朝7:29) など 6件3題 (圓朝1件, 東京5件) 墨田区堤通2-6 三遊派再興の悲願が叶い,1889(明治22)年,圓朝が木母寺に三遊塚を寄進.境内隅にある巨碑.この披露目の奉納小咄集が「雪月花一題ばなし」.
"このたび木母寺の境内へ三遊塚を建てました次第をちょっと申し上げておきます"(雪月花一題ばなし−雪月花)
三遊塚 0512
水神 すいじん 水神(青圓生12:14) など 7件3題 (東京7件) 墨田区堤通2-17 → 北村辞典.隅田川神社.防災拠点作りのためにわずかに移転した.分厚い堤と高速道路に遮られ,水の神様らしくない.菊田一夫作のカラスとの異種婚姻譚,「水神」の舞台 隅田川神社 1002
八百松(水神) やおまつ 王子の幇間(講明治大正1:15) など 9件5題 (東京9件) 墨田区堤通2 → 北村辞典.水神境内にあった料亭.支店の枕崎の八百松(粟田口霑笛竹など)も本店のここのいずれも廃業.水神の狛亀のそば,百度石の裏に八百松銘が見られる 水神の八百松銘 1002
上手 うわて あくび指南(旺文小さん1:03) など 23件14題 (圓朝4件, 東京19件) 墨田区 → 北村辞典.隅田川上流部.「船徳」,「星野屋」,「粟田口霑笛竹」など.なかでも「あくび指南」の春の欠伸の稽古.
"あとの連中は上手へいって、柳橋のおちよと千吉を呼んで浮かれる訳だ"(粟田口霑笛竹)
     
向島 むこうじま 野晒し(弘文柳枝:02) など 222件99題 (圓朝22件, 東京197件, 上方3件) 墨田区 → 北村辞典.大川をはさんだ浅草の対岸.顔だけ出した三囲稲荷の鳥居が向島のランドマーク.花見に雪見に骨釣り.料亭街も現役.
"向島の桜が真っ盛りで、とりわけ今日は十五日ゆえ梅若でござりますから、花見がてら参詣しようと"(怪談乳房榎)
三囲神社鳥居 1002
白髭 しらひげ 八景隅田川(角川円朝7:01) など 12件7題 (圓朝4件, 東京7件, 上方1件) 墨田区東向島3-5 → 北村辞典.白髭神社.「八景隅田川」にあるように近江の白髭明神を勧請.向島七福神の一,寿老人は白髭からのこじつけ.文人墨客が杖をひき,文学碑が多い.写真は天広丸の狂歌碑."くむ酒は是風流の眼なり月を見るにも花を見るにも".酒の噺のマクラに出てくる.
"白髭明神は隅田川堤の下に鎮座ましまして、祭れる神は猿田彦の命で"(八景隅田川)
天広丸狂歌碑 0912
百花園 ひゃっかえん 梅見の薬鑵(講明治大正2:51) など 8件5題 (圓朝2件, 東京6件) 墨田区東向島3 → 北村辞典.骨董商佐原鞠塢の別荘で新梅屋敷,花屋敷.加藤千蔭などの文人が集う.額は蜀山人の筆.今は有料庭園.園内に徳川慶喜筆の日本橋橋柱をはじめ,碑が多い.
"白髭の森を右へついて曲がりますと、新梅屋敷の前へ出ます"(八景隅田川)
花屋敷額 0605
玉の井 たまのい お金と女(新風金語楼1:21) など 2件2題 (東京2件) 墨田区東向島5, 6 "抜けられます"が目印の赤線地帯.空襲で壊滅.後発の鳩の町は,芸談ではともかく落語には出てこない.東武線の玉ノ井駅も東向島駅に改称      
須崎村 すさきむら 嘘つき村(筑摩古典05:13) など 9件4題 (圓朝2件, 東京7件) 墨田区向島5 → 北村辞典.「嘘つき村」はここにあった.こんなにはっきり書かれると何か理由があるのかもしれない.
