長島正充 のエッセイのページ  Essays by Masamitsu Nagashima
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論説・エッセイ ESSAYS
今こそ美を問う    構造主義について

バブルが終わって世の中が健全になるかと思ったのも束の間、またしてもシオサイトだとか六本木再開発とか、超高層ビルやマンションのラッシュだ。これで日本橋や神田などの古い街は致命的にダメージを受け、街として死んでゆくに違いない。このような都市を破壊することになるような事業に対して建築家は何ができるか? ジャン・ヌーベルのシオサイト電通ビルの美しすぎるドレスを筆頭に、それぞれ勝手にドレスアップすることが建築家の仕事なのか? そもそもああいうのを美しいと言うのか? 美と言うものの本当の意味を明らかにしておくことは、迂遠ではあっても都市を取り戻す武器になるはずだ。
美学の基本はリアリズムだ。現実を反映する芸術、と言うマルキシズム美学の基本を私はいまだに信奉しているのだが、しかしもっと発展させなければいささか古すぎる。本棚のチリを払って50年近く古い愛読書ルフェーブルの美学入門を読み返したが、そのままではなく、内容と形式と言う課題の捉え方をもっと具体的にしたい。問題はどのようにして現実を把握するかを明らかにすることだ。美しいものを作る方法。私は、それは構造主義だ、と言ってしまった。言ってしまった以上それを根拠付けなければならない。

建築について

ソシュールは構造主義の原点だそうだから、これもチリを払って読みかえしてみるとヒントが沢山あって面白い。「うま」という物があらかじめ先にあってそれに「馬」という名前がつけられるのではない。現実世界は星雲のように不定形で、初めから「うま」と言う区切りがあるわけではない。言語と現実との両面から「馬」と言う言語表現と「うま」と言う概念と.が作られる。これは一枚の紙の表裏である。「馬」と言う言葉は、その紙を突き抜けてその向こう側にある現実世界を構造化し、「うま」という概念をを区切り取り、それによって言語の側も構造化される。ここのところが一番面白いのであって、その後流行した、”いわゆる構造主義”や意味論や記号論にはあまり興味がない。商品も、ファッションも、建築も、みな記号であって、そのような記号として同じ構造を持っており、同じように消費されるものだそうだ。それはそれで結構な議論だが、それは同じ一枚の紙の上に類似の構造を持ったものがたくさんある、と言うことだ。私が問題にしたいのはその紙の上の「馬」とその裏の「うま」とを貫くZ軸、奥行き方向の運動原理を深めることである。
あの醜悪な日本帝国議事堂の建築はその内容である明治憲法を素朴に反映している。天皇の玄関が中央にあり、貴族院と衆議院がその両側にしたがっている。しかしこういうのはリアリズムとは呼ばない。その設計者は日本の文化をもっと広く深く理解し、もっと美しい建築に構造化することで、日本の姿を正しく構造化することもできたはずだ。現実の側はもともと星雲状であり、建築の側もあらかじめ構造が決まっているわけではない。建築の構造を創ることと、現実の構造を創り変革すること、とは表裏一体である。設計図の表側に描いてあるデザインはその裏側の現実の上面だけを形にするに止まらず、もしそれが美しい建築になるものならば、その現実を変革されたものとして指し示す。一枚の紙の表に設計図を描く。それが建築の美を与えるる条件は、
1       私がその紙の向こう側にある豊かな現実から十分に学び、その紙に腕を突っ込んで現実世界を本気で深くもぎ取ること、
2       これを契機として建築の構造を高いもの(物理的な意味ではない)として創り、このことによってあるべき現実世界の構造を正しく指し示すこと、によってであろう。
つまりZ軸上の深さと高さの問題だ。このような意味での美への要求は、今日のミニバブルを始めとする都市の末期的資本主義的な状況を鋭く批判するものになるだろう。