"ここにいる姉さんの家で、須崎村までゆくんだが、堤は路が悪いから秋葉を抜けてゆくんだが"(八景隅田川)
     
有馬温泉 ありまおんせん 王子の幇間(講明治大正1:15) など 3件2題 (東京3件) 墨田区向島5 → 北村辞典.今よりも敷地の広かった秋葉神社境内にあった料理屋.有馬の湯の花を入れた人工温泉を売りにしていた.地図にも向島5-38に有馬湯とあり,最近まで銭湯として営業していた.銭湯跡のマンションSpring Yard入口に銘板が埋め込まれている 向嶋有馬温泉縁起銘板 1103
植半(支店) うえはん 隅田の馴染め(講明治大正1:08) など 4件4題 (東京4件) 墨田区向島5 → 北村辞典.料理店,中の植半.植半の支店.奥の植半(王子の幇間など)は木母寺内      
言問団子 ことといだんご 王子の幇間(講明治大正1:15) など 15件8題 (東京15件) 墨田区向島5 → 北村辞典.向島名物の団子.長命寺の北に現存.白・黒(小豆)・味噌餡の3種類 言問団子 0605
長命寺の桜餅 ちょうめいじのさくらもち 隅田の馴染め(講明治大正1:08) など 5件4題 (東京5件) 墨田区向島5-4 → 北村辞典.山本の長命寺桜もち.創業享保2(1717)年で現存.元は向島5-17付近.墨堤の桜の葉を塩漬けにし,三枚の葉で餡餅を包む.餅は道明寺ではなく薄く焼いたもの 長命寺の桜餅 0605
長命寺:芭蕉句碑 ばしょうくひ おせつ徳三郎(旺国馬生2:05) など 6件1題 (東京6件) 墨田区向島5-4 いざさらば雪見に転ぶところまで(芭蕉).長命寺に句碑がある.膝や手をはたいて翁一句詠み(柳多留).長命寺にはさまざまな碑がある.秀逸なのは,好色院道楽宝梅○○(居士だろう)の墓石のような男根のような碑 長命寺芭蕉句碑 0605
長命寺:十返舎一九の碑 じっぺんしゃいっくのひ お節徳三郎(騒人名作07:01) など 7件1題 (東京7件) 墨田区向島5-4 長命寺にある碑の一つ.碑面が剥落して一部しか読めない.内損か腎虚と我は願ふなりそは百年も生き延しうへ.腎臓が精力と結びついた腎張りも腎虚も,消渇も死語.十返舎一九享年67.辞世は,"此世をばどりやおいとまにせん香とともにつひには灰左様なら"とある.しゃれている 十返舎一九の狂歌碑 0605
弘福寺 こうふくじ 熱海土産温泉利書(角川円朝2:04) など 2件2題 (圓朝2件) 墨田区向島5 → 北村辞典.黄檗宗弘福寺.写真のように咳の爺婆と呼ばれる石像があり,咳止め飴を授ける.「熱海土産」本文にある茶人吉村観阿の墓は見あたらなかった.
"この吉村観阿という方の墓は向島の弘福寺にございます"(熱海土産温泉利書)
咳の爺婆 0605
牛の御前 うしのごぜん 花見小僧(講昭和戦前2:24) など 11件3題 (東京11件) 墨田区向島5-1あたり → 北村辞典.牛島神社.祭神は牛頭天王など.関東大震災で南の向島1へ移転.弘福寺西の旧地には碑がある 牛島神社舊趾碑 0912
隅田堤 すだづつみ 花見小僧(講評判全集2:31) など 6件5題 (圓朝2件, 東京4件) 墨田区堤通1,2 → 北村辞典.桜の名所.1つ残った明治4年の常夜燈がアクセント.墨堤植桜の碑もある.法界坊が殺されたり,土手で婆やが滑ったり転んだりするところ.
"墨田堤の春風にまだ覚やらぬ酔を吹せ牛屋の雁木を向へ越し"(花菖蒲澤の紫,太平書屋 (2004))
墨堤常夜燈 0603
三囲稲荷:雨乞いの碑 あまごいのひ てるてる坊主(私刊清水一朗:04) 1件1題 (東京1件) 墨田区向島2-5 三囲神社は向島の鎮守.其角の雨乞いの句,夕立や田を三囲の神ならば."ゆたか"を織り込んでいる.言ふ口の上から雨の降る名句(柳多留) 其角雨乞い句碑 1002
水戸家(下屋敷) みとけ 文七元結(角川円朝4:06) など 20件3題 (圓朝1件, 東京19件) 墨田区向島1 → 北村辞典.小梅の水戸様の下屋敷.文七が集金にうかがう.今は隅田公園で,隅田公園水戸邸跡由来記碑,明治天皇歌碑などがある.一時は,青シートの仮住まいが林立していた.