絵画について

ミニバブルに便乗して建築を作ることを潔しとしないが、何かを創ることへの情熱は捨てられない。このようなわけで絵画を描いている。絵画の構造のことを考えると建築の構造についても考えが発展する。
絵画は平面の上に描かれる。平面の原初的な形式は無限に広がるユークリッド平面である。これを一定のサイズの矩形に区切って画面とする行為は、無限定なユークリッド平面に一つの構造を与える。この矩形をX、Yの座標系によって認識することは、その構造に対する一つの理解である。さらにZ軸を設定することもできる。Z軸は絵の具の厚塗りのような物理的な寸法を意味するのではない。
Z軸について第一には、下地となる基底材、その上に積み重ねられる絵の具やコラージュ、さらにこれらを削ったり剥ぎ取ったり、など制作の時間を含めたプロセスの積層構造として三次元的な構造が存在し、その結果として二次元の絵画が現象する。いわゆる絵画の構図と呼ばれるものは、通常この矩形平面の上に構造を付加する作業として理解されているが、実は私達はZ軸を含めた三次元構造の結果を二次元の構造として受け取っている。絵画の制作の方法は多様であってよいが、私自身はXYZの三次元、特に基底材を大切にしたいと考えている。
Z軸について第二には、再び建築の場合と同じく、画面の裏側にある現実と、造形化された表面の絵画との関係を問題としたい。つまり画面の上の「馬」とその裏の「うま」とを貫くZ軸、奥行き方向の運動原理を深めることである。「馬」の絵は、その紙を突き抜けてその向こう側にある現実世界を構造化し、「うま」の本質を変革されたものとして指し示す。ここではいわゆる具象絵画だけを問題にしているのではない。抽象絵画においても、画面は画面の背後にある何らかの人間的な現実を深く抉り取り、それを構造的に造形することによって、美と呼べるものを創造する。絵画の制作の方法は個々に多様であってよいが、このZ方向の第二の原理はすべての絵画、すべての芸術に共通する、と私は考えている。
絵画の具象・抽象を問わず、画面の裏にある変革されたものとしての現実、すなわち「うま」の本質、と私が言ったものは何か。これを言葉で示すことはできない。それを示すことができるのは表面に描かれた絵画のみである。高さを持った(物理的な高さではない)絵画は、その裏の現実の構造を深く切り取り、それを人々に差し出す。それが絵画とか建築とか芸術とかの役割だ。深ければ深いほど高くなるし、高ければ高いほど深いものを指し示す。このようなものだけが美と呼ばれるものを担っている。再びZ軸上の深さと高さの問題だ。

(宮内嘉久 版   廃墟より 再刊7・8所収     2003)

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丸太小屋を作るの記  中央商事蓼科寮              作品画像へのリンク
テーマ

この山荘は中央商事という砂利製造販売の会社の社員厚生施設である。 房総半島の中央の山林がこの会社のこれからの主力採石場となることになっていた。その山を崩して地中の砂利を取るため、まずそこの山林が伐られる。 山林は杉の小径木がほとんどだが桧の大径材も若干含まれている。 杉の小径木は製材しても根太材程度にしかならないので通常全部捨ててしまう。
たまたま南蓼科にこの会社の山荘を建てる計画が出発したので、この山の原材を用いて家を組み立てることを提案した。 小径木の利用は日本の林業の大きな話題でもある。
木材というものの物性や木構造というものの基本から勉強をし直した。実験的ではあるが実用的で耐久的な構造を作ることにした。 結果として15万円/m2という工事費は概ね経済的に妥当な範囲であったと考えている。

造材・製材・加工

小径丸太は角材に製材しても極端に細い材しかとれず能率が悪いが、丸太のままで見ると強度、剛性、耐久性、断熱性など立派な性能をもっている。極力丸太のまま利用する工夫をした。
しかも数寄屋普請的な工芸的手法ではなく、新しい技術開発、工業的構法によることとした。
たまたま君津の山林の真近に製材工場と軸組用のプレカット工場があったので、ここで一切の仕口のプレカットを行い、南蓼科の現場に運んで組み立てることにした。
山林からの伐木、玉切り、搬出はなかなか手間のかかる仕事だったという。しかし普通の採石場では単に切り捨ててしまう立木を、利用価値を保存しながら伐り出すのだから大変でもやむを得ない。 この段階のコストは原木m3当り24,500円であった。
伐り出された原木は機械加工規準面とするため、一面あるいは二面を製材工場で平面にする。 また同時に将来の乾燥割裂により丸太の耐久性が低下するのを防ぐため、製材と同時に背割りをする。 
その後で残った丸太面は皮むきをするのだが、これはバーカーがないから手作業ということになる。これらの工程の後に約半年間の自然乾燥を行なった。 製材・皮むきのコストは山出しまでのコストとほぼ同額で原木m3当り23,850円、製材m3当り32,280円であった。 
最後にプレカット工場で継手、仕口、さね等の機械加工を行なった。

丸太壁構法

丸太で家を作るとすると、まず思いつくのはいわゆるログハウスの校倉構造である。 いろいろ勉強した結果、ここでは校倉造りとは逆に、すべて木材を縦に用いる構法を開発した。それは、
1-- 校倉造は本質的に組積構造だから平家建はとも角、それ以上の階数に対して耐震的でなく一般性に欠ける。 
2-- 木材は材長方向には収縮が少なく強度も高いが、半径方向や円周方向には収縮が大きく強度が低い。 従って木材は縦に用いるのが合理的である。 校倉造では材を横向きに使う結果、不注意に造られた場合、高さ方向の収縮が無視できないほど大きく実用的障害を起している。 
3-- 木材の腐食は繊維の細孔や、材と材の間の目地に水が入り、これに沿って進行するから、耐久性の点でも木材は縦に用いるのが合理的である。
などの理由によるものである。 ここでは壁体として丸太を縦に並べて壁面を構成することから出発した。 この壁は耐火性・耐久性・耐震性ともに優れており、断熱性はK値で0・725kca1/u・h・℃で蓼科の冬に対してほぽ充分な値である。 
外壁面の丸太面においては製材・加工によって繊維の切り口断面が風雨に露出されることがないので、格段の耐腐朽性がある。
このような丸太壁は通常構法の壁体に比して不当に多量の原木材積を消費しているわけではなく、小径木の利用法として有効なものだと考える。

丸太屋根構法

小径木だけで屋根を架構する場合、4-5mまでのスパンは垂木構造で充分である。 小径木とはいっても丸太のままなら充分な曲げ強度と剛性をもっているからである。 
それ以上のスパンでは何等かの立体架構法が必要となる。 この家では垂木構造の部分のほかに、居間の6.3m×6.3mのベイで方形の立体架構法の部分がある。 4隅の合掌部材だけでなく、すべての垂木材も立体構造として協力する四角錐形式を、川口衛氏が開発してくださった。 立体構造のために厳密な仕口形式を求めることは加工精度上必ずしも容易でないが、木材の特性として仕口が次第に相互になじんでくることを利用すると比較的単純な接合法で充分立体的効果を得ることができる。 日本では各種のジベルなどの仕口金物が生産されなくなってしまっているので仕口形式は大きく制約される。 ここでは単純で効果的な仕口金物がいくつか工夫された。
架構上予想外であった困難は部材一本当りの重量であった。 小径木とは言っても丸太のままの長尺材は人力で屋根に引きあげるには重すぎ、小型のクレーンを必要とすることになった。

単位構造の群としての家

この山荘は垂木構造の片流れでできたユニットが二個と、立体構造の四角錐方形のユニットが一個とで構成され、全体として一つの造形を作るように考案された。
これは小径木を用いて小単位の構造を作り、これを集合させて家の全体構造を作る手法であって、一般性をもつ手法であると考えている。 別稿に発表する木更津の家は通常の在来工法によるものだが、単位構造の集合という意味では共通の思想をもつものである。   (長島正充)

(住宅建築 1983年4月号所収  2003年5月校訂)

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聖グレゴリオの家   レスポンシブルな建築へ
 St. Gregory House   Essay in English
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全体の構成

この施設の名称、「聖グレゴリオの家」は、カトリック教会音楽の歴史上重要な功績を残した、グレゴリオ教皇の名にあずかっている。この施設はカトリックの典礼と教会音楽の研究・教育・普及をその主要な目的としている。教会における典礼と音楽とが相互に密接不可分なものだ、という思想が此処にはある。

このコンプレクスの中には3種類の施設が複合されている。
第一は主聖堂であって、全体の要となる建物であり、典礼と教会音楽の実践の場である。同時に、古楽を中心にしたコーラス、オルガン、アンサンブル、その他の音楽のコンサートや練習にも利用される。
第二は2階建てL型の棟で、中央の中庭を聖堂と共に取り囲む。音楽教育・研究のための部屋、合宿訓練のための宿泊用の部屋や食堂から成っている。
第三はこの施設の活動を支える共同体の人びとの生活空間(修道院)である。小さい中庭を取り囲む棟々で、その人びとの精神的な中心である小聖堂を含んでいる。


基本的な主題  神の家と人の家

キリスト教では、教会の建物は神の家であり、キリストの肉体の実在化であると考えられている。私はキリスト教信者ではないので、このような神の家を作る能力があるのかどうかわからない。神の家を作る場合だけでなく、人の家を作るときもそうなのだが、造形をする根拠と格律と方法とをもっとはっきりさせなければならない、ということを痛感している。
キリスト教の世界では、神の愛によって、ただそれのみによって、すべての存在は一元的に統一されている。人間はすべて信仰によって義とせられる。
一方、われわれの今日の世界は、二元論的な対立と矛盾に満ちている。自然と精神、存在と価値、他者とわれ、そして建築と建築家とは、深く断絶した分裂状況にあるように思われる。この状況の中に、我々は我々の造形の根拠を探究しなければならない。私はこの分裂をはっきり認めた上で、この二元的なものを統一してゆく作業が人の家を作り、神の家を作るという作業だと考えたい。そしてこの作業をしてゆく過程自身の中にわれわれの根拠があるのだ。