"私は白銀町三丁目の近卯と申します鼈甲問屋の若い者ですが、小梅の水戸様へ参ってお払いを百金いただき"(文七元結)
隅田公園 1002
源兵衛堀 げんべえぼり 初音の鼓(騒人名作01:21) など 4件2題 (東京4件) 墨田区 → 北村辞典.源森川の別名.寛文年間に開鑿され,隅田川と横川をつなぐ.上下流の水位が違うため洪水を起こしたため,築堤して水路を遮断した.そのあたり,〆切(業平文治漂流奇談)と呼ばれた 源森川 1002
枕橋 まくらばし 文七元結(角川円朝4:06) など 49件14題 (圓朝4件, 東京45件) 墨田区吾妻橋1〜向島1 → 北村辞典.源森橋の別名.源森川の大川口にかかる."二つ並んだ枕橋"と言われるのは,すぐ北の水戸家前にも小橋(小梅橋)があったため.枕橋に名を奪われ,源森橋は東側の橋の名となっている.
"お払いを百金戴き、首へ掛けて枕橋まで参りますると、ポカリと胡散な奴が突き当りましたから、はっと思ってると、私の懐へ手を入れて逃げて行きましたから"(文七元結)
枕橋 1002
本所 ほんじょ 本所七不思議(弘文志ん生1:06) など 221件106題 (圓朝35件, 東京185件, 上方1件) 墨田区 墨田区の西南一帯,旧本所区の一部."ほんじょう"と唱えるのが本寸法."本所に蚊がなくなれば大晦日"は定番の川柳.本所七不思議のうち,場所がはっきりしているのは津軽邸の太鼓,松浦邸の椎の木.志ん生が演った「本所七不思議」は,「化物娘」の演題で知られる噺.
"「本所に過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋塩原」と歌にまで謡われまして"(塩原多助一代記)
本所七不思議モニュメント 1002
業平 なりひら なめる(青圓生01:02) など 28件7題 (圓朝6件, 東京22件) 墨田区吾妻橋3あたり → 北村辞典.「なめる」では,芝居好きの跳ね上がりが,業平にあるお嬢さんの寮へ押しかける.古今亭志ん生(5)が極貧時代に住んだのが業平のなめくじ長屋.低湿地で毎日巨大なナメクジがわいて出た.写真のあたりから東京スカイツリーが見えるが,ズブズブと沈んでいかないのか心配.
"頃は安永年中の事で、本所業平村に浪島文治郎と言う侠客がありました"(業平文治漂流奇談)
業平かいわい 1002
業平天神 なりひらてんじん 業平文治漂流奇談(角川円朝3:02) など 2件1題 (圓朝2件) 墨田区吾妻橋3 在原業平の図像を所持する南蔵院が葛飾区東水元2-28に移転した.旧地の吾妻橋3-6に銘板が建っている.次項の縛られ地蔵とならんで,南蔵院内に業平天神がある.
"雪女郎は深山の雪中で、まれに女の貌をあらわすは雪の精なるよしだが、あれは天神様へお百度でも上げているのだろう"(業平文治漂流奇談)
業平天神 8412
縛られ地蔵 しばられじぞう 八景隅田川(角川円朝7:01) 1件1題 (圓朝1件) 墨田区吾妻橋3 → 北村辞典.南蔵院内.犯罪の目撃者ということで,大岡越前守に縛り上げられたお地蔵さん.願かけに縄で縛り,願が叶うと縄をほどく.