資本主義社会の中で、通常われわれは、建築のプログラムとして与えられる卑近な営利的目的に則して造形するという、目的論的方法に慣らされてきた。しかしこの目的の彼方にわれわれの建築の精神的根拠があるわけではない。目的というものは人によってばらばらである。これら相互問の断絶を、この目的論は埋めようとはせず、ただ後に置き去りにしてしまう。また、建築はすべて目的実現のための素材として扱われ、人と切り離された向こう側に残され、人はこちら側からそれを操作するだけでその間の分裂を埋めようとはしない。
われわれの造形の格律は一方的に上から与えられ適用されるのではなく、逆に個別的な事物の中から、いわば下から積み上げられてゆくものではないか。そしてその根拠は人と人、人と物、人と建築、とのレスポンド(感応)し合う関係の中にレスポンシビリティ(信頼性・責任性)として浮かび上がるだろう。
私はここで人間とレスポンドし合う建築を作りたいと願った。その手本はロマネスクにあったようだ。そしてこの途はいつかは本質の表現としてのリアリズムにつながる途だと考えたい。これが素朴現実主義・自然主義に堕ちないためには、方法化という途を通り抜けねばならない。


聖堂  コミュニテイの同心円

古来教会堂の形式は集中堂形式と長堂形式の間を行きつ戻りつしてきた。それは建築様式の変遷でもあったし、また思想史的変遷でもあった。1963年のバチカン公会議以降、今日のカトリシズムの基本的な考え方は集中堂形式に傾いてきているようだ。それは神を中心として信者たちが構成する共同体のあり方についての新しい解釈である。それは先に述べた言葉でいえば神と人、人と人との間のレスポンシブルな関係を空間形式として作り上げることであって、建築的課題として大いに関心を呼び起こすものだ。しかし、その集中堂形式は長堂形式よりはるかにまとめにくい形式でもある。
長堂形式はバシリカ形式以来ゴシックの聖堂に代表されるように、ヒエラルキーのはっきりした簡明な空間である。一方、集中堂形式の秩序はもっと複雑で多面的なものである。集中形が逆に発散形になってしまう実例をしばしば見かける。。今日、新しい集中堂形式のさまざまな試みが世界中でなされているが、本当に成功した例はまだ少ない。
集中堂形式における円という幾何学は、放射線と同心円というふたつの対立する要素を持っている。放射線はヒエラルキーだけを強固に表現するが、実は集中と拡散の矛盾を解かない。
これに対し同心円の重なりはヒエラルキーとコミュニティの両方を美しく表現するように思われた。同心円は、神と人の間の会話、人と人の間のコミュニティ、、そして音楽と人のあいだに生まれる感動、が波紋のように拡がってゆくのを表象するように思える。
この聖堂では波紋状の同心円が強調されており、放射状の線は用いなかった。
信者席は祭壇を中心とする同心円を作り、祭壇を扇形に取り囲む。典礼の場合も、コンサートの場合も、座席の奥行きを最低限にすることで、中心になるものとの親近感を強める。同時に信者席の人々の輪は、集まる人々の間のコミュニティを一体のものにする。
これこそがレスポンスを発生させるレスポンシブルな空間形式だ、と信じて設計した。


クロイスター  修道院とその回廊

中世以来、修道院というものと、その中庭を取り囲む回廊建築とは切り離せない関係にある。修道院もまたその回廊も、同じくクロイスタ一というひとつの言葉で示される。回廊と言う建築形式は数千年の古い時代からの典型的な建築形式だった。発生的にはそれは部屋と部屋を結ぶものとして生まれた。やがてそれは人と人の関係、人と建築の関係を取り結び、レスポンシビリティを発生させる建築言語のひとつとなり、宗教的にも重要な意味を持つようになったのである。
このグレゴリオの家ではクロイスターの様式に近いものがふたつの場面で現われる。一つは大きい中庭を取り囲む主要な動線空間の回廊である。主要な動線が中庭に面してめぐっており、諸室をつなぎながら、さらにこれらを共通の中庭につなぐ。
もう一つは小さい中庭を取り囲む住居部分ののプライベートな動線空問の回廊である。
これらの二つの回廊はその一辺の一部を共有することで、互いに隔てられながらも連続した関係にある。
これらの中庭と回廊は、中世の修道院回廊の閉鎖性よりももう少し外の世界に向かって開かれており、私の判断では、今日われわれが必要とするプライバシーとコミュニティの調和的序列をよく表現できたと考えている。