"本所の業平橋へ出て参りまして、縛られ地蔵の少し先の所におる者で、家業は植木屋でございます"(八景隅田川)
縛られ地蔵 0604
蛇山 へびやま 足上り(創元米朝1:05) 3件1題 (東京1件, 上方2件) 墨田区東駒形2 中之郷原庭町.「四谷怪談」,蛇山庵室の場.カボチャが哄笑し,与右衛門も狂ってくる.「足あがり」の劇中場面.写真のセットでは,仏壇返しや提灯抜けのスペクタクルが再現される 蛇山庵室の場(江戸東京博物館) 0810
達磨横町 だるまよこちょう 文七元結(角川円朝4:06) など 40件10題 (圓朝3件, 東京37件) 墨田区東駒形1あたり → 北村辞典.「文七元結」の長兵衛宅,「唐茄子屋」のおじさん宅.今は文字も褪せたが,写真のように木製の看板が上がっていた(東駒形1-18).落語にとって大事な地名だがよくわからない."落語の舞台を歩く"の吟醸氏によると本所1-10から東駒形1の最勝寺南までの南北路との説明.「江島屋」には"達磨横町の本久寺"(東駒形2-21)とあり,北本所表町の裏道あたりではないか.博打に取られた"細川の部屋"はすぐ北,吾妻橋東詰の細川能登守下屋敷.
"本所の達磨横町に左官の長兵衛という人がございまして"(文七元結)
舊本所達磨横町の由来銘板 8612
多田薬師 ただのやくし 鏡ヶ池操松影(角川円朝1:03) など 21件8題 (圓朝5件, 東京16件) 墨田区東駒形1 → 北村辞典.天台宗東江寺内.多田満仲念持仏の薬師を受けつぐ.大きな寺だったが,震災を受け,葛飾区東金町2-25に移転.多田薬師前は「塩原多助」の道連れ小平が殺されるところ.
"その実は多田の薬師の石置場に来て一銭二銭の合力を通行の者より受けて"(小雀長吉)
多田薬師東江寺 0604
北割下水 きたわりげすい 真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 11件7題 (圓朝11件) 墨田区本所2〜4 → 北村辞典.東西の堀割.春日通り,本所2の源光寺のところから発し,横川橋のところで横川へ落とす下水.旗本屋敷でよく登場.
"本所北割下水に旗下の三男で、藤川庄三郎という者と深くなっています"(松と藤芸妓の替紋)
     
松倉町 まつくらちょう 真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 13件8題 (圓朝9件, 東京4件) 墨田区東駒形3,4,本所3,4 → 北村辞典.北割下水の北側.「真景累ヶ淵」,新五郎の松倉町の捕物.リアルな立ち回りが印象的.
"急いで松倉町から、こう細い横町へ曲りにかかると、跡からバラバラバラバラと五、六人の人が駈けて来るから、これは手が廻ったか、しくじったと思い、振返って見ると、案の如く小田原提灯が見えて、紺足袋に雪駄穿で捕者の様子"(真景累ヶ淵)
     
吉田町 よしだちょう 雪月花一題ばなし(角川円朝7:29) など 8件7題 (圓朝1件, 東京7件) 墨田区石原4 → 北村辞典.夜鷹の本場."吉田町お花お千代はきついこと"が出てくる.梅毒で鼻散る里は辛い.
"昔本所吉田町におさよと申す夜鷹がありまして"(雪月花一題ばなし−月の辻君)
     
能勢家 のせけ 安産(講明治大正6:40) など 7件4題 (東京7件) 墨田区本所4-6 → 北村辞典.初産に際して大あわてでいろいろなお札を集める中,能勢の黒札まで取り出すという用例ばかり.旗本能勢熊之助の屋敷に妙見社と鴎稲荷が祀られており,能勢の黒札が有名だった.魔よけ,特に狐憑きを落とす霊験.北村辞典では,上屋敷のあった千代田区神田和泉町に分類している.現在も下屋敷の方だった妙見山別院では,年に一日だけ黒札を授与する.そのため,ここでは墨田区に分類した 能勢の黒札 1004
竹蔵 たけぐら 塩原多助一代記(角川円朝5:01) など 5件4題 (圓朝3件, 東京2件) 墨田区横網1,2 → 北村辞典.本所側の幕府の米蔵.ここを御竹蔵と呼ぶ.その跡の被服廠は,震災の火事で数万人の犠牲者を出した.銘板は横網1-5にあるが,置いてけ堀はここと確定しているわけではない.
"二ツ目の橋を渡り、お竹蔵あたりまでまいり、ホッと一息つきながら後ろの方を見かえせば、天は一面に梨地の色を現わし"(塩原多助一代記)
置いてけ堀・御竹蔵跡銘板 0810
嬉の森 うれしのもり 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 4件4題 (圓朝1件, 東京3件) 墨田区横網1 → 北村辞典.首尾の松の対岸,肥前平戸松浦豊後守上屋敷の椎の木.
"ただいまは八百松という上等の料理屋ができましたが、その時分あの辺は嬉しの森といいまして、樹木が生い茂りて薄暗うございまする"(粟田口霑笛竹)
     
駒留石 こまどめいし 塩原多助後日譚(角川円朝5:02) 1件1題 (圓朝1件) 墨田区横網1 → 北村辞典.前項椎の木屋敷の松浦豊後守,松平伯耆守邸前あたり.道の真ん中にあった石.今は安田庭園内に現存.北村辞典に引かれている川柳が場所を示す."伯耆先き掃除の度に邪魔な石".
"相生町二丁目からいたしまして、お竹蔵の所、それより駒止石を跡にいたしまして、それより多田の薬師前に差しかかりました"(塩原多助後日譚)
駒留石 0611
御蔵橋 おくらばし 穴どろ(角川円朝7:14) など 9件3題 (圓朝1件, 東京8件) 墨田区横網1 → 北村辞典.大川沿い,御竹蔵へ通じる入り堀にかかっていた.「穴どろ」の亭主が,金策のあてもなく両国橋から花川戸へふらつく道中.
"前は大川右の方は藤堂様の長屋下、お蔵橋を渡って池田侯の下屋敷の前から、多田の薬師の前へ出た"(穴どろ)
御蔵橋跡銘板 0812
両国駅 おくらばし たがや(青三木助:08) 1件1題 (東京1件) 墨田区横網1 1904年開業.両国国技館もよりの駅で,コンコースも相撲情緒があふれる.もとは房総方面へ向かう列車のターミナル駅だったが,今は特急列車の停車すらない.当時の様子がうかがえる一段低いホームから発車していた新聞輸送列車も2010年春に廃止された 両国駅 1003
百本杭 ひゃっぽんぐい 穴どろ(角川円朝7:14) など 22件12題 (圓朝1件, 東京21件) 墨田区横網1 → 北村辞典.大川の流れが今よりも蛇行しており,両国橋東岸に水勢を弱めるための杭が打たれていた.漂着物が多く,土左衛門の名所.「三人吉三」,大川端の出会い."ほんに今夜は節分か,こいつぁ春から縁起がいいわえ".合鴨料理の鳥安(中央区)に一本杭が飾られている.
"今度は百本杭に来ましたが、前は大川右の方は藤堂様の長屋下"(穴どろ)
百本杭残闕 0910
坊主しゃも ぼうずしゃも 船徳(筑摩古典03:08) など 13件4題 (東京13件) 墨田区両国1 → 北村辞典.ぼうず志やも.天和年間創業のしゃも料理店.頭を丸めた初代主人が,けんかっ早い船頭の仲裁にはいったという.「船徳」にうってつけのポイント.和え物,肝焼き,鳥刺,軍鶏鍋のコース料理のみ.味噌味の割り下で煮付けてくれる しゃも鍋の具材 1003
与兵衛鮨 よへえずし ちりとてちん(講明治大正7:33) など 4件3題 (東京4件) 墨田区両国1 → 北村辞典.江戸の握り鮨の始まりといわれる店.ただし天保年間の創業なので,本当かどうか怪しい.両国尾上町にあったが,昭和初期に廃業.両国1-8に区の銘板がある 与兵衛鮨発祥の地銘板 0812
垢離場 こりば 梅若礼三郎(青圓生02:10) など 7件4題 (東京7件) 墨田区両国1 → 北村辞典.今のではなく,以前の両国橋東詰.「梅若礼三郎」では神仏祈願のため,「大山詣り」では出発前にここで水垢離.−懺悔懺悔六根清浄 大峰八大金剛童子 大山大聖不動明王 石尊大権現 大天狗小天狗−.落語では江戸っ子の口調で"おしめにはったい"と唱える 垢離場銘板 1003
回向院:鼠小僧の墓 ねずみこぞうのはか 穴どろ(角川円朝7:14) など 11件7題 (圓朝1件, 東京10件) 墨田区両国2-10 → 北村辞典.義賊鼠小僧は,汐留で蜆売りを助けたり,芝居で納豆売りを助けたり.墓(教覚速善居士)は無尽をよく引くというまじないで,欠くためのミニ墓石まである.今も必死に墓石を削っている若者がいたが,いったい何の御利益を得ようとしていたのか.回向院といえば相撲の本場所や頼朝のしゃりこうべなどの出開帳.