構造と外装  建築の生と死

鉄筋コンクリートという素材は現代建築にとって基本的なもののひとつであるのに、その使いこなし方は、まだ我々が木や土を使いこなしてきたほどには成熟していない。コンクリートは収縮、脆性、クラック、熱変形、熱伝導性、結露そして中性化といったさまざまな欠陥を持っている。これを使いこなすには、まださまざまな試みを積み重ねねばならない。

この建物は鉄筋コンクリートの壁式構造である。コンクリートのさまぎまな短所を補うために、建物全体にすっぽりとマントルが被せて外断熱をした。これは外断熱で熱的挙動を和らげると同時に、またコンクリートを風雨から守り保護する。外壁部分のマントルは、コンクリート壁の外に厚い大谷石を二重壁として積み上げ、コンクリート壁体との間の空気層に断熱材を入れた。
ごのマントルの存在にもかかわらず、建物の外観には鉄筋コンクリート構造としての造形を明確に正直に表出したかった。古くからいわれていることだが、論理的な構造の正直な表現というものは、建築の重要な格律のひとつだと思う。人に建築の成り立ちを分かり易く説明し、人と建築とのレスポンスを保ってゆくことを導くのである。
この建物では、硬質で脆いコンクリートが、温か味のある大谷石で保護されている有様が、わかりやすく読み取れるように試みたつもりである。
大谷石は安価な割には充分な重量感と保温性・保湿性などの特徴を持っている。関東の人間にはその材料の長所も短所も知り抜いた、使いこなしやすい材料である。それは必ずしも堅牢な材料ではなく、雨水や凍害に弱い。ここでは地盤に近い、低い場所に大谷石を用いるのを避け、かつ軒の出た屋根の帽子で大谷石を覆うことでそれを雨水による侵食から守っている。それでもその大谷石は徐々に風化してゆくだろう。しかし最善の努力をもってそれを守り育てるように造形すれば、その一生の寿命の間に、少年期にも、青年期にも、そして老年期にも、その年齢に応じた美しさを開示するだろうことを期待したい。そしてその建築の生と死とが美しく表現されるだろうことを私は願っている。
これもまた、人と建築のレスボンスを保つ重要な架橋である。



この建築ができあがるまでには大変多くの方方のお力添えがあった。
ケルン大司教区の建築家であるシュロンプス博士、この聖グレゴリオの家法人の理事でもある吉武泰水先生がこの設計作業のレールを敷いて下さった。
終始われわれの精神的支柱であったゴールドマン神父、そして誠実な施工に心を砕かれた市野昌氏、その他数え切れない、多くの方々の協力によってこの建物は建設された。また、Rudo1f Schwarzの著書「The Church Incarnate」は精神の世界と建築の世界を結びつけようとする壮大な試みであって、強く感銘を受けた。


<レスポンシブルな建築へ   聖グレゴリオの家>
<新建築誌  1980年5月号所収   2003年11月 校訂>
<長島正充>


Architectural Prize for St. Gregory House
August 2007
Masamitsu Nagashima, Architect JIA


At the convention of the Japan Institute of Architects (JIA), November 2006, St. Gregory House was awarded “JIA 25 Years Prize”. It was a great thing. This prize is very unique, given only to architectural works which is older than 25 years after its completion. As judging criteria, the work must be still lively keeping its beauty, being loved and carefully used by people, adding aesthetic value to the urban neighborhood. This unique prize is different from many other architectural prizes. Usual prizes are targeted only to the newly built buildings, and often go to seemingly unique and/or gorgeous buildings. The juries are often affected by the short term sense of values, including the fashions of the day. On the contrary, in the case of “JIA 25 Years Prize”, the building has been continuously criticized by people using the building, and also attested through severe weather of rain, snow, wind, for many years. Only really good architecture can pass through these criticisms/attests which are more severe than the judgment of the juries. The TIME is the best jury which proves the real value of architecture. I appreciate the philosophy of this prize. Being the architect for St. Gregory House, I am very glad and proud to be awarded this prize.