"回向院に入りましたが、もう暮れがたで参詣の者もおりません。墓場をグルグルとまわって鼠小僧のお石塔を打ち欠いたり"(穴どろ)
鼠小僧の墓 1003
回向院:猫塚 ねこづか 猫定(青圓生08:10) など 8件4題 (東京8件) 墨田区両国2-10 → 北村辞典.「猫定」では,賽の目を当てる黒猫が出てくる.飼い主の猫定がばくちのトラブルで殺され,その敵を討つ.この猫を供養したのが,回向院猫塚の由来という.鼠小僧の墓のそばに小ぶりの猫塚があるが,それのことか?価善畜子とある 猫塚 1003
越後屋(若狭掾) えちごや 霧陰伊香保湯煙(角川円朝2:02) など 6件6題 (圓朝2件, 東京4件) 墨田区千歳1-8 → 北村辞典.越後屋若狭.明和2(1765)年創業の菓子司.武家大名や明治の貴顕,料亭・ホテル・茶人が顧客だった.和菓子の店売りはしておらず,予約で求める.水羊羹は,紙箱に流し込んであり,水のような柔らかさ.
"青籠に鯛の入った引物が出て、一ツ目の越後屋の菓子がつくという順序で、お膳が引けるとすぐに茶が出る"(蝦夷なまり)
越後屋若狭の水羊羹 1106
一ツ目の弁天 ひとつめのべんてん 三味線栗毛(騒人名作01:01) など 4件4題 (圓朝1件, 東京3件) 墨田区千歳1-8 盲人の総取締り惣録屋敷内.管鍼を使った鍼術を極めた杉山検校が江の島弁天を勧請.今は江島杉山神社.写真のように岩屋があり,奥に蛇体の宇賀神がいる.
"一つ目の橋を渡ると私にこれが弁天さまだ、よく見ろというから、うっかり見ているうちに、旦那がちょっと横町へ曲がった"(緑林門松竹)
江島杉山神社岩屋 0906
弥勒寺橋 みろくじばし 探偵うどん(青小圓朝:19) など 4件1題 (東京4件) 墨田区千歳3〜江東区森下1 → 北村辞典.五間堀にかかる.間に塔頭がはさまっているので橋名と無関係のように見えるが,北に隣接して弥勒寺があった.五間堀は六間堀から斜めに分派,屈曲する堀割で,地図でもその跡は明らか.堀・橋ともに今はない.跡地の西南角に銘板がたった 弥勒寺橋跡 1104
竪川(運河) たてかわ 柴檀楼古木(青圓生02:07) など 6件5題 (圓朝2件, 東京4件) 墨田区 → 北村辞典.本所を東西に貫く運河.これに交差して大横川,横十間川.撞木橋から東,中途半端に埋め立てられている.落語中興の祖,立川(烏亭)焉馬はここに由来.天明4年に武蔵屋(業平文治など)で,昔はなしの会を開いたので権三ります.
"可愛相なのは小僧でござります、少しは泳ぎも知ってはおりますが、竪川辺でやるバタ泳ぎぐらいで"(江島屋騒動)
竪川 0812
吉良家 きらけ 操競女学校-お里の伝(角川円朝3:06) など 16件12題 (圓朝3件, 東京9件, 上方4件) 墨田区両国2,3 → 北村辞典.元禄15年12月14日,播州赤穂浅野家浪士が吉良家を襲撃し,吉良上野介を殺害.吉良家は取りつぶされ松坂町となる.両国3-13に記念公園.