I must add that the prize went not to the architect, me only. The prize was given to all who made joint effort and collaborated in the project, during these years;
Institute of St. Gregory House,
    the owner of the building who initiated and sustained the project
Masamitsu Nagashima, JIA,
    who, as the architect, designed the building
Shinkenkai Komusho,
    who, as the general contractor, built and maintained the building.
Great thanks must go first to Father Gereon Goldmann, who was the real great initiator of the whole St. Gregory House. I feel very sorry; I had no chance to tell him this pleasing news, before he has passed away. He now should know every thing, be pleased very much, at where he is now.


Short History and Concept of the Design and Construction

30 years ago, January 1977, the architectural design work was started. We were very busy to make many meetings and discussions. Father Gereon and Ms. Hashimoto have always been the key persons. But, at that moment, nobody knew what kind of building they need. We even did not know the concrete idea of the activity to be done in the building. The land purchasing was not completed. Only firm things were; the passion of Father Geneon and Ms. Hashimoto to achieve the project. Also the key word “Community for music and liturgy” was very firm. But what is the “Community”, and what is the building design for that “Community”? It was a vague dream at that moment. I made many plans and clay models trying to give shape to our dreams. I decided to adopt 3 basic concepts, 2 came from the historical tradition of architecture, and 1 was suggested by Vatican Policy.
  1. Cloister (colonnade) which surrounds the court yard. This is a traditional building type from the ancient age, and is given a religious meaning in Christian Cloister (monastery). The colonnade makes a tie between individual rooms and people in the building complex. This will create the Community in the building complex.
  2. Simple and solid wall finish, like early Romanesque Church. It should not look gorgeous at the beginning, but should be stable and endurable. The building should be beautiful through its whole life, from its fresh young days, to its dignified aged days. This would create the Community along the time span of many years to come.
  3. The Chapel should not be rectangular, but half round. The public seats should be on concentric circle surrounding the altar. All the public people make one Community surrounding the God. The Chapel will also be used as a concert hall, and in this event the public make the Community surrounding the musician in the center.
11 months after the start of the design work, December 1977, ground-breaking was celebrated; even the design drawings were not complete yet. The design and construction proceeded in parallel. In September 1979, the construction was essentially completed, and Mass was celebrated. Still, this was not the real completion. In following years, we had to make effort to raise the House up to its true completion. The bell, the altar, bible table, candle stand, stained glass, -- were added, and brought beauty and dignity to the House. Then a baroque organ built by J. Ahrend came in 1986. In 1998, the west wing building was extended to add several music rooms. Now, I would say St. Gregory House is truly completed, and it is now worth for the “JIA 25 Years Prize”. It took time, and I would say again, TIME creates and proves the real value of architecture.


Jury Report of “JIA 25 Years Prize”
I excerpt here, the report by Dr. M. Senda, the chief of the board of Jury, the president of JIA,
“JIA 25 Years Prize” deals with the very basic value of architecture. Many prizes in Japan tend to evaluate architecture according to the impact to that particular age. The fact is that most Japanese buildings have only short life of around 20 to 25 years. 25 Years for this Prize is not a very long time, but is a sufficient time span to evaluate the architecture of its beauty, function, and especially whether it is loved by the owner and people.
St. Gregory House was an excellent architecture. Stable and tranquil space with solid stone wall was very comfortable. Especially, the chapel has a perfect favorable space for praying. 25 years history is expressed on facade, courtyard and garden plants, which washed my heart. I was deeply impressed by this not too big pleasant space.


Please visit St. Gregory House

When you have a chance to come to Japan, please visit St. Gregory House, to see and enjoy its activity, music, and architecture. You would be welcomed to stay in simple and pleasant bed rooms. It should be a good experience of calm, tranquil and comfortable life.
If you like, I myself personally would like to see you and enjoy talking about architecture.

If you do not have a chance to come to Japan, please visit;
St. Gregory House Web Site in Endlish;
    http://www.st-gregorio.or.jp/EN/index-e.html
And also please visit Nagashima Architects Web Site;
     http://homepage3.nifty.com/naga_architect/ (This Site)
Please search for < Nagashima Architects> if necessary.

     Link to the picture page in this site


Collaborators of architectural design
I wish to introduce here the members who jointly collaborated in design.
Architect  Nagashima Architects INC
Associated architects Hiroo Nigo, Nobushige Nakaya, Akio Ohba, Teruomi Akabane
Structural Engineer Dr. Mamoru Kawaguchi and associates
Mechanical Engineer Dr. Toshiaki Kiuchi and associates
Electric Engineer Mr. Sumio Hayakawa and associates
Acoustic Engineer Dr. Kiyoteru Ishii
Lighting designer Ms. Motoko Ishii and associates
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都市建築の美の核心を問う
日本建築学会  
都市建築の発展と制御」に関する設計競技  
緑地や公共空間を創出する都市建築の原型  落選提案

日本建築学会が主催した設計コンペに応募して落選しました。
名誉ある落選だったと思っています。
学会ではこの数年、 日本の都市がどうしたら今の醜い姿から脱却できるか、を課題として研究会を主宰しています。大変興味深い課題です。今年はそのための設計競技が行われ、長島正充は<美>をキーワードとして応募してみました。求められていることと違ったアプローチだったので、落選はある程度覚悟していました。見事落選しました。日本のアカデミズムには受け入れ難かったと思います。
心ある方には理解いただけると思います。どうかお読みください。



都市建築の美の核心を問う                     2005−1−7 
長島正充
日本建築学会  「都市建築の発展と制御」に関する設計競技  緑地や公共空間を創出する都市建築の原型」  落選提案



この提案では、課題の「緑地や公共空間を創出する」ことに即効性のある解答ではなく、解決方法を創るための方法、いわばメタ方法論を提出します。私たちの都市をここまで醜くした真犯人を探し出し、この状況に外側から衝撃を与える提案をします。そこでのキーワードは「美」です。
美しい都市建築を求めようとするなら、美というものの本質を明らかにしなければなりません。最近の都市に林立するビル群のように、それぞれ勝手にドレスアップすることを美と呼びたくはありません。美は物事の表層にあるのではない。美は世界の構造の本質に係わるものです。この構造の核心を抉り取り、変革されたものとして差し出す、のが芸術であり、建築です。

なぜ原形は失われたか

わが国には都市と町家、田園と民家、の美しい関係が成立していた時代がありました。都市、田園、が環境の生態系のなかで共に生きる、という本質的な原理があったからこそ、それらは本質的な.美を獲得していました。
何故この美しかった都市建築の原型は失われたか。住むための機械(ル・コルビュジェ)であった建築は、今日、金を儲けるための機械、即ち商品となりました。「土地の有効利用」、飽くなき利潤の追求、大量消費の奨励、などが「緑地や公共空間」を蚕食し、奪ってきたのです。グローバリゼーション、市場原理主義、大量消費社会といった末期的資本主義の強固な殻が都市の本質的構造の上に覆いかぶさり、その殻を切り裂くのが極めて困難になりました。巨大プロジェクトも、又、市井の小企業・善男善女などの小規模な建物(自助努力で建てる独立住宅を除いて)も、利潤原理を逃れられません。彼らは個々には合理性と合法性をもって建築しました。それらの巨大な集積が、左の写真に例示するような混乱した巨大都市を作ったのです。


醜い都市の真犯人は誰か  国家の作る緩衝装置

個別の資本、企業、善男善女を非難する意図は此処にはありません。真犯人は、万物を利潤追求のための商品と化するシステム、即ち資本主義なのです。しばしば残酷なものである資本主義は、その残酷さと市民との間の軋轢を緩和させるために、今日では国家が調整・管理しています。社会保障、補助金制度、美しい国づくり政策大綱、景観法、などはそのための緩衝装置です。緩衝装置は問題の真相を隠しました。しかし緑地や公共空間をこれからも奪ってゆく真犯人は依然健在です。


解決への戦い

資本主義システムの強固な殻はどのような方法で打ち破ることが出来るのでしょうか。これは永遠の問題です。
歴史上実に多くの試みがされ、挫折して来ました。
内側からの抵抗      ひとつは内側からの抵抗運動です。住民自治、消費者運動、地域通貨、コーポラティブハウジング、国産木材の復権運動、などです。しかし例示した写真のような混乱の巨大な集積に対してはどう攻め込んだら良いのでしょう。都市建築を快復させようとしても、局部的な解決にしかならない無力感・絶望感があります。あの緩衝装置を部分的に柔らかいものに出来たとしても、その外側の強固な殻はなかなか打ち破れません。
外側からの衝撃       もう一つは外側からの破壊です。このシステムの強固な殻に外側から鉄槌を下して破壊することは出来るでしょうか。ソ連も中国も革命という形でこの試みをし、失敗しました。しかし、外側からの攻撃のためのアイディアをもっと開発したいと思います。それはハードウェアのレベルではなく、表象とか象徴とかのレベルでの戦いになるでしょう。そこで「美」が登場します。