"内匠頭殿には多人数の家来もありながら、主人の仇を打ち捨ておくとは腰抜侍といった者もあったが、それでは吉良の邸へ乱入して主人の仇を討ったのだ"(操競女学校-お里の伝)
吉良邸跡本所松坂町公園 0906
相生町 あいおいちょう ぼんぼん唄(弘文志ん生7:15) など 13件8題 (圓朝7件, 東京6件) 墨田区両国,緑 → 北村辞典.一之橋から二之橋にかけての竪川北岸の細長い町.「ぼんぼん唄」は,迷子の幼子が歌う"ぼんぼん唄は今日明日限り,相生町の踊り"の文句で生家が知れるミステリーのような噺.相生町には塩原太助の炭屋が実在した.銘板は両国3-4.
"本所相生町で薪炭を商い、天保の頃まで伝わり、大分盛んで、地面二十四ヶ所も所持しておりました"
塩原太助炭屋跡銘板 1003
二ツ目の橋 ふたつめのはし 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 5件4題 (圓朝3件, 東京2件) 墨田区緑1〜立川1 二之橋.竪川にかかる二番目の橋で周辺は二ツ目.西から一ツ目(蝦夷錦故郷之家土産など),三ツ目(お里の伝など),四ツ目(江島屋など),五ツ目は江東区.幕末に山本山から独立した中田屋茶舗が北西詰に見える.
"すぐ裏口へ飛び出して二つ目橋の際で出会い、おすわの手を曳いて逐電いたしました"(緑林門松竹)
二之橋 1003
玄徳稲荷 げんとくいなり 狐つき(大文館, 新落語全集(1932)) 墨田区立川3-18 元徳稲荷.「狐つき」の稲荷づくし.三之橋南西詰に現存する小社.神田和泉橋から移転してきた 元徳稲荷 0601
撞木橋 しゅもくばし 怪談乳房榎(角川円朝1:02) など 5件2題 (圓朝5件) 墨田区緑4〜江東橋1 → 北村辞典.大阪の四つ橋と違い,クロスする堀の3ヶ所に橋が架けられ撞木のようだった.西側が柄にあたり北から北辻橋(現在は撞木橋),新辻橋,南辻橋.橋の名が転じて地域名となった.今は東の堀が埋められて本当に撞木のような水路.
"ヘエ、これはお手札を、ええ成程、本所撞木橋磯貝浪江様"(怪談乳房榎)
柄の方から見た撞木橋 0601
入江町 いりえちょう 緑林門松竹(角川円朝4:02) など 3件3題 (圓朝3件) 墨田区緑4 → 北村辞典.撞木橋北の大横川沿い.霊岸島長崎町の代地で,北の長崎町と入江町にわかれた.入江町の時の鐘が出てくる.
"丁度突き出しましたは入江町の七つという鐘の音でございます"(緑林門松竹)
入江町の鐘モニュメント 0810
南割下水 みなみわりげすい 化物娘(講明治大正2:48) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 墨田区亀沢1〜4 → 北村辞典.東西の堀割.清澄通り亀沢1から始まり亀沢4の横川に至る北斎通り.さらに東,錦糸堀(江島屋など)へ続く.ただの割下水の用例の方がはるかに多い.
"藤川幸三郎という、これはもと本所南割下水に住まわれ、御広敷番頭を勤め"(雨後の残月)
     
二葉町 ふたばちょう すててこ誕生(青正蔵1:19) 1件1題 (東京1件) 墨田区亀沢 圓朝の家の用例.圓朝旧居の標柱は亀沢3-20-1 初代三遊亭円朝住居跡標柱 0601
中の橋 なかのはし 月謡荻江一節(角川円朝5:03) 1件1題 (圓朝1件) 墨田区石原4〜太平1 → 北村辞典.大横川にかかっていた.別名,長崎橋.川は埋められ,今は跡形もない.橋の東詰には大島丹波守の屋敷があった.
"酒に酔いました伝蔵を連れ出し、仲の橋へ出る東の方は大島様のお屋敷でございます"(月謡荻江一節)
長崎橋 8612
合羽干場 かっぱほしば 月謡荻江一節(角川円朝5:03) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) 墨田区太平2 → 北村辞典.俚俗名.錦糸堀の北側.「月謡荻江一節」,亀戸−合羽干場−錦糸堀−長崎橋の道中で,森庄五郎闇討ちの場面.錦糸堀に面した御家人沢井,古小路(古郡)の名が出てくるので,太平2ではなく,錦糸2〜3の百姓地あたりではないか.桐油をかけて合羽を製したのか.
"亀井戸から合羽干場を出まして、錦糸堀から仲の橋へ出ます"(月謡荻江一節)
     
法恩寺橋 ほうおんじばし 中村仲蔵(立名人名演09:12) など 8件6題 (圓朝4件, 東京4件) 墨田区石原4〜太平1 大横川にかかっていた.柳島の妙見の参詣帰り,雨に降られた中村仲蔵が橋近くの蕎麦屋に飛び込む.定九郎モデルとの出会いの場面.定九郎役作りの逸話は仲蔵の『手前味噌』にあるのでよく噺の解説に書かれている.
"あれから法恩寺橋通りをまっすぐに、太平町を通り、天神橋を渡りますともうそこが亀戸の天満宮様でございます"(怪談阿三の森)
法恩寺橋 0908
霊山寺 りょうざんじ 鈴振り(弘文志ん生3:20) など 2件1題 (東京2件) 墨田区横川1 → 北村辞典.浄土宗霊山寺(旧名りょうせんじ).十八檀林の一.葵の紋がついているが一見すると普通の寺.十八檀林だったことを,残念ながら寺男は知らなかった 霊山寺 8505
十間川 じっけんがわ 怪談乳房榎(角川円朝1:02) など 5件1題 (圓朝5件) 墨田区 南北の堀割.北十間川の又兵衛橋(次項)から発し六万坪へ至る.途中,釜屋堀(別項:釜どろなど),穏亡堀(別項)の別名を持つ.十間川へ松井町の夜半の鐘が響く.
"松井町の鐘は空へ雨気をもっているせいか、十間川の流れへ響いてボーン"(怪談乳房榎)
     
又兵衛橋 またべえばし 業平文治漂流奇談(角川円朝3:02) 1件1題 (圓朝1件) 墨田区業平5〜江東区亀戸3 → 北村辞典.柳島橋.柳島の妙見のほとり,十間川にかかる.写真右手の森が柳島の妙見さん.西詰に会席料理の橋本(名人長二など)があった.
"又兵衛橋を渡って押上橋の所へ来ると、入樋の所へ一杯水がはいっております。向うの所は請地の田甫"(業平文治漂流奇談)
柳島橋 1102
妙見 みょうけん 中村仲蔵(集英圓生3:10) など 16件7題 (圓朝2件, 東京14件) 墨田区業平5 → 北村辞典.柳島の妙見,日蓮宗法性寺.北辰大菩薩を祀る.端唄,"どうぞ叶えてくだしゃんせ,妙見様へ願かけて".「中村仲蔵」が定九郎の役作りの祈願.写真の柳塚に加え,六世桂文治の碑もある.白蛇が棲む老松が有名だった.
"中村秀鶴が柳島の妙見様へ日参して、満願の日、帰り掛けに、定九郎の衣装取りの侍の姿を見て拵えるという"(月謡荻江一節)
昔はなし柳塚 0609
下平井の渡 しもひらいのわたし 中村仲蔵(集英圓生3:10)など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 墨田区立花3-29〜江戸川区平井6-1 → 北村辞典.「中村仲蔵」,平井聖天の参詣道.1899年に架けられた平井橋あたり.江戸川区側,やや下流の旧道に説明板がある.
"この時は猿ヶ股がきれる、葛西領の下平井の渡と砂村の間の土手がきれる、柳島亀井戸辺は一面の水になりました"(月謡荻江一節)
平井の渡し跡説明板 1102
おいてけ堀 おいてけぼり 虫づくし(講昭和戦前5:12) など 7件5題 (東京7件) 墨田区 本所七不思議の一.釣りから帰る夜道,背後から"置いてけ〜"の声が迫ってくる.声の主はカッパかタヌキか妖怪か.その場所は亀戸1など諸説あるが,横十間川あたりではないか.上記の横網1や江東橋公園(江東橋4)に銘板が建てられたので定説化してしまうかも.江東橋公園には,魚をゲットして思わずガッツポーズしているカッパ像がある おいてけ堀河童像 1004

掲載 060714/最終更新 120715

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