美は破壊と抵抗の運動である

今日美を求める芸術の運動は、この時代への抵抗運動・破壊活動としてのみ成立します。芸術は爆発だ(岡本太郎)。前衛的でラディカルな試みのみが、美の核心を快復します。逆説的ですが、破壊こそが建設的なのです。建築家は内側からの抵抗には強いのですが、外側からの破壊的な攻撃には向いていません。建築家は既定の制約条件の中でデザインすることに慣らされすぎています。そしてしばしば建築家の業務自身が市場原理の中でのビジネスなのです。だから建築家はともすれば国家が作った緩衝装置の中に埋没してしまうのです。


市場原理から離れなければならない

外側からの爆発的な破壊作業に向いているジャンルとして、ここでは一例としてアーティストの持っている力を取り上げます。アーティストの最前衛にいる人々は、市場原理との関係を断ち切って力強い表現を行います。たとえば、ベルリンの帝国議事堂を梱包してしまったクリスト&ジャンヌ=クロードは、そのプロジェクトの実現に25年を費やし、それに要した莫大な費用をすべて自分たちで支払いました。その金銭は彼らのデッサンなどを売ることだけを収入としています。その他のスポンサーや、商業的収入は一切ないのです。このやり方は彼らの美学の重要な一部をなしています。徹底的に商業主義を排除するこのようなアートワークは爆発的な破壊力を持っています。梱包された帝国議事堂は極めて美しく、市民に強い衝撃を与え、美とは何かを考えさせ、そして市民の大多数に受け入れられました。装飾が付加されて不明快だった帝国議事堂の、建築の「原型」を見せてくれました。まさに本質の核心を抉り取ることで美を獲得したのです。


アーティストの援軍を求める

美は力です。私たちは都市問題の解決のために、建築、都市計画、造園、などの専門家に加えて、遠慮なくこのようなアーティストの援軍を求めようではありませんか。ここではその援軍を求める仕掛けの一例を提案します。

提案:渋谷駅前の巨大な白いキャンバス


東京の渋谷駅前広場に、日本でも最も混乱した景観の一つがあります。この街のビル群のファサードを全面的に白いキャンバスにしてみましょう。限定された期間だけがよいと思います。この巨大な白いキャンバスをアーティスト達の自由な創作のために預けてしまいましょう。著名な作家でも良いし、創作の発表の場に飢えている無名の作家でも良いでしょう。


渋谷に何事が発生するか
  
その時、渋谷に何事が発生するでしょうか。キャンバスの上の平面壁画に限らず、様々な表現方法、イヴェント、ハップニングなどが起こるでしょう。彼らアーティスト達は間違いなく、爆発的な破壊力を持ってこの巨大な空間を革命の場に変換させるはずです。私にはこの革命的な状況を図像として描き示す力はありません。又、それはアーティスト達の自由な創作の結果として現れるものですから、それを今図像として描き示すことは意味がないのです。ここでは白いキャンバスと化した渋谷駅前広場の図像を示します。同時に現代で最も破壊力を持った作家達の作品の図像を、参考として示します。マルセル・デュシャンは既製品の便器を「泉」の題名で美術展に出品して物議をかもしました。私はこれを巨大化したオブジェを広場の中央に置いてみました。これらを見比べて、渋谷に何事が発生しそうか、頭の中でイメージしていただきたいと思います。
    
     
   
   
   
都市の美の担い手は市民である

誤解を招くといけないのですが、この提案は美術によって都市の外観や建築の表層を化粧しようとすることではない。逆に既成都市を破壊し、原型を奪った真犯人を暴き出し、市民が都市の美とは何かを考える刺激とし、市民の行動を喚起するのです。「緑地や公共空間を創出する」ことの、真の担い手は市民なのですから。


この提案は実現できるか

このようなプロジェクトは他にも様々に考えられるでしょう。アーティストだけでなく、他のジャンルの人々を糾合することもできます。ここでの提案は無数に考えられるもののほんの一例を、ヒントとして提出するものです。
このようなプロジェクトには実現性があるでしょうか。その費用は数十億円ではすまないかもしれません。ビルのオーナーたちは賛成しないでしょう。官公庁も賛成しないでしょう。しかしクリスト&ジャンヌ=クロードは25年にわたる交渉により、国会議長の応援をも受け、国会の過半数の賛成を受けて、ベルリン帝国議事堂のプロジェクトを完成させました。
「都市建築の美の核心を問う」ことは、そのくらいの大きな作業なのです。
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